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岡谷公二 『柳田国男の青春』 

「夢よりもはかなきものは目の前にそゝろうつろふうつゝなりけり」
(柳田国男)


岡谷公二 
『柳田国男の青春』


筑摩書房 
1977年2月25日 第1刷発行
274p 目次2p 索引vii
四六判 丸背紙装上製本 
カバー ビニールカバー
定価1,300円



本書は筑摩叢書版もでていますが、ヤフオクで旧版が124円(+送料126円)で出品されていたのを落札しておいたのが届いたのでよんでみました。


岡谷公二 柳田国男の青春


帯文:

「抒情詩から民俗学への道筋を探る
幼少年期を過した故郷での諸体験、森鷗外との出会いによる文学的目ざめ、抒情詩の発表、そして農政学を経て民俗学の草創まで、柳田国男の青春の軌跡を、広く原資料にあたって検討しなおし、柳田研究に新たな視点を提示する。」



帯裏:

「柳田国男の新体詩をはじめて読んだ時の驚きは忘れがたい。それは実に新鮮なものに思われた。同時に、いくつかの詩に結晶している彼の感受性は、後年の著作の底流をなし、『海上の道』に至って再び露頭している、と感じた。本書は、このときの驚きから生れたといっていい。
(あとがきより)」



目次:

第一章 二つの故郷――辻川と布川
第二章 父母
第三章 鷗外
第四章 松浦辰男と紅葉会
第五章 『文学界』の人たち
第六章 『抒情詩』
第七章 農政学者
第八章 竜土会
第九章 イプセン会
第十章 民俗学へ
第十一章 南方熊楠と新渡戸稲造

あとがき
年譜
人名索引




◆本書より◆


第一章より:

「彼の少年期の記憶の中では、色と光と匂いとがせめぎ合っている。彼は頭だけでなく、全身で物事をおぼえている。おそらくそこに彼の抜群の記憶力の秘密があるのだろう。よく指摘されることだが、とくに匂いの記憶についてこれほど鋭敏な人も珍しい。彼は、母親が毎朝かまどを焚きつけるのに使ったくろもじの木の匂い、有井堂の床の下にもぐりこんだとき嗅いだ匂い(『孤猿随筆』)、亥(い)の子の日に隣近所からもらう餅の重箱の蓋をあけたとき鼻を撲ったそえものの菊の花の薫り(『年中行事覚書』)、かやつり草を折った時の匂い(『野草雑記』)、夏祭の夜の煮詰ってゆくおでんの匂いや、踏み潰された瓜の匂い(『秋風帖』)を決して忘れることがない。彼は、子供のころに読んだ、「西南戦争の前後に出来た本」の持つ「一種特別の臭ひ」(『老読書歴』)を晩年に至るまではっきりとおぼえている。」

「布川での二年間は、国男の一生にあって、きわめて特異な時期である。彼は父母の膝下を離れただけでなく、学校へもゆかず、兄達から特別な監督も受けず、すべての拘束から離れて思うままに暮した。」
「辻川ではぐくまれた彼の自然児的性格が、ここでいっそう助長されることになる。」
「国男のように人並はずれて感受性の鋭い少年の場合、これは一面で、きわめて不安定な、危険に晒された生活だった。生活に現実感を与える学校や職場といった枠組や、世間の束縛や、他人が存在しないため、自他や生死のけじめを失い、生活そのものが幻想と化してしまうおそれがあるからである。しかも彼は、大河や、池や、沼や、古城址や、古い社などに至るところで出会う、暗示に富んだ自然にかこまれていた。この時期に彼がいくつかの神秘的な体験をしているのは、その環境を考えるならば、当然かもしれない。
 たとえば彼は、ある春の日、隣家の庭にある、その家の祖母を屋敷神として祀った小さな石の祠の扉をあけて、その中にはめこまれた「じつに綺麗な蠟石の珠」を見たとたん、興奮して、「何ともいへない妙な気持」になり、しゃがんだまま見上げた青空に、何十という昼の星を見ている(前掲書)。またある日、家の裏手の崖の上の台畑に坐ってこちらを見下していた二匹の狐に見すくめられて体が動かなくなり、しかも翌日、隣家の主人が突然発狂して妻女を斬り殺すという事件がおき、狐とこの事件とは彼のなかで一つにむすびついてしまう(前掲書)。」
「『故郷七十年』の中で語られているこの種の体験は、人称をかえて『遠野物語』や『山の人生』の中に挿入されても、少しも不自然ではあるまい。彼は後年神かくしという現象に異常な関心を抱いたが、彼自身が「隠され易い方の子供であつた」(『山の人生』)し、布川での二年間はもっともかくされやすい時期だった。」



第二章より:

「国男の父操は天保三年生れ、雪香、晩年は約斎と号した。」
「国男自身は父のことを、「単純なる幼年型の伝承者であった」(「柳田国男自伝」)と記している。世事に疎い、神経の細い、内攻的な、子供のような人であったらしい。明治維新の際には、社会の激動についてゆくことができず、ひどい神経衰弱にかかり、一時は座敷牢に入れられていた。たまたま夏のある夜、座敷牢から出して蚊帳の中に休ませておいたところ、不意に姿が見えなくなって大さわぎとなり、八方手をつくして探しまわったら、有井堂の近くの空井戸にひそんでいた、ということもあった(『故郷七十年』)。
 また鳥取の赤碕の漢学塾の先生となって単身赴任したときにも、ホームシックの末、神経衰弱となり、一年余りで帰ってきてしまった。その折、金を持たせると危いというので、知り合いの医者が、あとから操の所持金をとどけてよこした、という(前掲書)。
 中年以後はとくに世間を厭い、つき合いの場所には決して出ようとせず、息子たちが母から口上を教えられて、代理として出るのが常だった(「国語史論」)。晩年はますます子供のようになり、たとえば、これは布川に移ってからの話だが、上野図書館へ本を読みにゆく時には、妻から十銭だけ貰って出かけてゆくという風だった(『故郷七十年』)。
 しかし操は、学者としてはすぐれた天分を持っていた。」
「だが操自身は、その学問を大成させえなかった。(中略)操は、その学問を結実させるに必要な、強い執着心というものを欠いていたように見受けられる。」
「国男はすでに三つ四つのころから父と一緒に寝、「添乳の代りに」話をして貰った。(中略)後年国男はその著作のあちこちに、子供のころ父からきいたこれらの話を書きとめている。」
「操にあっては、学問も、絵も、歌もすべてが真に生活になりきっていた。彼は、稀な、すぐれた教養人だった。国男も含め彼の息子たちの仕事のすべては、彼の中に萌芽としてあったものの発展だったとさえ言い得る。国男に関して言えば、日本古来の信仰、昔話や伝説、古い習俗、妖怪、滑稽談、詩歌、こうしたものに対する関心は、すべて操にもあったものである。だが操が残した最も大きな教訓は、受けつぐということの真の意味を教えたことであろう。それは近代の日本が切り捨て、忘れ去ったものだった。近代日本に対するアンチテーゼとして人々の注目を集めているのは、彼が継承という行為を重視し、それをその思想の根本に据えたからである。操はそれを生活そのものによって、国男に教えたのであった。」



第四章より:

「鷗外とともに、国男の精神形成に大きな影響を与えた人物に、もう一人歌人松浦辰男がいる。」
「辰男の影響は、その人柄を反映して地味で目立たないが、彼の持っていた見えざるものに対する畏れともいうべきものは、国男の思想にあきらかに濃い影を落としている。」
「松浦辰男は、この世の中には現世と幽冥、つまりうつし世とかくり世とがあると信じ、自分のすること、言うことは、つねにある眼に見えない存在に見られ、きかれているとして、深くおのれを慎んで生きた人間である。このような人生観は国男に強い印象を与えたとみえて、彼は幽冥について語るときには決って松浦辰男の名前をあげ、その言葉を引き合いに出している(『先祖の話』他)。
 国男も早くから幽冥に対して関心を抱いてきた。いや、幽冥に対する関心と言うより、うつし世がうつし世だけでは終っていないという漠然たる意識を抱いてきた、と言ったほうが正確かもしれない。彼はすでに辻川時代にいくつかの不思議に遭っているが、布川にいた時の、隣の家の石の祠の扉をあけて蠟石の珠を見たとたんに興奮して、昼の空に何十という星を見たという前述の体験は、たしかにひとつの「神秘な暗示」であった(『故郷七十年』)。しかしこの種の体験は、普通周囲の人々によって理解されず、共有されることもない。」
「そして自分の体験が承認も、共有もされないという事実は、往々その人間に、大きな、存在の根をおびやかすような不安を与え、彼を世界から疎隔させ、孤立させ、狂気へ追いやることさえある。この場合、彼の体験が病的な幻視、幻覚、幻聴ではないという保証はどこにもない。国男はもちろんそこまで追いつめられることはなかったが、不安は尾をひいて、彼のなかに長く残っていたと思われる。このような、自己の存在に対する不安と、現実嫌悪と、うつし世ならぬものに対する憧憬は、国男の新体詩の基調のひとつをなしている。

  うたて此世は をくらきに
  何しにわれは さめつらむ
  いざ今いちど かへらばや
  美くしかりし ゆめの世に (夕ぐれに眠のさめたるとき)

  かのたそがれの国にこそ
  こひしき皆はいますなれ
  うしと此世を見るならば
  我をいざなへゆふづゝ (夕づゝ)

 ところで松浦辰男は、この種の体験の意味を国男に教えた最初の人間だった。国男は辰男において、彼の見た昼の星を嘲笑しない大人にはじめて出会ったのである。国男がその存在を漠然と予感し、憧憬を抱いていたうつし世ならぬものに対し、辰男は幽冥という名を与え、その明確な内容を示した。そればかりか辰男は、長いあいだ受けつがれてきた日本人の世界観の中に、それを位置づけてみせたのである。」



第八章より:

「国男の自我について考えるうえで、彼の幼時のいくつかの神秘的な経験は、大きな意味を持つ。人間は、自我をこえた何ものかによってたえず支配され、動かされている、という事実を、それらの経験は彼に教えた。異常なまでに鋭い感受性を与えられた彼は、自我を、自立すべき個としてより、見えざる世界をも含むひとつの世界を感受する場として意識することが多かったようだ。彼が、自と他、自我と社会、あるいは両者の葛藤という形で自我を意識することが少なかったのは、おそらくそのためである。」
「彼が鏡花を好むのは、鏡花には、「あのと指して型に採つた、時代と云ふもの」がなく、「時代を超絶して居たが故に老いもせず、且つ其夢は自在に美しかつた」(「這箇鏡花観」)からである。つまり近代に生まれ合わせながら、あたうるかぎり時代の束縛から逃れ、自我意識の苦しみに背をむけた、「遠い古代の物思ひが、折々は来り通うて居る」場所に、その世界をきずいたからである。」














































































































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Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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