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 『ボリス・ヴィアン全集 3 うたかたの日々』 伊東守男 訳

「「仕方がないさ」とシック。
 「仕方がないもんか」とコラン。」

(ボリス・ヴィアン 『うたかたの日々』 より)


『ボリス・ヴィアン
全集 3 
うたかたの日々』 
伊東守男 訳



早川書房 
昭和54年6月15日 初版発行
252p
四六判 並装 
カバー ビニールカバー
定価950円


「本書はガリマール社版《L'écume des jours》(一九四七年)に拠る翻訳である――編集部」



ヴィアン うたかたの日々 01


帯文:

「肺のなかに睡蓮が生長する奇病にかかった少女と青年との悲痛な愛――青春の夢と真実を、優しさと諧謔にみちた笑いで描く代表作!」


内容:

うたかたの日々
 1~68

睡蓮が咲くまで…… (荒俣宏)




◆本書より◆


「はじめに」より:

「人生では、大切なことは何ごとにかかわらず、すべてのことに対して先験的な判断を下すことである。そうすると、実際、大衆が間違っていて個人が常に正しいということがわかってくるのだ。(中略)以下に小説として挙げる論拠は全くそれが本当の話だというところに強味がある。第一それはわたしが初めから終りまででっちあげたことだ。」


「1」より:

「コランは身だしなみをととのえ終えるところだった。風呂から出ると、ふんわりしたタオル地に身を包み、足と胴体だけがはみ出していた。ガラスの棚から噴霧器を取ると、明るい髪の毛の上にかぐわしい油性の液体を振りまいた。そのアンバーの櫛は、陽気な農民がフォークを使ってアプリコットのジャムに作る溝のように、オレンジ色の長い網の目状に絹のような髪を分けていった。」


「2」より:

「「この鰻のパテはうまいなあ。誰から聞いたんだい」と訊くシック。
 「ニコラが思いついたんだ。鰻が一匹いるんだよ。というよりか、いてねえ。毎日水道管を通って洗面所にやって来ていたんだ」とコラン。
 「奇妙な話だなあ。なぜだい」
 「首を管から伸ばして、歯磨きのチューブを歯で押えて、中身をペロッと食べちゃっていたんだ。ニコラはパイナップルの香りのついたアメリカ風の歯磨きしか使わないんで、魅かれたんだろうなあ」
 「どうやってつかまえたんだい」
 「パイナップルの香りの代りに、本物のパイナップルを置いといたんだ。歯磨きだと消化ができて、首を引っ込めることもできたからだ。パイナップルとなるとそうはいかない。引っぱれば引っぱるほどパイナップルの中に歯がくい込んでいったんだ。ニコラは……」
 コランは言いよどんだ。
 「ニコラがどうしたんだ」とシック。
 「言いにくいなあ。食欲がなくなってしまうかもしれないからなあ」
 「言えよ。どうせ食欲なんてほとんどないんだから」
 「ニコラはその瞬間に剃刀の歯で鰻の頭をちょん切っちゃったんだ。それから、水道の蛇口をオープンすると残りが全部出てきちゃったってわけだ」
 「一匹しかいないのかい。パテをよこせよ。まだ沢山いるんじゃないかな」」



「32」より:

「クロエは彼らの結婚式に使った美しいベッドの上に、極めて透明な血色になって横たわっていた。目を大きく見開いていたが、呼吸はあまりしていなかった。横にはアリーズが坐っていた。イジスはグッフェの本に従って元気づけの飲物を作ろうとしているニコラの手伝いをしていた。そして、例の灰色のハツカネズミが熱さましの草の実を鋭い歯で砕きながら、寝ていても飲める飲物を作ろうとしていた。」


「38」より:

「クロエは彼の腕にぶら下がっていた。彼女は小刻みに歩いていた。コランは相手が二歩歩くたびに、一歩歩いた。
 「わたし、幸福よ。太陽は照っているし、木はとってもいい匂いだわ」
 「それはそうさ。春だもの」
 「あら、そうなの」と彼をからかうように見ながらクロエ。
 二人は右に曲った。医者の住んでいる界隈に行くまでにはまだ建物を二つばかり沿っていかなくてはならないのだ。百メートルほど行くと麻酔薬の臭いがしていた。風のあるときはもっと遠くまで漂ってきているのだ。歩道の構造が変った。いまでは、幅広く平べったい運河になっており、そのうえ、狭く目の詰まったコンクリートの格子におおわれていた。格子の下はエーテルの混ざったアルコールが流れており、膿や、血膿や血に汚れた綿のタンポンもときどき浮いていた。あちこちに半分固まった血が長い紐状をなして、いいかげんもう分解してしまった肉の破片を色どりながらゆっくりと流れていっており、解けかかった氷山のように自転していた。ただエーテルの臭いがするだけだった。ガーゼの破片やら包帯のくずなどがやはり流されてき、眠ってしまったような輪を自然とほどいていっていた。家々の右側には下水管が一つついており、運河に続いていた。そしてしばらくその穴を覗いていると、医師のそれぞれの専門がわかってくるのだ。目が一つグルッと回転し、何秒かの間穴を眺めていたが、病気のくらげのように頼りげのなく赤っぽい木綿の大きなナプキンの下に消えてしまっていた。」



