FC2ブログ

澤田瑞穂 『金牛の鎖 ― 中国財宝譚』 (平凡社選書)

澤田瑞穗 
『金牛の鎖
― 中国財宝譚』
 
平凡社選書 83 

平凡社 
1983年10月7日 初版第1刷発行
264p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,500円



本書「あとがき」より:

「ここに収めた長短十篇の論考は、主として財宝を主題とする中国の異聞伝説を彙集し、あるいはこれに若干の考察を加えたものである。
 「洞穴の神と財宝」から「宝精篇」に至る前半の六篇は、既発表の文章に多少の増補を施したものである。」
「見られるとおり随筆雑録を前後に排列しただけで、第一章第一節式のしかつめらしい体裁は取っていない。そこで、せめて本書の要旨くらいは示す序説のようなものが欲しいとの編集部の希望により、今回あらたに「財宝談義」を書き加えて、これを巻首に配した。」



本書はまだよんでいなかったのでアマゾンマケプレで最安値(394円+送料257円)のを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。


沢田瑞穂 金牛の鎖


カバー文:

「道家で、各地の名山にあるという洞天福地の説と、民間伝承の洞中秘宝の説とが交錯するうちに、洞奥におかれた櫃中の銀一塊を入手する話や、洞穴の神に禱って食器その他の調度品を借用する話、さらには神に商売の資本を借用する「借元宝」の民俗風習ともなる。洞穴こそは、俗界と神霊界とを隔て、両世界を接ぐ門戸だった。」


カバー裏文:

「中国は説話、民間伝承の宝庫である。
洞穴の奥に神人所管の財宝器具が蔵せ
られている仙洞宝蔵譚;
霊芝や西瓜を鍵として宝の山の洞門を
開き、山岳の神霊、深淵の霊物である
金牛を狙う金牛致富の説話;
人間
運不運と幸不幸の不可思議を説
く致富発跡と没落の物語;
金銀そのものが世に現われんと欲して、
精怪となってその存在を人に告げる宝
精譚; 等々、
汗牛充棟ただならぬ文献世界を渉猟博
捜し、中国の伝承説話の世界を我々の
眼前に彷彿させる。さらには我国の民
間伝承とも慎重な比較検討を加え、人
人の生活の奥で通底する意識のありよ
うを提示し〈心意伝承の探究〉という民
俗学の本領を示す。」



カバーそで文:

「財宝譚の有力な一類に胡人採宝譚とよばれるものがある。西域から中国にきた商人が、某地に稀世の珍宝が伏蔵することを看破し、巨額の代価をもってその秘宝を購うという説話で、後世では胡人でなく南蛮人となり、南蛮子盜宝などとよばれる昔話である。この説話群になんと江西省出身の風水先生も登場するのだ。風水先生また山中の財宝を看破するだけの眼力を具えていると見られたのだ。………山師と風水師とは、胡人・南蛮子の財宝発見譚を通して隠微な一線に連なっているのではないだろうか。さらに推測すれば、『山海経』に玉石金銀銅鉄の所在を書き遺した特殊な古代旅行家の系譜にも溯ることができそうである。聴く者をして愉快ならしめる財宝発見譚というもの、その裏には説話醞醸のかなりに長い歴史があるらしい。地下鉄工事での小判発見といったニュース種程度の底の浅い話ではなかったのである。」


目次:

財宝談義――序にかえて

洞穴の神と財宝
神に借金する話
出米石の伝説
金牛の鎖
異人買宝譚私鈔
宝精篇
 宝精出現の事
 金銀変幻の事
 天財地財の事
 飛銭雨銭の事
宝精零篇
 銭が怖い
 枕の中に金銀
 船山の宝蔵
 銅馬異聞
 亀を踏んで金持ちになる話
 兄弟が宝物を争う話
 金銀の炎と焼酎火
 金箔を撒く話
 銀の筍
 元宝湧出して圧死する話
 銀杏の樹神と水銀
 銀の種をまいて銀の実を得る話
 秦始皇帝の埋蔵金
 初めて金塊を見た女房の話
 蟻の会話を聴いて銀を獲た話
 豚が金銀の所在を教える話
竜のよだれ
避債洞夜話
棺の中の銀

