FC2ブログ

鈴木牧之 編撰/京山人百樹 刪定/岡田武松 校訂 『北越雪譜』 (岩波文庫)

「雪中に籠(こも)り居(ゐ)て朝夕をなすものは人と熊と也。」
(鈴木牧之 『北越雪譜』 より)


鈴木牧之 編撰
京山人百樹 刪定
岡田武松 校訂 
『北越雪譜』
 
岩波文庫 黄/30-226-1 

岩波書店 
1936年1月10日 第1刷発行
1978年3月16日 第22刷改版発行
1987年5月11日 第33刷発行
348p
文庫判 並装 カバー
定価500円



本書「校訂の方針について」より:

「〇初刷版本を底本とし、明らかな誤字・重複・脱字等を正した。」


巻頭に図版「牧之翁木像」、「『北越雪譜』のこと」に地図2点、本文中挿画図版多数。


北越雪譜 01


カバー文:

「美しく舞い散る雪も、ここ北越塩沢の地ではすさまじい自然の脅威となり、人々の暮しを圧迫しつづける。著者牧之(1770-1842)は、雪とたたかい、雪と共に生き、雪の中に死んでゆく里人の風俗習慣や生活を、雪国の動物と人間のかかわりや雪中の幽霊のような奇現象とともに、珍しい挿絵をまじえて紹介する。江戸期の雪国百科全書。」


目次:

第三刷序文 (岡田武松/昭和12年8月15日)

北越雪譜初編巻之上
 地気(ちき)雪(ゆき)と成(な)る弁(べん)
 雪の形状(かたち)
 雪の深浅(しんせん)
 雪意(もよひ)
 雪の用意(ようい)
 初(はつ)雪
 雪の堆量(たかさ)
 雪竿(さを)
 雪を払(はら)ふ
 沫(あわ)雪
 雪道(みち)
 雪蟄(こもり)
 胎内潜(たいないくゞり)
 雪中の洪水(こうずゐ)
 熊捕(くまとり) 並 白熊(しろくま)
 熊人を助(たすく)
 雪中の虫(むし)
 雪吹(ふゞき)
 雪中の火
 破目山(われめきやま)
 雪頽(なだれ)
  通計 二十一条

北越雪譜初編巻之中
 雪頽(なだれ)人に災(わざはひ)す
 寺の雪頽(なだれ)
 玉山翁が雪の図(づ)
 越後縮(ちゞみ)
 縮の種類(しゆるゐ)
 縮の紵績(をうみ)
 縷綸(いとによる)
 織婦(はたおりをんな)
 織婦(はたおりをんな)の発狂(きちがひ)
 御機屋(おはたや)
 御機屋の霊威(れいゐ)
 縮(ちゞみ)を曬(さら)す 並 縮の市
 ほふら
 雪中(せつちゆう)花水祝(はなみづいは)ひ
 菱山(ひしやま)の奇事(きじ)
 秋山の古風(こふう)
 狐火
 狐を捕(と)る
 雁(がん)の代見立(しろみたて)
 天の網(あみ)
 雁(がん)の総立(そうだち)
 渋海川(しぶみがは)ざい渉(わた)り
  通計 二十四条

北越雪譜二編巻之一
 越後の城下
 古哥(こか)ある旧蹟(きうせき)
 雪の元日
 雪の正月
 玉栗(たまくり)・羽子擢(はごつき)
 雪吹(ふゞき)に焼飯(やきめし)を売(うる)
 雪中の戯場(しばゐ)
 家内の冰柱(つらゝ)
 雪中(せつちゆう)の用具(ようぐ)
 輴(そり)の説(せつ)
 寒気(かんき)の力(ちから)
 シガ
 夏の雪
 削冰(けづりひ)
 雪の多少
 浦佐(うらさ)の堂参(だうまゐり)
  通計 十六条

北越雪譜二編巻之二
 雪頽(なだれ)に熊(くま)を得(う)る
 雪頽(なだれ)の難(なん)
 雪中(せつちゆう)の葬式(さうしき)
 竜燈(りうとう)
 芭蕉翁(はせををう)が遺墨(ゐぼく)
 芭蕉(はせを)略伝(りやくでん)
 はせをの容㒵(かほかたち)
 化石渓(くわせきだに)
 亀の化石(くわせき)
 夜光(やくわう)の玉
 餅花(もちはな)
 斎(さい)の神(かみ)勧進(くわんじん)
 斎(さい)の神(かみ)祭事(さいじ)
 天麩羅(てんふら)の始原(はじまり)
 煉羊羹(ねりやうかん)の起立(はじめ)
 雪中の狼(おほかみ)
  通計 十六条

北越雪譜二編巻之三
 鳥追櫓(とりおひやぐら)
 雪霜
 地獄谷(ぢごくたに)の火(ひ)
 越後の人物(じんぶつ)
 無縫塔(むほうたふ)
 北高和尚(ほくかうわせう)
 年賀(ねんが)の哥(うた)
 逃入村(にごりむら)の不思議(ふしぎ)
 菅神(くわんじん)御伝略(ごでんりやく)
 田代(たしろ)の七ツ釜(かま)
  通計 十条

北越雪譜二編巻之四
 異獣(ゐじう)
 火浣布(くわくわんふ)
 弘智法印(こうちほふいん)
 土中(どちゆう)の舟(ふね)
 白烏(しろからす)
 両頭(りやうとう)の蛇(へび)
 浮島(うきしま)
 石打明神(いしうちみやうじん)
 美人(びじん)
 峨眉山下標準(がびさんかのみちしるべ)
 苗場山(なへばさん)
 三四月の雪
 鶴(つる)恩(おん)に報(むく)ゆ
  通計 十三条

