FC2ブログ

吉田禎吾 監修 『神々の島 バリ』

「平均律を採用して、可もなく不可もない等質な音階を作るよりも、多少歪んではいても個別的な偏りを好むという傾向がバリ人にはあるようだ。音階に限らず、法則やシステムを統一したり平均化するという方向性は、芸能というものにとって進歩ではないと彼らは考えているように思われる。」
(皆川厚一 「ガムランの体系」 より)


吉田禎吾 監修
河野亮仙+中村潔 編 
『神々の島 バリ
― バリ=ヒンドゥーの
儀礼と芸能』
 

春秋社 
1994年6月10日 初版第1刷発行
1995年2月20日 第3刷発行
4p+243p 「用語解説・索引」7p 
口絵(カラー)8p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,987円(本体2,900円)
本文デザイン・装丁: 岡本洋平
カヴァー: バリ金更紗 岡田コレクション所蔵



表見返しに地図。口絵図版(カラー)19点。本文中図版多数。
本文二段組(「序論」「あとがき」は一段組、第六章・第八章・第十章は三段組)。


吉田禎吾監修 神々の島バリ 01


目次:

序論 バリ文化の深層へ (吉田禎吾)

第一章 バリ島の概観 (嘉原優子)
 はじめに
 バリの自然と人々
 バリの歴史
 バリの行政と産業
 人々の暮らし
 寺院と住居
 暦と祭り

第二章 バリの儀礼と共同体 (中村潔)
 バリ=ヒンドゥー教
 バリ=ヒンドゥー教の神々と宇宙観
 儀礼
 儀礼の種類
 儀礼と共同体

第三章 ヒンドゥー文化としてのバリ (高島淳)
 インドネシアへのヒンドゥー教の伝播
 バリ島のヒンドゥー教
 プダンダの儀礼

第四章 ランダとバロンの来た道 (河野亮仙)
 インド文化の東南アジアへの影響
 インド美術と土着要素の融合
 ランダとバロン
 バロン劇
 チャロン・アラン劇

第五章 儀礼としてのサンギャン (嘉原優子)
 はじめに
 サンギャンの種類
 儀礼の目的・時期・場所について
 A村のサンギャン・ジャラン
 B村のサンギャン・ドゥダリ
 結びにかえて――サンギャン儀礼の現在

第六章 ケチャ/芸能の心身論 (河野亮仙)
 ケチャって何だ?
 ケチャのルーツ
 アルファ波は異常脳波
 電脳ケチャ
 脳内麻薬
 トランス喚起力
 疑似か真性か?――トランスパーソナル芸能学の視点から

第七章 ガムランの体系 (皆川厚一)
 はじめに
 ガムラン楽器の分類
 音階について
 バリのガムランの演奏形態の分類
 芸能の三分類

第八章 バリの口琴 (直川礼緒)
 バリの音風景
 口琴とは何か
 バリの口琴

第九章 呼吸する音の波 (皆川厚一)

第十章 死の儀礼 (高橋明)
 火葬輿を観る――あの世とこの世の空間構成
 通過儀礼――生と死のめぐり
 死の儀礼

付録 バリのカレンダー (中村潔)

あとがき (中村潔)

執筆者略歴
用語解説・索引



吉田禎吾監修 神々の島バリ 02



◆本書より◆


「序論」より:

「バリ人の行なうもう一つの重要な区分は、スカラ(sekala)とニスカラ(niskala)の区別である。スカラは見えるもの、ニスカラは見えないものであるが、これはわれわれの自然と超自然という区分には相当しない。ニスカラは神々、祖霊、邪術の力などだけでなく、人間の表現されない感情とか、時間も含む。今見えないものも後に見えるかも知れない。見えるようになれば、それはスカラに入る。空間は見えるものであり、スカラに入る。」


第一章より:

「バリ人の信仰は、外部の者には非常に理解しにくい。「こんなに信仰心の篤い人々が外国人観光客を騙すはずなどないだろう」というのが、単なる思い込みであると思い知らされることが時にはある。人びとの「宗教的」生活は、彼らにとっては、至極当然の毎日の暮らしなのであり、信仰は生活から離れて独立して人々の心の中にあるのではなく、朝な夕なに神々に供物と祈りを捧げることが彼らの生活の第一前提になっているのである。したがって、彼らの祈りは信仰ではなく生活である。(中略)バリにおいては泥棒でさえ神に祈りを欠かさないであろう。」

