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『ルドルフ・シュタイナー選集 第10巻 死後の生活』 高橋巖 訳 

「そのようにして、私たちは誕生と受胎を越えて、時の流れをさらに遡り、最後には私たちが遺伝の力と結びつく以前に生きていた霊界にまで到るのです。人生を逆に辿って霊界にまで到るのです。」
(ルドルフ・シュタイナー 「人間の内的本性と死から新しい誕生までの生活」 より)


『ルドルフ・
シュタイナー選集 
第10巻 
死後の生活』 
高橋巖 訳 


イザラ書房 
1989年9月30日 第1刷発行
225p
A5判 丸背布装上製本 
貼函 本体カバー
定価3,270円(本体3,175円)
造本: 横尾忠則



Inneres Wesen des Menschen und Leben zwischen Tod und neuer Geburt
スピン(栞紐)二本付。


シュタイナー 死後の生活


帯文:

「その日が来てからではもう遅い
この地上での一回限りの生を超えて存続していく、不滅なるものとは?
人間の内なる霊の転生を明らかにし、生の意義と人間の尊厳を問う。」



帯裏:

「死すべき存在の真の内的本性が不死なるものに基礎づけられているという霊学の認識は、ゲーテの次の言葉の中に要約されているのです。現代という時代に特有の事情から、別の人生のことなどまったく考えようとしない人に対して「私は言いたい」――これがゲーテの言葉なのです――「ロレンツォ・ディ・メディチと共に言いたい、別の人生を願わない人はすべて、この世の人生においても死んでいるのだ、と」。
シュタイナー」



目次:

第一部
 霊学の課題と目標――現代人の霊的要求に応えて
 人間の生と死並びに魂の不死について霊学は何を語るのか

第二部 人間の内的本性と死から新しい誕生までの生活
 第一講
 第二講
 第三講
 第四講
 第五講
 第六講

訳者あとがき




◆本書より◆


「人間の生と死並びに魂の不死について霊学は何を語るのか」より:

「霊学とは、不死の根拠をあれこれ考え出そうとする思弁的な空想なのではありません。それはどうしたら魂の本質を知るようになれるのか、魂の本質とは何なのかを示すのです。霊学はいわば魂を発掘します。そして、発掘された魂が外的な身体の所産なのではなく、むしろ外的な身体そのものがこの魂の所産なのだということを明らかにします。私たちが自分の中に魂の胚種を発見し、その胚種が次なる地上生活のための胚種なのだということを感じ取るとき、この実感の中で、私たちがこの世に存在するようになる以前に、すでに存在しており、そして人間の体的・物質的本性の中へ受胎もしくは誕生によって入ってきたものを感じ取るのです。
 そのとき私たちが体験するのは、空間の中に存在するものとして知覚される脳も魂によって形成されるということ、そのような脳を形成する魂は、すでに誕生もしくは受胎以前から霊界に存在していたこと、そしてそれが父母によって与えられた肉体の素材と結びつき、その素材に浸透し、それを組織化する、ということです。人間がこの世に生を享けるということは、父母によって産み出されたというよりは、霊界から降下した霊的・魂的なものが物質的なものと結びついて存在する、ということなのです。私たちの霊的・魂的存在は、最後の死から新しい誕生までの間は霊界に在り、そしてその霊界から降下してきたのです。」

「人生の本当の神秘は、犯罪者がいるということです。霊学研究者は、犯罪者が罰せられるべきでないというような、ユートピア論者であろうとはしませんけれども、人間生活の中に存在するものであれば、どんなことでも理解しようとします。」



「人間の内的本性と死から新しい誕生までの生活」より:

「私たちは知覚と思考を通して、外界の一部分だけしか内面生活の中に取り入れませんが、感情と意志を通しては、魂の奥底にある内界(引用者注: 「内界」に傍点)を、その一部分だけでも取り出すことができるのえす。こう考えることによって、私たちは魂のいとなみの四つの分野を二つに大別できるのです。一方では知覚と思考、他方では感情と意志です。
 思弁によって顕教的に説明できることに、今私たちが秘教の光を当てようとすれば、内面生活のこの四つの分野はまったく別様に現れます。
 皆さんが夜眠っているとき、一方では自我とアストラル体が、他方では肉体とエーテル体が、昼間の覚醒時とは別の在り方をして現れます。覚醒時には、肉体、エーテル体、アストラル体および自我は互いに結びついているのが普通です。眠りに入ると、この関連がほどけて、意識的に感覚と思考を働かせることが、アストラル体と自我にはできなくなります。そして夜の闇が意識の上に拡がり、そして感情も消えます。ところが秘教的な訓練によって魂の働きを強めますと、体から離れて、意識なく存在しているはずの夜の霊魂は、霊的に認識し、霊的に知覚するようになります。そして体の外で、霊魂を自分の人間的なものとして実際に体験するのです。昼間、感覚器官と脳を働かせているときには、物質界が眼前に拡がっているように、今や霊的環境という新しい世界が私たちの前に現れてくるのです。」