註解
解説 (岡田武松)
『北越雪譜』のこと (益田勝美)
校訂の方針について



北越雪譜 05



◆本書より◆


「初編 巻之上」より:

「〇 雪の形(かたち)」
「凡(およそ)物を視(み)るに眼力(がんりき)の限(かぎ)りありて其外(そのほか)を視るべからず。されば人の肉眼(にくがん)を以雪をみれば一片(ひとひら)の鵞毛(がまう)のごとくなれども、数(す)十百片(へん)の雪花(ゆき)を併合(よせあはせ)て一片(へん)の鵞毛を為(なす)也。是を験微鏡(むしめがね)に照(てら)し視(み)れば、天造(てんざう)の細工したる雪の形状(かたち)奇々(きゝ)妙々なる事下に図(づ)するが如(ごと)し。其形(そのかたち)の斉(ひとし)からざるは、かの冷際(れいさい)に於て雪となる時冷際の気運(きうん)ひとしからざるゆゑ、雪の形(かたち)気(き)に応(おう)じて同(おな)じからざる也。しかれども肉眼(にくがん)のおよばざる至微物(こまかきもの)ゆゑ、昨日(きのふ)の雪(ゆき)も今日(けふ)の雪も一望(ばう)の白糢糊(はくもこ)を為(なす)のみ。下の図(づ)は天保三年許鹿君(きよろくくん)の高撰(かうせん)雪花図説(せつくわづせつ)に在(あ)る所(ところ)、雪花(せつくわ)五十五品(ひん)の内を謄写(すきうつし)にす。雪(ゆき)六出(りくしゆつ)を為(なす)。 御説(せつ)に曰(いはく)「凡(およそ)物(もの)方体(はうたい)は 四角なるをいふ 必(かならず)八を以て一を囲(かこ)み円体(ゑんたい)は 丸をいふ 六を以て一を囲(かこ)む定理(ぢやうり)中の定数(ぢやうすう)誣(しふ)べからず」云々。雪を六(むつ)の花(はな)といふ事 御説(せつ)を以しるべし。愚(ぐ) 按(あんずる)に円(まろき)は天の正象(しやう)、方(かく)は地の実位(じつゐ)也。天地の気中に活動(はたらき)する万物悉(ことごと)く方円(はうゑん)の形(かたち)を失(うしな)はず、その一を以いふべし、人の体(からだ)方(かく)にして方(かく)ならず、円(まろ)くして円からず。是天地方円(はうゑん)の間(あひだ)に生育(そだつ)ゆゑに、天地の象(かたち)をはなれざる事子の親に似(に)るに相同じ。雪の六出(りくしゆつ)する所以(ゆゑん)は、物(もの)の員(かず)長数(ちやうすう)は陰(いん)半数(はんすう)は陽(やう)也。人の体(からだ)男は陽(やう)なるゆゑ九出(きうしゆつ)し ●頭●両耳●鼻●両手●両足●男根 女は十出(しゆつ)す。 男根なく両乳あり 九は半(はん)の陽(やう)十は長の陰(いん)也。しかれども陰陽和合して人を為(なす)ゆゑ、男に無用の両乳(りやうちゝ)ありて女の陰にかたどり、女に不用(ふよう)の陰舌(いんぜつ)ありて男にかたどる。気中に活動(はたらく)万物(ばんぶつ)此理(り)に漏(もる)る事なし。雪は活物(いきたるもの)にあらざれども変(へん)ずる所(ところ)に活動(はたらき)の気あるゆゑに、六出(りくしゆつ)したる形(かたち)の陰中(いんちゆう)或は陽(よう)に象(かたど)る円形(まろきかたち)を具(ぐ)したるもあり。水は極陰(ごくいん)の物なれども一滴(ひとしづく)おとす時はかならず円形(ゑんけい)をなす。落(おつ)るところに活(はたら)く萌(きざし)あるゆゑに陰にして陽の円(まろき)をうしなはざる也。天地気中の機関(からくり)定理(ぢやうり)定格(ぢやうかく)ある事奇々(きゝ)妙々(めうめう)愚筆(ぐひつ)に尽(つく)しがたし。」

