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松田修 『江戸異端文学ノート』 

「コメントなしに不具こそ神であり、畸型こそ有効であった原初的発想は、次第に民族的記憶の基層部分から浮上する。」
「彼らの奇なるがゆえに正数が持ちえぬ負数の霊能に期待されたものは何か。」

(松田修 「不具の構造・畸型の美学」 より)


松田修 
『江戸異端文学ノート』 



青土社 
1993年5月10日 第1刷印刷
1993年5月20日 第1刷発行
397p 初出一覧1p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,800円(本体2,718円)
装画・装幀: 三嶋典東



章扉図版5点、本文中図版4点、欄外小図版9点。


松田修 江戸異端文学ノート 01


帯文:

「これは松田修個人版江戸百科である。
江戸のすべてである。
書き溜めたエッセイの総動員である。
(著者あとがきより)」



帯背:

「もう一つの
江戸文学史」



目次 (初出):

Ⅰ 幻のルネッサンス――元禄への胎動
中世から近世へ――時空意識と文学意識 (「文学」 1973年9月号)
芭蕉・さび色の世界――風狂の超克 (「國文學」 1979年10月号)
伝統と異端――『好色一代男』、もう一つの読み方 (「国文学:解釈と鑑賞」 1973年3月号)
猫の都市学――西鶴の場合 (「國文學」 1982年9月号)

Ⅱ 江戸芸文マルチプル
敗北としての説話文学 (「國文學」 1972年9月号)
詩歌における近世 (「國文學」 1970年3月号)
民謡、ことばと表現 (「国文学:解釈と鑑賞」 1981年3月号)
川柳: 賭博詩への道 (「別冊太陽」 1976年秋号)
落語の思想 (「國文學」 1974年9月増刊号)
落首精神の黄昏 (『鑑賞・日本古典文学・31』「川柳・狂歌」 1977年11月)
歌舞伎以前の可能性――「天竺」の意味するもの (「國文學」 1975年6月増刊号)
組織論としての忠臣蔵 (「國文學」 1986年12月号)

Ⅲ 盛期メタボリズム――あるいは逃走する作家たち
『風流志道軒伝』の場合――平賀源内のS・F的手法 (「國文學」 1975年4月増刊号)
鶴羽の者よ――風土と性愛 (「ユリイカ」 1988年4月号)
逃亡の文学――上田秋成 (『図説・日本の古典』「秋成」 1981年2月)
江戸が非江戸におじぎする旅――『東海道中膝栗毛』 (「国文学:解釈と鑑賞」 1983年9月号)

Ⅳ 爛熟のエステティック
粋と伊達の美学――近世的美意識の変相 (「季刊日本思想史」 1978年11月)
若衆美と野郎美――麦の穂の青き豪奢の道 (『近世風俗図譜・10』「歌舞伎」 1983年6月)
遊女――聖と俗のデュアリズム (「國文學」 1978年3月号)
不具の構造・畸型の美学 (「夜想」 1983年12月号)
性愛の抵抗――その可能性の系譜 (「伝統と現代」 1969年11月号)

Ⅴ バロキスム――化政期から幕末へ
鶴屋南北変化相(へんげそう)――無化の極相 (「演劇界」 1976年9月号)
奇人未遂・鶴屋南北 (「別冊歴史読本」 1980年秋号)
南北と馬琴――色悪はいかに造型されたか (「國文學」 1986年2月号)
呪術師馬琴――動乱期の降霊秘儀 (『近世文学・下』 1977年3月)
裁きの責任――馬琴の一つの読み方 (「本の窓」 1978年冬号)
黙阿弥の世界 (『明治の古典・1』「怪談牡丹燈籠・天衣紛上野初花」 1982年9月)
江戸は近代を孕んだか (「國文學」 1982年6月号)

あとがき
初出一覧



松田修 江戸異端文学ノート 02



◆本書より◆


「伝統と異端」より:

「『一代男』の異端性、構想として、また内容の具体としての危険な反逆性、これは一体どこから生まれたものであろうか。作家西鶴がなぜひとり、このような危うい視座と表現に到達しえたのであろうか。」
「一般的な西鶴像――平山藤五という「有徳(うとく)ナル」町人が、なぜ「名跡ヲ手代ニユヅリテ、僧ニモナラズ世間ヲ自由ニクラシ」たのか。」
「文芸の世界に身を挺することは、平均的な大坂商人として、たしかにかなり激しい逸脱ではないだろうか。
 その逸脱を西鶴はなぜ成就したのか、成就せねばならなかったのか。
 全くの想像説であるが、私は、もう一枚西鶴の肖像画をおいてみよう。芳賀一晶筆の西鶴像――それは西鶴像中の「圧巻」(野間先生)と称せられている。「顔面の皺の画き方、着衣の賦彩にも真を写さんとする細かい筆遣ひの跡が認められる」――これは、おそらく至当な表現である。しかし、いかにしても私にはその指が気にかかってならない。左手の指五本、一見何の奇もないさりげない描かれようであるが、拇指に相当する指が、これは絵としては明らかに畸型なのである。もう一本かくれたところで拇指を持つ六本指か、それとも畸型拇指の五本指か。(中略)万が一にも西鶴の指は畸型であったのではないか。その不具者(公儀公界を勤める家長は不具者であってはならぬ)の重い意識が、ありあまる才能にかかわらず彼を隠棲においやったのではないか。秋成の文学を解く鍵の一つが、彼の肉体の不具に求められているように、西鶴がなぜ時代を超えて鋭い告発者であったか、さらに肌寒いまでに異端性を研ぎすましえたのか、その答えの何分の一かは、この一晶の絵が答えてくれるのではないだろうか。」
「犀利な青年西鶴――裕福な家庭、順調な家業、すべての将来は約束されているかにみえる。しかし、彼の秀でた眉は、いつの日にもくもっている。文芸もおそらくわざくれわざとして、たずさわりそめたものではないか。才能に輝けば輝くほど、畸型の不条理は、彼に重くのしかかる。公職務めをサボタージュし、隠居すること、決定的にアウトサイダーになること、それが西鶴の道であった――。」



