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『トマス・ド・クインシー 著作集  Ⅱ』 (全四巻)

「わたしの意見は状況次第でいかようにも変わる。そよ風吹く晴れた日の朝、わたしはふてぶてしい懐疑論者であるが、たそがれ時ともなると徐々に信じ易くなり、遂には徹底した盲信家に変貌する。」
(トマス・ド・クインシー 「ジャンヌ・ダルク」 より)


『トマス・ド・クインシー
著作集 
Ⅱ』
 

ジャンヌ・ダルク 中村健二 訳
イマーヌエル・カントの最期の日々 鈴木聡 訳
卜籤と占星術 南條竹則 訳
薔薇十字主義者とフリーメイソンの淵源に関する史的批評的研究 横山茂雄 訳
秘密結社 宮川雅 訳
イスカリオテのユダ 宮川雅 訳
異教の神託 松村伸一 訳
イギリスの郵便馬車 高松雄一・高松禎子 訳


国書刊行会
1998年2月10日 初版第1刷印刷
1998年2月20日 初版第1刷発行
564p 訳者紹介1p 
A5判 丸背紙装上製本 貼函
定価8,400円+税
装幀: 高麗隆彦



第三回配本第二巻。



ド・クインシー著作集2



帯文:

「主要著作を集大成した初の作品集!!
駅伝馬車とナポレオン戦争の思い出がド・クインシーの内面に落とした光と影をめぐる壮麗な夢のフーガ『イギリスの郵便馬車』。ボルヘスやペイターの〈想像の伝記〉の先駆的作品『イマーヌエル・カントの最期の日々』ほか8篇を収録。
本邦初訳!」



目次:

ジャンヌ・ダルク (中村健二 訳)
イマーヌエル・カントの最期の日々 (鈴木聡 訳)
卜籤と占星術 (南條竹則 訳)
薔薇十字主義者とフリーメイソンの淵源に関する史的批評的研究 (横山茂雄 訳)
秘密結社 (宮川雅 訳)
イスカリオテのユダ (宮川雅 訳)
異教の神託 (松村伸一 訳)
イギリスの郵便馬車 (高松雄一・高松禎子 訳)

訳註
解説・旋回するテクスト (鈴木聡)




◆本書より◆


「イマーヌエル・カントの最期の日々」より:

「散歩から帰って来るとカントは書斎の机のまえにすわり日暮れどきまで読書した。思索にとってはまことに好適な薄暮の時間帯、彼は、自分の読んでいる書物がそれに価するものである限り静穏な瞑想に専念するのだった。もしそれほど没頭できる本がなければ、翌日の講義のために草稿を書いたり、ちょうどそのときに執筆中の著作の一部を書いたりした。このような平穏のとき、彼は冬といわず夏といわず決まって暖炉の傍(かたわら)を定位置とし、レーベニヒト区教会の古塔を窓越しに眺めた。彼がそれを見ていたというのは適当ではない。というよりはむしろ、その塔は、はるか遠くの音楽が耳に届くような具合に、視野のはしにかかっていた――沈潜して、あるいはかろうじて半ばだけ意識されるものとして。黄昏と静謐(せいひつ)な夢想という状況のもとで眺めるとき、この古い塔からカントが得ていた充足感は、いかなる言葉をもってしても説得力豊かに説明することはできないだろう。彼の心の平安にとりその塔が果たすにいたった重要な役割りは、以下に述べるような後年の出来事を見ても明らかだ。というのは、隣家の庭の数本の白楊(ポプラ)があまりに高くそびえ立ち、ついには件(くだん)の塔を覆い隠すまでになったときのことである。これを見てカントは、不安を覚え落ち着きをなくし、やがて夕べの瞑想を行なうことがまったくできなくなってしまった。幸いにしてその庭の所有者はたいへん思慮深い親切な人物であったうえに、なによりもまず、カントのことを大いに尊敬していた。それで、事情を説明されると、この隣人は白楊(ポプラ)を伐るようにと命じてくれた。その命令が実施されて、レーベニヒト区教会の古塔はふたたび姿を現わすことになった。カントは平静さを取り戻し、もう一度、黄昏の瞑想を平安のうちに行なうことができるようになったのである。」