「〇熊人を助(たすく)」
「人熊の穴に墜(おちいり)て熊に助られしといふ話(はなし)諸書(しよしよ)に散見(さんけん)すれども、其実地(じつち)をふみたる人の語(かた)りしは珍(めづらし)ければこゝに記(しる)す。
〇余(よ)若かりし時、妻有(つまあり)の庄(しやう)に 魚沼郡の内に在 用ありて両三日逗留(とうりう)せし事ありき。頃(ころ)は夏なりしゆゑ客舎(やどりしいへ)の庭(には)の木(こ)かげに筵(むしろ)をしきて納涼(すゞみ)居しに、主人(あるじ)は酒を好(この)む人にて酒肴(しゆかう)をこゝに開き、余(よ)は酒をば嗜(すか)ざるゆゑ茶を喫(のみ)て居たりしに、一老夫(いちらうふ)こゝに来り主人を視(み)て拱手(てをさげ)て礼をなし後園(うらのかた)へ行んとせしを、主(あるじ)呼(よび)とめ老(らう)夫を指(ゆびさし)ていふやう、此叟父(おやぢ)は壮年時(わかきとき)熊に助られたる人也、危(あやふ)き命(いのち)をたすかり今年八十二まで健(すこやか)に長生(ながいき)するは可賀(めでたき)老人也、識面(ちかづき)になり給へといふ。老夫莞爾(にこり)として再(ふたゝび)去(さら)んとす。余(よ)よびとゞめ、熊に助られしとは珍説(ちんせつ)也語りて聞せ給へといひしに、主人(あるじ)余(よ)が前に在し茶盌(ちやわん)をとりてまづ一盃喫(のめ)とて酒を満盌(なみなみ)とつぎければ、老夫(らうふ)筵(むしろ)の端(はし)に坐し酒を視(み)て笑(ゑみ)をふくみ続(つゞけ)て三盌(ばい)を喫(きつ)し舌鼓(したうち)して大に喜(よろこ)び、さらば話説(はなし)申さん、我廿歳(はたちのとし)二月のはじめ薪(たきゞ)をとらんとて雪車(そり)を引(ひき)て山に入りしに、村にちかき所は皆伐(きり)つくしてたまたまあるも足場あしきゆゑ、山一重(ひとへ)踰(こえ)て見るに、薪とすべき柴あまたありしゆゑ自在(じざい)に伐(きり)とり、雪車(そり)哥うたひながら徐々(しづかに)束(たばね)、雪車に積(つみ)て縛つけ山刀(やまかたな)をさしいれ、低(ひくき)に随(したがつ)て今来りたる方へ乗下(のりくだ)りたるに、一束(いつそく)の柴雪車より転(まろ)び落(おち)、谷を埋(うづめ)たる雪の裂隙(われめ)にはさまり 凍りし雪陽気を得て裂る事常也 たるゆゑ、捨て皈(かへら)んも惜(をし)ければその所にいたり柴の枝に手をかけ引上んとするにすこしも動(うごか)ず、落たる勢(いきほひ)に撞(つき)いれたるならん、さらば重(おもき)かたより引上んと匍匐(はらばひ)して双手(もろて)を延(のば)し一声かけて上んとしたる時、足に蹈(ふむ)力なきゆゑおのれがちからに己(おのれ)が躰(からだ)を転倒(ひきくらかへし)、雪の裂隙(われめ)より遙(はるか)の谷底へ墜(おちいり)けるが、雪の上を濘(すべり)落たるゆゑ幸(さいはひ)に疵(きず)はうけず、しばしは夢のやう也しがやうやうに心付、上を見れば雪の屏風(びやうぶ)を建(たて)たるがごとく今にも雪頽(なだれ)やせんと なだれのおそろしき事下にしるす 生(いき)たる心地はなく、暗(くらさ)はくらし、せめては明方(あかるきかた)にいでんと雪に埋(うまり)たる狭(せまき)谷間(たにあひ)をつたひ、やうやうにして空(そら)を見る所にいたりしに、谷底の雪中寒(さむさ)烈(はげ)しく手足も亀手(かゞまり)一歩(ひとあし)もはこびがたく、かくては凍死(こゞえしぬ)べしと心を励(はげま)し猶途(みち)もあるかと百歩(はんちやう)ばかり行たりけん、滝ある所にいたり四方を見るに、谷間の途極(ゆきとまり)にて甕(かめ)に落たる鼠(ねずみ)のごとくいかんともせんすべなく惘然(ばうぜん)として胸(むね)せまり、いかゞせんといふ思案(しあん)さへ出ざりき。さて是より熊の話(はなし)也。今一盃たまはるべしとて自(みづから)酌(つぎ)てしきりに喫(のみ)、腰(こし)より烟艸帒(たばこいれ)をいだして烟(たばこ)を吹(のみ)などするゆゑ、其次(つぎ)はいかにとたづねければ、老父(らうふ)曰(いはく)、さて傍(かたはら)を見れば潜(くゞる)べきほどの岩窟(いはあな)あり、中には雪もなきゆゑはひりて見るにすこし温(あたゝか)也。此時こゝろづきて腰をさぐりみるに握飯(にぎりめし)の弁当(べんたう)もいつかおとしたり、かくては飢死(うゑじに)すべし、さりながら雪を喰(くらひ)ても五日や十日は命あるべし、その内には雪車哥(そりうた)の声(こゑ)さへ聞(きこゆ)れば村の者也、大声あげて叫(よば)らば助(たすけ)くれべし、それにつけてもお伊勢さまと善光寺さまをおたのみ申よりほかなしと、しきりに念仏唱(とな)へ、大神宮をいのり日もくれかゝりしゆゑ、こゝを寝所(ねどころ)にせばやと闇地(くらがり)を探(さぐ)り探り這(は)入りて見るに次第(しだい)に温(あたゝか)也。猶(なほ)も探(さぐ)りし手先(てさき)に障(さはり)しは正(まさ)しく熊也。愕然(びつくり)して胸(むね)も裂(さけ)るやう也しが逃(にげる)に道なく、とても命の期(きは)なり死(しぬ)も生(いきる)も神仏にまかすべしと覚悟(かくご)をきはめ、いかに熊どの我(わし)は薪(たきゞ)とりに来り谷へ落(おち)たるもの也、皈(かへる)には道がなく生(いき)て居(をる)には喰(くひ)物がなし、とても死(しぬ)べき命也、擘(ひきさき)て殺(ころさ)ばころし給へ、もし情(なさけ)あらば助たまへと怖々(こはこは)熊を撫(なで)ければ、熊は起(おき)なほりたるやうにてありしが、しばしありてすゝみいで我(わし)を尻(しり)にておしやるゆゑ、熊の居(ゐ)たる跡へ坐(すはり)しにそのあたゝかなる事巨燵(こたつ)にあたるごとく全身(みうち)あたゝまりて寒(さむさ)をわすれしゆゑ。熊にさまざま礼をのべ猶もたすけ玉へと種々(いろいろ)悲(かな)しき事をいひしに、熊手をあげて我(わし)が口へ柔(やはらか)におしあてる事たびたび也しゆゑ、蟻(あり)の事をおもひだし舐(なめ)てみれば甘(あま)くてすこし苦(にが)し。しきりになめたれば心爽(さはやか)になり咽(のど)も潤(うるほ)ひしに、熊は鼻息(はないき)を鳴(なら)して寝(ねいる)やう也。さては我を助(たすく)るならんと心大におちつき、のちは熊と脊(せなか)をならべて臥(ふし)しが宿の事をのみおもひて眠気(ねむけ)もつかず、おもひおもひてのちはいつか寝入(ねいり)たり。かくて熊の身動(みうごき)をしたるに目さめてみれば、穴の口見ゆるゆゑ夜の明(あけ)たるをしり、穴をはひいで、もしやかへるべき道もあるか、山にのぼるべき藤(ふぢ)づるにてもあるかとあちこち見れどもなし、熊も穴をいでゝ滝壺(たきつぼ)にいたり水をのみし時はじめて熊を見れば、犬を七ツもよせたるほどの大熊也。又もとの窟(あな)へはいりしゆゑ我(わし)は窟(あな)の口に居(ゐ)て雪車哥(そりうた)のこゑやすらんと耳(みゝ)を澄(すま)して聞居(きゝゐ)たりしが、滝の音のみにて鳥の音(ね)もきかず、その日もむなしく暮(くれ)て又穴に一夜をあかし、熊の掌(て)に飢(うゑ)をしのぎ、幾日(いくか)たちても哥はきかず、この心細(ほそ)き事いはんかたなし。されど熊は次第(しだい)に馴(なれ)可愛(かあいく)なりしと語るうち、主人は微酔(ほろゑひ)にて老夫(らうふ)にむかひ、其熊は牝(め)熊ではなかりしかと三人大ひに笑ひ、又酒をのませ盃の献酬(やりとり)にしばらく話(はなし)消(きえ)けるゆゑ強(しひ)て下回(そのつぎ)をたづねければ、老夫(らうふ)曰(いはく)、人の心は物にふれてかはるもの也、はじめ熊に逢(あひ)し時はもはや死地(こゝでしす)事と覚悟(かくご)をばきはめ命も惜(をし)くなかりしが、熊に助(たすけ)られてのちは次第(しだい)に命がをしくなり、助(たすく)る人はなくとも雪さへ消(きえ)なば木根(きのね)岩角(いはかど)に縋(とりつき)てなりと宿へかへらんと、雪のきゆるをのみまちわび幾日といふ日さへ忘(わすれ)て虚々(うかうか)くらししが、(中略)一日(あるひ)窟(あな)の口の日のあたる所に虱(しらみ)を捫(とり)て居(ゐ)たりし時、熊窟(あな)よりいで袖を咥(くはへ)て引しゆゑ、いかにするかと引れゆきしにはじめ濘落(すべりおち)たるほとりにいたり、熊前(さき)にすゝみて自在(じざい)に雪を掻掘(かきほり)一道(ひとすぢ)の途(みち)をひらく、何方(いづく)までもとしたがひゆけば又途(みち)をひらきひらきて人の足跡(あしあと)ある所にいたり、熊四方(しほう)を顧(かへりみ)て走(はし)り去(さり)て行方しれず。さては我を導(みちびき)たる也と熊の去(さり)し方を遙拝(ふしをがみ)かずかず礼をのべ、これまつたく神仏の御蔭(おかげ)ぞとお伊勢さま善光寺(ぜんくわうじ)さまを遙拝(ふしをがみ)うれしくて足の蹈所(ふみど)もしらず、火点頃(ひとぼしころ)宿へかへりしに、此時近所の人々あつまり念仏申てゐたり。両親はじめ愕然(びつくり)せられ幽灵(いうれい)ならんとて立さわぐ。そのはづ也、月代(さかやき)は蓑(みの)のやうにのび面(つら)は狐のやうに痩(やせ)たり、幽灵とて立さわぎしものちは笑となりて、両親はさら也人々もよろこび、薪とりにいでし四十九日目の待夜(たいや)也とていとなみたる仏㕝(ぶつじ)も俄(にはか)にめでたき酒宴(さかもり)となりしと仔細(こまか)に語(かた)りしは、九右ェ門といひし小間居(こまゐ)の農夫(ひやくしやう)也き。其夜燈下(ともしびのもと)に筆をとりて語りしまゝを記(しる)しおきしが、今はむかしとなりけり。」

