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ジョルジュ・シャルボニエ 『ボルヘスとの対話』 鼓直+野谷文昭 訳

「わたしは常に、数学、哲学、形而上学に興味を抱いてきました。自分は数学者であるとか、哲学者であるなどとは申しませんが、しかし数学や哲学に文学の可能性、とりわけわたしを熱中させる文学、幻想文学のための可能性を見出したつもりです。」
(ジョルジュ・シャルボニエ 『ボルヘスとの対話』 より)


ジョルジュ・シャルボニエ 
『ボルヘスとの対話』 
鼓直+野谷文昭 訳



国書刊行会 
1978年11月25日 印刷製本
1978年11月30日 初版第1刷刊行
155p+2p
B6判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,500円
ドゥローイング: 中西夏之


「ホルヘ・ルイス・ボルヘスとの
この対話は、フランス国営放送によって、
一九六五年三月一日から
同年四月一九日にかけて、
《フランス・キュルチュール》として
放送された。」



本書「訳者あとがき」より:

「本書は、Georges Charbonnier, Entretiens avec Jorge Luis Borges, Paris, Gallimard, 1967. の全訳である。」
「ボルヘスとシャルボニエとのあいだでのこの対話は、(中略)一九六五年ボルヘスがパリを訪れた際にフランスの一般の聴取者のためにラジオという媒体を通じて行われたものである。(中略)ボルヘスが苦情を洩らしているような個人生活についての些細な詮索はここにはなくて、対話の内容はもっぱら、彼の重要な作品のいくつかに集中し、文学一般に関する普遍的な論議に向けられているのである。」



そういうわけで、個人生活についての些細な詮索ならそこそこ興味深いですが、文学一般に関する普遍的な論議などは至って退屈です。シャルボニエさんは(対話本をたくさん出していますが)そもそも対話下手なのではなかろうか。


シャルボニエ ボルヘスとの対話



帯文:

「語るボルヘス
単に国際的な前衛作家というだけでなく、真摯にして軽妙なる座談の名手(?)でもあるボルヘスが、1965年パリを訪れた際に気鋭の批評家を相手に、ダダについて映画について語り、ヴァレリーを揶揄しヴェルレーヌを賞揚する、面目躍如たる白熱の対話。(本邦初訳)」



カバー裏文:

「この宇宙の楽しみを味わうためには、多くのことを必要としない。ただ、読んでみればいいだけのことだ。ブエノスアイレスの老紳士が、驚くべき親密さで語る言葉に耳を傾むけること。ようするに、わたしたちは〈眼〉を〈耳〉にして、ボルヘスの〈声〉を聞けばよい。盲目のボルヘスが〈耳〉を〈手〉にして書くことを、わたしたちは反対の操作でたどってみる。眼を耳にしてボルヘスの声をきくこと。声の親密な粒々を眼に浴びながら、親密さに対しては親密に、それを肌にまとわなければなるまい。それは、はたして哄笑の声が聞える快楽そのものだ。
迷宮や形而上学やカバラや書物や言葉やアレフや、そしてボルヘスを、まず、楽しみとして受け入れること。ボルヘスが、書物で出来た宇宙について、快楽と笑いを除いて語ったことが一度だってあっただろうか。
――金井美恵子」



目次:

Ⅰ アプローチ
Ⅱ ウルトライスモについて
Ⅲ 文学についてⅠ
Ⅳ 文学についてⅡ
Ⅴ 文学についてⅢ
Ⅵ 《汚辱の歴史、永遠の歴史〉
Ⅶ 新しい文学のジャンル
Ⅷ 最後の対話

訳注
訳者あとがき (鼓直)




◆本書より◆


「アプローチ」より:

ジョルジュ・シャルボニエ――(中略)あなたの名前の発音のしかたは人によって実にまちまちです。いったい、どう発音すればいいのでしょう?
ホルヘ・ルイス・ボルヘス――わたしの国では一般に、ボルヘス、と発音します。Borges のこの《g》の発音が、おそらく、フランス人にとって少々厄介なのでしょう。ジュネーヴで学生だったころ、みんなはわたしを、ボルジェ、と呼んでいました。音声学的な理由によるのだと思います。わたしはどちらでもよいのですが、正しい発音は二世紀ほど前のポルトガル語のそれで、恐らく、ボルジェシュ、なのでしょう。しかし、いま申しました発音のどれに従っていただいても、或いはあなたのお好きなように発音していただいても、いっこうに構いません。
G・C――ということでしたら、わたしはフランス人ですので、ボルジェと呼ばせていただきます。
J・L・B――では、わたしもこの対談のあいだ、ボルジェで通しましょう。」

