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伊藤俊治 『バリ島芸術をつくった男』 (平凡社新書)

「現実に生きる人間は、いつも別世界への想像力を必要としている。あるいは現実といわれるものに陶酔によって亀裂を入れ、その価値や体系を揺るがす力を必要としている。本来、人間とその別世界の間を埋める営みが芸術の一つの役割だったのだが、シュピースは絵画によって再びその役割をよみがえらせようとしたのだ。」
(伊藤俊治 『バリ島芸術をつくった男』 より)


伊藤俊治 
『バリ島芸術をつくった男
― ヴァルター・シュピースの
魔術的人生』
 
平凡社新書 126 

平凡社 
2002年1月23日 初版第1刷発行
210p 口絵(カラー)2p
新書判 並装 カバー
定価780円(税別)
装幀: 菊地信義



本文中図版(モノクロ)34点。


伊藤俊治 バリ島芸術をつくった男 01


カバーそで文:

「バリを訪れた人びとを惹きつけるバリ絵画、ケチャ・ダンス、
バロンとランダの闘争を中心にした呪術劇チャロナラン……。
これらはロシア生まれのドイツ人がバリ人と共につくったものだった。
彼は自ら絵を描き、写真を撮り、チャーリー・チャップリン、
コバルビアス、ミード、ベイトソンらの案内役をも務めている。
そして、日本軍の爆撃により四十七歳で不思議な生涯を閉じた。
最良のものをバリに捧げた男の人生をたどり、
“美と祝祭の島”“陶酔の島”の秘密に迫る。」



目次:

序章 プロローグ――陶酔の島へ

第一章 世界を魅了する島
 1 バリの自然と宇宙
  熱帯の楽園
  ヒンズー文化の影響
  祝祭の島
  ドラゴンの上に乗る島
 2 都市のなかの熱帯の夢
  アムステルダムの王立熱帯博物館
  ヨーロッパのデッドエンド
 3 アンリ・ルソーとシュピース
  ルソーの密林画
  “空想の熱帯”
  ルソーの後継者・シュピース
 4 異邦人たちの交通
  小説『バリ島物語』
  チャップリン、コバルビアス、ベイトソン
  バリの理解者

第二章 シュピースとバリ・ルネッサンス
 1 ヨーロッパからアジアへ
  シュピースの少年時代
  ウラルでの抑留生活
  “十一月グループ”への参加
  ヨーロッパからの脱出願望
 2 ジャワからバリへ
  ガムランに魅せられる
  初めてのバリ
  バリにアトリエを借りる
 3 伝統から冒険へ、バリ絵画の展開
  誰もが芸術家の島
  ワヤン様式の伝統絵画
  バリ絵画の新しい波
 4 大いなる生命の力
  ピタ・マハ画家協会とバリ人画家
  バリ絵画の反パノラマ性

第三章 バロンとランダの永遠の闘争
 1 チャロナラン劇の起源
  呪術劇チャロナラン
  バロンとランダの闘争
 2 バロン・ダンスと劇場国家
  バロン・ダンスの再創造
  スペクタクルを目指す国家
  自死と植民者の神話
 3 サンギャンとケチャの誕生
  映画『悪魔の島』とケチャの考案
  トランス儀礼、サンギャン
  光と影のスペクタクル、ケチャ
 4 植民地博覧会とアルトーの残酷演劇
  バリ舞踊団のヨーロッパ公演
  チャロナラン劇の衝撃
  演出家アルトーが感じ取ったもの

第四章 創造の新しい方法と錬金術
 1 “空想の美術館”としてのバリ
  植民地化・観光化とシュピースの戦略
  バリと外部世界の媒介者
 2 アートとサイエンスのはざまで
  ベイトソンとミードの来訪
  シュピースの感化力
  方法論の違いと感情的対立
 3 写真家シュピースの錬金術
  写真で発揮された才能
  シュピースの撮ったケチャ
  映画と写真=ノスフェラトゥとランダ
 4 感覚の動く表象/『バリの舞踊と演劇』
  観光写真に抗して
  バリ島内部者の撮った写真
  『バリの舞踊と演劇』出版の意味

第五章 シュピースの死と再生
 1 抑留と移送、夢の連なり
  新しいアトリエへ
  戦争の影と“魔女狩り”
  シュピースの逮捕
 2 「風景とその子供たち」
  収容所で心のバリを描く
  母なる自然とその子供たち
 3 「金属楽器のためのスケルツォ」
  シュピースの総決算的な作品
  音楽と絵画の交差点
  ガムラン音楽との類似性
  陶酔の絵画
 4 エピローグ――死と再生の旅へ
  シュピースの死
  朽ちてゆく絵画
  どこから来て、どこへゆくのか
  永遠の輪廻