あとがき




◆本書より◆


「神に借金する話」より:

「海眼とは井戸または底知れぬ地穴のことで、それが地道を経て遠く湖海に通ずる入口であり、地下泉脈の末端であると信ぜられたところから海の眼と称せられたものである。」


「出米石の伝説」より:

「福建光沢県の東に聳える窖山(こうざん)にも宝の窟(いわや)の伝説がある。この山は仙人が宝をかくしているところで、金銀財宝から薪(たきぎ)・米・油・塩と、なんでもあると伝えられる。そこの仏仙岩のあたりには、米と油と塩の三つの宝窟があり、樵夫や猟師が山にゆくと、米や油や塩が流れ出して、人数の多寡にかかわらず、ちょうど一人一食分のまにあったが、それ以上は持ち帰るほどの余分は出ない。ところが、ある慾の深い和尚と地主とが共謀して、ひそかにこの宝窟を掘り拡げ、大量の米や油の類を手に入れようとしたため、宝窟は霊験を失って、ついに風・雨・旱の三つの魔の井戸に変じ、時には暴風や暴雨や大旱をおこすようになった。」


「金牛の鎖」より:

「広東増城県の東北二十里に金牛潭という底なしの淵がある。北岸に周囲三丈ばかりの石があり、金牛が水から出て、この石の上に盤踞するのを漁夫が見かけた。晋の義煕年間、県人の常安(一に張安)というもの、この淵に釣にきて金の鎖を得た。太さは指頭大、これを手繰りよせるうち、にわかに何物かが水中から引く、握っておれなくなり、刀で断って数尺を残した。これより富を致し、長寿を得た。その後、義興の周霊甫というもの、この牛が石上に臥するのを発見した。牛の傍には鋼のような金の鎖がある。周霊甫が勇敢にもこれを捉えようとすると、牛は鎖を断って逃げ、二丈(一説には二尺)ばかりを得た。霊甫はついに富豪となり、南江都尉になった。」


「異人買宝譚私鈔」より:

「広東に草履を編んで売る老人があった。その座右に一個の大きな石がある。ある日、一人の宝探しの人(原文「一収宝者」)がこれを見て、高値で買いたいという。老人は理由がわからないので、どうしても売らない。それより石を大切に蔵(しま)いこんだが、やがて後悔するうち、数月すると宝探しがまた訪れた。そこで石を出して見せると、その人はしきりに「惜しいことをした」と残念がる。わけを問うと、「この中には不思議な馬がいて、無価の宝物であったのだ。あんたが毎日これと向かいあって草履をつくり、草で飼っていたから活きておられた。今ではその中で餓死している」と。老人これを信ぜず、石を割ってみると、はたして馬が中で死んでいた。」

