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大室幹雄 『檻獄都市 ― 中世中国の世界芝居と革命』

「人のこころは暗黒の奈落だからである。」
(大室幹雄 『檻獄都市』 より)


大室幹雄 
『檻獄都市 
― 中世中国の
世界芝居と革命』
 
歴史の中の都市の肖像Ⅴ

三省堂
1994年7月10日 第1刷発行
6p+684p
A5判 丸背紙装上製本 カバ-
定価6,900円(本体6,699円)



本書の主人公は前半が太宗/長安、後半が武則天/洛陽です。
本文中図および図版(モノクロ)68点。
ヤフオクで4,000円(送料込)で出品されていたのを落札しておいたのが届いたのでよんでみました。


大室幹雄 檻獄都市


帯文:

「唐帝国の首都長安の、生と死と再生の物語。
7世紀、隋末唐初の中国世界。大らかな明るさの底に伏流する粗暴なる闇の力。中心を失った首都に響きわたる革命の胎動。高祖李淵の騎馬時代からバロック的女帝武則天の 祝祭時代(カーニヴァル)へ。死人の都(ネクロポリス)長安から牡丹の花咲き乱れる 詩人の都(ロココ)長安へ。
移りゆく唐代の社会と文化を、
新しい光のもとに照らしだす歴史解釈の極北。」



目次:

第一章 青春と老年――コスモス崩壊の修復をめぐって
第二章 騎馬の青春と歴史参加――鷹の時代
第三章 尓虞我詐(ニイユウウォツァ)/你死我活(ニイスウウォフォ)顚末記――杜鵑(ほととぎす)の時代
第四章 貞観年間世界劇場――鸚鵡(おうむ)の時代
第五章 歴史の影と神話の創作――阿呆鳥の時代
第六章 天可汗の檻獄都市/ネクロポリス複合――幼女時代
第七章 首都の中心紛失と革命の胎動――少女時代
第八章 大周革命遠望――テロル都市洛陽
第九章 弥勒下生のバロック・ユートピア――象徴の森の都





◆本書より◆


第四章より:

「かくて太宗および彼の社会の人びとにとってカニバリズム現象は一個の文化的な制度――なるほど暖衣飽食が多少とも実現された泰平の世に大量に顕在することはないにしても、しかし孝子による親への薬餌に人肉が供せられるなどの民俗として日常生活の細部に組み込まれていたことからも分かるように、社会の組織の中にさまざまに現われつつ、総体として絶対的に否定されることなく、むしろ容認され肯定され、ときには称揚されることさえあった生の制度化された様態であった。すなわち食人現象は彼らの生を形づくる環境の中に編み込まれて、環境の変動につれて隠顕する現実の一部あるいは一位相にほかならなかった。」

「権力は事実において例外なしに腐敗する。盛者必衰のことわりとともに、世界史はこのことだけは精確に現前させてきた/いる/いくであろう。人は権力を志向するとき、すでに腐敗の病源菌を宿している、むしろ腐敗の病巣に食いつかれている人だけが権力を狙う。ただしその病巣の発症のしかたは社会と文化ごとにさまざま、それにまた発症した疾病の認知も彼の属する社会の文化に依拠している。」

「斉の後主とは、北中国の短命な王国北斉(五五〇―七七)の事実上は最後の青年皇帝高緯(五六五―七七在位)、周天元とは同じく短命な北周王国(五五六―八一)末期の皇帝宣帝宇文贇(いん)(五七八―九在位)のこと。後主高緯は素晴しい美少年だったけれど、生来の臆病から人の顔が仰視できず、言語能力にも障害があった。幼少のころから文芸と音楽を愛し、自ら琵琶を弾奏するのを喜び、「無愁の曲」を作曲するほどの快楽主義者に成長すると、壮麗を極めた宮殿や苑囿を造営し、貧児村を拵えて乞食に扮して遊び呆けて「無愁天子」と愛称された。当然ながら政事にはまるで興味がなくて酒色に荒淫し、帝位を幼いわが子に譲って退隠すると間もなく、北周に俘虜となり杜稷を失なって殺された。そのとき高緯は二十六歳だったという。北周の宣帝宇文贇はサディスト、臣下の諫言には耳を藉さず、やたらと苛虐な処罰を行なって新制度を発布し、遊宴に沈湎して宮殿造営に耽り、幼い息子に帝位を譲っていっそうの自由を享楽しようとしたところで、二十二歳で死んだ。隨の高祖楊堅はこの幼い皇帝静帝宇文闡に仕えて王権を簒奪、皇帝を初め宇文氏一族を全滅して彼の権力を固めたのだった。」
「さて、太宗の月旦と質問を受けて、「斉の後主は懦弱、政は多門に出ず、周の天元は驕暴、威福は己(おのれ)に在り。同じく亡国為(た)りと雖(いえ)ども、斉主は尤(もっと)も劣る!」と魏徴は断定した。趣意は同じく亡国の君主であっても、権力を有力な臣下に分断されてしまった斉の後主よりも、臣下に対する生殺与奪の権を最後まで確保していた周の宣帝のほうがまだましだというのであって、秀麗な風姿で自作の「無愁の曲」を琵琶に奏でつつ池塘を徜徉するロココ調の無愁天子を鍾愛するわれわれの好みからは背馳しているが、それが単一至尊の皇帝によるデスポティズムのみを唯一の理想的政体と考える儒教司祭の本音ではあった。」



第五章より:

「一般に政治的言語は憑き物と同じで、憑きが落ちてしまえば興味索然とするばかり、同様に政治的神話もそれの濛気の圏外に生きるものにはあざといばかりに阿呆らしいだけ。神話に固有の詩想(ポエジイ)、言語の本質をなす真実の美がどちらにも決定的に欠けているからである。」