あとがき

引用文献・主要参考文献
ヴァルター・シュピース年譜



伊藤俊治 バリ島芸術をつくった男 02」



◆本書より◆


序章より:

「山も川も、木も花も、虫も獣も、人も精霊も、すべてのものがこの島を舞台に自らの生命を揺り動かし、大いなる劇を演じている。しかもその役割を刻々と変化させて。人々はごく自然に神々や祖霊と交感し、踊りや音楽のなかで動物に変身し、花々はその生と死の循環のなかで精緻な美しい織物を生み出してゆく。
 マディ・クルトネゴロが『スピリット・ジャーニー――バリの大地からのメッセージ』(中略)で言うように、我々の目は太陽と月と草から、鼻は山々から、耳は谷から、血は川から、筋肉は土から、脂肪は泥土から、骨は樹木から、髪の毛は木の根や霊や霧から、呼吸は風からの借りものにすぎない。つまり我々自身のものなど本当はないのだということが、この島では明らかになる。」
「だからこの島で繰り返されるおびただしい数の儀礼や芸能は、人と人とのコミュニケーションというより人と世界のコミュニケーションのためのものだ。それらはこの世界とあの世界を緊密に結びつける交信の手法となり、この世界とあの世界をつなげ、その通路を我々の心が行き来できるようにする営みとなる。本当は人はそうした道が見えなければ生きてゆくことができないのではないかと思う。この島で日々、途方もないエネルギーを費(つい)やし繰り返される儀礼や芸能は、日常のなかでは把握することが困難なもの、聖なる、つかみがたいものをつかまえる方法である。そしてかつて芸術とは、審美的なものでも、現実の模倣でもなく、人間の認識ではとうてい把握できない、こうしたつかみがたいものとの関係に入ることだった。その真実が、まだこの島では生きている。」
「ヨーロッパでの画家や音楽家としてのさまざまな可能性を捨ててジャワへ渡り、一九二五年、とうとう憧れの島バリへたどりついたシュピースは、村人全員が絵描きと言われる“絵画の村”ウブドに到着した夜、暗闇から聞こえてくる呪術的な合唱とともに、陶酔状態に陥る少女たちの妖しくもせつなく、麗しい踊りを目撃する。
 彼女たちの体はまるで夢でつくられているかのようだった。世界で最も美しく、はかない舞踊とシュピースが形容するサンギャン・ドゥダリである。
 シュピースはその踊りを見たとたん、魔法をかけられたかのようになり、自分もその輪舞に加わりたいという激しい衝動を抑えきれなくなってしまう。
 「いっそ、僕も、叫び、一緒になって、踊りたかった。ああ、この神の宿った人々よ」(シュピースの手紙より)
 この後、シュピースはジャワに一度戻るが、バリへの思いは抑えがたく、とうとう二年後、永住を決意してこの島へ帰ってくる。そう、まさにシュピースは自分の家へ戻るように帰ってきたのだ。」
「このように強く激しくシュピースを魅了したバリとはいったいどんな島なのだろうか。そしてシュピースはこの島とどのように関わり、この島からどんなインスピレーションを受け、それを自らの創造に生かしていったのだろうか。またシュピースの表現や思想はこの島でどのような変容をとげ、彼の生はどんな軌跡を描いていったのか。本書はそうしたシュピースとバリ島との出会いから起こった多彩な出来事をひもときながら、創造と陶酔の新しい次元を考えてみようとする試みである。」



第一章より:

「バリはイスラム教国インドネシアのなかで唯一ヒンズー教が勢力を持つ場所である。」
「しかしバリのヒンズーは単なるヒンズーではない。バリ特有のアニミズム(原始宗教)の影響を強く受け、さらにこの島に伝わる古来からの伝承や習慣とも結びつき、多様な要素が渾然一体となった“アガマ・ヒンズー”と呼ばれる、独自の完成された宇宙観や宗教性を形造っているのだ。
 バリをより深く理解するためには、この宇宙的なヴィジョンに触れなくてはならないだろう。それは簡単に言えば、この世には善なる神々とともに、悪しき神々や悪霊たちも存在し、それら相互の混沌としたバランスの上に世界は生成してくるのであり、すべての自然は光闇、善悪、生死というように対になり、それらが複雑な波動を発し、濃密な場を生みだしているということなのだ。
 バリではどこでも、白と黒の格子模様の布が彫像に巻かれているのを見かけるが、これはそうしたバリの宇宙観を反映したものであり、未来永劫終わることのない二極間の闘争をシンボライズしている。バリの人々にとって、人間とはそうした極の間を彷徨(さまよ)い続ける小さな舟なのである。だから彼らは善なる神々に祈ると同時に、悪しき神々にも同じように祈りを捧げ続ける。」



第二章より:

「「小さい頃のことはあまり多くを語ることはない。僕はロシアの壮大な自然のなかで暮らした。母によれば、僕が魅きつけられたただひとつのものは動物だったという。そしてそれは僕の絵の唯一の題材にもなった。いつも生きた蛙やトカゲ、蛇をポケットに入れて走りまわり、夕食の時、それをテーブルの上に出し、両親やお客をびっくりさせていたことを今でも思い出す。大きなものも小さなものも、すべての生物を僕は集めようとした。蝶、カブト虫、トンボ……、(中略)そしてこの自然への愛着や自然科学への興味は、僕の生涯を通じて続くことになる。僕はたぶん、本当は動物学者や植物学者になるべきだったのかもしれない」(シュピースの話、記述より)」

「「ウラルの山々で三年間の抑留生活を過ごし、そこで本当の生活とは何なのかを知り、感じ、見てきた僕にとって、ヨーロッパで寛(くつろ)ぐことは不可能なことでした。ここにいるべきだという感覚を得るためには、自分を成立させているすべてのものを譲り渡さねばならなかったからです。自分自身を売り渡さなくてはならなかった。けれどそれはできませんでした。そのかわり、僕はすべての友人たちと別れを告げ、自分自身を見つけることのできる新しい家を探しに出ねばならなかったのです」(シュピースの手紙より)」

「バリには実は、「芸術」や「芸術家」にあたる言葉はそれまでなかった。絵画や彫刻や音楽や舞踊はそれ自体を独立して目的とした芸術とみなされたことはなかった。それらは決して美的鑑賞のためにつくられたものではなく、みな神々の島に捧げられる生活儀礼の要素だったし、それらをつくりだすのもすべて島民であり、誰もがみな芸術家だったのである。そもそも「芸術」や「芸術家」という概念は世界中どこにでもあるわけではなく、むしろ西欧文化特有のものだと言っていいかもしれない。シュピースはかつてこう語ったことがある。
 「バリの人々はみな畑で働いたり、豚に餌をやったりするのと同じように詠歌を歌ったり、奉納の踊りを踊ったりする。そしてバリの女たちは子供を生んだり、料理をしたりするのと同じように幻想的な芸術作品のような神への供物や細工をつくったり、素晴らしい金や銀の錦を織ったりする。すべてが一つである。それが生きることであり、神聖なことなのだ」(シュピースの手紙より)」

「バリの人々は世界が示すものを描く。木の葉の茂み、樹皮の模様、動物の皮斑、川の流れ、太陽の炎、足跡と影……、そこでは人は、他のものから超越して存在することはない。人間の思考や想像力は、その他の自然の力と結びついた自然な行為である。(中略)彼らは形やイメージを超えたものを大いなる畏れとともに、絵のなかへ呼び込もうとする。そして“描く”という行為のなかで、自分のなかにもその見えないものが入り込んでくる。バリの絵に魔術的な力や神性のようなものがのりうつっているように見えるのは、そのためなのだ。」



第五章より:

「「私はバリが西欧化することを望まない。ツーリストたちはバリを愛してなんかいない。私はそんな人々と関わりたくないのだ」(シュピースの記述より)
 シュピースはいつのまにか自ら観光産業の一部となり、そのイメージを推し進めていたことに深く苦しみ、悔いた。」

「現実に生きる人間は、いつも別世界への想像力を必要としている。あるいは現実といわれるものに陶酔によって亀裂を入れ、その価値や体系を揺るがす力を必要としている。本来、人間とその別世界の間を埋める営みが芸術の一つの役割だったのだが、シュピースは絵画によって再びその役割をよみがえらせようとしたのだ。」

「シュピースは十数年もの歳月をバリで暮らし、精力的にこの島の宇宙と風景を描いた。その作品は数百点ともいわれるが、今、この島には「チャロナラン」一枚しか残されてはいない。シュピースの絵の多くは、今も行方が知れないものがほとんどだ。バリの森のなかに消え去ってしまったかのように。バリの土や水と化していったかのように。」

「バリの人々にとって死は終わりではない。死者は必ず生まれ代わるし、死は生と死の繰り返しのためにある。世界で唯一という公開火葬のおこなわれるこの島の葬儀は、人の魂が天へ昇るための、そして輪廻(りんね)の巨大な流れに参入するための不可欠な行事である。」





こちらもご参照ください:

吉田禎吾 監修 『神々の島 バリ』
伊藤俊治 『唐草抄 ― 装飾文様生命誌』
種村季弘 『魔術的リアリズム』 (PARCO PICTURE BACKS)
アンドレ・ブルトン 『魔術的芸術 普及版』 巖谷國士 監修
岡谷公二 『南海漂蕩 ― ミクロネシアに魅せられた土方久功・杉浦佐助・中島敦』






































































































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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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