「見霊意識は、私たちが通常の眠りの中で無意識のままに行うように、霊魂を身体から離脱させます。そしてその上で、この霊魂のいとなみを認識しようと努力します。」
「見霊的な意識の前に現れる最初のものは、世界に対する一切の見方の完全な逆転です。私たちは、身体の中に留まる限り、身体の感覚器官を通して周囲を眺め、脳と結びついた悟性を通して考えます。山、河、雲、星々などを眺め、そしてその宇宙の一隅に、この上なくちっぽけな、点のような存在である私たち自身を見出します。見霊意識が身体の外で働き始めますと、この宇宙と人間との関係がまったく逆転するのです。私たちの眼前に拡がっていた世界、悟性が思考の対象としてきた世界が、眼の前から消えてしまいます。私たちは、自分がまるで宇宙の中に注ぎ込まれてしまったかのように感じるのです。身体から離脱した私は、これまで外界として見てきた宇宙の中に注ぎ込まれ、自分がその内部に入っているように感じます。私たちは空間全体を満たし、時間の流れの中に織り込まれるのです。」
「――そして、これまでは感覚世界の地平の一点に立っていた私という小さな存在が、見霊意識の発達と共に、今は宇宙そのものになるのです。」

「昨日述べたのは、魂が身体から離れて霊的空間の中へ赴き、空間的(引用者注: 「空間的」に傍点)に身体の外で生き始める道でした。しかし「身体離脱」には次の道もあるのです。それはこれまで以上に自分の内部に没入することで、自分から脱する道です。私たちは魂の内部の、霊的経験にもっとも似ている働きである記憶力の助けを借りて、霊界へ赴くことができます。」
「記憶が遡りうる一番はじめの幼年体験の時点から今日に到る長い年月の自我体験に眼を向け、そして何にも妨げられずに、記憶内容の中からいつもは意識していない記憶内容までも引き出せるようにするのです。(中略)ずっと以前に忘れてしまったことまでも思い出せるほどに強い想起力を発達させることができたとしますと、そのとき、牧場で緑の茎と茎の間から美しい花が浮かび上がるように、記憶像と記憶像の間から、これまで知らなかった像が、イマジネーションとして浮かび上がってくるのです。牧場の緑の中に美しい花が現れるように、私たちの記憶の中で、それとはまったく異なる何かが霊の深みから浮き上がってくるのです。私たちは単なる記憶像と霊の深みから浮き上がってくるものとを区別することを学び、そして次第に霊の深みから、霊的内容を取り出してくる力を発達させるようになります。
 そして私たちはそれによって、昨日述べた場合とは異なる仕方で、身体から離脱するのです。昨日述べた仕方では、私たちはいわば直接的に身体を離れます。今日述べた仕方では、まずこれまで過ごしてきた人生を遡行し、これまでの人生を逆の方向に通り抜けます。そのようにして私たちの内面生活に没入し、想起力を強めることを通して、記憶像と記憶像との間から霊的なものを引き出してくるのです。そのようにして、私たちは誕生と受胎を越えて、時の流れをさらに遡り、最後には私たちが遺伝の力と結びつく以前に生きていた霊界にまで到るのです。人生を逆に辿って霊界にまで到るのです。これが身体を離脱して霊界へ参入するもうひとつの道です。」



「訳者あとがき」より:

「本書の全篇を読み通すと、本書がこの世での人間関係を論じている『社会の未来』と対をなす、あの世での人間関係論であるかのような印象を受ける。つまり本書『死後の生活』は霊界の社会学を論じており、その意味でこの二つの書物は相互に補い合っているのである。
 本書が何よりも強調しているのは、現界と霊界とが決して切り離されてはおらず、むしろ相互に深く関連し合っている、ということである。霊界のことを考えなければ、現界の本当の姿本当の意味は理解できない。だからシュタイナーは、今日の社会の危機を乗り越えるために、死者との関係の回復をわれわれに求め続けてきた。地上のわれわれはいつでも、覚醒時にも睡眠時にも、死者との共同社会の中に生きている。そのような社会の中にいて、もし死者からの働きかけがないと思えるとしたら、それはわれわれの心がこの世的なものに向きすぎているからである。」








































































































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Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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