「〇雪中の虫(むし)」
「唐土(もろこし)蜀(しよく)の峨眉山(がびさん)には夏も積雪(つもりたるゆき)あり。其雪の中(なか)に雪蛆(せつじよ)といふ虫ある事山海経(さんがいきやう)に見えたり。 唐土(もろこし)の書 此説(せつ)空(むなし)からず、越後の雪中にも雪蛆(せつじよ)あり、此虫早春の頃より雪中に生(しやう)じ雪消終(きえをはれ)ば虫も消終(きえをは)る、始終(ししゆう)の死生(しせい)を雪と同(おなじ)うす。字書(じしよ)を按(あんずる)に、蛆(じよ)は腐中(ふちゆう)の蠅(はへ)とあれば所謂(いはゆる)蛆蠅(うじばへ)也。〓(漢字: 虫+旦)(だつ)は蠆(たい)の類(るゐ)、人を螫(さす)とあれば蜂(はち)の類(るゐ)也、雪中の虫(むし)は蛆(じよ)の字(じ)に从(したが)ふべし、しかれば雪蛆(せつじよ)は雪中の蛆蠅(うじばへ)也。木火土金水(もくくわどごんすゐ)の五行中皆虫を生(しやう)ず、木の虫土の虫は常(つね)に見る所めづらしからず。蠅(はへ)は灰(はひ)より生(しやう)ず、灰は火の燼末(もえたこな)也、しかれば蠅は火の虫也。蠅(はへ)を殺(ころ)して形(かたち)あるもの灰中(はひのなか)におけば蘇(よみがへる)也。又虱(しらみ)は人の熱(ねつ)より生(しやう)ず、熱(ねつ)は火也、火より生たる虫ゆゑに蠅(はへ)も虱(しらみ)も共(とも)に暖(あたゝか)なるをこのむ。金中(かねのなか)の虫は肉眼(ひとのめ)におよばざる冥塵(ほこり)のごとき虫ゆゑに人これをしらず。およそ銅銕(どうてつ)の腐(くさる)はじめは虫を生(しやう)ず、虫の生じたる所(ところ)色(いろ)を変(へん)ず。しばしばこれを拭(ぬぐへ)ば虫をころすゆゑ其所(そのところ)腐(くさら)ず。錆(さびる)は腐(くさる)の始(はじめ)、錆(さび)の中かならず虫あり、肉眼(にくがん)におよばざるゆゑ人しらざる也。 蘭人の説也 金中猶(なほ)虫(むし)あり、雪中虫無(なから)んや。しかれども常をなさゞれば奇(き)とし妙(めう)として唐土(もろこし)の書(しよ)にも記(しる)せり。我越後の雪蛆(せつじよ)はちひさき事蚊(か)の如(ごと)し。此虫は二種(しゆ)あり、一ツは翼(はね)ありて飛行(とびあるき)、一ツははねあれども蔵(おさめ)て蚑行(はひありく)。共に足六ツあり、色は蠅(はへ)に似(に)て淡(うす)く 一は黒し 其居(を)る所は市中(しちゆう)原野(げんや)蚊(か)におなじ。しかれども人を螫(さす)むしにはあらず、験微鏡(むしめがね)にて視(み)たる所をこゝに図(づ)して物産家(ぶつさんか)の説(せつ)を俟(ま)つ。」



