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色川武大 『友は野末に 九つの短篇』

「私はこのまま学校へ行かずに、永久に体制の外へはみ出てしまうとしても、それ以外に道がないと思うことができた。」
(色川武大 「蛇」 より)


色川武大 
『友は野末に 
九つの短篇』


新潮社
2015年3月30日 発行
2015年4月25日 二刷
251p 付記1p
四六判 並装(フランス表紙) 筒函
定価2,000円(税別)
表紙装画: 有馬忠士
筒函デザイン・装幀: 新潮社装幀室


「「蛇」を除く小説は全て『色川武大 阿佐田哲也全集』(福武書店)を底本としました。」



本書はアマゾンマケプレで最安値(定価のほぼ半額)のを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。背割れがありました。
マーク・トウェイン『不思議な少年』をおもわせる幻想童話「鳥」がよいです。色川さんの動物小説はよいです。幻覚小説もよいです。


色川武大 友は野末に 01


目次 (初出):

 *
友は野末に (「オール讀物」 昭和58年3月号)
卵の実 (「オール讀物」 昭和61年11月号)
新宿その闇 (「小説新潮」 昭和61年12月号)
多町の芍薬 (「別冊文藝春秋」 昭和60年1月)
右も左もぽん中ブギ (「小説現代」 昭和54年6月号)
奴隷小説 (「すばる」 昭和57年8月号)
吾輩は猫でない (「話の特集」 昭和50年9月号)
蛇 (「文学者」 1971年2月号)
鳥 (「新潮」 昭和62年1月号)

 **
対談 博打も人生も九勝六敗のヤツが一番強い 嵐山光三郎と
 (「ドリブ」 1985年5月号/初出は阿佐田哲也名義での対談)
対談 まず自分が一人抜きん出ることだよ 立川談志と
 (立川談志『談志楽屋噺』文春文庫より。白夜書房版単行本は1987年刊)

 ***
色川孝子インタビュー 聞き手・柳橋史(元編集者)
 「虚」と「実」のバランス――「最後の無頼派」と呼ばれた夫との二十年
 (「文學界」 1997年5月号)

あとがき――不思議な怪物とその後の私 (色川孝子)



色川武大 友は野末に 02



◆本書より◆


「奴隷小説」より:

「どうも、人間と、そうでない生き物との見境いがつかない。見境いをつけてはいけないという気持からではなく、実際、ごく自然に、私とそれらの生き物とは五十歩百歩の存在のように思える。すると、犬猫と蝶、蝶と魚、魚とゴキブリ、なんであれ境い目が漠然としてきて、一方で境い目をつけていないのにここで境い目をつけるわけにはいかないという気になってくる。たとえば、細菌というような眼に見えない物などは、さすがに実感が湧かなかったが、やっぱり境い目をつけるわけにはいかない。」

「その頃だったと思う。新聞の三面記事の隅っこに小さく、屠殺場から夜半に逃げだした馬のことが記されていた。その馬は品川から海岸伝いにどこまでも駈けるのであるが、次第に追手にとりかこまれ、人家の密集した袋小路に入ってしまう。
 どこまで駈けても自分の世界がない馬の運命が刺激的だった。自分も五十歩百歩だと思いたいが、やはりそれは甘い愉悦にすぎないかもしれない。」



「吾輩は猫でない」より:

「十年ほど前、珍しく概念的でない新聞記事を見かけたことがある。社会爛の最下段の小さな記事だったが、私は感動してそれを切り抜き、しばらく机のひきだしの中へ入れておいた。
 私はしょっちゅう引越しをするくせがあり、何年かするうちにまぎれてなくなってしまって、今ここにその文章を引用できないのが残念だが、大要左のような話であった。
 品川の屠殺場の繋索をひき千切って逃げた一頭の馬があり、制止の声をかいくぐり海岸端の舗装道路を逸走した。深夜だったがぽつりぽつりと人眼があり、彼等の訴えですぐに何台ものパトカーが出動する。しかしこの馬は狂ったように疾駆し、蒲田あたりまで駆け抜けたそうである。はじめ海岸端の大通りのはずが、いつのまにか人家の密集地帯に入りこみ、とうとう袋小路に迷いこんでしまう。
 騒ぎで起きだした男たちや警官に、歯をむきだし、前肢をあおって抵抗したという。
 たったこれだけの話であるが、晩春の夜気の中を、どこまで走っても自分の世界を見出せない馬の姿が、今でもシルエットとなって私の胸の中に残っている。」



「蛇」より:

「なるべく、というか、できうる限り、変化しないこと、私はもともとそれを望んでいた。その場所の居心地はどうでもかまわない。じっと我慢していればそのうち慣れてしまう。ただ、新らしい場所に移ることだけは勘弁して欲しい。(中略)むろん、生きている以上、一刻一刻変化しないではいられない。小さな変化もあるし大きな変化もある。牡蠣が貝殻に吸いつくように、私はいつも、今得たばかりの現在地点に執着し、なんとかそこを離れまいとしながら結局引き剝がされ押しだされてしまう。
 私はずっとそういう生き方をしてきた。怠け者にはちがいないが、けれどもある意味では此の世の定則と、絶えず無益な戦争をくり返していたようなものだ。新らしい衣服を着せられまいとして、母親の顔を爪で裂いたことがある。入浴も、散髪も、洗顔も、大事件であった。飯を喰うことも嫌いだった。そうしていつも敗れてそれ等のことを実行するはめになり、意に反しながら育ってきたのだった。」

「私は儀式を憎んだ。そうして又、人生の要点が儀式によって成り立っていることも覚った。たとえば学帽だ。たとえば徽章であり、ランドセルであり、草履袋であり、カラーの大きいシャツであり、校服であり、新調の靴であった。近所の小学校に通学するについて、こんなにも多くのそれまでと変ったものを身につけなければならず、辛うじて以前の形を保っているのは私の小さな肉体だけという有様だった。もし、こんなふうな奇矯な恰好で通学するのが世界じゅうで私一人ということなのだったら、どんなにか気楽だったろう。私が息苦しくなってしまうのは、誰もが、例外なく、同じようにしているとい点に起因していた。小学校へかようのに、通学する恰好になるということは、常識以前のごくありきたりの原則のようであり、人々は諸事万端、その原則を呑みこんで暮らしているようであった。
 けれども、何故、それがいいこと(引用者注: 「いいこと」に傍点)なのだろう。(中略)私たちは結局原則に捻じ伏せられて生きてしまうが、たとえそうであっても、苦もなく原則を呑みこむのは恥ずべき所業ではあるまいか。」

「席の順に指名して解答を命じるとき、担任教師は私の隣りの生徒までその順番がくると、私を飛び越して横の者を指名するのが常だった。彼はなんとかして私にかかわりあうまいとしていた。生徒たちも私のそばに寄ってくる者はすくなかった。ある夕方、当時私と遊んでくれる数少ない級友が彼の家の門の前に立っていることを認めて、遠くから急ぎ足で近づいたが、いつのまにか級友の姿はなくなっていた。彼は門扉の裏に隠れて、息をひそめて私の通りすぎるのを待っているのだった。もっともそうしたことを私が不満に思っていたわけではない。私も自分を好いてはいなかったから。
 ずっと後で、中学の後半の頃、誰一人私を愛していないという状況に直面して大分へこたれたことがあったが、この時分の私はもっとずっと強かった。私は愛されなくとも平気であった。人を愛したり、助け合ったりしようなどとは微塵も思わなかった。そんなものより数倍も上廻る困惑を抱えて生きていた。」

「ある日、登校するためにいつもの大通りを歩いていたが、学校への道をまがらず、どんどんまっすぐ歩いていることに気がついた。それはその日はじめての経験だったが、すぐに、学校へ行かないためにこうして歩いているのだと覚った。(中略)私は学校へ入る前の、散髪や入浴を一日延ばしにしていた頃を思い出していた。学校に行かないということは充分魅力があったが、同時にこう思った。これはつまり、学校へ行くのを一日延ばしにするということだな。いつか大きな力が加わって、私を学校へ連れ戻すだろう。でもそれまでは学校へなんか行くものか。」
「私はこのまま学校へ行かずに、永久に体制の外へはみ出てしまうとしても、それ以外に道がないと思うことができた。当時、私は多量の困惑を、生きることそのものに匹敵するような困惑を抱えこんでいたので、“不安”などの混じる余地はなかったのだ。」



「鳥」より:

「いつのまにか小さい子たちが寄ってきて、皆、黙って少女の手元を眺めています。彼女がいじっているのはただの泥なのに、それぞれの想像を楽しんでいるみたいです。」
「柔かな泥がかすかに動きだして、草の芽が吹きだすように、白い小さな物がぱくぱく動きながらいくつも現われました。小指の先よりまだ小さくて、薄い護謨(ゴム)の袋のようで、袋の口を上にして立っています。その口の部分がぴこぴこと動いているのです。
 女の子は、他の子たちが手を出さないように、
 「見ててね――」
 といって、いったん家の中に入り、ビニール袋を持って現われ、袋の中から、白菜の芯みたいなものをつかみだして、泥の上におきました。白菜の芯みたいなものも、小さな傘のように立って動きます。
 それが鳥らしいのです。鳥は護謨袋たちの間をせわしなく動きまわって、なにか自分の意思を袋たちに伝えようとしているかに見えますが、それがなんだかわかりません。そのうち鳥は無性に癇がたつらしく、袋たちからはずれてくるくる廻りはじめます。
 子供たちは皆満足そうに、黙ってその様子を眺めています。護謨袋たちはなにも喰べている様子がないのに、少しずつ色がくろずんでいき、いくらか大きくなってもいるようです。
 手足が生えてくるわけでも、眼鼻がつくわけでもないが、眼に見えて発育はしているようで、このぶんだと彼等の幼年はほんのわずかのうちにすぎ去っていくのでしょう。」
「鳥が、不意に、ぎゃ、ぎゃ、と小さく鳴きました。すると袋たちが、いっせいにぴこぴこをやめて、袋の口を鳥の方に向けます。(中略)なんのことだかさっぱりわかりません。わからないけれども、子供たちは多分それぞれ想像をしているのでしょう。
 父がどこからか帰ってきて、ぼくの掌に小銭を握らせます。で、ぼくは大急ぎでマーケットに行って、料理しなくともよい野菜のてんぷらと、父のための刺身を買って戻りました。
 たったそれだけの時間なのに、路地の中は、護謨袋が砂を撒き散らしたように増えており、白菜の芯の小さな奴も点々と混じっていました。小さくても白菜になるとそれぞれ独自の動きを見せ、個性も特長もあるようですが、それがどんな個性なのか、想像をたくましくする他はありません。」
「白菜たちは泥の柔かいところに行って、てんでに卵を産み落していました。卵からはやがて泥を蠢動させて護謨袋が出てきます。ぎゃ、ぎゃ、と小さく鳴く以外、無言の世界で、しかしたくさんの護謨袋がぴこぴこしているので、少しも眼が離せません。
 これだけ早く成長するのなら、彼等がどうやって死に至るのか、それも見られるのでしょう。当然のことながら、白菜たちの中には倒れて動かなくなってしまうのがあります。泥の中に居る小さな虫に侵蝕されてしまうのでしょう。護謨袋の方もぴこぴこをやめて乾いたようになってしまうのも居ます。事故死や病死はわかるとして、やっぱり彼等の寿命が見たい。一生をすべて眺めるのでなければ、彼等というものが幸せだったか不幸だったか、判定もできないし、ひいては彼等というものを理解することもできません。
 それに、この遊びは結局そこまで行くでしょう。寿命がつきるところまで行かなければけりがつきません。もっとも、あとからあとから産まれてくるわけだから、すると、どこで終るのでしょう。
 白菜も護謨袋も、路地いっぱいに増えて、はじかれたものたちは舗装された道路の方まで溢れて居ます。」



「対談 博打も人生も九勝六敗のヤツが一番強い」より:

「とくに勝負の話っていうのは、どうしても勝ち負けの話になるでしょう。ところが、長い勝負のうち、勝ちでもない、負けでもない「しのぐ時間」というのが、ほんとは一番長いんですよね。そこのところが一番重要なんだけど、これを話しだすともう、ゴチャゴチャになっちゃうし、「辛抱する」っていうこと一つ取っても、これは口ではちょっといえないんですよね。」


「対談 まず自分が一人抜きん出ることだよ」より:

「合わそう、合わそうとしている人はどうしても遅れが目立っちゃうけど、合わそうと思ってない人は遅れてたっていいんだよ。」

「だから、ちょっと話がとぶみたいだけど、寄席の回復というのはもっとアングラにするよりしょうがないと思うんだ。たとえばもっと夢みたいな世界、現実的じゃない世界。だから夜中に始めたっていいし、それこそ中入りにコーラの代わりにヒロポン売りに来たっていいんですよ。それから、やることの基準も、いわゆる市民道徳と同じことやってたんじゃ、テレビとそんなに違わなくなっちゃうからね。うっかりすると、あの寄席に行くと手入れがありそうだなんていう、隠れて行くようなところがなけりゃだめだな。あるいは爛熟(らんじゅく)の世界ね。」

「いまの落語家の若手が、最初の段階でわりに客に好かれようとするじゃない? あれが好かれようとするために毒を抜いちゃうね。それで、最大公約数的人間のような顔つきをしているというのが、まず強い執着を起こさせないというかね、それはあるかもしれない。だから、もっと個性のはっきりした人間がいっぱい出てくるといいんだね。昔は「てめえ、なんで来た」というような感じで怖いなという芸人さんはけっこういたんだけどね。」

「だから、落語もいっそ思い切って、アングラ無道徳から出発し直したらどうかと思う。それで、いままでの既成じゃないものをどんどん取っていく。古典落語だってあぐらをかいているようでは、エネルギーが不足しちゃうんだよ。」



色川孝子インタビュー「「虚」と「実」のバランス」より:

「九州から家出してきたファンの青年が住みついたこともありました。ところが、ある日「お世話になりました」という置き手紙を残し、買ったばかりの8ミリ映写機や時計を盗んで消えてそれっきり。しかし、色川は全くこたえていませんでした。麻雀でイカサマをやって稼いだり、自分もさんざんワルをやってきましたから、これで五分五分だと思っているんです。ですから、人を窮地に追い込むことは絶対にしませんでした。後になって、色川の机からは数百万円の借用書が何枚か出てきましたよ。返してくれなくても平気だったんでしょうね。自分に余裕があるわけでもないのに。」





この本をよんだ人は、こんな本もよんでいます:

『アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国』 (2017年)










































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ねたきり読書日記。

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。


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