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ジョルジュ・ロデンバック 『死都ブリュージュ/霧の紡車』 田辺保・倉智恒夫 訳 (フランス世紀末文学叢書)

「彼は、自分を、この実人生において追放の身なのだと感じていた。まさしく異邦人の間にまじって歩いているのだった。話す言葉も、他の人と同じではなかった。彼の会話は、意味のわからない、おかしなものに思われた。」
(ジョルジュ・ロデンバック 「ある夕暮れ時」 より)


ジョルジュ・ロデンバック 
『死都ブリュージュ
霧の紡車』 
田辺保・倉智恒夫 訳

フランス世紀末文学叢書 8


国書刊行会 
1984年7月20日 初版第1刷印刷
1984年7月25日 初版第1刷発行
398p 口絵(カラー)1葉 
別丁図版(モノクロ)2p
四六判 フランス装 貼函
定価3,500円
装幀: 山下昌也
口絵選定: 澁澤龍彦


月報 5 (8p):
ブリュージュを殺した(?)詩人(遠山博雄)/《世紀末の庭から》吉田健一と世紀末(富士川義之)/世紀末画廊Ⅴ ロデンバックとクノッフ(澁澤龍彦)/図版(モノクロ)2点



本文中モノクロ図版19点、別丁モノクロ図版3点。


ロデンバック 01


帯文:

「沈黙に咲く黄昏の夢
運河、川岸、教会、鐘、歳月に磨かれた家具……ひとつの都市を主人公にすえ、さまざまな影響を与えつづけている名作に遺稿の短篇集を併録。ブリュージュの写真入。」



目次:

口絵 フェルナン・クノッフ 《廃市》

死都ブリュージュ (田辺保 訳)
 序言
 I~XV

霧の紡車 (倉智恒夫 訳)
 引越し
 愛と死
 鏡の友
 夕暮どきの恋人たち
 ほとんどお伽噺のような話
 都市
 暗示作用
 供奉
 街の狩人
 ある夕暮れ時
 不明の男
 季節外れ
 傲慢の罪
 発明家
 自己の実現
 通りすがりの女
 聖なるつげの枝
 中学校の頃
 教会参事会員たち
 特別の恵み
 偶像
 眼の愛
 理想
 好奇心
 肖像画の女の生涯

訳註
訳者後記
 ジョルジュ・ロデンバックと『霧の紡車』について (倉智恒夫)
 『死都ブリュージュ』について (田辺保)



ロデンバック 02



◆本書より◆


「死都ブリュージュ」「序言」:

「本書は情熱研究の書であるが、同時に、また何より特に、ひとつの都市を人々の想念に浮かび上らせたいとも意図した。都市を主要人物のひとりとして、もろもろの心の動きとかかり合い、行動をうながし、引きとめ、決断させるものとして、浮かび上らせたいと望んだ。
 それにまた、現実にも、私が数ある都市の中から選んできたこのブリュージュは、まるで人間かとも思えるのである…… 不思議な力をこちらに及ぼしてきて、この地に滞在する者をとらえつくす。
 この地での諸行事、鐘の音に、人はおのずとその力に感化されて行くのである。
 私がぜひ示したかったのは、こういうものなのである。すなわち、あるひとつの行動をみちびくものとしての都市、単に背景でもなく、小説中でたまたま取り上げられた話題というだけでもなく、中心となる事件と関連しているような都市の風景である。
 そこで、ブリュージュという舞台装置が小説の発展と切り離せぬものである以上、本書でもところどころに風景写真を挿入しておく必要があった。すなわち、川岸、人気のない町の通り、古い家々、運河、ペギーヌ会修道院、教会、金銀細工の信心用具、ベフロワ(鐘楼)などの写真を。いずれも、本書を読んでくださる方々が、この都市の現存と支配力とに打たれ、水の魅力に馴染んで引き入れられ、ご自身、書物の上に長々と、いくつもの高い塔影がのびてくるのを感じとっていただけるためである。」



「死都ブリュージュ」「I」より:

「日が傾きかけていた。窓という窓に紗のカーテンがかかり、しんと静まりかえった広い家の廊下に薄闇が迫っていた。
 ユーグ・ヴィアーヌは、外出する所だった。日の暮れ方になると、そうするのが毎日のならわしだった。仕事も持たず、ひとり暮しのユーグは、日がな一日、自分の部屋にしている、だだっぴろい二階の一室で過した。部屋の窓は、ロゼール川岸通りに面していた。この川岸通り沿いに家があって、水に影を映していた。
 ほんのわずか読書をした。何冊かの雑誌やむかしの本を読んだ。煙草をむやみに喫った。あとは思い出の中に溺れ、灰色に曇った空の下、ひらいた窓辺でぼんやり夢をみて過した。」



「死都ブリュージュ」「II」より:

「この町以外に、ユーグには生きられる場所があっただろうか。本能的にここへやってきたのだった。他の連中はよそで、勝手に騒ぐなり、はしゃぐなり、浮かれまわるなり、いいたい放題をわめき立てているがいい。自分には、完全な静けさが必要なのだ。ほとんどもう生きているのかどうかが感じられなくなる程までに、簡素なつきつめた生活がしたいのだ。」
「淀んだ水、生気のない町、静まりかえったこの空気の中にいると、ユーグは、心の痛みも和らぐ思いになれるのだった。亡き人のことをいっそうのなつかしさで追想できるのだった。運河沿いの道を、水に流れて行くオフィリアの面影を求めて行くと、亡き人の姿がいっそうよく見え、その声がいっそうよく聞こえてくるのだった。遠くの方で、細くきいんと鳴り交わすカリヨンのうたを、その人の声かと聞き入るのだった。」

「風が最後の木の葉を吹き払って行く、その秋の晩、淋しさのあまりに、ユーグはいつもより以上に、人生がはやく終ってしまえばいい、墓に入る日が待ち遠しいと思うのだった。高い塔の間から、ひとつの黒い影がすうっと、ユーグの魂に伸びてくるような気がした。古い壁の間から何か語りかけるものがあった。ささやくような声が、水の面からもきこえてきた。――水は、ユーグを迎えにきたようだった。あのオフィリアを迎えにきたように。シェイクスピアの中で、墓掘り人夫たちがそんな具合だったと言っていたように。
 こういう境地におち入ったのは、これが初めてではなかった。石が語りかけてくる声は、これまでにもなんどか聞いてきた。」



「死都ブリュージュ」「XV」より:

「ユーグの魂は、過去へと逆行しはじめ、今はもはや遠く遙かなものだけしか思い出せぬのだった。」


「鏡の友」より:

「時として、狂気は、最初はもっぱら芸術的で鋭敏な感覚と見えたのが、昂じて絶頂に達したにすぎない場合がある。私には、精神病院に収容され、そこで悲惨な死をとげた友がいた。これからその話をしようと思うが、その病気は、ほとんど取るに足りない、しかも詩人だからとしか思えないような徴候によって始まったのである。
 発端(引用者注:「発端」に傍点)は、鏡が好きになったということで、それ以上は、何ごともなかった。
 彼は鏡を愛していた。その、水の流れのようにとらえがたい神秘の上に身をかがめていた。鏡を、無限に向って開かれた窓のように見つめていた。」

「「鏡がぼくを待ち伏せてるんだ。婦人帽子屋にも、美容院にも、食料品屋にだって、それに酒屋にも、いまではどこにでも鏡があるからね。ああ、あの呪われた鏡。やつらは、そこに映るものを糧にして生きているんだ(引用者注:「やつらは~生きているんだ」に傍点)。」」

