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『バルチュス展 カタログ』 (1984年)

「それと言うのも、猫は「たしかに」猫であることは決してないからである。飼い馴らされることをずっと拒否して来たその長い歴史、長い間人間の傍らで演じて来たその際立った役割、今日でもなお人が信じ続けているその神秘的な魔力等は、猫をすべての被造物のなかでも特別の動物たらしめている。それがわれわれのそばに居るということは、今でもひとつの謎なのである。」
(ジャン・クレール 「エロスの変貌」 より)


『バルチュス展 
カタログ』

監修: 高階秀爾
編集: 京都国立近代美術館/朝日新聞社
制作: 美術出版デザインセンター

朝日新聞社 
1984
125p 
27×22.8cm 並装


1984年6月17日―7月22日
京都市美術館



本文セピア色印刷。
出品作図版55点、部分拡大図15点。巻頭にバルテュス肖像(1956年、シャッシーで)1点、「エロスの変貌」に参考図版(モノクロ)42点、「年譜」に写真図版(モノクロ)2点。


バルチュス展 01


内容:

あいさつ (京都国立近代美術館/ポンピドー・センター国立近代美術館/朝日新聞社)
Remerciments
Message des organisateurs (Musée National d'Art Moderne de Kyoto / Centre national d'art et de culture Georges Pompidou, Musée national d'art moderne, Paris / Asahi Shimbun)

バルチュス、または存在の神秘 (高階秀爾)
バルチュスの教え (フェデリコ・フェリーニ/訳: 太田泰人)
エロスの変貌 (ジャン・クレール/訳: 高階秀爾)

カタログ
 1 河岸 1929年 油彩 
 2 山(夏) 1937年 油彩 
 3 白いスカート 1937 油彩
 4 子供たち 1937 油彩
 5 ホアン・ミロとその娘ドロレス 1937―38 油彩
 6 ラルシャン 1939 油彩
 7 おやつの時間 1940 油彩
 8 客間 1941―43 油彩
 9 シャンプロヴァンの風景 1941―45 油彩
 10 美しい日々 1945―46 油彩 
 11 ローランス・Bの肖像 1947 油彩 
 12 金魚 1948 油彩 
 13 「コメルス・サンタンドレ小路」のための習作 1950 油彩 
 14 コメルス・サンタンドレ小路 1952―54 油彩
 15 部屋 1952―54 油彩
 16 樹木のある大きな風景(三角の畑) 1955 油彩 
 17 パシアンス遊び 1954―55 油彩 
 18 白い部屋着の少女 1955 油彩 
 19 夢Ⅰ 1955 油彩 
 20 黄金の午後 1956 油彩 
 21 読書する少女 1957 油彩 
 22 青いバスローブの少女 1958 カゼイン・テンペラ
 23 昼寝 1958 油彩 
 24 アトリエの静物 1958 油彩 
 25 ランプのある静物 1958 油彩 
 26 シャッシーの農家の中庭 1960 油彩
 27 樹のある大きな風景 1960 油彩 
 28 蛾 1959―60 油彩 
 29 三人の姉妹 1959―64 油彩
 30 モンテ・カルヴェルロの風景 1977―80 カゼイン・テンペラ
 31 画家とモデル 1980―81 カゼイン・テンペラ
 32 スカーフを持つ裸婦 1981―82 油彩
 33 鏡を持つ裸婦 1982―83 油彩
 34 『嵐が丘』のための習作 1932―33 ペン・墨
 35 アントナン・アルトー 1935 ペン・墨
 36 『チェンチ一族』のためのエスキース 1935 ペン・墨
 37 樹の習作(シャンプロヴァン) 1939 ペン・淡彩
 38 Aの肖像 1943 鉛筆
 39 ジャネットの肖像(眠る女) 1943 鉛筆
 40 自画像 1943 鉛筆
 41 「部屋」のための習作 1949 鉛筆
 42 暖炉の前の裸婦 1954 鉛筆
 43 夢 1956 鉛筆
 44 「モルヴァン」のための習作 1955 水彩
 45 「夢Ⅰ」のための習作 1955 水彩
 46 静物(マルメロと梨) 1956頃 水彩
 47 静物(四つのリンゴ) 1956頃 水彩
 48 「海辺の少女」のための習作 1957 水彩
 49 果物のある静物 1963 水彩
 50 少女の習作 1963 鉛筆
 51 座る少女 1972 鉛筆
 52 モンテ・カルヴェルロの風景 1972 水彩
 53 ミケリーナⅠ  1973 鉛筆・木炭
 54 ふたつの薔薇 1974頃 鉛筆・木炭
 55 籠のある静物 水彩

出品作品一覧
略年譜
Expositions personnelles
Expositions collectives
Bibliographie

Les métamorphoses d'Eros (Jean Clair)



バルチュス展 02



◆本書より◆


「エロスの変貌」(ジャン・クレール)より:

「なぜなら、彼らの場合、「世界は終末を迎えるだろう」という予感は、きわめて緊急な、そして最も内面的な表現として捉えるべきだからである。特にバルチュスは、大部分の人ならずっと後になってからようやく感じるような、あるいは生涯まったく感じないですませるようなこの予感を、きわめて早くから個人の問題として感じていた。つまり、世界が終末を迎えるであろうということは、「幼年時代が終末を迎えるであろう」ということである。終末を迎えようとしているが故に、幼年時代は、永遠に未完成のままで終らざるを得ない。それは、哲学で語られているあの「未完成の投企」として永遠に人間のなかに残っているような幼年時代である。それは、人が生きている間に具体的にその傷口の痛みを感じることの出来る唯一の未完成であり、また、芸術家が作品制作の源泉とすることの出来る唯一のものである。すなわち、幼年時代が予感させるだけで終ってしまったものを、作品は現実に実現して見せる。世界が終りに近づいており、自己の内部の精神的なものが時とともに次第に失われて行くという感覚は、それ故、はかない喜びに満たされたこの無垢の楽園もやがては閉ざされて、もはやそこに立ち戻る術は何もないということを、自己の内部の奥深いところから、それも時にきわめて早い時期に予告してくれたあの個人の魂の囁きを、人類一般にまで拡げたものに他ならないのである。だがそこに立ち戻る術は何もないのだろうか? あるとすれば、芸術のもたらす幻影だけである。

 このようにして、幼年時代の無限の未完成に向けられた作品は、この未完成を郷愁をこめて自己の内部で育てること、すなわち憂鬱のなかに、単に作品としてのみならず、本質的に「芸術」作品として自己を実現するための活力を見出すことになる。つまりそれは、この芸術がわれわれにとって「過去のもの」となってしまったという事実にもかかわらず(引用者注: 「にもかかわらず」に傍点)そうなるのではなく、「芸術」がもはや「過去のもの」として以外のあり方では存在し得なくなったが故にそうならざるを得ないのであり、逆説的な言い方ながら、そこにこそ近代の条件が、そしてその悲惨と栄光が、その深淵と活力があるのである。

 このような事情から、近代の憂鬱は、ルネッサンス期の憂鬱とは違って、きわめて急進的な憂鬱であって、単に創造者の気質に関するものではなく、今や創造行為に内在する本質的なものとなったのである。」




バルチュス展 05


「美しい日々」


バルチュス展 03


「コメルス・サンタンドレ小路」


バルチュス展 04


「画家とモデル」




こちらもご参照ください:

阿部良雄・與謝野文子 編 『バルテュス』 (新装復刊)
ピエール・クロソフスキー 『ディアーナの水浴』 宮川淳・豊崎光一 訳



































































































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難破した人々の為に。

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