「安宜県(江蘇宝応県)の湖辺の水郷に浦(ほ)姓の兄弟が茅屋を構えて住んでいた。夏の宵、隣村の人が草を焚いて蚊や蚋をいぶし、肌脱ぎになって涼んでいた。夜が更けて林中に蛇行する一物を見た。その物は頭に一燈を戴き、その光は塀を照らす。尾の方も同様である。胴体部には小さな燈が数珠繋ぎになっている。村人が驚いて叫ぶと、その物はふと浦氏の屋に入って光は没した。のち毎年その地に迅雷が襲い、家畜が多く驚死するのは、かの物のせいではないかと疑われていたが、いかなる妖物であるかは判らなかった。ある冬の日に浦氏の家を二人の客が訪れた。嶺南の石姓の兄弟で、舟を城南に停め、ここまで散歩に来たのだと称して浦氏兄弟と語り、日が暮れる頃に立ち去った。翌日また訪れて屋根や梁などを見廻し、何事かを番語で喋るが意味不明。三日めの早暁また訪れ、浦氏兄弟に、「この建物を譲ってくれませんか。われらここに暫時僑居して海客(海外からの貿易商人)を待ちたいのですが」と切り出した。浦兄弟は豪語して、「わが郷は地一寸金一寸。家は貧しくとも家屋を売るまで落ちぶれてはおりませんよ」。すると石兄弟は笑って、「土地が欲しいのではありません。ただ風雨をしのぐ家屋だけが欲しいので、売って下さるなら金は幾らでも出します」と。浦氏の弟が兄に耳打ちする、「遠方の広東の人だから騙して五百金を要求してみたら」と。兄も喜んで承知する。石兄弟、「千金でもよろしいが、ただ取引は後で悶着が起らないようにしていただきたい」と。浦兄弟は人に頼んで契約書を作成し、「家屋は毀しても土地は元の主人に返す」と約束した。千金を受け取ると浦兄弟は隣村に移り、石兄弟が住みついた。隣村の物好きが、何か変った事が起らぬかと、ひそかに様子を窺っていたが、炊事をするくらいで別に変ったこともなかった。十日あまりして石兄弟は町に出かけ、炭を貯える空籠十余個を買い、鍛冶屋で長さ一尺ちかい大釘二本を打たせ、また桃の木の柄をつけた斧二丁および神に捧げる供物の類をも買って担ぎ帰った。それから近所から屋根に登る梯子二本を借りてきた。何に使うのか、さっぱり判らない。ある日の早暁、兄弟は沐浴して起き出すと、門内に供物を並べ、梵語の咒文を唱えて敬虔に祈る。やがて二本の梯子を屋根に架け、兄弟が左右から一斉に登ると、斧を揮って戛々然(かつかつぜん)として梁に釘を打ちこむ。終ると兄弟は跳んで降り、躍りあがってシメタと叫ぶ。それから人を雇って茅屋根を剝がせる。茅が尽きると、梁の上には巨大な蜈蚣が頭と尾に釘を打ちこまれており、黒い皮は鏡面のごとく、百足は鋭い鉤(かぎ)のごとし。兄弟は屋根を曳き倒させると、剣をもって蜈蚣を数十段に切断し、それぞれの炭籠に入れ、手をあげて隣人に謝し、用意した舟に獲物を運ぶ。浦氏兄弟も舟まで見送り、その眼力について質問すると、石兄弟は答えた、「城南から眺めると宝光が湖辺に見えたので、物色してここに来たのです」と。そこで浦氏は往年に隣村で見かけた燈光の不思議を語って、さてはこの物だったかといった。大蜈蚣の頭尾には二個の明珠があり、胴体にも多くの小珠がある。この物は雷火は畏れないが、雷鳴を聞くたびに病んで珠を生ずる。われらはこれを祭り、咒をもって禁じたから釘が打てたので、さもなければ屋根を抜け出して逃げ去るところであったと。珠の価を問うと、「蘇州に着いたら判ることで、われらには予想もつきません」と笑って答えた。浦兄弟は呆然となった。」

「波斯人が福建にきて、古い墓に宝の気があると見てとり、墓の隣に住む人に銭数万で墓を買いたいといった。承知しないでいると、「この墓はもう五百年も持主がないはず」と波斯人がいうので、ついに承知して銭を受け取った。波斯人が墓を発く。棺の中の屍体は骨肉ともに壊れていたが、心臓だけが石のように堅かった。鋸で切ってあけてみると、みごとな山水があり、青碧は画くがごとし。傍に化粧をした一女がいて、じっとこれを見つめている。けだしこの女には山水を好む癖があって、朝夕ながめているうちに、その清気を呑吐した結果、それが融結して成ったものであろうと。」
「〇石のように堅くなった心臓に、山水と美女の像があったのだろう。」