北越雪譜 02


「初編 巻之中」より:

「〇雪頽(なだれ)人に災(わざはひ)す」
「〇かくて夜も明(あけ)ければ、(中略)聞(きゝ)しほどの人々此家(このいへ)に群(あつま)り来り、此上はとて手(て)に手に木鋤(こすき)を持(もち)家内の人々も後(あと)にしたがひてかの老夫(らうふ)がいひつるなだれの処に至(いた)りけり。さて雪頽(なだれ)を見るにさのみにはあらぬすこしのなだれなれば、道(みち)を塞(ふさぎ)たる事二十間(けん)余(あま)り雪の土手(どて)をなせり。よしやこゝに死たりともなだれの下をこゝぞとたづねんよすがもなければ、いかにやせんと人々佇立(たゝずみ)たるなかに、かの老人(らうじん)よしよし所為(しかた)こそあれとて、若(わか)き者(もの)どもをつれ近(ちか)き村にいたりて雞(にはとり)をかりあつめ、雪頽(なだれ)の上にはなち餌(ゑ)をあたえつゝおもふ処へあゆませけるに、一羽の雞羽たゝきして時ならぬに為晨(ときをつくり)ければ余(ほか)のにはとりもこゝにあつまりて声(こゑ)をあはせけり。こは水中(すゐちゆう)の死骸(しがい)をもとむる術(じゆつ)なるを雪に用(もち)ひしは応変(おうへん)の才也しと、のちのちまでも人々いひあへり。老人衆(しゆう)にむかひ、あるじはかならず此下に在(あ)るべし、いざ掘(ほ)れほらんとて大勢一度に立かゝりて雪頽(なだれ)を砕(くだ)きなどして掘(ほり)けるほどに、大なる穴(あな)をなして六七尺もほり入れしが目に見ゆるものさらになし。猶(なほ)ちからを尽(つく)してほりけるに真白(ましろ)なる雪のなかに血(ち)を染(そめ)たる雪にほりあて、すはやとて猶(なほ)ほり入れしに片腕(かたうで)ちぎれて首(くび)なき死骸(しがい)をほりいだし、やがて腕(かひな)はいでたれども首はいでず。こはいかにとて広(ひろ)く穴にしたるなかをあちこちほりもとめてやうやう首(くび)もいでたり、雪中にありしゆゑ面(おもて)生(いけ)るがごとく也。(中略)かの死骸(しがい)の頭(かしら)と腕(かひな)の断離(ちぎれ)たるは、なだれにうたれて磨断(すりきら)れたる也。」



「初編 巻之下」より:

「〇渋海川(しぶみかは)さかべつたう」
「我国の俚言(りげん)に蝶(てふ)を べつたう といふ、渋海川のほとりにては さかべつたう といふ。蝶は諸(もろもろ)の虫(むし)の羽化(うくわ)する所也、大なるを蝶といひ、小なるを蛾(が)といふ。 本艸 其種類(そのしゆるゐ)はなはだ多(おほ)し。草花(さうくわ)も蝶に化する事本草(ほんざう)にも見えたり。蝶の和訓(わくん)を かはひらこ といふは新撰字鏡(しんせんじきやう)にも見えたれど、さかべつたうといふ名義(みやうぎ)は未(いまだ)考(かんがへ)ず。さて前(まへ)にいへる渋海(しぶみ)川にて春(はる)の彼岸(ひがん)の頃(ころ)、幾百万の白蝶(はくてふ)水面(すゐめん)より二三尺をはなれて羽(は)もすれあふばかり群(むらがり)たるが、高(たか)さは一丈(ぢやう)あまり、両岸(りやうがん)を限(かぎ)りとして川下より川上の方へ飛行(とびゆく)、その形状(さま)花のふゞきと見んはおろか也。幾里(いくり)ともなき流(なが)れに霞(かすみ)をひきたるがごとく、朝より夕べまで悉(ことごと)く川上へつゞきたるがそのかぎりをしらず、川水も見えざるほど也。さて日(ひ)も暮(くれ)なんとするにいたれば、みな水面(すゐめん)におちいりて流(なが)れくだる、そのさま白布(しらぬの)をながすがごとし。其蝶の形(かたち)は燈蛾(ひとりむし)ほどにて白蝶(しろきてふ)也。我国に大小の川々幾流(いくすぢ)もあるなかに、此渋海川(しぶみがは)にのみかぎりて毎年(まいねん)たがはず此事あるも奇(き)とすべし。しかるに天明の洪水(こうずゐ)以来此事絶(たえ)てなし。
〇本草(ほんざう)を按(あんず)るに、石蚕(せきさん)一名を沙虱(すなしらみ)といふもの山川の石上に附(つき)て繭(まゆ)をなし、春夏羽化(うか)して小蛾(せうが)となり、水上(すゐしやう)に飛ぶといへり。件(くだん)のさかべつたうは渋海川の石蚕(せきさん)なるべし。其種(たね)を洪水(こうずゐ)に流(なが)し尽(つく)したるゆゑ、たえたるなるべし。他国にも石蚕(せきさん)を生(しやう)ずる川あらば此蝶あらんもしるべからず。」

