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田中久夫 『明恵』 (人物叢書)

「ある時、寂恵房と禅忍房が、禅堂院の明恵のところに行った時、そこの障子をあけて御覧ぜよ。あの向いの山のふもとにたなびいている雲も、まことに面白いではないか、と語ったという。」
(田中久夫 『明恵』 より)


田中久夫 
『明恵』
 
人物叢書 60 


吉川弘文館 
昭和36年2月10日 初版発行
昭和46年3月1日 4版発行
255p 口絵(モノクロ)4p
新書判 角背布装上製本 カバー
定価450円 
装幀: 稲垣知雄
 


本書「はしがき」より:

「本書は、明恵の行実を、年を追って具体的に詳しくのべようとしたものである。何処に居り、どんな事をやったか、ということを、小伝として許される限りにおいて詳しく、できるだけ確実性の多い史料に即してあとづけようとしたものである。」


「人物叢書」旧版。口絵図版4点、本文中図版39点、地図2点。


田中久夫 明恵 01


目次:

はしがき
一 幼年時代
二 高雄における修学
三 紀州における遍歴
四 栂尾に入る
五 晩年
六 面影
七 伝記
あとがき
系譜
 (一) 俗系
 (二) 湯浅/保田 系図
 (三) 華厳血脈
 (四) 密教血脈
略年譜
主要著作目録
伝記史料
伝記
史料集
明恵消息等目録
諸同行年齢一覧
参考文献
 (一) 専ら明恵に関する単行本
 (二) 明恵に関係の著書
 (三) 論文




◆本書より◆


「幼少時代」より:

「二歳の時、乳母につれられて清水寺に参詣し、群集した人々が読経し礼拝しているのを見てよろこび、地主(じしゅ)の社の前で延年舞がおこなわれている方に乳母がつれて行ったので、前の方に行きたいと泣叫んだのが、仏法を尊くおぼえた最初であると後に明恵は語ったという。四歳の時、父が烏帽子をきせ、形がうつくしいから男にして大臣殿(小松内府平重盛)のもとにまいらせようといったので、うつくしくて法師になれないのならば、と考え、縁から落ちてみたり、火箸(ひばし)をやいて面をやこうと思い、まず試みに左の臂の下二寸のところにあててみ、その熱さに泣き出したこともあったという(『行状』)。また五~六歳のころ、僧侶がならんですわり食事をしている様子を見て、信仰の思いが深くおこったことがあり、その時の座敷の有様は、障子の破れたところまで、後になっても忘れない、と語ったという(『上人之事』)。」


「高雄における修学」より:

「ある時、仏眼の明(みょう)(真言)を一心に誦していると、夢に天童が自分を奇麗な輿にのせてかき歩き、仏眼(ぶつげん)如来、仏眼如来といっていると見、もう仏眼になったと思ったことがあった。また、夢に、一つのあばらやがあり、その下には沢山の蛇や蝎(さそり)などが居るので、恐怖を感じたところ、仏眼如来に抱かれて門を出て、怖畏を免れることができた、と見たとか、ある時、馬に乗って険路を行く夢で、仏眼如来が指繩(さしなわ)をひいて導いて下さったと見たなど、仏眼如来を母と思って、その懐(ふところ)に抱かれて養われていると夢みたようである。」

「華厳の章疏を、多く東大寺の尊勝院(中略)から借りて書写している。その奥書には、(中略)経典の偈をかきぬいたり、その時の瑣事をかきつけたりして無邪気なものがある。例えば「当山第一之非人成弁之本也、師子 当寺之瓦礫(がれき)明恵坊、此山之厠(かわや)掃治之夫法師之□」(『五教指事』中末)とあったり、「日本国第一乞食法師、今身より未来際に至り、永く僧都僧正になるべからざる非人法師成弁の本也」(『手鏡』所収『探玄記』六)などとあるし、また「釈飯の残り、この日、犬に食われ了んぬ」(『入楞御心玄義』)などともかいている。」



「紀州における遍歴」より:

「建久八年閏六月四日・五日にかかれた奥書のある『華厳一乗教分記』上巻があり、その奥書に「紀州山中巖上庵室において之を記す、時に西海以ての外になぎたり、船少々なり」とあって、(中略)その奥書には、次のような文もある。
   哀哉(かなしいかな)々々、南山のきはに船一艘いできたりつるが、ほどなくはせとをりて、北山にかくれなむとする気色(けしき)をみれば、此耳きれ法師が一生涯をはせわたらむほども、あれにことならぬかなと思て、雙眼になみだうかぶ。筆をそめて如此かきさして、また筆をそめむとする便(たより)に、みやりたれば、船はすでに北山へはせかくれにけり。弥(いよいよ)あはれをもよをすものかな。
 湯浅湾の沖を南から北に通りすぎて行く船を見ながら、己れをかえりみている様子がうかがわれる。」

「また或る時は百余人の同行(どうぎょう)や親類と共に海中の島に渡った。はるか西の海の中に霞んで浮ぶ島を天竺になぞらえ、「南無五天諸国処々遺跡」と唱え一同これにならった。」
「喜海は、(中略)明恵が島に渡って、そこに華厳の法界縁起の教えをよみとり、体験を深めて行ったのみではなく、島を友として遊んだことをのべている。そして、明恵が島にあてた手紙(それは破られてしまったが、覚えているところをかくといって)を載せているが、この長い興味深い手紙は、明恵の自然観を見るべき、というよりは、自然と一体になり得た、その気分を窺わせるものであろう。」



「面影」より:

「ある時、寂恵房と禅忍房が、禅堂院の明恵のところに行った時、そこの障子をあけて御覧ぜよ。あの向いの山のふもとにたなびいている雲も、まことに面白いではないか、と語ったという(『却廃忘記』)。」


田中久夫 明恵 02


「鷹嶋の石(左)、蘇婆石(右)(高山寺蔵)」
「鷹嶋の石は、長径1寸8分、蘇婆石は長径1寸ほど。鷹嶋は湯浅湾のうちにあり、この石には明恵の歌がしるされている。「我ナクテ後ニ愛セヌ人ナクバトビテ帰レネ鷹嶋の石」(景山氏論文による。)『和歌集』には「われさりてのちにしのばむ人なくば」とある。詞書には「紀州の浦にたかしまと申すしまあり。かのしまの石をとりて、つねにふつくへのほとりにおき給しに、かきつけられし」とある。」



田中久夫 明恵 03




こちらもご参照ください:

『特別展 鳥獣戯画 京都 高山寺の至宝』 (2015年)
『明恵上人集』 久保田淳・山口明穂 校注 (岩波文庫)
多田智満子 『古寺の甍』



























































































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