「40」より:

「「睡蓮なんだよ。一体どこでそんなものにかかっちまったんだろうなあ」
 「睡蓮にとりつかれたですって」と信じられないようにニコラ。
 「右の肺だよ。教授は初めのうちは何か動物がいると思っていたんだ。だけど睡蓮だったんだ。スクリーンにはっきりと映ってるよ。だいぶ大きくなっているが、なんとかうまくやっつけられるさ」
 「そうですとも」とニコラ。
 「あなた方には睡蓮が巣食っているってどんなことかわかるはずがないわ。動くととっても痛いのよ」と咽び泣くクロエ。」



「46」より:

「愛するコラン
 わたしとても具合がいいわ。天気がとてもいいの。ただ一ついやなのは雪もぐらよ。雪と土の間に潜っている小さなけものよ。オレンジ色の毛皮をしていて、夜になると大きな声を出すの。大きな雪だるまをつくって、みんなそれにつまずいてしまうのよ。太陽がいっぱいで、間もなくあなたの許に帰れるわ。」



「50」より:

「イジスはもう一度呼び鈴を鳴らした。ドアの向う側で床の上に鋼鉄の金槌がわずかに触れる音が聞こえた。彼女が少々ドアを持ち上げてみると、ドアは一息に開いた。
 彼女は中に入り、コランを踏んづけてしまった。彼は顔を床に伏せて両手を脇に伸ばしたまま地べたに横たわっていたのだ。両の目は閉ざされていた。玄関はうす暗かった。窓の周りはボーと明るくなっていたが、光は中まで入ってこなかった。彼は静かに呼吸をしていた。眠っていたのだ。
 イジスはこごんだ。彼のそばにひざまずき、頰を撫でた。彼の肌は軽く戦慄し、両の目が瞼の下でうち震えた。彼はイジスを眺め、また眠りこんでしまったようだ。イジスは少々彼を揺すぶった。彼は坐り直すと、唇に手をあてて言った。
 「ぼくは眠っていたんだよ」
 「そうらしいわね」とイジス。「もうベッドの中で眠れないの」
 「うん、眠れないんだ。ここに寝て医者が来るのを待ってるんだ。花を買いに行くにも便利だし」
 彼は完全にどうしていいのかわからなくなっているのだ。
 「一体どうしたのよ」とイジスが訊ねる。
 「クロエがまた咳をし始めたんだ」
 「炎症がまだ残っているせいよ」
 「そうじゃないんだよ。もうひとつの肺が悪くなったんだ」」



「56」より:

「遠ざかって行くコランを見送りながら、アリーズは全身の想いをこめて、さようならを言った。彼はクロエを本当に愛している。彼女のために仕事を探しに行くのだ。彼女の胸に巣食っている恐ろしい怪物と闘うための花を買ってやるために働きに行くのだ。コランの大きな肩はいくらか参っているようだ。彼は疲れきっていた。ブロンドの髪の毛には櫛が入っておらず、それは昔と同じようにきれいにわけられていなかった。」


「66」より:

「コランは地べたにひざまずいていた。彼は頭を両の腕で抱えていた。石は鈍い音をたてて周りに落ちていた。聖堂番と助手と二人の人足は手に手をとり合って穴の周りを取り囲んで踊っていたが、突然小径の方に向って駆け出すと、ファランドールを踊りながら消えてしまった。助手は大きなクルムホルンを吹き、死んだような空気の中にしゃがれた音を響かせた。地面がゆっくりと崩れていき、二、三分するとクロエの死体は完全に消えてしまった。」


「68」より:

「「彼は水のほとりに立って待っていたんだ。そうして時間になると、板の上に行って真中に立ち止まったよ。何か見えるみたいだったよ」とネズミ。
 「なあに、たいしたものは見えないさ。見えてもせいぜい睡蓮だろう」と猫。
 「うん、そうだなあ。相手が水面にのぼってくるのを殺そうと待っていたんだ」とネズミ。
 「ばかな。なんにもならないじゃないか」と猫。
 「時間が過ぎてしまうと水のほとりにやって来て写真を眺めていた」とネズミ。
 「物はもう食べないのかい」と猫。
 「食べないんだ。身体がすっかり弱っちまって、見ていても我慢できないぐらいだよ。そのうち板の上でつまずいてしまうんじゃないかな」とネズミ。
 「それがお前にどうしたっていうんだ。そいじゃ奴は不幸なんだな、きっと」と猫。
 「彼は不幸なんていうものじゃない。苦しくてしようがないんだよ。おれにはそれが我慢できないんだ。それに水の上にこごんでばかりいるから、そのうち水に落っこっちゃうよ」とネズミ。」



ヴィアン うたかたの日々 02




こちらもご参照ください:


ボリス・ヴィアン 『日々の泡』 曾根元吉 訳 (新潮・現代世界の文学)
ボリス・ヴィアン 『サン=ジェルマン=デ=プレ入門』 浜本正文 訳
マルセル・ムルージ 『エンリコ』 安岡章太郎・品田一良 訳




Memoriance - le nuage rose































































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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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