「〇漁夫(ぎよふ)の溺死(できし)」
「或村(あるむら)に 不祥の事ゆゑつまびらかにいはず 夫婦(ふうふ)して母一人をやしなひ、五ツと三ツになる男女の子を持(もち)たる農人(のうにん)ありけり。年毎(としごと)に鮏(さけ)の時にいたればその漁(れふ)をなして生業(いとなみ)の助(たすけ)とせり。此所はすべて岸(きし)阻(そばだち)たるゆゑ村のものおのおの岸にかの架(たな)を作りて掻網(かきあみ)をなす。しかるに絶壁(ぜつへき)の所は架を作るものもなければ鮏もよくあつまるゆゑ、かの男こゝに架(たな)をつりおろし、一すぢの縄(なは)を命の綱(つな)として鮏をとりけり。さて十月の頃にいたり雪降(ふ)る日には鮏も多く獲易(えやす)きものゆゑ、一日(あるひ)降(ふ)る雪をも厭(いとは)ず蓑笠(みのかさ)に身(み)をかため、朝より架(たな)にありてさけをとり、畚(ふご)にとりためたる時は畚(ふご)にも縄(なは)をつけおけば、おのれまづ架(たな)を鉤(つり)たる綱(つな)に縋(すが)りて絶壁(ぜつへき)を登(のぼ)り、さてふごを引きあぐる也。つなにすがりて登(のぼ)り下(くだ)りするもこれに慣(なれ)ては猿(さる)のごとし。物喰(ものく)ふ時ものぼる也。此日も暮(くれ)て雪荒(ゆきあれ)になりければ、雪荒にはかならず鮏(さけ)えやすきがゆゑにふたゝびかの架(たな)にゆかんといふを、雪荒なればとて母も妻(つま)もとゞめたるをきかず、炬(たいまつ)を用意(ようい)して架(たな)にありてかきあみをせしに、はたしてさけあまたえしゆゑ鵜飼(うかひ)の謡曲(うたひ)にうたふごとく罪(つみ)も報(むくひ)も后(のち)の世(よ)も忘(わす)れはてゝ、おもしろくやゝ時をぞうつしける。
〇かくてその妻(つま)は母も臥(ふ)し子どもゝ寐(ね)かしたれば、この雪あれに夫(をつと)はさこそ凍(こゞ)え玉ふらめ、行(ゆき)むかへてつれ皈(かへ)らんと、蓑(みの)にみの帽子(ぼうし)をかふり、松明(たいまつ)をてらし、ほかに二本を用意(ようい)して腰(こし)にさし、かしこにいたり松明(たいまつ)をあげてさしのぞき、遙下(はるかした)にある夫(をつと)にこゑかけ、いかにさむからん初夜(しよや)もいつかすぎつらん、もはややめて皈(かへ)り玉へ、飯(まゝ)もあたゝかにして酒ももとめ置(おき)たり、いざかへり玉へ、たいまつもなかるべし、橇(かんじき)も入るやうになりしぞ、それも持来(もちきら)れりといふも、西おとしの雪荒(ゆきあれ)にてよくもきこえず。猶こゑをあげていへば夫(をつと)これをきゝつけ、よろこべよ鮏(さけ)はあまたとりたるぞ、あすはうちよりてうまき酒をのむべし、今すこし捕(とり)てかへらん、そちはさきへかへれといふ。しからば松明(たいまつ)はこゝにおかんとて、燈(とも)したるまゝ架(たな)をつりとめて綱(つな)をくゝしたる樹(き)のまたにさしはさみて、別の松明(たいまつ)に火をうつして立かへりぬ。」
「〇さるほどに妻(つま)は家(いへ)にかへり炉(ろ)に火を焼(たき)たて、あたゝかなるものくはせんとさまざまにしつらへ待居(まちゐ)たりしに、時うつれども皈(かへ)りきたらず。まちわびてふたゝびかの所にいたりしに、かのはさみたるたいまつも見えず、持たるたいまつをかざして下を見るに、ひかりもよくはとゞかで夫(をつと)のすがた見えわかたず、こゑのかぎりよべどもこたへず。さては架(たな)にはをらぬにや、さるにてもいぶかしと心をとゞめて松明(たいまつ)をふりてらし、登(のぼ)りし跡(あと)の雪にあるやとあたりを見れば、さいぜん木のまたにさしはさみおきたる炬(たいまつ)もえおちてあり、これに心つきて持たるたいまつにて猶(なほ)たしかに見れば、架(たな)をくゝしたる命(いのち)のつな焼残(やけのこ)りてあり。これを見るよりむねせまり、たいまつこゝにやけおちて綱(つな)をやきゝり、架(たな)おちて夫(をつと)は深淵(ふかきふち)に沈(しづみ)たるにうたがひなし、いかに泳(およぎ)をしり給ふとも闇夜(くらきよ)の早瀬(はやせ)におちて手足(てあし)凍(こゞ)え助(たすか)り玉ふべき便(よすが)はあらじ。こはいかにせんいかにせん姑(しうとめ)にいひわけなしと泪(なみだ)を雫(しづく)にふらせて哭(なき)けるが、我(われ)もともにと松明(たいまつ)を川へ投(なげ)入れ身を投(なげ)んとしつるが、又おもへらく、わがなきあとは老(おい)たる母さまと稚(をさな)き子(こ)どもらを養(やしな)ふものなく、手をひきて路上に立玉ふらん。死(し)ぬるにも死なれざる身(み)には成けるかな、ゆるし玉へわがつまと雪にひれふし、やけたるつなにすがりつきこゑをあげて哭(なき)になきけり。かくてもあられねばなくなく焼残(やけのこ)りたる綱(つな)をしるしにもち、暗(くら)き夜(よ)にたいまつもなく雪荒(ゆきあれ)に吹(ふか)れつゝ泪(なみだ)もこほるばかりにてなくなく立かへりしが、夫(をつと)が死骸(しがい)さへ見えざりしと、其所に近き辺(ほと)りの友人(いうじん)が此頃(このごろ)の事とてさきのとし物がたりせり。」

