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唐十郎 『水の廊下』 

「そうすると、人が路頭に迷ってる、迷ってるがゆえにまた呼びあってるというね、なんかそういう人恋しさの風をね、なんていうかなあ、おたがいにさぐり合うっていうの、それをひとつの風景として見てしまうことあるんですけど。」
(唐十郎 『水の廊下』 より)


唐十郎 
『水の廊下』
 
聞き手・構成: 高崎佳修

エー・ジー出版 
1995年11月10日 第1刷発行
238p 口絵(カラー)1葉
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,500円(本体1,456円)
タブロー・写真: 合田佐和子
デザイン: 森崎偏陸



長編インタビューというか、語り下ろし芸談です。本文の下に語注(語注がない場合はカット)が入っています。カラー口絵は合田佐和子作品(表紙中央部分にも使われています)。各章冒頭に「聞き手」の人によると思われる短文と、著者の戯曲からの劇中歌がそれぞれ掲載されています。


唐十郎 水の廊下 01


目次:


水の廊下
菖蒲の歯ざわり
番台の分身
希少価値の人工美人
人恋しさの代理
壁の向こうの人体模型市場

Ⅱ 
街の風景と笛吹き男
脳ミソのなかの妖しい空間
耳許でたなびく妙な温度
人を食ったそそのかし
淀んで止まった水

Ⅲ 
出てこないコメディアン
煎餅の割れる音
蒼ざめるモリエール
醤油の染みの涼しさ
トッポイ影
履かれる女
消えた露路
待機する罪つくり人形
魔物の戯れ


うろたえる財産
飛び込まれるガラス戸
シャシャリ出る謎の役者
ピンクの壁の赤い蚊
脱臼する目線
下界へ抜ける便所窓
タニシの足
エセ都会の人いきれ
逃げるアンズ

あとがき



唐十郎 水の廊下 02


本体表紙。


唐十郎 水の廊下 03



◆本書より◆


「Ⅰ」より:

「僕、中学生になるまでまったく泳げなかったんです。」
「中学に入ると二十五メートルのプールがあったから、そこでなにがなんでも泳げるようになろうと思って、夏休みに独りで特訓しましてね。潜り専門の独自な泳法をあみだした。そしたら休み明けの九月に水泳大会があって、偶然に僕が潜水泳法の種目で選ばれちゃったんです。(中略)もう飛び込んだ瞬間の光景ってのは、いまでも覚えてます。まるで水の廊下だったですね、水中がずうっと。いちばん底に沈んでると、水圧で身体が前へ押し出されるんです。」
「僕の叔父さんはずっと結核のサナトリウムにいた人なんです。毎月病院に払うお金を叔父さんに届けに行くのが、一家のなかで僕の係だったんですよ。行くと、よく来たなっていわれて、でもここはものすごくこわい菌があるから早く帰りなって、釣り竿を買うお金をお駄賃としてくれたことがあるんです。それで買った釣り竿を試してみたくてしようがなくて、餌もついてないその竿を、雨が降ったあと校庭に水たまりができますよね、そこに浮きを浮かべて、じいっと二時間も三時間も見てるんですよ。垂直に立ってる浮きが風ですうっと動くの。それを見てるのが楽しくて。深さ二十センチくらいの水たまりだから下に魚がいるわけないのよ。妄想で一メートルくらいのものが、なんか引っかかったんじゃないかなっていうふうな遊び方をしてるの。それが楽しかったのね。」

