FC2ブログ

ルドルフ・シュタイナー 『霊学の観点からの子供の教育〔改訂版〕』 高橋巖 訳

ルドルフ・シュタイナー 
『霊学の観点からの
子供の教育
〔改訂版〕』 
高橋巖 訳


イザラ書房 
昭和60年12月20日 第1刷発行
平成2年6月30日 第3刷発行
121p(本文中別丁口絵1葉)
A5判 丸背布装上製本 カバー 
定価1,880円(本体1,825円)
カバー: ルドルフ・シュタイナー『新しき生命(母と子)』 水彩・1924年



本書「訳者あとがき」より:

「『霊学の観点からの子供の教育』は、(中略)一九〇六年の年末から翌年の初頭にかけて、ベルリン、ケルン、ライプツィヒその他のドイツ諸都市で行った講演内容をもとにしている。シュタイナーはこれに手を加え、論文として一九〇七年、雑誌「ルツィフェル=グノーシス」に発表し、(中略)これを単行本として出版した。」
「この改訂版で新たに収録されたシュタイナーの三つの教育論、「人智学的な教育の特質」、「教育と芸術」、「教育と道徳」のうち、最初の論文は、ゲーテアヌムで行われた講演(一九二二年九月一六日)をもとに著者自身の手でまとめられ、一九二二年一二月一七日付の雑誌「ゲーテアヌム」(第一七号)に発表された。
 第二、第三論文はシュトゥットガルトで一九二三年三月二五日から二九日まで行われた「ワルドルフ学校の芸術=教育講習会」で行われた講演の概略で、これらも一九二三年四月一日と八日に同じように「ゲーテアヌム」誌上に発表された。
 巻末には教育との関連で重要なシュタイナーの「お祈り」を原文と共にまとめて収録した。」



シュタイナー 霊学の観点からの子供の教育 01


目次:

霊学の観点からの子供の教育
著者の註

人智学的な教育の特質
教育と芸術
教育と道徳

教育のためのお祈り
 母の祈り
 生まれる前の母の祈り
 生まれた後の母の祈り
 赤ちゃんのための眠る前の祈り
 幼児のための眠る前の祈り
 食前の祈り
 朝の祈り
 夕べの祈り
 学校での朝の祈り

訳者あとがき



シュタイナー 霊学の観点からの子供の教育 02



◆本書より◆


「人智学的な教育の特質」より:

「現代は主知主義の時代です。この主知主義の基になる知性という魂の働きは、人間の内面に深く関わることができません。」
「社会生活について言えば、主知主義は人と人とを隔ててしまいます。」
「教育や授業の中での主知主義は子供の心を麻痺させてしまいます。」
「近代になってから、主知主義が教授法の中にまで入りこみ、影響力を行使するようになりました。そうなったのは、主知主義が近代自然科学という廻り道をとって働きかけてきたからです。親たちも科学の言うことを信じ、科学の観点から何が子供の身体や心情や精神活動にとって良いことなのかを決めようとしています。先生たちも科学的な教育を受けてきましたから、そこから自分の教育方法を見出だそうとしています。
 近代科学がこれほど大きな権威となり得たのは、科学者が正に以上に述べたような主知主義的態度に徹してきたからなのです。科学者は自分の思考作業の中に、人間的な、魂の熱い思いを組み入れようなどとはまったく望んでいません。唯物的な観察と実験の枠内から少しも出ようとはしません。
 このような科学者だからこそ、近代において達成されたような優れた自然認識を可能にすることができたのです。しかしそこから本当の教育学を基礎づけることは決してできません。
 それができるのは、教育学が人間の体と魂と霊のすべてを包括するような知識の上に立つときだけです。主知主義は人間をその体の側面からのみ理解しようとします。なぜなら体だけが観察と実験の対象になり得るからです。
 本当の教育学を基礎づけようとするなら、先ず本当の人間認識を獲得しなければなりません。人智学はそのような本当の人間認識を獲得しようと努めているのです。
 人間の体的本性を先ず取り上げ、唯物的な観点に立つ科学の言う通りに、この体的本性を理解し、その上でこの体的本性がどのような魂の働きを行っているのか、そこにどのような霊的活動が見られるのかを問おうとするとすれば、そのような仕方で人間を本当に認識することは決してできないでしょう。
 このような立場に立って人間を認識することは、子供の教育にとっては有害以外の何ものでもありません。なぜなら大人の場合よりもはるかに集中した仕方で、子供の体と魂と霊はひとつの統一した生命存在になっているからです。子供の健康を考えるときにも、単なる唯物的な科学の観点から配慮するだけでは不十分です。けれども人びとは先ずそのように配慮しようとします。そしてそれからその健康な身体に、魂や霊に役立つと思えるような事柄を提供しようとします。しかし実際は逆なのです。子供の魂と霊が子供の健康を左右するのです。その在り方次第で、子供の身体生活に健全な働きか有害な働きかが及ぶのです。魂と霊とは地上を生きる人間の場合は、身体を通して働きます。どんな身体上の現れも、魂と霊の働きの結果なのです。
 唯物的な科学は身体だけを本質存在であると考え、身体のいとなみをこの観点から理解しようとします。ですから「全人」の理解にまでは到りません。
 教育者はこのことを感じ取っていますが、現代におけるこの問題の根の深さを十分認識してはいません。ですから明らかな認識の上に立っているのではなく、半ば無意識的に考えているのです。――唯物的な科学からでは教育を行えない。だから科学ではなく、教育本能によって教育を行おう、と。
 こう考える理由はよく理解できますが、しかしそのような教育実践からは何の成果も得られないでしょう。なぜなら、近代人はすでに根源的な本能の力を失ってしまっているからです。自分の中にもはや根源的な力を実感できない人びとが本能的な教育を行おうとすれば、暗闇を手探りで歩くことしかできない筈です。
 人智学はこの暗闇に光を投げかけようとするのです。今日の科学の主知主義的な立場が人類文化の進化の過程で必ず通過しなければならない段階なのだ、ということを人智学を通して理解することができます。近代の人間は長い過程を経て、本能生活の時代から抜け出て来たのです。そして本能に代わるものとして、知性が特別大きな意味を持つようになったのです。今日の人間は自分に与えられた進化の道を、正しい方向に向って歩み続けるために、知性を必要としています。知性に導かれて、人類は長い道のりを経て、やっと今、明るい意識を獲得するところまでやってきました。ひとりひとりの人間もそれぞれ自分の人生の中で、それぞれの状況に応じた知的能力を獲得しなければならないのです。けれども知性の影響の結果、私たちの本能は麻痺させられてしまっているのです。ですから私たちは、人類の進歩に逆らうことなく、ふたたび本能生活に立ち戻ろうとしても、それは至難の業(わざ)なのです。けれども、私たちは主知主義が達成した明るい意識生活の意味を認めながらも、単なる知性の生活だけでは与えることのできないものを、この明るい意識生活の中で、意識的に、ふたたび手に入れようと試みなければなりません。
 そのために必要なのは、霊的存在と魂的存在についての認識です。」

























































































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本