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鷲巣繁男 『クロノスの深み』

「ぼくは幼少から居心地の惡いところばかりうろついてゐたやうな氣がする。」
(鷲巣繁男 「存在と認證」 より)


鷲巣繁男 
『クロノスの深み』


小澤書店
昭和53年12月15日 第1刷発行
283p 「著書目録・著者現住所」1p
20.3×15cm 丸背布装上製本 貼函
定価2,800円



正字・正かな。
詩論集。「クロノスの深み」は長篇詩論。「天上縊死」は萩原朔太郎・「邪宗門」は北原白秋・「存在と認證」は寺田透について。
鷲巣さんの本はだいぶ集めたのですがどこかへいってしまいました。本書はだいぶまえに新刊書店で2,000円で売られていたのを購入しておいたのが出てきたのでよんでみました。


鷲巣繁男 クロノスの深み 01


帯文:

「「詩歌逍遙游」において、ポエジーの源泉を一巡した著者が、詩と宗教の接點を探って、更に深い追求を試みる力作評論。古今東西に亙る古典を渉獵し、その豐かな學殖と自らの詩人としての經驗をもとに、弛まぬ努力と研鑽の果てに築きあげる確乎たる詩的世界。」


帯背:

「詩と宗教を繋ぐ
 確乎たる詩學―
最新評論集」



帯裏:

「……詩の力能とは何であらうか。詩は喚起するものである。その喚起の中にあつて、「時よ止まれ」と呼ぶものである。特に「美しき時よ止まれ」と――。それは畢竟、「永遠」の思念にかかはるものである。だが、詩人はその「現在」の流す血と涙に、歡びに、嘆きにも深く關はるものである。詩が宗教に近づくのはその時でもある。
(本書「あとがき」より)」



目次:

クロノスの深み
 第一章 年代記に沿つて
 第二章 存在の悲愁
 第三章 柳の枝に
天上縊死
邪宗門
存在と認證
箴言の葉
 Ⅰ
 Ⅱ
 Ⅲ
 Ⅳ
 Ⅴ

あとがき



鷲巣繁男 クロノスの深み 02



◆本書より◆


「クロノスの深み」第一章より:

「わたしは先に、アッシリアの大軍が怖るべき無慈悲さで巨龍のやうに匐ひ廻つたメソポタミアへの夢想を語り始めたところであつた。今、その地圖の上に時間を短縮させて、マーニー教の分布圖やマンダ教の地圖を重合させる時、「年代記」と「祈禱歌」が生けるものとして交感し始めるのを覺える。

  ナベテノ力ヲ無ニ歸セシメツ、カノモノハナベテノ被造物ノ上ニ襲ヒカカル。
  害センガタメ、荒廢セシメンガタメ。
  而シテ、滅亡ハ如何ナル憐レミモ無シ。
  誰ゾ我ヲ解キ放チ、誰ゾ我ヲナベテヨリ遠ザクルゾ。
  コノ地獄ノ苦シミノ我ヲ滅バサザランタメ。

  汝ハコノ深キ虚無ヨリ、ナベテ衰亡スル暗黑ノ淵ヨリ、
  ワレヲ救ヒ得ルヤ。
  責苦ノホカ何モナク、死ニ至ル傷口ノミ。
  シテ、ソコニハ救ヒモ、友モ見出サルコトナシ。

  斷ジテ、斷ジテ、救ヒハソコニ見出サレズ。
  ナベテハ暗黑ニ充タサルルナリ。
  ナベテハ牢獄ニ充タサルルナリ。 
  ……………
  我ハ我ヲ思ヒテ涙シヌ。ワガ救ハレンコトヲ。
  ……………

 これは《地獄について》のトゥルファン出土『マーニー教讃歌』である。それは肉體の牢獄に在る魂の在り樣とされてゐる。しかしながら、わたしはそれが單なる思索の世界であるとは思はない。既に述べた、この世における「力の跳梁」の影がさうした思念の構造に色濃く落されてゐるのではないであらうか。正にそこに「この世」なるものの痛苦と悲慘が頗る多重層的に唱はれてゐるのではないであらうか。
 この世界は力に支配されてゐる。その力は神といふ表象を借りてはゐるが、實は最も「肉體的」なものであり、かのエロースといふもの、生産と生成を司る力能に他ならない。このやうな視點に立てば、最も純粹であるべき魂はその狂暴なエロース原理によつて虐げられてあるものなのである。總じてグノーシス諸派やマーニー教系統の禁欲構造は、この「反生産原理」によつて組み立てられてゐるのではなからうか。そこにはあのセム族が遠い昔にもつた「失墜」の神話があり、「原罪」といふものもこの生産原理による罪であると言へる。「曾て在つたであらう」ものが「曾て在つた」ものに轉置されるところにこれらの思考の共通の型がある。實を言へば、キリスト教といへども、その根をそこに等しくもつてゐる。ただ、マーニーの徒は、その「先在の王國」から魂がこの世に流謫されてゐると考へた。マンダ教徒がこの地上世界(ティビル)を地獄と考へたのと似てゐるのである。『トゥルファン讃歌』の中の《魂の運命》は次のやうに唱ふ。