「なんていうか、妄想型ですよね、分裂型っていうか。
 だから妄想型ってどういうことかっていうと、たとえば「ジョン・シルバー」って芝居を書いたことがあるんですけど、その芝居のなかで、スティーブンソンの『宝島』っていう児童文学に出てくる海賊ジョン・シルバーが、なぜか浅草の風呂屋の番台に座ってるんです。」
「その理由は、関東大震災のころ、うちのおふくろの実家は浅草で銭湯やってたっていうんだね。その大震災のときに、うちのおふくろが少女時代ですよ、熱湯がドンブラコしてんのがすごくこわくて、あの熱湯をかきまわす足場板を湯舟に渡して、そこを渡ってきたとか、そういう話を聞いてんですよね。そんなエピソードと、震災でものすごい竜巻が吹いて大八車が空を飛んでたとか、そういうのが全部いっしょになってくるでしょ、僕の体験したことのないものが。しかもその銭湯の壁絵には、海が描かれていたっていうんだよ。もう荒海が躍るような、そういう絵があったというんですよ。そうしますと、僕が子供のころ『宝島』って小説読んだときに、いつも「海へ行くぞ」っていってるジョン・シルバーの話が出てくると、風呂屋の絵が海だったってことから、その叫んでるシルバーが番台に座ってるような感じをうけちゃうんだよ。つまり、おふくろの身の上話と、いま読んでいるスティーブンソンの『宝島』がゴチャゴチャになっていっちゃうの。」
「というふうに、ありえないものが強引につながっていっちゃうというふうな脳波っていうのは、DNAがどっかやられてるんじゃないかと思うのよ。それ、妄想でしょうね。その妄想を僕、笑い飛ばさないで、大まじめにずうっとそればっかり考えてるとこ、どっかあるでしょ。ガキのころからあると思うんですよ。うん、ものを書くようになってつながったんだけど。あるとき強引につなげたっていってもいいかな。僕は口の重いガキだったですから、そういうじいっとしてる不気味なガキが、頭んなかで分裂気味に遊ばせたイメージっていうものがあるよね。」
「こないだ、ある精神分析学者と対談したんですよ。ちょうどいい機会だから聞いてみたのね。「僕は分裂気質だとよく人にいわれてんですが、いかがなもんでしょうか。いままで話を聞いてどう思いました、先生」って聞いたらば、「いやあ、あなたは立派な循環気質ですよ」っていわれてホッとしました。つまり、分裂したものも循環してるから、まあいいじゃないかって。(中略)だから、やっぱりもの書いたから、つなげて帳尻合わしてんであって、もの書いてなかったら僕も分裂気質になってた。まず役に立たないでしょうね、社会で。」

「恋愛の話がいちばん悩むんですよ、うん、恋愛失格者だから。あのーなんていうのかな、冒険小説に出てくるひとりの海賊を読みちがえてしまうような頭の持ち主ですから、恋愛するときにおいても女性を読み間違えてしまうのは当り前のことなんでね、これ。ことに、ほら、僕はやっぱり恋を恋するっていうタイプの、憧れの恋愛失格者だからね。」

「三年生になるまで僕はわりと口の重いガキだったんです。おふくろなんかも学校に呼び出されて、ちょっとヘンだから見てくださいっていわれて、廊下の窓越しに僕を見たら、全然黒板のほう見ないで校庭見てボーッとしてる。なんでおまえボーッとしてんだってよくいわれましたけど、僕にとってはただもう、校庭のすべり台のあのローセキを塗ったような石の膚(はだ)が、太陽光線できらきらきらきら照り輝いてるのがあまりにもきれいで、そちらをボーッと見てた、と。一種のフヌケの時間っていうのがあって、ボーッとしてんのがすごく好きだったんで、ただそうしてただけなんだけど。まあそんな状態だから、ちょっと知恵が足んないお子さんかもしれませんよ、なんていわれたんですね。」



「Ⅱ」より:

「まあ、僕自身は不良少年の正反対ですね。魂は不良少年でありたいと思ったけれども、臆病な、なにを考えてんのかわかんない、口の重い表現できないガキで、魚も棲んでいない校庭に釣り糸垂れてじいっとしてたっていうようなね。だから、僕らより上の焼け跡闇市世代ともちがうんです。(中略)あれは少年の眼でも、敗戦のあとの廃墟の広場っていうものを意識した少年でしょ。僕の場合はそのとき五歳ですから。廃墟っていうものが、なんで悲劇なのかよくわかんないでしょ。その、つまり廃墟の原っぱで、いろんな燃え尽きたガラクタをおもちゃにして遊んでいるという世代ですよね。意識んなかではなにが幸か不幸かわかんないわけだけど、そのなかで遊んでんだから、これは夢遊病の季節の世代だと僕はいったことあるんですけど。それがずっと続いてて、いまでもそうですね。」

「で、そのオタク空間の世代と夢遊病の世代は、またちょっとダブるかもしれませんね。」

「でもね、天才っていうのが、ひとりの頭のなかからふつふつと湧き出た豊かなイメージの持ち主っていうんじゃなければ、そういう意味での才能っていうのは、みんなもってるんじゃないかと思うんですよね。つまり天才って、(中略)そいつがふっと社会のなかで浮上した瞬間の位置だね。それはだから、彼がその位置にたどり着いたんじゃなくて、まわりがそれをフワッともち上げたんだって。そういうことってなあい?」

