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『ルドルフ・シュタイナー選集 第1巻 神智学』 高橋巖 訳

「しかし自然体験には、もっと高次の、霊的性格のものがある。それは自然の事物やそのいとなみの中に顕現する霊を体験しようとする場合である。このような自然感情は、その人の霊性を開発し、魂の中に永続的部分を築き上げる。」
(ルドルフ・シュタイナー 『神智学』 より)


『ルドルフ・
シュタイナー選集 
第1巻 
神智学』 
高橋巖 訳
 

イザラ書房 
1988年6月20日 第1刷発行
1992年3月30日 第3刷発行
245p
A5判 丸背布装上製本 
貼函 本体カバー
定価3,610円(本体3,505円)
造本: 横尾忠則



Theosophie
スピン(栞紐)二本付。


シュタイナー 神智学


帯文:

「超感覚的世界の認識と人間の本質への導き
時代に対する危機意識に駆られ、6千に及ぶ講演を残したシュタイナーの根本思想のすべて。訳者念願の新訳による全面新装改訂版。」



帯裏:

「本書の中で超感覚的世界の若干の部分を叙述するつもりである。感覚的世界だけを通用させようとする意図は、この叙述を空疎な想像の産物と見做すだろう。しかし感覚界を越えていく道を求める人なら、もうひとつの世界を洞察することによってのみ、人間生活の価値と意味が見出せるという本書の観点をただちに理解してくれるだろう。……この洞察は人生の諸原因(引用者注: 「諸原因」に傍点)を認識することを教える。この洞察がない場合は、盲人のように、人生の諸結果(引用者注: 「諸結果」に傍点)の中を手さぐりで歩んでいくしかない。
シュタイナー」



目次:

第三版のまえがき
第六版のまえがき
第九版のまえがき
この書の新版のために

序論
人間の本質
 一 人間の体の本性
 二 人間の魂の本性
 三 人間の霊の本性
 四 体、魂、霊
霊の再生と運命
三つの世界
 一 魂の世界
 二 魂の世界における死後の魂
 三 霊界
 四 死後の霊界における霊
 五 物質界、並びに魂界、霊界とこの物質界との結びつき
 六 思考形態と人間のオーラ
認識の小道

補遺

付録
 一
 二

訳者の解説とあとがき




◆本書より◆


「霊の再生と運命」より:

「しかし魂はまた、現在と持続との仲介(引用者注: 「仲介」に傍点)もする。今あるものを記憶(引用者注: 「記憶」に傍点)に保持する。このことを通して、魂は今あるものをその無常性から切り離し、魂の霊的部分の持続の中に取り込む。魂はまた時間的、無常的な存在に永遠の刻印を押すが、それが魂にできるのは、魂が一時の刺戟の中に埋没することなく、自分の方から積極的に事物に働きかけ、その行為の中で事物と自分の本質とをひとつに結び合わせるからである。」
「もし薔薇の花の赤い色を記憶の中に保持しえないなら、私の魂は常に新たにそれを知覚しなおさなければならないであろう。外から印象を受けとった後でもまだ残り続けるもの、魂によって保持されうるものは、単なる外的印象に留まらず、それから独立して、さらに表象(引用者注: 「表象」に傍点)となることができる。この表象能力のおかげで、魂は外界を自分の内界にし、次いでこの内界を記憶力(引用者注: 「記憶力」に傍点)によって――思い出すことができるように――保持し、受けとった印象に左右されることなく、この内界とともに自分独自の生活をいとなみ続けることができるようになるのである。魂の生活はかくして、外界の無常なる印象の持続的な成果(引用者注: 「持続的な成果」に傍点)となる。」