「〇童(わらべ)の雪遊(あそ)び」
「我があたりはしばしばいへるごとく、およそ十月より翌年(よくとし)の三月すゑまでは歳(とし)を越(こえ)て半年は雪也。此なかに生(うま)れ、此なかに成長(せいちやう)するゆゑ、わらべの雪遊びをなす事さまざまありて、暖国(だんこく)にはなき事多し。その中に暖国の人にはおもひもよらざるあそびあり、まづ雪を高く掘揚(ほりあげ)おきたる上などを童(わらべ)ども打よりて手(て)あそびの木鋤(こすき)にて平らになしてふみつけ、 わらべも雪中にはわらくつをはくこと雪国のつねなり さて雪をあつめて土塀(とへい)を作るやうによほどの囲(かこみ)をつくりなし、その間(あは)ひにも雪にて壁(かべ)めく所をつくり、こゝに入り口をひらきて隣(となり)の家(いへ)とし、すべての囲(かこみ)にも入り口をひらく。此内に宮めかす所を作り、まへに階(だんだん)をまうけ宮の内に神の御体(みすがた)とも見ゆるやうにつくりすゑ、これを天神さまと称(しよう)し ゑびす大こくなどもつくる 筵(むしろ)などしきつめ物を煮(に)べき所をも作る。すべてみな雪にて作りたつる也。 雪をくぼめ、ぬかをしきて火をたくに、きゆる事なし これを雪ン堂又城(しろ)ともいふ。児曹(わらべども)右の雪ン堂の内にあつまり物など煮(に)て神にもさゝげ、みなよりてうちくふ。又間(あひだ)にへだてを作りたるはとなりの家に准(なずら)へ、さまざまの事をなしてたはむれ遊(あそ)ぶ。あそび倦(うめ)ば斯(かう)作りたるを打こぼつをもあそびとし、又他の童(わらべ)のこれにちかくおなじさまに作りたるを城(しろ)をおとすなどいひてうちくるふもあり、そのまゝにおくもあり。おのれ牧之(ぼくし)も童(わらべ)のころはかゝるあそびの大将(たいしやう)をもせしが、むなしく犬馬(けんば)の齢(よはひ)を歴(へ)て今は夢(ゆめ)のやう也けり。」



北越雪譜 03


「二編 巻之二」より:

「〇雪中(せつちゆう)の狼(おほかみ)」
「〇こゝに我(わが)郡中(ぐんちゆう)の山村(さんそん)に 不祥(ふしやう)のことなれば地名人名をはぶく まづしき農夫(のうふ)ありけり、老母と妻と十三の女子七ツの男子あり。(中略)ひとゝせ二月のはじめ、用ありて二里ばかりの所へいたらんとす、みな山道(やまみち)なり。母いはく、山なかなれば用心なり、筒(つゝ)をもてといふ、実(げ)にもとて鉄炮(てつはう)をもちゆきけり。これは農業(のうげふ)のかたはら猟(れふ)をもなすゆゑに国許(こくきよ)の筒(つゝ)なり。かくてはからず時をうつし日も暮(くれ)かゝる皈(かへ)りみち、やがて吾が村へ入らんとする雪の山蔭(かげ)に狼(おほかみ)物を喰(くら)ふを見つけ、矢頃(やごろ)にねらひより火蓋(ひぶた)をきりしにあやまたずうちおとしぬ。ちかよりみればくらひゐたるは人の足(あし)なり。農夫大におどろき、さては村ちかくきつるならんと我家(わがや)をきづかひ狼(おほかみ)はそのまゝにしてはせかへりしに、家のまへの雪の白きに血(ち)のくれなゐをそめけり。みるよりますますおどろきはせいりければ狼二疋逃(にげ)さりけり、あたりをみれば母はゐろりのまへにこゝかしこくひちらされ、片足(かたあし)はくひとられてしゝゐたり。妻(つま)は囱(まど)のもとに喰伏(くひふせ)られあけにそみ、そのかたはらにはちゞみの糸などふみちらしたるさまなり。七ツの男の子は庭(には)にありてかばね半(なか)ば喰(くは)れたり。妻(つま)はすこしいきありて夫(をつと)をみるよりおきあがらんとしてちからおよばず、狼(おほかみ)がといひしばかりにてたふれしゝけり。農夫(のうふ)はゆめともうつゝともわきまへず鉄炮(てつはう)もちて立あがりしが、さるにても娘(むすめ)はとてなきごゑによびければ、床(ゆか)の下よりはひいで親にすがりつきこゑをあげてなく、おやもむすめをいだきてなきけり。(中略)村のものやうやうにきゝつけきたり此体(てい)をみておどろきさけびければ、おひおひあつまりきたり娘にやうすをたづねければ、囱(まど)をやぶりて狼三疋はせいりしが、わしは竈(かまど)に火をたきてゐたりしゆゑすぐに床(ゆか)の下へにげ入り、ばゞさまと母さまとおと(弟)がなくこゑをきゝて念仏(ねんぶつ)申てゐたりといふ。(中略)これよりのち此農夫(のうふ)家を棄(すて)、娘(むすめ)をつれて順礼(じゆんれい)にいでけり。ちかき事なれば人のよくしれるはなしなり。」