「バリでは一九〇六年、オランダ軍の砲撃に対して、バドゥン王国のラジャを中心にププタンと呼ばれる死の行進が行われた。戦いの日、正装したバリ人は、オランダ軍の銃隊に向かって、それがまるで儀式であるかのように突進し、次々と銃弾に倒れたのである。彼らの行動は、オランダ軍に恐怖感さえ与えたという。このププタンが他の王国でも繰り返された後、一九一〇年に完全にバリはオランダ軍の支配下に入った。その後、バリの観光化が始まるのである。」

「準備された食事がすぐに食べられるということはめったにない。食事前に農作業や家事の手伝い等の仕事を終えるのが普通である。したがって彼らには炊きたてのご飯を食べるという習慣はなく、家庭での食事といえば冷たいものである。また家族が揃って食事をするということもないので、食卓のある食堂があったとしても家族の数だけ椅子があるようなことはなく、せいぜい三、四脚程度である。皆、空腹を感じたときに思い思いに食事をするのである。(中略)台所や食堂から食べたいだけの料理を皿に取り分け、外に持ち出して食べることも多い。(中略)食後、昼には二時間程度の昼寝をすることが多い。」



第二章より:

「火葬の際に遺体を納めて運ぶ塔状の御輿「バデ」は次のような構造をしている。下の部分は二匹の蛇がからまった亀を基礎として、隅には森を表現して草花を配して山々を表現した土台がある。その上のバレ・バレアンと呼ばれる部分は天と地の間の空間を表わしている。そしてその上には幾重にも重なる屋根があり、これは多層の天を表わしている。このように、バデの構造はバリ=ヒンドゥー教の宇宙像を表現しているのである。
 バリの絵画によく題材として取り上げられる月蝕および日蝕の由来にもまたバデに表現された世界の姿、蛇のからまる大亀、が現われる。神々に紛れ込み、生命の水アムルタを手に入れた魔神カラ・ラウはアムルタを飲むが、太陽と月にそれを見破られ、嚥下する前に、首を切られてしまい、首だけが永遠の命を得ることになった。怒った魔神は、月と太陽を飲み込むのだが、首だけなので、すぐに外に出てしまう。これが、月蝕と日蝕なのである。」

「バリ人は、人間は受胎から死ぬまでカンダ・ンパット《四人の兄/姉》(羊水、血液、胎盤、そして臍帯がこの四人であると考えられている)と共生していると考えている。この《四人の兄/姉》は正しくとり扱われる限りは本人の守護者となってくれると考えられている。そこで、バリ人は子供が生まれるとその後産を埋め、そこへは毎日供物を捧げる。さらに、臍帯がとれると、それに対しても儀礼が行なわれる。」



第四章より:

「今日ではランダとバロンは対のようにして考えられている。ランダは女、年寄り、悪、夜、病、人間の魔物で「左」の魔術を使う。一方のバロンは男、若者、善、太陽、薬、動物の化物で悪の解毒剤。しかし、両者は決して対極にあるものではなく、ともに善悪の両義を持つファジーな存在だ。俗にいう魔女ランダ(=チャロン・アラン=マヘンドラダッタ)と聖獣バロンの善と悪との闘いという図式は単純すぎる。人によっては、バロンはランダの現れた姿の一つで、供物を捧げて人間側につけてランダに立ち向かわせたのだと説明する。」


第五章より:

「これまでに報告されたサンギャンの種類は現在すでに踊られなくなったものも含めると二十種以上に上る。これらを大別すると、(1)精霊が直接的に踊り手に憑依するもの、(2)何らかの媒介物を使って間接的に精霊が踊り手に憑依するものがあり、さらに後者はその媒介物が動物を模したものである場合と何らかの供物的要素を持ったオブジェである場合がある。彼らの示す憑依状態を示す用語としてもっとも一般的に使用されるものは、ナディ(nadi=なること)、あるいはクラウハン(kerauhan=訪れること)であり、トランス状態にあっては、その人物が別の何ものかになってしまう、あるいは何ものかがその人物に訪れると理解されている。」

「サンギャン・チェエンで使われるものは、椰子の内側の殻を半分に切って中心に穴を開けたもので、日常では米を計量するのに使用される。供物の上に立てた棒にチェエンの穴を通し、そのすぐ横に人物が座り儀礼が始まる。最初、人物はチェエンを両手で支えているが、チェエンとともにそれを摑んだ両手が上下に激しく動きだし、たとえ手を放したとしても動き続けるのだという。ある村では、サンギャンを演じた人物がチェエンを摑んだままその上昇につれてどんどん空へと上っていき、そのまま消えてしまうという事件が起こり、それ以来、危険なサンギャンとして演じられなくなったという。」