G・C――あなたの作品が訳された国語のすべてにわたって、幸いにして翻訳がうまくなされているとお思いですか?
J・L・B――いつもそうだというわけではありません。英語やドイツ語の翻訳を読んでおりまして、ちょっとした困難、困惑とでも言うべきものを感じました。英語には、明らかにひとつの罠があるのです。ご存知のように、英語は二つの音域をそなえています。ゲルマン系の言葉とラテン系の言葉を含んでいるのです。スペイン語のテキストを英語に翻訳なさる方は、敬意を表して、ラテン系の言葉を用いて訳そうとします。そのために翻訳がいくぶんペダンチックになることがあるのです。
例をひとつ挙げましょう、わたしがスペイン語で una habitación oscura (暗い部屋)と書くとします。英語の翻訳者が an obscure habitation と訳せば、ちんぷんかんぷんなことを書いていることになります。と言いますのも、これでは英語の場合、全く不自然だからです。こういう場合には、彼は単にサクソン系の言葉で a dark room と翻訳すべきでしょう。その方が英語では全く簡単で自然です。しかし翻訳者が oscura という単語を見れば、つい obscure と、habitación を見れば、つい habitation と考えてしまうので、彼は an obscure habitation と訳そうとしてしまうのです。」

J・L・B――(中略)わたしは常に、数学、哲学、形而上学に興味を抱いてきました。自分は数学者であるとか、哲学者であるなどとは申しませんが、しかし数学や哲学に文学の可能性、とりわけわたしを熱中させる文学、幻想文学のための可能性を見出したつもりです。」

J・L・B――(中略)わたしはテキストのなかにこっそりジョークをしのばせることもしました。一種の悪夢を表わしている短篇、「バベルの図書館」にはさまざまなジョークが含まれていると思います。それは恐らく、少々秘密めいたジョークでしょう。多分、わたしと友人たちだけが理解しうるジョークだと思います。しかしくどいようですが、わたしはそんなことをしながら楽しんでいたのです。楽しくなければ、書きはしません。」



「新しい文学ジャンル」より:

J・L・B――(中略)わたしがこの物語(引用者注:「記憶の人フネス」)を書いたのは、長いあいだ不眠症に苦しめられたそのおかげです。(中略)わたしは眠りたいと思いながら眠れなかった。眠るには、いろんなことを束の間でも忘れることが必要です。わたしはそのころ――それはかなり長く続きました――忘れるということができなかった。目を閉じる。目を閉じたままベッドのなかの自分を想像する。家具、鏡を想像する。家――それはブエノスアイレスの南部にあるひどく傷んだ大きな家でした――を想像する。庭、草木を想像する。庭には彫像がありました。それらすべてから逃れようとして、わたしはこのフネスの物語を書いたのです。それは不眠症の、忘却に身をゆだねることの困難ないし不可能性の、いわば隠喩です。というのも、眠ることはすなわち、忘却に身をゆだねることだからです。己れの自己同一性、己れの置かれている状況を忘れること。フネスにはこれができなかった。結局そのために、苦悶しながら息絶えた。
この物語のおかげでわたしの不眠症は直りました。つまり作中人物に不眠症をそっくりゆだねてしまった。この物語を書き終えたまさにその日、熟睡できたというわけではないけれども、ともかくその日から快方に向かったのです。
この物語が人々を楽しませたかどうか、その点は分かりません。いずれにせよ、わたしの、わたし個人の役には立ちました。」
「確か、キップリングだったと思いますが、彼は、作家には寓話を作り、しかもそれら寓話に含まれる教訓がなんであるかを知らずにいることが許されている、と言った。」
「解釈はいろいろあると思います。ある物語の解釈は、常に、その物語の後に来るものです。まず象徴、或いは物語がある。その後に、ほかの人間たちがそれを解釈する。これはわたしの仕事ではない。それは読者としての、批評家としてのあなたの仕事です。わたしの仕事ではない。ここで重要なのは、その物語が他人の意識のなかで生き続けるということです。解釈が多岐に渡ればそれに越したことはない。わたしはいかなる解釈も斥けたりしません。(中略)斥けたり受け入れたりすることは、わたしの仕事ではない。もしその物語に生命力があれば、間違いなく、さまざまな解釈を生むでしょう。現実についての解釈の場合と全く同じです。わたしたちは、自分自身の生活の場合でさえ、物事を正しく解釈できるとは確信を持っては言えません。自分たちの真の意味を、仮にそれがあればの話ですが、決して知ることもないでしょう。これはまた別の問題でしょうが。」



「最後の対話」より:

J・L・B――いつまでも残ることを願う書物は、さまざまな読み方ができるものでなければならない。いずれにせよ、変化しうる読み方、変化していく読み方を可能にするものでなければなりません。それぞれの世代の人間が偉大な書物を違った風に読むものなのです。」




こちらもご参照ください:

ジョルジュ・シャルボニエ 『デュシャンとの対話』 北山研二 訳 (みすずライブラリー)
『Jorge Luis Borges: Conversations』 (ed. by Richard Burgin)
『Ascending Peculiarity: Edward Gorey on Edward Gorey』 (ed. by Karen Wilkin)


































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