「中也もね、(中略)すごくリリカルな詩人のように思うけど、いろんなエピソード読むと、あれだけ攻撃性のある男っていなかったみたいですね。うん、だから「夜、うつくしい魂は涕(な)いて、――かの女こそ正当(あたりき)なのに――夜、うつくしい魂は涕いて、もう死んだつていいよう……といふのであつた。」なんて、『妹よ』って詩ですよね。僕、大好きなんですけど。こういう詩を書いてても、やさしさを本当にいつもこう腋の下に押さえこんでる、ね、男って感じがするでしょ。」
「いやあ、天才以上の病者だって僕は思うんですよね。(中略)ええ、僕にとっては中也のまえに中也なし、中也のあとにも中也なし。」
「たとえばこうネルの寝巻を着て、モコッと上半身を起こした中也のなんか温度てのが、いつも僕、ワーッと耳許を横切んだよね。あの満月のこと歌った詩があるでしょ。メダルのような月が出ている街角を酔っぱらいが唱いながら横切ってくってやつ。「ただもうラアラア唱ってゆくのだ」ってあるじゃない。あれ、酔っぱらいがなんかダミ声でラアラア、ラアラアっていうそれをさ、ずうっと忘れないで俺たちに聞かしてる中也のなんていうの、息づいてる温度ってたまんなく気がかりですよね。だから賢治のほうが詩人って感じするんだけど、中也のほうはなんかこう、ちょっとアブナイおじさんって感じするんだよなあ。それでいて近しいのよ。うん、困った人ですね、中也なんて。
 これも僕の叔父さんなんですよ。あの結核患者でクリスチャンだった叔父さんがね、大事に『妹よ』っていう詩の切抜きをずうっともってましてね。(中略)それをずっと定期入れに入れてまして、僕にふっと渡してくれた。」

「澁澤さんがね、僕の書いた詩ですごく好きなのがあってね、いつも歌ってくれたんですよ。それ、「アリババの唄」っていうんですけど。「朝は海のなか、昼は丘、夜は川のなか、それはだあれ?」って。(中略)これを「チムチムチェリー」って曲がありまして、その曲に合わせて歌うことができんですよね。で、(中略)これはあのギリシャ悲劇に出てくるオイディプス王の話ってのがあるんですけど、そのなかで諸国を遍歴する王子をつかまえてスフィンクスが問答ふっかけんですよ。(中略)「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足、それはなあに」と。」
「それをだから、えー僕なりにアダプテーションしたんですけど。朝は海のなかっていうのは、お母さんの羊水のなかっていうことです。昼は丘っていうのは、お母さんのおなかから生まれかけた状態。(中略)で、夜は川のなかってのは、捨てられちゃった、川に流されて殺されちゃった、生まれなかった子供っていう、こわいアダプテーション。そんな詩を書いてそういう芝居をやったのね。」
「それを澁澤さんは奥さんといっしょに見にきましてね。で、いつも酔っぱらうと澁澤さんが、歌えーって。僕なんか自分で書いといて二番は忘れちゃったんですけど、澁澤さんはずっと覚えてて、いつも歌ってました。」

「泉鏡花なんて作家は逗子(ずし)に住んでいたことがあったらしくて、はしけに乗ると干潮と満潮で水が上がったり下がったりするでしょ。あれをすごく恐れてたっていいますよね。海の波の変化をすごくこわがってたみたい。僕なんかは、あの男の心をつかむようにせり上がってきたり引いたりするって水、こわいけど、いつまでもこわがってらんねえやって飛びこんじゃうとこがあんだね。飛びこんじゃって、石かかえて、海の底に潜って、そこからふくれ上がったり沈んだりする、その相手の水面の変化見たいって気持ちになっちゃうね。底から見たいのよ、うん。
 海の家でね、半月ばかりアルバイトしたことあるんですよ、大学卒業してからですけど、湘南の茅ヶ崎で。」
「で、朝になると地曳網引くの手伝ったりして。すると、なかに水死人がひとり入っててね。一週間海の底に沈んでた学生でしたけど、腐乱はしてなかった。皮膚の色が白っぽく変わっちゃっててね。すぐ板に乗せて警察に運びましたけど。そうするとまた中原中也の詩を思い出しちゃったりするんだよね。「海にゐるのは、あれは人魚ではないのです。海にゐるのは、あれは、浪ばかり。」って。だからあれも、そういう意味ではこわい詩ですね。」



「Ⅲ」より:

「僕、ねぷたっていうの最初わかんなかったんですけど、眠るなっていう意味の語源から始まったお祭りらしいですね。(中略)で、田植えの時期なんかで忙しいときは、みんな一生懸命働かなきゃいけない。ところが災害が押し寄せるかもしれない。つまり、そういう生産の魔物を押し退けろと。眠るな、眠ってるヒマがないぞと。魔物にも連れていかれんなっていうふうな、そういう要素があってね。(中略)でも僕はその話聞きながら、ただ田植えだ田植えだ、眠るな眠るなだけじゃ、ねぷたのとらえ方としてつまらないじゃないかと。そこで眠っちまってもいいよっていう、つまり魔物といっしょにこう抱っこしあって眠っちゃうということで、魔物と遊んじゃうようなところもお祭りにはあんじゃないかなあ、ということ話したんですけどね。ただ生産のためだけに従属してるようなお祭りなんて、つまらないよね。
 ま、そんなんでね、僕の好きな中世の絵草子で長谷雄(はせお)草子っていうのあんですけど、それを持っていってね、ちょっと話したんです。中世に長谷雄というひとりの男がいて、京都の朱雀大路の端にある朱雀門、そこに鬼がいるんですね。で、(中略)その鬼と勝負して、双六に勝ったらなにをもらうかっていうときに、長谷雄は鬼がつくった人工美人をくれっていっちゃうんです。その朱雀門の周辺にはいろんな死体が累々としてて、死体のいいところばっかりを集めてつくりあげた人工美人がいるんだね。長谷雄は鬼に勝って、これを鬼からもらっちゃうんですよ。で、その人工美人を自分の家に連れてくるときに、鬼にこういわれるんですね。その人形と百日は寝るなって。寝たらば、人形はそれでもって、いなくなるって。そして屋敷に連れてきて人工美人といっしょに暮らすんだけど、やっぱり約束した日が守れなくなって、その人形を抱いちゃうんですよね。とたんにそれが破れて水になって、廊下から垂れて、庭のほうまで流れてくるっていう、すごく面白い絵が載ってんですよ。その絵、素敵ですよお。
 で、ねぷた祭りの人たちにその絵を見せましてね、人間はこうやって鬼とも遊ぶんだって話をしちゃったんですよ。魔物とかなんかを排除したいっていうふうな衝動で、ねぷた祭りができたっていうけど、つまり生産をこわしにかかる魔物とも寝ちゃうっていうか、なんていうの、いっしょに愉しく睦みあうっていうか、戯れるっていうふうな時空間もお祭りにはあるんじゃないかっていうことをね。」
「その忘れがたい長谷雄草子の絵巻のなかにも、不思議な水が出てくんですよね。それはただの物理としての水じゃなくてね、なんか粘液のようにも見えますよね、その水の絵が。ほんで、そのお屋敷の縁側がまたなかなか面白い構造で描かれてて、その奥の畳の上にいる長谷雄の格好と、それから抱かれかかって崩れちゃった女のその衣裳がね、源氏物語の絵巻に出てくるような、ああいう感じの十二単みたいな着物。それがぐずぐずと崩れかかった姿。そんで首がちょっと見えないんだな。で、もう首から下は水になっててね。この縁側の板の上をすーっと水がすべって、植え込みにある庭のほうに垂れていくってのがね、なんていうのか、羊水のようにも見えるしね、それからケガしたときに血が出たあとの、ほらリンパ液のようにも見えるし。こわいですよお、水っていうのは。でもさ、考えようによっては、これもやっぱり笑っちゃうような話だよね。」



「Ⅳ」より:

「それから匂いガラスなんていうの、小学校のころダチ公がみんな持っててね。匂いガラスってのは、あれはね、B29の風防ガラスの破片だともいわれてるんですけど。いわゆる、そういう合成樹脂のガラス体というものは日本でもつくってたと。たとえばゼロ戦の風防ガラスもそういう樹脂であったと。だからフィリピンなんかで墜落した日本のゼロ戦、隼とかあの手の飛行機の風防ガラスは、ジャングルに飛び散ってる破片、それさえもつかんで擦ると甘酸っぱいリンゴの匂いがするって話を、どっかで聞いたことありましたけどね。
 で、僕の場合は焼野原にそういう破片がころがっててね、(中略)その破片持って机に擦りつけて、ふっと鼻を押しつけるとリンゴの匂いがくすぶるんですね。これが宝物でね。(中略)あれはいまでも僕、探したいですよ。だから新宿とか大久保あたりの、ちょっと密航してきたフィリピンの女の子なんかがこっそり持ってたらいいんじゃないかなって。」



唐十郎 水の廊下 04


唐十郎 水の廊下 05




こちらもご参照ください:

澁澤龍子 『澁澤龍彦との日々』 (白水uブックス)
岩本素白 『素白随筆集 ― 山居俗情・素白集』 (平凡社ライブラリー)
兵藤裕己 『琵琶法師 ― 〈異界〉を語る人びと』 (岩波新書)





















































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

すきなことば: 「だれもいない」「ギブアウェイ」「ウポポイ」「隠密」
きらいなことば: 「人と人とのつながり」「キャリアアップ」「ほぼほぼ」「三密」

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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