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服部正 『アウトサイダー・アート』 (光文社新書)

「アウトサイダー・アートは、すべてがひとりの作者から始まりひとりの作者で終わる。誰かの種を拾い上げて、それを別の誰かが育てるという歴史的な積み上げが存在しないのである。その孤立無援の一代限りぶりこそが、アウトサイダー・アートの「独自性」と呼ばれるものの本質ではないかと思う。」
(服部正 『アウトサイダー・アート』 より)


服部正 
『アウトサイダー・アート
― 現代美術が忘れた
「芸術」』
 
光文社新書 114 

光文社
2003年9月20日 初版1刷発行
2008年4月15日 3刷発行
237p 付記1p 
口絵(カラー)8p
新書判 並装 カバー
定価740円+税
装幀: アラン・チャン



カラー口絵9点、本文中図版(モノクロ)72点。


服部正 アウトサイダーアート 01


カバーそで文:

「「アウトサイダー・アート」とは、精神病患者や幻視家など、正規の美術教育を受けていない独学自修の作り手たちによる作品を指す。20世紀初頭にヨーロッパの精神科医によって「発見」されたこの芸術は、パウル・クレー、マックス・エルンスト等の前衛芸術家たちにも多大な影響を与えた。戦後には、フランスの画家ジャン・デュビュッフェがヨーロッパ各地から作品を収集し、それを「アール・ブリュット(生の芸術)」と呼んで賞賛したことから「価値」が高まった。近年、日本でもそれらの作品への関心が急速に高まりつつある中、モダン・アートが置き忘れてきた「もうひとつのアート」の魅力に迫る。」


目次:

はじめに

第一章 アウトサイダー・アートとは何か
 美術を分類する概念のあいまいさ
 二つの誤解
 美術教育とは無縁の作者たち
 「パラレル・ヴィジョン――二〇世紀美術とアウトサイダー・アート」展の影響
 無意識に刷り込まれたイメージ
 枠組みを突き抜ける表現
 「それはいつも私たちが予期しないところにある」

第二章 ヨーロッパ前衛芸術家たちによる賞賛
 作品の価値を決める者
 パウル・クレーによる注目
 子どもの絵とアウトサイダー・アート
 シュルレアリストたちが信じた可能性
 エルンストの作品への影響
 シュルレアリストたちの限界
 「一枚の絵のために一〇〇キロ歩く人物」
 ブルジョア趣味の対極にあるもの
 一枚の絵を見極める目
 
第三章 アウトサイダー・アートの「発見」
 限られている絵の情報
 プリンツホルンの衝撃
 アウトサイダー・アートに魅せられた精神科医
 「狂気の美術館」
 レジャ=ミュニエの先駆性
 アウトサイダー・アートへの否定的見解
 キュビスムを非難するための材料
 退廃芸術展と意識の方向付け

第四章 日本のアウトサイダー・アート
 アートとさえ見られてこなかったもの
 いち早くアウトサイダー・アートに着目した日本人
 ゴッホ研究への情熱
 東京・深川《二笑亭》の研究
 先見の明と出版計画の頓挫(とんざ)
 急速に影をひそめたアウトサイダー・アートへの関心
 一般大衆の支持と美術界の黙殺
 「日本のゴッホ」山下清のプロモーション
 医師としての使命感
 「教育」という十字架

第五章 未知の領域
 純粋な楽しみとしてのアート
 日本に存在しなかったもの
 ヨーロッパと日本の相違
 教育現場に辿り着く日本のアウトサイダー・アート
 アーティストとアーティストの対等な関係
 みずのき寮の実践
 特殊なアウトサイダー・アート
 美術教育者としての実践の場
 日本のアウトサイダー・アートの重荷

第六章 描かずにはいられないから描く――五つの展示室から
 1 アラベスクの中の物語
  四〇歳、突如絵を描き始める
  交霊術による制作
  死後に発見された五〇〇点以上の絵
  描かずにはいられないから描く
  「突然に絵が描けるようになった」
  「あなたはいつの日か画家になるだろう」
  未知なるものへの敬意
  地球の太古の記憶を描く
  「手が脳で勝手に描いていく」
 2 光の呪縛をのがれて
  作品そのものの動きを身体で感じる
  全盲の画家と遠近法
  目に頼らない世界把握
 3 歩く人、拾い集める人
  ゴミとアート
  「廃物」か「作品」か
  独力で建設した《理想宮》
 4 大いなる自叙伝
  沈黙の時間と対話する
  結婚式の絵を何度も何度も描く
  二万五〇〇〇ページに及ぶ壮大な叙事詩
  制作に没頭した人生
 5 繰り返せばアートになる
  作品効果と表現への衝動
  独房生活で生まれた芸術
  量が質を凌駕する
  孤立無援、一代限りのアート
  そこまで「表現」へと駆り立てるものは何か

