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色川武大 『小さな部屋|明日泣く』 (講談社文芸文庫)

「もし百パーセントの病人になって、正気を失ったまま日が送れたらどんなに楽だろう。自分が、自分のことを忘れることができたら、すばらしいのだが。」
(色川武大 「蛙」 より)


色川武大 
『小さな部屋 
明日泣く』
 
講談社文芸文庫 い N 4 

講談社 
2011年1月7日 第1刷発行
2011年6月20日 第2刷発行
285p 付記1p
文庫判 並装 カバー
定価1,400円(税別)
デザイン: 菊地信義


「本書に収録した作品のうち、「小さな部屋」は「文学界」(一九九九年五月号)を、その他の作品は、福武書店刊『色川武大 阿佐田哲也全集』第一巻、第三巻、第五巻(一九九一年一一月、一二月、一九九二年七月)を底本として使用し(中略)ました。」



「年譜」「著書目録」は二段組。解説中に図版(モノクロ)7点。
本書はアマゾンマケプレで664円(+送料250円)で売られてたのを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。カバーに背ヤケ(褪色)がありました。
「小さな部屋」「穴」のテーマは『生家へ』で再び取り上げられています。「鳥」は『友は野末に 九つの短篇』収録「鳥」とは別作品ですが、どちらも白菜鳥(?)が登場します。


色川武大 小さな部屋 明日泣く 01


カバー裏文:

「朽ちかけた貸部屋に我物顔に出入りする猫、鼠、虫達。いつしか青年は、凄まじい〈部屋〉を自分と同じ細胞をもつ存在と感じ熱愛し始める――没後一〇年目に発見された色川武大名義の幻の処女作「小さな部屋」、名曲“アイル・クライ・トゥモロウ”そのままの流転の人生を辿る女を陰影深く描く「明日泣く」等一二篇・戦後の巷を常に無頼として生きながら、文学への志を性根にすえて書いた色川武大の原質とその変貌を示す精選集。」


目次 (初出):

小さな部屋 (「文学生活」 昭和31年)
眠るなよスリーピイ (「小説中央公論」 昭和38年)
穴 (「層」 昭和40年)
ひとり博打 (「早稲田文学」 昭和45年)
泥 (「すばる」 昭和54年)
鳥 (「海」 昭和54年)
蛙 (「中央公論」 昭和58年)
明日泣く (「週刊小説」 昭和61年)
路上 (「群像」 昭和62年)
甘い記憶 (「小説現代」 昭和63年)
男の旅路 (「週刊小説」 昭和63年)
道路の虹 (「海燕」 昭和64年)

解説 昭和の子の文学 (内藤誠)
年譜 (「福武書店刊『色川武大 阿佐田哲也全集』第一六巻所収の「色川武大年譜 自筆年譜に依る」を使用させて頂きました。」)
著書目録 (作成: 編集部)



色川武大 小さな部屋 明日泣く 02



◆本書より◆


「ひとり博打」より:

「自分とは何者であるか、という問いつめはむろん必要であるにしても、その結果、ポロリと解答が出てくる式の、その解答自体はほとんどなんの意味もないことのように思われる。要するに何者だって(人間でなくたって)かまやしないので、したがって、私が無頼であるとか、ないとか、いかなる気質でどんなふうに生き、生きようとしているか、などについて記述するつもりはない。
 何が記述したいか。私と砂漠との関係である。」
「私は何故かいつも悔いている。道を歩いているとしょっちゅう砂漠にぶつかるのである。私としては心のままにまっすぐ歩いていきたいが、そのまま歩けば不毛の土地であり、いずれ飢え死をしてしまう。そこで今までの自分の向かう方向から遠去かりすぎない算段をしながら砂漠の縁を迂回しはじめるのである。その行為にはそれなりの自然さを認めよう。しかしいつも思うのだ。心のままにまっすぐ砂漠へ踏みこんでいって、飢えるか狂うか、生きられぬ段階に至るまでの、生きられぬこととの葛藤のプロセスこそ、生きるということであるまいか。」

「ありていにいえば、当時の私は、転げるように生きていって、そうして死んでしまいたいと思っていた。その反面、じっくりと生きていくことに憧れてもいた。いや、そんな言い方はやはり浅薄なので、死んでしまいたいと思ったのは当時の状況にひかされたヤケな心情にすぎず、ただじっくりすることが生きることだろうと思っていた。いや、どうであろうとじっくりする以外に方策がない、それが生きることなのだろうと思っていた。つまり、砂漠に直進もできず、といって迂回していこうとも思わず、砂漠の入口のところで途方に暮れて立ちどまっている、その立ちどまりの方をじっくりとさせることによってひとつの態度にしようとしていた。」



「鳥」より:

「大きな竹籠が茂みの中にあってね。その中に蒼い野菜のようなものが折り重なって入っている。その野菜に眼がついていて、キロッ、キロッ、と黒い部分がときおり動いているんだな。
 よく見ると、棕櫚の葉のような大きい嘴があり、蟬の身のように節のついた胴体が、蒼い羽の陰にあるんだ。蒼い羽は、しもげた白菜のようにしわしわになっている。そうしてゴムテープみたいな太い紐で荷造りされたように縛られている。
 鳥はしかし、少しも騒ぎたてない。黒い眼の玉だけを、キロッ、キロッ、と動かしている。鳴き声のない鳥かもしれないな。
草叢の中に、しもげた白菜のような羽が、点々と捨てられている。
 通行人たちはその竹籠のそばにきてなんとなく眺めている。それから先をいそぐように、そそくさと立ち去って行く。
 ぼくも歩きだしたがね、
 「さァ、鳥はいかが――」
 別の男にまた呼びとめられるんだ。さっきのは広い道すじに面した好位置だったが、気をつけて見廻すと、あちらにもこちらにも出張っているようで、皆同じ竹籠、同じ荷なんだ。
 おばさんの売り手も立っていて、首尾よくつかまえた客から銭を貰い、竹籠の中に手を突っこんで、板のようになった品物をひとつ、つかみだした。
 「お客さん、首に切り目をいれておくかね」
 客が頷いたのだろう。それで彼女はうそ寒い夕風に髪を揺らしながら、包丁を持ってプスリと品物に突きたてた。」

「ひょっこり、向こうから弟が、大人用自転車に危なっかしく三角乗りしてやってきてね。ぼくのことはすぐ気がつくだろうと思ってると、すうっと前をすぎていってしまうのさ。何故って、弟は人波なんか見てやしないんだ。弟が見ているのは、道路の白線や、信号や、穴ぼこや、切れてさがっている電線なんかなんだ。」
「弟は一人遊びでもしているように、道路を大きくユーターンして、大神宮のある横道に走りこんでいった。」



「蛙」より:

「結婚しなきゃ人生はわからん、と友人がいつかいったがね、どう思う。自分はお隣りに話しかけた。
 ぼくはそうも思わない、とお隣りはいう。
 何故。
 なにもやってない人なんて居ないから。独身を続けなきゃわからんことだってあるだろうし。学歴がなくたってどこかでべつの歴をつくってる。そんなものさ。」

「もし百パーセントの病人になって、正気を失ったまま日が送れたらどんなに楽だろう。自分が、自分のことを忘れることができたら、すばらしいのだが。」

「自分は彼のあとについて山道を歩いた。懐中電灯もないから、闇。沼が青く光っている。沼の中央に草がこんもり茂ったところがあり、棒が立てられ、その先に裸電球が弱々しく灯っている。白い小さな地蔵がそのそばに見えがくれしている。
 水死した子供が居たんだね、その親がたてたんだろう、向うに高札があるよ。
 かわいそうに、こんなところの地霊になって。
 どうして、いいところでしょう
 蛙の声が四方からどよもすように押し寄せてくる。」

「彼は誰とも衝突しなかったんでしょう。病院のベッドに居るように生きていたんでしょう。」

「彼はなにもやろうとしていなかった。ただ生きていただけだった。」



「明日泣く」より:

「「どうしてキッコに関心を持ちつづけているのか、今までよくわからなかったが――」
 と私は妻にいったことがある。
 「自分勝手に生きて、いつか泣きを見るだろう、キッコが泣くところを見てみたい、その気持と、俺だってキッコのタイプなんだから、泣きを見るとはかぎらない、そのままずっと生きていってほしい、そういう気持とが混ざり合っているんだな。それでなんだか、眼が離せないんだ」」



「路上」より:

「けれども、私の一生は、路上を歩き続けただけのようなものだった、という実感は消えない。職場でもなく、家庭でもなく、路上でただ保留し、回避し、もちろんただ回避しているだけですむはずもないから、税金のように屈託を背負いこむ。」


「甘い記憶」より:

「他の子たちが、多少の前後の差はあっても同じレールを粛々として歩いているのに、私は一人ではずれた野ッ原に立ちつくしているような心境だった。年齢を増すにつれて、その位置が遠く離れていく。」


「道路の虹」より:

「たとえば、空が、現今のように無機質なただの空ではなかった。見上げると、いつも何かが動いていた。鳶が輪をかいていたり、もっと上空に渡り鳥の列があったり、電線にはたいがい雀や鳩や大小の鳥がとまっていたし、鴉、それから、蜻蛉や蝶の類。
 私の生家は牛込で、これは東京の都心部に属するが、夕方になるとちゃんと蝙蝠が街灯のまわりを飛び廻っていた。日が暮れると、大きな蜻蛉が庭木にそうッと近寄ってきて、やがて眠るために小枝にぶらさがる。昼間は蜻蛉捕りに夢中になっていても、夜の蜻蛉には手を出さない。雀たちはどこで寝ているかと思って原ッぱに佇んでいると、大きな樹木の葉裏にいっせいに潜りこんでいるらしい。ところが何故かはぐれて、貧弱で葉も小さい樹の中にもぐりこむ一羽が居たりする。
 猫も、野良犬も、家畜というだけでなく、それぞれ自分の顔を持っていた。そうして、そういうことが不思議でもなんでもなくて、生き物は、混じり合い、競い合って生きていくものだと思っていた。」





































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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