「もともと歴史はあとぢえによる解釈の累積以上ではないのだし、そのあとぢえも解釈も政治的言語でしかありえない。歴史は勝者の特権の所産であるからである。」



第六章より:

「もうひとつ、景観の印象の表現を。こちらは、高宗の代に完成された大明宮の前殿、龍首原頭の高みに建てられて大明宮の「外朝」だった含元殿からの眺望である。「天晴れ日朗(て)る毎(ごと)に、終南山を南望すれば掌(て)を指(ゆび)さす如く、京城の坊・市・街陌(がいはく)は、俯視すれば檻(おり)の内に在る如し。蓋(けだ)し其(そ)〔含元殿〕の高爽なればなり」――何か補足を加える必要があるだろうか。
 相対的に天に近い含元殿の高所に立って、げに昊天上帝のご機嫌もうるわしい青天白日のもと、脚下に拡張する京城を俯観すれば、縄直の街路を挟んで、高く厚い黄土の直立する堆積に囲まれて碁盤目状にびっしりと詰まっている街区と市場の集合は一個一個が巨大な「檻」の群だというのである。」
「試みに明徳門に佇んで眺望しよう。いまのところこの都市に人は不在である。朱雀大街の広さ長さを想い出そう。これは壮大なユートピア、同じことだがディストピアの廃墟ではあるまいか? 幾何学的な秩序と安定、何なら一種の調和も見られなくはないといってもよかろう。端的に、長安の大興城は皇帝の世界支配の協力と巨大を衒示することを企図して構築され、それにふさわしい異様な偉観を表現することに成功した。機能性が追求されたのは無論だが、それが住民を直接に強力に拘束して支配するための工夫であって、人ひとりひとりの住むことへの配慮を絶対的に無視していたのは坊里制の現実だけからでも明白だった。それは牧羊、牧畜、同じことだが牧民(引用者注: 「牧民」に傍点)のために設計された壮大な装置、「檻」の群の集積にほかならず、古典的でカノニカルな象徴性の追求はほとんどないに等しかった。」



第七章より:

「注」より:

「念のためいえば、武則天が二人の敵対者に与えた特異な身体損傷は彼女の創造ではなかった。(中略)この「人彘(ひとぶた)」の語は、前漢帝国の創設者高祖劉邦の糟糠の妻呂(りょ)后が夫の死後、生前の夫が寵愛した宮人戚(せき)夫人に対する怨毒を晴らすために、「戚夫人の手足を断ち、眼を抉(えぐ)り去り、耳を煇(や)きつぶし、薬を飲ませて瘖(おし)にし、〔天井の低い〕小部屋に置いて、人彘(ひとぶた)と命名した」出来事から、厳密には出来事の記録たる「史」(『史記』および『漢書』の呂后本紀)から採られている(中略)。「経史」について教養のあった武則天が同性の先人のこの逸事を知らなかったはずはなく、呂后と同じく天子のハーレムにおける女の戦いの場に身を置いて、彼女は「史」の歴史に倣びしたのである。――そうして彼女の社会では新しいことはめったに起こらないから、武則天が敵対する淑女二人を酒甕に封じて酩酊させた新工夫は、十二世紀後の清帝国末期に西太后慈禧によって「史」的な範型として再演された。」


第九章より:

「武曌の革命都市神都洛陽とそこに建設された天枢・天堂・明堂・九州鼎を眺望するとき、このコスモポリスに住み、訪れる万人の視線に、その眺めは魅力的なランドマークを提供したに相違ない、メガロマニィ的に雄大な象徴的建築物たちは全体として一個のコンプレックスを形成して、その総体的な物量と壮麗と偉容は、慈氏越古金輪聖神皇帝の鎮座する神都こそ現に普遍的な仏教帝国の中心であり、この中心から八方に広がって彼女に統治されている閻浮提世界は弥勒仏の楽土の地上における実現にほかならなかった。歴史的にそれは武照という一人の女の美しい身体に罩められていた、このうえなく旺盛な生の活力によって実現された。逆に現象的にいうなら、敢然と権謀と殺人を断行するふてぶてしいまでに逞しい権力への意志、熱心で聡明な華厳仏教の信徒としての楽土建設への願望、昇天への志向に支えられた世界観の壮大と転換、統治者としての度量の広さと能力の優秀、愛児殺しも辞さないヴァギナ・デンタタ的な生命力の深さと暗さ、男女の性の差異を世界観的に逆転せしめた性愛の強靭、豪奢壮麗な構築物に表現されたメガロマニィ、それにまた美文愛好と牡丹改良に認められる華麗なものへの心情の傾き――これらはそのうちのどれひとつを採っても、そのひとつだけで一人の人間が負うには恐ろしいほどの努力の集中を必要とするけれども、彼女の生の力の強盛はこれらすべての因素によって彼女の生を構成した。しかも彼女の特異で卓抜な生の力はこの複雑な構成を言辞tうの歴史的世界にそのまま現前せしめたのだった。その歴史的な現前の場こそ彼女の大周帝国、実質的にはその神都洛陽であったのであるから、(中略)われわれは躊躇することなくこの巨大な女人の首都を弥勒下生のバロック・ユートピアだったと結論しよう。
 としてもユートピアが本質的に虚構であり、仮虚(けこ)でもあることはいうまでもない。歴史的な都市がそれにいささかなりと近接できたにしても、いずれはそのユートピア性自体において都市は風化し頽落する。」





こちらもご参照ください:

大室幹雄 『遊蕩都市 ― 中世中国の神話・笑劇・風景』


























































































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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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