  光ト神々ヨリ出デテ
  ワレハココニ流謫シ、ソレラト分タレテアリ。

  モロモロノ敵ハ、ワガ上ニ興リ、
  死者タチノ間ニワレヲ連行セリ。
  ワガ魂ヲ苦惱ヨリ解キ放タンモノ、
  解キ放チヲ見出サンモノコソ稱ヘラレン。

  ワレハ一個ノ神ニシテ、神々ヨリ生マレシモノ。
  耀キ、キラメキ、光レルモノ、
  光放ツモノ、香ハシキモノ、美シキモノ、
  サレド今、苦シミニヒシガレテアリ。

  無數ノ惡魔ハワレヲ捉ヘ、
  恐シク、ソハワレヨリワガ力ヲ奪フ。
  ワガ魂ハ度ヲ失フ。
  彼等ハワレヲ咬ミ、寸斷シ、引裂キタリ。
  ……………

 魂の神話について考へたのはもとより彼等だけではない。ピュタゴラスの徒の古い傳承では、魂が肉體の中に幽閉されたのは、超絶的な昔に魂自身が「或る罪を冒したから」であると信じられた。そしてオルペウスの徒も、恐らく遠い昔から――それがあらはになつたのはずつと下つてからであつたとしても――魂の救濟に多くの思ひを凝らしてきたのである。
 わたしは、カタリ派についての權威ルネ・ネリイが一試論『マーニー讃』で「マーニー教は(善と惡の)二神論(デイテイスム)ではなく、無神論(アテイスム)である」と言つたことにいたく心うごかされたことがある。いや、心うごかされたどころではなく、心擾されたのである。」

「マーニー教がキリスト教に非常に接近してゐることは事實である。いささか逆説的な言ひ方をすれば、原始キリスト教のもつてゐた曖昧な個所の秘密を明かすべく起つたグノーシス的教説の強力な一つであるといふことはできる。」



「クロノスの深み」第二章より:

「實は詩人は《いかにして時代の苦惱に即するか、そして同時に時代から超越するか》といふ二律背反的なものの中に引裂れてあるのである。わたしが言う「自覺」とはむしろその認識であつて、オルペウスが裂かれて斷片となつて歌ふといふ神話は正にそれを象徴的に語つてゐる。わたしは遠い昔の吟誦詩人團や宮廷詩人團の中の無名の一員の中に何時どうしてそのやうな思念が芽生えていつたかを考へてゐるのである。サン=ジョン・ペルスが詩を「時代に於るやましさ」と語るまでどれだけの歳月が人類の上を過ぎていつたのだらうか。」


「クロノスの深み」第三章より:

「彼が一九六〇年、ノーベル賞受賞に際して述べた唯一の詩論 Poésie の末尾は Et c'est assez, pour le poète, d'être la mauvaise conscience de son temps. 「そして詩人にとつては、彼がその時代のやましい意識であれば、それで充分なのです。」(多田智満子氏譯)と閉ぢられてゐるが、この簡潔な言葉は、彼自身の主張をも超えて、その高い姿勢自體に「詩人の痛み」を感じないわけにはいかない。」

「奈良や京都が燒き拂はれなかつたことを米軍に感謝する者が多い。殊にそれは文化人と稱される者に多い。(中略)しかし兩都ともに曾ては日本人自らの手によつて内戰のために幾度か兵火を蒙つてゐる。それは日本人の歴史の中で必ずしも絶對冒すべからざる「聖地」ではなかつたからである。(中略)わたしはそれらの財寶が滅びるよりも東京江東地區の多勢の市民が蟲けらのやうに燒き殺されたのを傷む者である。(中略)死んでいつた幾百萬の同胞のみならず、敵として斃したより多くの人々の非運は、われわれの口先だけでの傷みで足りるものではない。(中略)「時代に於るやましさ」とは「一億總懺悔」と指導者がしたり顔をして言ふこととは次元を異にする。生者は常にそれに先立つ死者へのやましさと傷みをもつてゐなければならない。」

「夥しく血を流した沖繩もサイパン島も硫黄島も多くの國民にとつて悼みの島よりも觀光の名所となり果て、そこを訪れる人々はまるで三十數年前に己れや己れの親達が冒した大きな罪障とは何の關はりもないかのやうに生きてゐるのである。ピンダロスが驕りを戒めたやうに、またアイスキュロスが怒りを込めて、力による人間のみじめさを現前せしめたやうな宗教心も理性もこの日本國は思想の中核にもつてはゐないし、イスラエル人がその度重なる苦難の中から常に民族に訴へ續けた悲痛な歌も育たなかつたのである。(中略)その傲慢のいちじるしさは第一次大戰に殆ど局外者としてあつたために得た一時的繁榮からであり、今次敗戰後に奇蹟的復興を遂げたことを、わが國民の勤勉の故とのみ解し、それが朝鮮戰爭やベトナム戰爭といふ他者の夥しい出血と苦惱によつて漁夫の利を得たうしろめたいものであることを務めて蔽ひかくさうとする非倫理的な心理に繋がつてゐるとも知らねばならない。」

「詩人が預言者であるのは、詩人が血を流すものであり引き裂かれる者であるからである。ペルスが詩をその時代におけるやましさと言つたのは密やかな語り口からであり、むしろそれは密やかなだけに痛切なのである。」





こちらもご参照ください:

アレクサンドル・ブローク 『薔薇と十字架』 小平武・鷲巣繁男 訳 (平凡社ライブラリー)






























































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