おわりに
参考文献



服部正 アウトサイダーアート 02



◆本書より◆


第一章より:

「つまり、障害のある人の作品がアウトサイダー・アートなのではなく、視覚イメージの社会的な操作という網をかいくぐった表現であるアウトサイダー・アートには、結果的に障害のある人の作品が多く含まれているということだ。アウトサイダー・アートという言葉は、障害のある人の表現を部外者として差別するものではなく、学校教育やマスメディアの商業戦略によって制度化された美術の枠組みを突き抜けるような、大胆な表現に対して用いられる言葉である。」
「アウトサイダー・アートは、そのような美術教育とは無縁の作者たちが作り出すものだ。」
「独学とはいっても、(中略)美術の枠組みへとみずから望んで入り込んでいくような種類の独学は、アウトサイダー・アートのいう独学と本質的に異なるものだ。
 また、フランス語圏では、アール・ブリュット(art brut)という言葉が用いられることが多い。(中略)これは、(中略)ジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet 一九〇一―八五)が一九四五年頃に考案した言葉で、直訳すると「生の芸術」「加工されていない芸術」というような意味である。デュビュッフェは、精神障害のある人や幻視家などが制作した絵画や彫刻をアール・ブリュットと呼び、それを「芸術的教養に毒されていない人々が制作した作品」と定義した。」



第二章より:

「一九一二年という早い時期に、クレーは子どもの描く絵や精神障害者の絵についてこう書き記している。

  子どもたちも芸術的才能を持っていて、そこには英知すらある。それらが役に立たないものに見えるとすれば、それだけ私たちにとって示唆的なものである。(中略)同じことが、精神に障害をもった人の作品にも当てはまる。子供じみているとか、狂っているという言い方は、普通私たちが思っているのとは反対に、まったく侮辱的な言葉ではない。今日の芸術を改革するためには、どんなギャラリーに並んでいる作品よりも、彼らの作品のことを真剣に考えるべきである。」
「クレーの言葉にも明白なように、ドイツ表現主義の画家たちは、子どもの絵と精神障害をもつ人の絵を同じ価値観で見ていたようだ。」
「だが、この両者は本質的に異なったものである。子どもは、成長の過程で周囲を模倣する。周りにいる大人の反応にも敏感である。(中略)子どもは、社会の影響力や約束事を好んで受け入れるのが普通である。彼らは、周囲の期待や自分の関心事、それに技術的な熟練によって、めまぐるしく描き方や描く内容を変えていく。
 それは、アウトサイダーの芸術家たちが、病気との闘いや周囲との軋轢(あつれき)の中で見つけ出した表現と比較すべきものではない。アウトサイダーの芸術家たちは、周囲の評価をまったく省みることなく、場合によっては何十年も同じスタイルで作り続けるものだ。」

「デュビュッフェの話に戻ろう。一九四七年には、パリのルネ・ドゥルーアンという画廊の地下室に「アール・ブリュット館」を設置し、(中略)さらに一九四九年には、(中略)大規模なアール・ブリュット展も企画している。」
「アール・ブリュットはこう定義されている。(中略)

  それ(中略)は、芸術的教養に毒されていない人々が制作した作品を指す言葉だ。知識人によって行われている芸術とは反対に、彼らの場合には、模倣がまったくない。彼らは、主題、使う材料の選択、配置のやり方、リズム、描き方などのすべてを自分自身の心の奥から引き出し、古典芸術や流行芸術などの凡作から引き出すことはしない。ここで私たちが目にするのは、作者が自分自身の衝動のみから始め、あらゆる段階においてすべてを自分自身で再発見した、完全に純粋で生の芸術行為だ。」
「デュビュッフェは、ヨーロッパの伝統的な芸術や文化を強烈に批判し、「教養」や「知識人」を毛嫌いしている。」