「二編 巻之三」より:

「〇鳥追櫓(とりおひやぐら)」
「農家(のうか)市中(しちゆう)正月の行事(ぎやうじ)に鳥追(とりおひ)といふ事あり。此事諸国にもあれば、其なす処其国によりてさまざまなる事は諸書(しよしよ)に散見(さんけん)せり。江戸の鳥追(とりおひ)といふは非人(ひにん)の婦女(ふぢよ)音曲(おんきよく)するを女太夫とて木綿(もめん)の衣服(いふく)をうつくしく着(き)なし、顔(かほ)を粧(よそほ)ひ、編笠(あみがさ)をかむり、三弦(さみせん)に胡弓(こきう)などをあはせ、賀唱(めでたきうた)をおもしろくうたひ、門々(かどかど)に立て銭を乞(こ)ふ。此事元日よりはじめ、松の内をかぎりとす、松すぎてもありく所もありとぞ。我越後には小正月の 小正月とは正月十五日以下をいふ はじめ鳥追櫓(とりおひやぐら)とて去年(きよねん)より取除(とりのけ)おきたる山なす雪の上に、雪を以て高さ八九尺あるひは一丈余にも、高さに応(おう)じて末(すゑ)を広(ひろ)く雪にて櫓(やぐら)を築立(つきたて)、これに登(のぼ)るべき階(だん)をも雪にて作り、頂(いたゞき)を平坦(たひら)になし松竹を四隅(すみ)に立、しめを張(はり)わたす 広さは心にまかす 内には居るべきやうにむしろをしきならべ、小童等(こどもら)こゝにありて物を喰(く)ひなどして遊(あそ)び、鳥追哥(とりおひうた)をうたふ。その一ツに「あのとり(鳥)や、どこ(何所)からおつ(追)てき(来)た。しなぬ(信濃)のくに(国)からおつてきた、なにをもつ(持)ておつてきた、しば(柴)をぬく(束)べておつてきた、しば(芝)のとり(鳥)も河辺(かば)のとりも、たちやがれ(可立)ほいほい引」おら(己等)がうら(裏)のさなへだ(早苗田)のとりは、おつてもおつてもすゞめ(雀)すはどり(鳲鳩)たちやがれ(可立)ほいほい引」あるひはかの掘揚(ほりあげ) 雪をすてゝ山をなす所 の上に雪を以て四方(しかく)なる堂(だう)を作りたて、雪にて物をおくべき棚(たな)をもつくり、むしろをしきつらね、なべ・やくわん・ぜん・わん抔(など)此雪の棚におき、物を煮焼(にたき)し、濁酒(にごりざけ)などのみ、小童(こども)大勢雪の堂に いきんだうと云 遊(あそ)び、同音(どうおん)に鳥追哥をうたひ、終日(いちにち)こゝにゆきゝして遊びくらす。これ暖国(だんこく)にはなき正月あそびなり。此鳥追櫓(とりおひやぐら)宿内(しゆくない)にいくつとなく作(つく)り党(とう)をなしてあそぶ。」

「〇逃入村(にごろむら)の不思議(ふしぎ)」
「小千谷(おぢや)より一里あまりの山手(やまて)に逃入村(にごろむら)といふあり、 にげ入りを里俗にごろとよぶ 此村に大塚(つか)小塚とよびて大小二ツの古墳(こふん)双(なら)びあり。所の伝(つた)へに大なるを時平(しへい)の塚とし、小なるを時平の夫人(ふじん)の塚といふ。時平大臣夫婦の塚此地に在(ある)べき由縁(いはれ)なきことは論におよばざる俗説(ぞくせつ)なり。しかれども爰(こゝ)に一ツの不思議あり、そのふしぎをおもへば、むかし時平にゆかりの人越後に流(なが)されなどして此地に終(おは)りたるにやあらん。その不思議といふは、昔より此逃入村の人手習(てならひ)をすれば天満宮の祟(たゝり)ありとて一村の人皆無筆(むひつ)なり。他郷(たきやう)に身(み)を寄(よせ)て手習すれば祟(たゝり)なし。しかれども村にかへれば日を追(おひ)て字(じ)を忘(わす)れ、終(つひ)には無筆となる。このゆゑに文字(もじ)の用ある時は他の村の者にたのみて書用(しよよう)を弁(べん)ず。」



北越雪譜 04





こちらもご参照ください:

鈴木牧之 『秋山記行・夜職草』 宮栄二 校注 (東洋文庫)
赤松宗旦 著/柳田国男 校訂 『利根川図志』 (岩波文庫)
ダニエル・ベルナール 『狼と人間 ― ヨーロッパ文化の深層』 高橋正男 訳























関連記事
スポンサーサイト



プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本