「猫の都市学」より:

「先に大坂の町家が、多く本瓦を用いていることを述べたが、当時としては贅(ぜい)を極めた本瓦葺の屋根が、櫛庇し、連続し、幾重もの波のうねり(引用者注:「うねり」に傍点)となっているのは、まさしく都市的景観の精髄、その屋上空間のヒーロー、ヒロインは、いうまでもなく猫族であった。
 人間の視界にはいりつつ、人間にはついに属さぬ都市領域、そこは猫族が、昼は日南北向(ひなたぼっこう)し、夜は、その卓抜な視力によって、恋をし、情報を交換する場であった。都市の大路や小路を、敏捷に駆け抜け、独自のけもの路(引用者注:「けもの路」に傍点)を都会に作り上げた彼らの自在の姿は、軒先につながれた犬族が、人間に従って、人間の路を歩くしかなかったことに比べてみれば、より明瞭になるだろう。猫族は、あろうことか、人間の都市に重ねて、インヴィジブルの猫都市を構築していたのである。」

「西鶴の処女作『好色一代男』のヒーロー世之介十五歳の年(二の二)、京のさる後家と密通し、女は懐妊出産してしまう。処置に窮した世之介は夜、六角堂へ棄て児にゆく。文章は、事の経過のみを伝える。問題はさし絵である。置き炬燵に後家、(中略)世之介は子を抱き、下男は灯を掲げて先に立つ。手前には奉公人とおぼしい女が三人、紙障子に穴をあけて、覗き見している。構図の中心はしかし、置き炬燵の上に丸く眠る猫にある(引用者注:「ある」に傍点)。人生の深刻なドラマが今演じられつつある。召使女たちは紙に穴をあけてまでもみたい、挑発的なドラマといってよいだろう。これから赤児は夜風にさらされねばならない。しかもかわいがられている猫は今をぬくぬくと眠りつづけ、「紅旗征戎吾が事に非ず」という風情、これは強弁するわけではないが、そのままに都会居住者の独得の冷淡さであり、自閉性である。
 覗き見する女どもに比して、猫にははるかに強い自尊心が読み取れるともいえよう。この猫は、猫のうちなる都会性をみせている。さよう、大屋根をのびやかにはたしなやかに飛び歩く猫族が、外なる都市性をあらわすものならば、この炬燵の上の猫のニル・アドミラリは、内なる都市性といってよいだろう。」



「民謡、ことばと表現」より:

「賤民が、祝言の芸能を担当することは、たしかに一つのパラドックスであろう。芸能を持つということが、特殊性の証しであるという構造は記憶しておいてよいことである。さかのぼれば、賤視・敬視の彼岸としての霊性(デーモン)にまで到るだろう。」

「古代的童謡(わざうた)がいかに古代史を予告し、実現してきたか、『日本書紀』『古事記』等の諸書が、数多く記録し、報告している。はじめに歌謡あり、歴史の展開そのものである――とすれば、言語のデーモンは、歌謡の世界でこそ生きてきたのかも知れない。」



「粋と伊達の美学」より:

「原点としてのかぶきは、十六世紀を中軸とした流行語、動詞「傾(かぶ)く」の名詞形なのである。その発生はもっとさかのぼるが、社会現象的に顕在化したのはやはり天正以後であり、異常・異様な行為を指した。」
「ユンクによれば、「正常」という言葉の中にすでに平均値を価値として評価する発想が含有されている。」
「「人間が完全に健康であるのは、常軌を逸した反社会的生活をするばあいである」(「近代精神治療学の諸問題」)――もちろんユンクは相対的にいっているのだが――。
 正常・平均はしばしば伝統とつらなるだろう。異常・異様・革新・流動、それらが新しく価値的になるということは、正常・平均・伝統・固定が価値を失うということの裏返しであろう。」





こちらもご参照ください:

田中優子 『江戸の想像力』 (ちくま学芸文庫)
C・アウエハント 『鯰絵』 小松・中沢・飯島・古家 訳 (岩波文庫)
『夜想 10 特集: 怪物・畸型』
レスリー・フィードラー 『フリークス ― 秘められた自己の神話とイメージ』 伊藤俊治・旦敬介・大場正明 訳

































































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趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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