「アウトサイダー・アートは、社会の内部にいる者がそのシステムに安住しないこと、確立された制度に疑問をもつことの大切さを教えてくれる。」



第三章より:

「シュルレアリスムの芸術家たちやデュビュッフェにとって、最大の情報源は一九二二年にドイツで出版された『精神病患者の創造(Bildnerei der Geisteskranken)』だった。著者はハイデルベルク大学付属精神病院の医師ハンス・プリンツホルン(Hans Prinzhorn 一八八六―一九三三)である。」
「この本には多くの図版が掲載されていたので、ドイツ語を読まない画家たちにとってさえも、それが重要な資料となっただろうと想像できる。」

「もうひとりの特筆すべき人物として、(中略)ポール・ガストン・ミュニエ(Paul Gaston Meunier 一八七三―一九五七)が挙げられる。」
「一九〇七年にミュニエは、マルセル・レジャの名前で精神障害をもつ患者の作品を紹介した著作『狂人の芸術(L'art chez les fous)』を出版する。」
「それまでの精神医学の分野では、患者が描くテーマや画材が通常と異なっているのは、それだけ芸術的に劣っていることの証明と考えられてきた。レジャはそれに反論し、「考えや経験が新奇なものなら、それを伝えるのに新奇な表現を用いるのはむしろ当然のことだ」と述べる。「すべての芸術家は何らかの形式化を行っている。だから、描かれたものが自然のモデルからかけ離れているからといって、それを狂気と呼ぶ権利は誰にもないはずだ」という言葉からは、レジャの患者に対する強い共感が感じられる。」



第四章より:

「次に私たちは、アウトサイダー・アートやアール・ブリュットという言葉が存在しなかった場所にも目を向けてみるべきだろう。日本の事情である。ここは、アウトサイダー・アートという理解の枠組みをもたなかったために、多くのものを失ってきた場所である。そのことを示すために、早い時期にアウトサイダー・アートに関心をもっていたと思われる日本人を取り上げてみたい。精神科医、式場隆三郎(しきばりゅうざぶろう)(一八九八―一九六五)である。」

「こんにち、美術の領域における式場の最大の功績と目されているのは、昭和初期に東京深川に実在した奇妙な家屋《二笑亭》の研究かもしれない。」

「式場には、教育者としての自覚があった。」
「日本におけるアウトサイダー・アートは、(中略)大衆や知的障害者の教育という理念に飲み込まれてしまった。」



第五章より:

「西欧の場合、精神科医が提示する資料に反応し、それをアートの領域とつなげたのは、前衛的なアーティストたちだ。日本には、アウトサイダー・アートと積極的に関係し、その価値を社会に訴えかけるアーティストがほとんど存在しなかった。その結果、積極的に山下清を世に送り出した式場隆三郎の活動だけが突出することになった。」
「式場は、山下清や落穂寮を紹介する中で、美術がもつ教育的効果を強調した。(中略)これは、現場主導で障害者の作品が紹介されてきた日本での、特徴的な方向性といえるだろう。」
「戦後間もない一九五〇(昭和二五)年から、神戸市立盲学校で粘土造形を行った福来四郎(ふくらいしろう)も、教育の重要性を強調している。(中略)先駆的とも言われる視覚障害者の造形も、やはり教育による発達の歴史として語られるのである。」
「障害者をどう教育するかという問題は、アートの問題ではない。アウトサイダー・アートは障害者のアートではなく、既存の美術教育の外部で生み出されるアートだからだ。だが、日本の歴史の中で、アウトサイダー・アートに関係のありそうな題材を探していると、そのほとんどが多少なりとも教育と関わる現場へと行き着いてしまう。」

「ここで私が思い出すのは、福祉施設に通うある男性のことだ。自閉症という障害をもつ彼は、日々の生活においてさまざまなこだわりをもっている。そのひとつは、バスの座席についてのこだわりだ。バスの一番前に座りたい彼は、その座席が空いたバスが来るまで、何台でもバスを見送り、家に帰ろうとしない。福祉施設からすれば、彼のその行動は「問題行動」と呼ばれるものである。だが、この話を聞いた時に、なんとエレガントなバスの乗り方だろう、と私は思った。(中略)彼のバスの乗り方にはアートの匂いがする。」
「芸術という領域で考えるなら、彼に障害があるかどうかは関係がない。したがって、これは障害者の教育の問題でも、社会環境の改善という使命感でもありえない。アウトサイダー・アートという考え方は、世間の常識から見た時に風変わりと思えるような態度を、そのものとして積極的に評価するものだ。」