「「ぼくは元気になったよ」と、ある日、彼を訪ねて行くと、私に言った。「見てくれたまえ、ぼくの鏡では、何と元気なことか。ぼくを病気にしたのは、街の鏡だったのだ……。だから、ぼくは、もう外出しないのさ……。」
 「全然?」
 「そうだよ、慣れるもんだよ。」
 友人は、おだやかに、憂愁のこもった、遠くを見やるような平然とした様子で言うのであった。」
「「こんな完璧な蟄居生活をしているんじゃ、君が愛している女性たちは、時々街であとをつける女性たちは、どうなるんだい?」
 友人は、不思議な様子をして、古いのや、新しい彼の鏡のすべてを、ひとつひとつ見つめた。
 「それぞれが、ひとつの通りのようなのだよ」と、彼は言った。「これらの鏡は、すべて通りのようにつながっている……。これは明るい大都会だ。ぼくはそこでまた女性たちを追いかけている。かつてこの鏡に身を映した女性たち、それに、永遠にそこに住みつづける女性たちを。ぼくの古い鏡の中の、過去の時代の女性たち、マリー・アントワネットに会ったことのある、お白粉を塗った女性たち……。(中略)でも、彼女たちは、さっさと行ってしまい、言葉をかけられたくもないらしく、通りから通りへと逃げるように、鏡から鏡へと、ぼくをまいていく。それでぼくは、彼女たちを見失ってしまうのだ。でも、彼女たちに近づくこともある。そこで逢引きの約束をするんだ……。」
 間もなく友人は、精神錯乱の決定的な徴候を示した。彼は、自分が誰かわからなくなってしまっていた。鏡の前を通っても、もう自分を見分けられなくて、もったいぶって、自分に挨拶をするのであった。(中略)たくさんの鏡を並べておいたり、互に向いあわせに置いたりしてあるために、この世捨人のひとつのシルエットが、果てしなくふえて行き、いたるところで反映し合い、たえず新たなソジーを生み出し、すべてが最初の人物を模してつくられた双生児のように見えるだけに、いっそう不気味な、おびただしい数の群集の大きさにまでふくれあがるということになるのであった。しかし、その最初の人物は、孤独のままで、何か定かならぬ空間で、他とへだてられたままだったのである。
 そんなとき、私は彼の家で彼と会った。これが最後であった。彼は幸せそうに見えた。そして、豪華で素晴しい彼の鏡のすべて、洞窟の中の声が、無数のこだまを産むように、彼の姿がこだまし合っている深遠なる姿見を私に見せて、私に言った。「ほら、ぼくはもうひとりぼっちじゃないんだ。ぼくは、あまりにひとりで生きてきすぎたよ。でも、友だちというのは、ひどく無縁で、ひどくぼくらとは違っている。いま、ぼくは群集といっしょに生きている、そこではみんなぼくに似ているんだ。」
 その後すぐに、彼を精神病院に入れなければならなくなった。彼の家の窓に野次馬を集め、大さわぎを引きおこすような奇行がいくつかあったからである。彼は、素直で、非常におとなしい態度だった。ただ、彼の鏡のコレクションの代りに、病室のただひとつの鏡しかないのをひどく悲しんだ。しかし間もなく、彼はあきらめた。彼は、そのただひとつの鏡を、ほかのすべての鏡を愛したのと同じほどに愛したのである……。それを見つめ、そこに映る自分に、また挨拶をするのであった。そこに素晴しいものが見えると言い、そこに彼を愛してくれる女性たちを追いかけている、と言ったりする。病気が悪化し、発熱がかなり頻繁になると、「ひどく暑い」と言い、それから少しすると「ひどく寒い」と言うのだった。(中略)ある日、彼はこんなことも言った。「鏡の中は、とても気持がいいにちがいない。いつか、そこに入って行かなくては。」」



「自己の実現」より:

「狂人たちを憐れむにはおよばない。多くの場合彼らは、そのようにして自己を実現するしかないのだ。彼らは、自分がそうありたいと願っていて、現実にはこれまでなり得なかった者になっていく。(中略)自分の夢を現実に生きてしまうのだ。(中略)あまりにも過大な要求すぎて到達できない運命の人々に、狂気は憐れみのように介入してくる。そして、狂気によって、しばしば人は、自分自身を成し遂げるのである。」

「要するに、狂人というのは、おそらく、自分にとってもっとも大切なことだけに、もっぱら極端にまで身を委ね、他の(引用者注:「他の」に傍点)事柄については、理性を失ってしまうだけのことなのだ。」





こちらもご参照ください:

ローデンバック 『死都ブリュージュ』  窪田般彌 訳 (岩波文庫)
Fernand Khnopff et Vienne (1987年)
江戸川乱歩 著/棟方志功 版画 『犯罪幻想』 復刻版
宮川淳 『鏡・空間・イマージュ』 (風の薔薇叢書)





















































































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