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三枝允悳 『インド仏教思想史』 (レグルス文庫)

三枝允悳 
『インド仏教思想史』
 
レグルス文庫 46 

第三文明社
1975年6月30日 初版第1刷発行
1981年8月10日 初版第4刷発行
239p 索引vii 
新書判 並装 カバー
定価580円



本書「再刷へのあとがき」(1979年6月20日)より:

「再刷に際して、幾つかの誤植を訂正したほか、ルビを少し増し、語句の一部を書きあらためました。いずれも小さなもので、文章の変更にはいたりませんでした。」


三枝允悳 インド仏教思想史


目次:

はしがき

序章
 インド人と歴史と思想史
 インド思想の特徴
 インド仏教史の時代区分
第一章 初期仏教
 第一節 前史
 第二節 仏教の誕生
 第三節 初期仏教の思想
第二章 部派仏教
 第一節 部派の成立
 第二節 アビダルマ
第三章 大乗仏教
 第一節 大丈夫京の興起
 第二節 初期大乗仏教経典
 第三節 ナーガールジュナ
 第四節 如来蔵・仏性思想
 第五節 唯識説
 第六節 仏教論理学(因明)と哲学
 第七節 密教

参考文献
再刷へのあとがき

索引




◆本書より◆


第一章第二節より:

自由思想家たち
 紀元前六世紀前後のインドは、ガンジス河流域を中心に、活気がみなぎっていた。気候・風土その他の好ましい諸条件がそろい、豊かな農産物にめぐまれて、諸物資は豊富に出まわり、加工業も栄えて、商工業がさかんになり、人々の生活は安易で裕福になり、貨幣の出現によって、経済活動は急速に進展した。こうして多数の小都市が成立して人々をあつめ、小都市を中心に群小国家が生まれ、それらはしだいに併合されて計十六の大国に発展し、大国とその首都との未曽有(みぞう)の繁栄がくりひろげられることになった。
 このような新しい社会は、当然、新しい空気を求める。すでにヴェーダの宗教は古びた迷信のように感ぜられ、バラモンの権威は失墜して、それにかわる自由で清新な思想家たち――かれらは「努力する人」(シュマラナ、サマナ、「沙門(しゃもん)」と呼ばれる――を人々は歓迎した。バラモン教を否認するこの新興思想には、唯物論があり、快楽主義があり、逆に苦行主義があり、また懐疑論があり、その種類は非常に多い。しかもかれらには、思想の自由、発表の自由が徹底してまもられていたばかりか、たがいの討論は人々の熱心な支援をうけた。仏教も、このような状況のなかで生まれ、そだっていった。
 原始仏教経典では、それらの新興思想の数を計六二として、それぞれの内容の概略を伝えている。また同時代に生まれて仏教とともに発展したジャイナ教では、三六三種の見解があった、とのべている。以下、これら多数の思想家のうち、とくに重要な六人について、のべていくことにしよう。(仏教ではかれらを六師外道(ろくしげどう)と呼んでいる)。
(1) プーラナ(Pūraṇa Kassapa)は、奴隷の子として生まれ、主人から逃亡する途中で衣類を奪われて以来、裸で生活した。かれは、他の生命を奪い、悲しませ、苦しめ、他人の家に侵入し、盗み、追いはぎになり、姦通し、うそを語るなどの行為について、それらはすこしも悪をおこなったことにはならない、また悪の報(むく)いをうけることもない、逆に、祭祀をおこない、施(ほどこ)しをし、自己を制御し、真実を語るなどの行為も、善を生ずることがない、善の報いも存在しない、と主張する。これは極端な道徳否定論ないし無道徳論である。
(2) アジタ(Ajita Kesakambalin)は、素朴な唯物論を説いた。かれは地・水・火・風の四つの元素のみを認め、それらを実在とし、人間もこれら四元素によって構成されているとした。生命のつづくかぎり、この四元素は結合しているが、死ぬとそれぞれに分解してしまう。死とともに人間そのものが無となり、もちろん霊魂のようなものは存在しない。死後にはなにものものこらないから、善業も、悪業も、その果報をうけることはない。果報を望んでの施しや祭祀はすべてがむだであって、それよりも現在の利益や快楽を求めた方がよい、という主張から、唯物論と快楽主義とがむすびついて、いわゆる現世主義―刹那(せつな)主義をとなえる。この種類の考えはいつでもどこにでもあり、のちインドでは、この派をチャールヴァーカあるいはローカーヤタ(順世派)と呼んでいる。
(3) パクダ(Pakudha Kaccāyana)は、アジタの唯物論や四元素に、苦と楽と生命(霊魂)という精神的な要素をくわえた七要素説をたてた。これら七要素は、かれの説くところによれば、つくられず、なにものも生み出さない、不変で、安定しており、七つの集合もない。たとえば人間をきるというのは、ばらばらのこの七要素の間を刃がすりぬけたにすぎない、とする。こうして、これも一種の道徳否定論に、あるいは快楽主義に通ずる。
(4) ゴーサーラ(Makkhali Gosāla)は、さらに要素の数をまして、一二要素をあげた。しかしかれの思想は、一種の宿命論によって名高い。すべてはあるごとくあり、なるごとくなり、すべて無因無縁であって、どこにも支配力もなく、意志の力もなく、すべての変化はひとりでに決定されている。どのような悪い行為あるいは善い行為をしようとも、定められた運命からのがれることはできず、一切の努力は結局むだである。ただ輪廻のおもむくままにころがっていく、とかれは説く。しかしまた、かれはアージーヴィカという宗教に属していたと伝えられる。この語は「生活法についての規定を厳密に守るもの」の意味で、実際に苦行をつづけていた。なお、アージーヴィカ派はかなりながく存続し、後期の書物では、上述のプーラナやパクダをもこの派にいれている。この宗教は、後代になってジャイナ教に吸収された。
(5) サンジャヤ(Sañjaya Belaṭṭhiputta)は、もっとも有名な懐疑論者である。たとえば、「来世は存在するか」の問いに、「そうだとは考えない、そうらしいとも考えない、それとは異なるとも考えない、そうではないとも考えない、そうではないのではないとも考えない」と答えたという。ようするに確定的な答えをせず、未定のままにさしおいて、一種の不可知論に終始しており、仏典はかれの説を「鰻(うなぎ)のぬらぬら論」と呼んでいる。しかしこのばあい、とくに形而上学の問題にたいして、エポケー(判断中止)をたてたことは、ひとつの意義がある。それは、ヨーロッパでは、ギリシアでアリストテレスの壮大な体系がきずかれたあと、ローマ期にはいって、懐疑派のピュロンによって見いだされた立場に共通するものがある。
(6) ニガンタ・ナータプッタ(Nigaṇṭha Nātaputta)は、「ナータ族の出身であるニガンタ派のひと」という意味で、本名はヴァルダマーナ(Vardhamāna)といい、さとりをひらいてからは、マハーヴィーラ(Mahāvīra 偉大な英雄)、あるいはジナ(Jina 勝者)などと尊称される。かれによって改革されたニガンタ派は、以後ジャイナ教(ジナの教え)として出発することになる。
 ジャイナ教はその後、仏教と歩をそろえて発展し、バラモン系統以外の二大宗教として、インド文化・思想の諸方面に多くの影響をおよぼした。なおジャイナ教の伝説・術語・思想などには、仏教と共通しているところがすくなくない。
 マハーヴィーラはゴータマ・ブッダよりも二十年あまりあとに生まれて、出家してのち、ひたすら苦行に専念し、苦行のなかでさとりをひらいた。その結果、かれは、当時の混乱した思想界のなかで、一種の相対主義ないし不定主義により、すべて「ある点から見ると」(syād)という限定をおいて、その思想を説いた。かれは、一切を霊魂と非霊魂との二つに区分し、後者をさらに活動・静止・虚空・物質の四つに分けて、あわせて五つの実在体をあげる。
 ジャイナ教のなによりもの特徴は、その厳格な実践にある。とくに不殺生(ふせっしょう)・真実語・不盜・不邪婬・無所有の五つの大戒が重要視され、なかでもその第一の不殺生戒は、出家・在家の別なく、きびしく守られた。すなわち生命のあるものは一切殺したり傷つけたりしてはならないとしているので、信者でも、それを犯すおそれのある職業に従事することができない。たとえば農業などは、土中の虫を殺す可能性が多いために、ジャイナ教徒は好まない。そして商業に精励し、また真実語戒をまもって正直であるところから、信用があつく、こうして成功して、富裕となった。一説によれば、前世紀までのインド民族資本の過半数は、インド全人口の〇・五パーセントしかいないジャイナ教徒がにぎっていた、といわれる。
 出家者のなかには、五戒の最後にある無所有戒に徹底するあまり、身に一糸もまとわず、ついにはジャイナ教の聖典までもすててしまったものがあり、この人々は裸行派と呼ばれる。そのいきすぎをおさえて、白衣一枚をまとい、聖典を護持した人々は、白衣(びゃくい)派と呼ばれる。
 開祖マハーヴィーラの苦行をしのんで、苦行とくに断食が修行者に徹底し、そのための死が称賛されるほどであった。ともあれこの実践によって、ジャイナ教はまもられて、今日にいたっており、たとえ少数ではあっても、不殺生―平和など、大きな感化をインド民衆にあたえた。」





こちらもご参照ください:

中村元/三枝充悳 『バウッダ 佛教』














































































































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