「明の隆慶年間、杭州の婦人柳凝翠というもの、西湖見物が大好きで、ついにその景勝を窮めるまでになった。帰ってから懐妊し、のち一個の毬を産んだ。堅くて割れない。家人がこれを軒端に懸けておいたところ、たまたま安南国(引用者注: 「安南国」に傍点)の人が通りかかって見つけ、高価で買った。鋸で切って数片としたところ、見ると悉く西湖の風景であった。」



「宝精篇」より:

「財宝譚の中には、異物が化して金銀になり、金銀が化して異物になったという類の話を多く見かける。」
「ところで金銀がどんな変幻を示すかというに、たとえば銀が鉛になり、紙でつくられた銀錠が本物の銀に化するなどは、もともと類縁のものだから、さほど意表外ともいえないが、水が銀になり、銀が水になるばかりか、さらには蛇・蟇(がま)・蜈蚣(むかで)・蛍・蝴蝶から、はては糞虫(くそむし)にまで変るというに至っては、その虚実まことに端倪すべからざるものがある。」



「宝精零篇」より:

「山東萊郡掖(えき)県の富人張某の先祖は貧乏で、百姓をしていたが、たまたま路上で革の袋を拾った。あけてみると悉く金塊である。誰かの落したものと思い、その場に腰をおろして待っていると、間もなく大声で呼びながらやってくるものがある。訊いてみるとはたして落し主だったので、袋を返してやった。その人は大いに感謝し、礼をしようとするが、百姓はどうしても受け取らない。そこへその百姓の女房が弁当を運んできてその事を知り、「話には聞いていたが、どんな物なのか見せてほしい」というので、落し主が袋をあけて見せると、女房は笑って、「これが金(きん)というものかね」といった。さて落し主が去ったあとで夫にいうには、「以前に野外で茶摘みをしていたとき、土の穴にゴロゴロしているのを見つけたけれど、みなあの袋の中の物とおなじだった」という。そこへいってみると、たしかに女房のいったとおり無数の金塊。それを担ぎ帰って長者になったと。
 これは清・王凝斎『秋燈叢話』巻三「還金得金」の条に見える金塊発見致富譚。ところが清・師範『滇繋』巻一二、雑載に見える雲南の古伝は、主人公が百姓の女房ではなくて王様の婿殿である。
 唐代のチベット系民族が建てた南詔国の神武王が、その王女のために婿を選ぼうとした。王女が父王に申し出て、「わたくしは牛の背に後向きに乗り、牛のゆくところに任せ、貧富貴賤を問わず、牛が入った家に嫁ぎたい」という。王その請いを許す。牛はある狭い横丁に至り、狭いので左右の角を側(そば)めて入った。その家の老婆が走り避けようとするのを強いて呼び戻して、この家に息子さんはないかと問うと、倅は山へ薪を伐りにいっていますと答える。王女はすぐ老婆を拝して姑とする。やがて息子が薪を負うて戻り、横丁にお伴の家来たちがいるのを見て逃げようとすると、王女は招き入れて、これこそわが婿なりとて父王に報告させた。王は怒って王女を絶縁する。ある日、婿が王女の髪飾りを見て、それは何かと問う。金だと答えると、婿がいうには、おらが薪を伐る山には、そんな物はいっぱいあるとて、翌日担いで帰ったのはみな金の磚(かわら)であった。やがて王の怒りも解けた。王女が父王を宴に招きたいと請うと、王は難題を出して、「そなたに金の橋と銀の道路が造れるなら行ってもよい」という。そのとおり金橋銀路を造って王を招待した。王は嘆じて、「まことに天婚なり」といった。」
「日本の昔話で有名なのは加賀の山芋掘りの藤五郎。長者の娘と結婚したが、砂金というものの価値を知らず、これを投げつけて雁を追う。あとで女房に問われて、「あんな物なら山にいくらでもある」と答えて、山芋を掘った土を洗うと悉く砂金だったという無心なる自然児の致富譚。長者の娘と山芋掘り、王女と樵夫、その釣り合わぬ組合せもそっくりである。」