第六章より:

「彼らは、それをお金にする気がないどころか、発表して第三者に見せる気さえない。それだからこそ、そこには描かずにはいられないという、内的な衝動が感じられる。」

「展覧会などに出品を依頼されると、同時に作者の経歴を問われることが多い。その際に坂上(引用者注: 坂上チユキ)は、「五億九千万年前プレカンブリアの海で生を授かる」と書く。地球上の生物の起源は太古の海の中だったというのが通説だから、坂上のこの記述に間違いはない。細胞の次元でいえば、二一世紀を生きる私たちにも太古の記憶は残っているはずだ。坂上チユキの作品は、古い時代の記憶、それも想像を絶するほど遠い過去の記憶と響きあっているように、私は感じている。
 最近の作品では、ラピスラズリやアズライト、水晶などの鉱石の粉末が使われている。その美しさに魅せられたからだと坂上はいう。それによって、作品はますます繊細になり、きらめくような美しさを増している。考えてみれば、鉱石は火山活動や地殻の変動といった地球そのものの太古の記憶にほかならない。そして、あの繊細な点(ドット)。丹念に描き込まれる無数の点は、リズムを刻むような抑揚がなければならないという。(中略)そのためには音楽が欠かせない。指揮をするように点を打っていくのだという。一番好きなのはエリック・サティだというが、中世の音楽から現代音楽まで、彼女自身が時には胡弓(こきゅう)の演奏もする。
 アフリカ生まれの生態学者ライアル・ワトソンは、(中略)『シークレット・ライフ』(中略)で次のように述べている。

  わたしたち人間と石との特別な関係がいつの時代にも音響にあふれ、リズミックな儀式や歌、反復的な詠唱や祈りなどをともなっていた。

 坂上の制作も、ひとつのリズミックな儀式である。そこでは、反復的な手の動きによって、太古からの石と人間との特別な関係が繰り返し再生されている。
 そのようにして微細な線と点で埋め尽くされた画面には、具象的なモチーフは見当たらない。一見すると、それは完全な抽象画のようである。だが、坂上が絵を描く時の発想は、必ずしも抽象的な思考によるものではない。(中略)作品に童話風の物語を付けたこともある。」
「絵画とは言葉にできない思いがあるからこそ描かれるものだ。自分の作品を評論家の言葉だけで片付けられたくないと、坂上は語気を強める。そのために、自分で物語を書くのだ。(中略)私生活をも含めて、「分析して分類する学者先生たち」に反感をもつ坂上は、展示室の入り口に白衣と眼鏡を身に着けた人は立ち入り禁止である旨を掲示したこともある。」

「ここまで紹介してきた作り手たちに共通しているのは、装飾的に画面を埋め尽くすという衝動と、それに拮抗(きっこう)する具象的なモチーフや物語性だった。」
「近代の抽象絵画は、そのようなある種の文学的要素を完全に取り払うことを目指していたとさえいえる。
 一方、アウトサイダー・アートの作り手たちの場合は、作品が結果として抽象的な模様になったとしても、そこには内的な物語がある。本人にとってだけ首尾一貫した内的な理屈ともいえるかもしれない。それはもはや、芸術上の問題ではない。全人格をかけて、それを描かずにはいられない理由としての物語性なのだ。」





MEM 坂上チユキ
http://mem-inc.jp/artists/sakagami_j/



◆感想◆


本書は出た時に図書館で借りてよんだのですが今回ネットオフで255円でうられていたのを注文しておいたのが届いたので再読してみました。まえよんだときもそうでしたが、5億年の生命の記憶をエレガントに描く青の坂上チユキさんと結婚式(なぜか裸)をすばらしい稚拙感で描く赤の小幡正雄さんがすばらしいとおもいました。


ネットオフ 2018年8月


3,000円以上で送料無料。




こちらもご参照ください:

ハンス・プリンツホルン 『精神病者はなにを創造したのか ― アウトサイダー・アート/アール・ブリュットの原点』 林晶/ティル・ファンゴア 訳
『ジャン・デュビュッフェ展』 (1997年)










































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Author:ひとでなしの猫
ねたきり読書日記。

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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