「霊我は、「私」に霊界から真と善の永遠の法則をもたらす。この法則は意識魂を通して、魂の独自の体験内容と結びつく。これらの体験そのものは過ぎ去っていく。しかしその成果は残る。すなわち、霊我はこれらの体験と結びついたことによって、そこから持続的な印象を受けとる。前に一度結びついたことのある体験とよく似た、或る別の体験に人間の霊が結びつきをもちはじめるとき、この霊はその体験の中に何か既知のものを見、そしてはじめてのものに対する場合とは異なる態度でそれに対することができる。すべての学習はこのことに基づいている。」
「このようにして永遠の霊に移ろいゆく生活の成果が刻印づけられる。」
「霊的人間の特性として今述べた素質は何に基づいているのか。地上の生活を始めたときに、すでにもっていたあれこれの能力にであろう。」
「この能力は霊我に刻印づけられているのである。そしてもしそれが生存中に刻印づけられたのでないとしたら、前世においてでしかない。ひとりの人間はそれ自身でひとつの類である。そして人間の体的類存在がその特徴を類の中に遺伝するように、霊(引用者注: 「霊」に傍点)は霊の(引用者注: 「霊の」に傍点)類の中に、つまり自分自身の中に、その特徴を伝えるのである。或る人生の中で、人間の霊は自分自身の繰り返しとして、前世の諸体験の成果を担って現れる(引用者注: 「或る人生の中で~」以下に傍点)。この人生は以前の人生の繰り返しなのであり、霊我が前世において学び取ったものを必然的に伴っている。霊我は、成果となりうるものを自分の中に摂取するとき、生命霊に自分を浸透させる。生命体が種から種へその形態を繰り返すように、生命霊は魂を個人的存在から個人的存在へと反復させるのである。」



「三つの世界」より:

「人間の霊は、死後から新たに再生するまでの途上で、「魂界」を遍歴した後「霊界」に入り、新しい肉体を受けるための機が熟すまで、そこに留まっている。この「霊界」滞在の意味を理解するには、輪廻転生の意味が正しく解釈できなければならない。この世に生をうけた人間は、物質界で創造活動を行う。彼は物質界の霊的存在(引用者注: 「霊的存在」に傍点)として創造活動を行う。人間は自分の霊が考案し形成するものを、物質の形態に、物体の素材と力とに刻印づける。彼は霊界の使者として、霊を物体界に同化させる。人間は肉体をもつことによってのみ、物体界に働きかけることができる。彼は肉体を道具として使用しなければならない。そうすれば物体的なものを通して物体的なものに働きかけることができるし、物体的なものが彼に働きかけることもできる。けれども人間の体的本性を貫いて働きかけているものは霊(引用者注: 「霊」に傍点)に他ならず、物体界で作用するための意図(引用者注: 「意図」に傍点)、方向は霊から来ている。」

「人間は物質の性質や力をこの世の舞台で学ぶ。この舞台の上で創造活動を行いながら、物質界がそこで働く自分に何を要求するのかについて、経験を蓄積する。そして自分の思想、理念を具体化するための素材の性質を知ることを学ぶ。(中略)このようにして、地上世界は創造の場であると同時に、学習(引用者注: 「学習」に傍点)の場でもある。「霊界」では、この学習の成果が霊の活発な能力に変化させられる。」



「認識の小道」より:

「はじめから、これまでの人生経験から得た判断の規準だけで、世界内の現実に相対する者は、この判断の故に、現実が彼に及ぼすことのできる静かな多面的作用から自分を閉ざしている。学ぶ者はいかなる瞬間も、異質の世界を容れることのできる、まったく空の容器になることができなければならない。われわれ自身に発する判断や批判のすべてが沈黙する瞬間だけが、認識の瞬間なのである。たとえば或る人と出会ったとき、その人よりわれわれの方がもっと賢明であるかどうか、ということは、全然重要なことではない。極く無分別な幼児といえども、偉大な賢者に対して開示すべき何かをもっている。そしてこの賢者がどんなに彼らしい賢明さで幼児を批判したとしても、そう批判することで、その賢明さは曇りガラスとなって、幼児が彼に開示しようとする事柄の前に立ち塞がる。自分とは違う世界の示す事柄に帰依することができるためには、完全な内的帰依の状態が必要である。そしてこのような帰依を自分がどこまでやれるか試して見ようとするなら、彼は自分自身について驚くべき諸発見をするだろう。或る人が高次の認識の小道を歩もうとするなら、自分自身のもつすべての偏見をどのような瞬間にも消し去ることができなければならない。自分を消し去るときにだけ、他のものが彼の内に流れ込む。自分を無にして、対象への帰依を高度に所有することだけが、いたるところで人間をとりまいている高次の霊的諸現実を受け容れさせる。人は自分自身だけで、この目標に向ってこの能力を意識的に育成することができる。たとえば、周囲の人間に対してどのような判断も下さぬように試みることができるであろう。好きとか嫌いとか、愚かだとか賢いとか、人が日常下す判断の規準を、自分の中から消し去るのである。そしてこのような尺度なしに、人間を純粋にその人間そのものから理解することを試みるのである。最上の修行は、嫌悪を感じている人間について、このことを行う場合である。あらゆる力をふるって嫌悪の念を抑え、その人間の行うすべてのことを、心を開いて自分に影響させるのである。
 あるいは、何か判断を下したくなるような状況にあるとき、判断するのを我慢して、とらわれず印象に心をゆだねるのである。」
「人間はこの行を通して、自分の周囲のすべての事物を受容することができるようになる。」
「学ぼうとする人は、事物や人間の中のどんな些細な価値や意味をも肯定できるような性質を自分の中に育て上げなければならない。共感と反感、快と不快はまったく新しい役割を果せるようにならなければならない。これらを押し殺して、自分を無感動な人間にすることが良いというのではない。反対である。すぐには共感、反感から判断と行動を引き出そうとしない能力を養えば養う程、人間はますます繊細な感受性を自分の中に育て上げるであろう。自分の中にすでにある性質を統禦できたとき、共感と反感がより高い在り方をとりはじめるのを彼は経験するであろう。はじめこの上なく不愉快に思えるような事柄にさえ、隠れた長所がいくつもある。利己的な感情に従おうとする態度をやめたとき、そのような隠された長所が現れてくるのである。自分をこの方向に育て上げた人は、あらゆるものに対して、他の人より、より繊細な感じ方をする。なぜなら自分の主観によって感受性を曇らされることがないからである。」

「一片の紙切れも一匹の昆虫も、眼(引用者注: 「眼」に傍点)をそれに向けるだけでなく、眼を通して(引用者注: 「眼を通して」に傍点)霊をそれに向けるとき、数知れぬ秘密をわれわれに打ち明けてくれるだろう。一瞬の火花、微妙な色合い、声の抑揚を、感覚は生きいきと感じ続けるだろう。」

「個人と普遍的霊性との(中略)一体化は、個性を破滅させる「万有霊」の中へ個人が自己を解消させることを意味してはいない。(中略)個人が霊界と結ぶ関係においても、個人は個人であり続ける。個性の克服ではなく、個性の向上が問題なのである。もし個々の霊と普遍的な霊とのこの合一を比喩的にいうなら、さまざまの円がひとつの円と合同になり、その円の中に自己を解消させてしまうという図ではなく、各々がそれぞれ特定の色合いを保っている数多くの円の図を選ぶべきである。その多彩な色環は重なり合う場合にも、色合いの各々は全体の中でその特質を失うことなく、存在を保っている。どの色合いもその独自の色彩価値の豊かさを失うことがない。」



「付録 一」より:

「事実、一切のドイツ哲学、一切のドイツ文化の成果を含めても、ヘッケルの系統発生思想は一九世紀後半におけるドイツ精神史上のもっとも重要な業績である。そしてこのヘッケルの教義以上に優れたオカルティズムの科学的な基礎づけは存在しない。ヘッケルのこの教義はまことに偉大であるが、ヘッケル自身はこの教義の最悪の註釈者である。だから文化の発展に必要なわれわれの為すべき行為は、ヘッケルの思想の欠陥を世間に指摘して見せることではなく、ヘッケルの系統発生思想の偉大さを明らかにすることである。」




















































































































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Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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