「竜のよだれ」より:

「名香といえば麝香(じゃこう)か竜涎香(りゅうぜんこう)かといわれるほどに知られているが、その竜涎香とは、専門家によると抹香鯨の分泌物で、アムバーグリス(ambergris)というものだそうである。これがアラビア商人によって東方にも伝来し、中国では唐宋時代から竜涎香の名で珍重された歴史については、山田憲太郎氏の『東西香薬史』に詳説されている。」
「一般には竜が海上で吐いた涎沫――一説では精液――が浮游凝固したのを採集して乾燥させた香料だといわれてきた。宋・趙汝适のように南海諸国の事情に詳しい学者でも、「竜涎は大食(アラビア)の西海に竜多く、石を枕にして一睡すれば、涎沫が水に浮び、積りて能く固まる、鮫人これを採りてもって至宝となす」(『諸蕃志』巻下「竜涎」)などと記しており、竜が岩を枕にして昼寝をし、人間のように口をあけて涎を垂らす、それを鮫人(潜水夫)が採集すると考えていたらしいから、(中略)何とも愉快である。」

「王という姓の老人、別の村に住む友人を訪ねての帰るさ、黄昏ちかい山路をたどる。手には長い煙管を提げて歩く。前方に直径一尺もある大木が横たわって路を遮っている。誰が伐り倒したのか、通行の邪魔になるわいと思いながらも、すこし歩き疲れたので一服しようと、この大木に腰を下し、煙管に残っていた灰を幹に叩いて落し、新しい煙草をつめて火打石で火を点ける。ふと物音がする。気がつくと、驚いた、その幹はずるずると動きだしたではないか。はじめはゆっくりと、後には速度を増して、たちまち見えなくなってしまった。この伐り倒された大木と思ったのは、実は巨大な錦蛇だったのだ。老人は息せききって家に逃げ走り、今しがた見たことを告げる。人々は嘘だろうと思って争って現場にいってみると、地上にはその大きな痕跡が遺されていたという。」



「あとがき」より:

「口碑伝説や昔話など、総じていえば民間伝承を研究する場合、その資料を採集する方法としては、現地に永く居住して観察記録するに越したことはない。これに次ぐものとしては長期の採訪旅行、いわゆるフィールド・ワークであろう。それも日本国内ならば、さしたる支障もないのだが、目的地が海外異邦となると、事はさほど簡単ではない。」
「わたしも青年期には前後数年間を北京の地に住んだ体験をもつが、民間伝承の現地採訪という点では、期待したほどの収穫をあげることはできなかった。その代りの已(や)むを得ない方法として採用したのは、民俗学専門書・専門誌の蒐集のほか、いわゆる筆記・随筆・雑著・地誌の類を渉猟して、古今の零細雑多な異聞類を拾い集めるという、一見して迂遠で雑学的で労多い方法であった。」
「そんなわけで、古本屋を廻れば堂々たる経史子集の大著よりも先に、片々たる某々堂随筆や何々庵筆記の類に心が惹かれた。」
「世の大家先生ならば潔しとしないような、こんな愚直迂遠の読書を事とし、四庫全書にも収められない雑書群の密林を彷徨し、心に留まった異聞奇事を書き抜き書き写し、幾十百冊かの資料綴込帳を作り並べつつ、いつしかに方丈の書斎裡に年老いてしまった。この読書方法は、やがて筆者の日常習慣となり、それがまた執筆の際の記述の流儀ともなっている。」





こちらもご参照ください:

石田幹之助 『増訂 長安の春』 (東洋文庫)








































































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ねたきり読書日記。

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。


うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本