「サンギャン・ドゥダリはは二人の少女によって踊られることが多く、踊りを習ったことがないにもかかわらず、トランス状態ではその二人がどんな踊りでも踊れるようになるのだと報告されてきた。」
「サンギャン・ドゥダリは、踊りを習ったことのない少女を何時間も踊らせなければならない儀礼である。多くのサンギャン・ダンサーはトランス状態にあって歌の内容に導かれて踊る。」

「サンギャン儀礼以外でも、(中略)様々な場で、バリの人々はトランス状態を示す。あっけないほど容易に普通の人々がトランス状態に陥るのだ。当然、「なぜ、バリにはそれほどトランスが多いのか」という疑問がでてくる。この問いに答えるには、「人間と自然との目に見える世界の背後で動いている目には見えない力に対する彼らの信仰のリアリティーそのもの」を理解することが不可欠であろう。」



第六章より:

「バリ島の音楽の基本構造にコテカンというテクニックがあり、八ビートを対にして入れ子構造でリズムの表と裏にいれ、二人ないし二組で十六ビートをたたき出す。太鼓のみならずガムランでメロディを演奏する場合も、口琴も、工事のよいとまけのリズムまでもバリではコテカンになっている。ケチャの場合、二組ではなくいくつかのパートに別れているが、端的にいうと打楽器で表現すべきメロディのないリズム・パートを口三味線で唱えているのがケチャだということになる。
 各パートをそれぞれ記すとシリリリ、ポンポンポンと基本的な四拍子を刻むのがタンブール。それに併せて異なる四つのリズムが同時に刻まれる。プニャチャは四拍子の間にチャという叫び声を七回入れる。チャク・リマは四拍子のなかにチャを五回入れるという意味。チャク・ナムはチャを六つという意味。プニャンロットはチャク・ナムを十六分の一後ろにずらして刻む。これら四つが同時進行で刻まれると十六ビートになる。ガムランもそうだが、誰でもできる比較的やさしいパートとやや難しいパートがあるが、全体として構成されたリズム、音楽は非常に高度なものだ。
 また、ガムランでキンコンキンコンと叩いていたとしても、決して奏者は「キンコン」というつまらない「音楽」を演奏しているのではない。頭のなかでは音楽の全体を演奏し、その喜びを享受し、たまたま身体の一部がキンコンを担当している。ケチャの場合でもやはり、自他の心理的な壁を突破してある程度集団で自我を共有することになる。個我が全体の一部に組み込まれてしまっているので、たとえば、ひとりだけチャのリズムを遅く唱えようとしても、もはや、不可能となって集団トランスで半ば自動的に行動してしまう。空を飛ぶ鳥の群れが一瞬にして向きを変えながら飛んで行くように、流れに身を委ね全体の集合的意志に従って動くのだ。」



第七章より:

「バリのガムランの音階は二種類に大別される。一つはスレンドロ、今一つはペログという音階である。両者とも基本的に五音音階であるが、その相違は五つの音を配列する際の、各音間の音程の設定の仕方である。スレンドロの場合は五つの音の間隔がほぼ均等に配列され、一方ペログは広狭二種類の音程の組合せでできている。ガムランには本来、絶対音高や標準ピッチの概念は存在しないので、何ヘルツが基準というふうに表示することはできない。現実に、おなじペログ音階に属するガムランでも、バリ島では各地方によって、その音程、音域の設定が微妙に異なる。むしろその違いをその地方の、あるいはその村の共同体のアイデンティティにしている場合が多い。」
「平均律を採用して、可もなく不可もない等質な音階を作るよりも、多少歪んではいても個別的な偏りを好むという傾向がバリ人にはあるようだ。音階に限らず、法則やシステムを統一したり平均化するという方向性は、芸能というものにとって進歩ではないと彼らは考えているように思われる。」



吉田禎吾監修 神々の島バリ 03


「[中] うさぎのダンス。伴奏は女性だけのガムラン (プリアタン)。」




こちらもご参照ください:

伊藤俊治 『バリ島芸術をつくった男』 (平凡社新書)
巖谷國士 『アジアの不思議な町』
吉田禎吾 『日本の憑きもの』 (中公新書)
ミッシェル・レーリス/ジャックリーヌ・ドランジュ 『黒人アフリカの美術』 岡谷公二 訳 (人類の美術)


































































関連記事
スポンサーサイト



プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本