「昼夜を問わずカントは汗をかかなかった。しかるに、驚くべきことに、彼は書斎の室温をいつも必ずかなり高めに保ち、しかもその温度が一度でも低くなると落ち着きをなくすのだった。彼が主に生活の場とした部屋は華氏七十五度という一定温度に保たれていた。そして、もしその温度より低くなるようなことがあれば、それが一年のどの季節のことであろうとも、人為的手段を用いて通常の標準温度に達するまで温めたのである。夏の猛暑のなかで外出するときは軽装で、絹の靴下をはくことが常であった。けれども、それだけ薄着をしても活動的な鍛練に携わると発汗してしまうことが必ずしも避けられない場合、念のために用意している対処方法もあった。どこかの木蔭にはいると、彼は――耳を傾けているか、なにかを待ち受けているひとの風情と姿勢をもって――ふだんの乾燥度(引用者注:「乾燥度」に傍点)が回復するまで、じっと身動きせず立ちつくした。蒸し暑さの絶頂にある真夏の夜でさえ、ほんのかすかな汗染みでも寝巻に跡をつけるようなことがあれば、衝撃的なことこのうえもない事故について語るかのように、力をこめてその話をするのが彼の習いであった。」

「彼の生活と習慣の極度の均一性からすると、小型ナイフや鋏のようなつまらぬ品物の配置であろうとほんの些細な変更でも、心を動揺させかねなかった。それらの位置が通常より二、三インチずれていたのではもちろん、ほんの少し斜めにおかれていても駄目なのである。また、椅子のようなもっと大きな物の場合は、ふつうのおき方に手を加えたり、移動したり、数をふやしたりしたことがカントをひどく当惑させることになった。彼の視線は、配置の違っているところに不安げにとどまり、旧来の状態が回復するまで眼を離すことができなくなるのだった。」



「卜籤と占星術」より:

「私の書斎には、人が泳げるほどの大きな風呂桶がある。泳げるほどと言っても、それは泳ぎ手があまり高望みをせず、せいぜい三インチしか前に進めなくとも満足できるならば、の話だが。この風呂桶、(元来の用途については)お払い箱となったが、草稿の貯蔵庫として役に立っている。あらゆる種類、あらゆる大きさの紙が桶の縁まで一杯に詰まっている。労を払ってさがしもとめるならば、私によって(引用者注:「よって」に傍点)、私に宛てて(引用者注:「宛てて」に傍点)、私のために(引用者注:「ために」に傍点)、私に関して(引用者注:「関して」に傍点)、さて又私を詰(なじ)って(引用者注:「詰って」に傍点)書かれたあらゆる書き物をば、この巨大な貯積(ちょせき)の中に見出すことができるであろう。」


「秘密結社」より:

「秘密結社をめぐる謎に対する私自身の興味はかなり幼い頃に始まったのであった。」
「白昼ひそかに、見えざる信号で、仮に(引用者注:「仮に」に傍点)見えても自分たち以外には理解されない信号で交信する。結合の絆は、公然と是認することが危険な目的、あるいは、畏怖すべき真理という、より大きな絆であり、それを容認しようとしない時代の敵愾(てきがい)心から身を隠すために、謎の重い帳(とばり)の背後に数代にわたって引きこもることを余儀なくされる。群衆の中に隠れることは崇高(サブライム)である。遠い遥かな世代から群衆のあいだを隠れ伝わることは二重に崇高である。」

「間もなく私は他の結社について読むことになった。それらはさらに秘密に満ちたもので、東洋の寓話で王の宝を地下で守っている不眠の龍のように、公表するのが危険な、囁くことさえ危険な真理(引用者注:「真理」に傍点)を監視しているのだという。秘密と、秘密の理由の、双方が崇高だった。兄弟愛と完璧な信頼によって結び付いた人々が秘密の部屋で真夜中に会合し、体を張って包み隠し、危険を冒して、真理の孤独なランプを守る――世間の不注意と甚だしい無知(これ(引用者注:「これ」に傍点)によってランプはすぐに消されてしまうだろう)から守る――世間の憎悪(これ(引用者注:「これ」に傍点)はランプの生命をすぐに攻撃するだろう)から守るというイメージ、これは超人的に崇高だった。この人たちの不安は崇高だった。勇気は崇高だった。秘かな、盗人(ぬすっと)のような手段は崇高だった。大胆な目標――地上の王国を変えるという目標――は崇高だった。臆病者のように活動し運動していたとして、彼らは崇高だった。殉教者の大胆さで計画したとして、彼らは崇高だった。臆病者であるよりは殉教者だった。表に現われる臆病と、裏に潜む勇気は、同じ機構の二つの部分だったのだから。」

「森の中でニンフやシルフの女神たちをかいま見た者は時々望みのない情熱に捉えられた。彼らは nympholept だった――空気から生まれたニンフの天上的美しさに取り憑かれ(引用者注:「取り憑かれ」に傍点)譫妄状態に陥った人たち。エピレプシーとしても知られるこの愛は、nympholepsy と呼ばれた。」



「イスカリオテのユダ」より:

「しかし、他の使徒たちが単に師を理解し損なったのに対して、ユダは全くの憶測に基づいて自分こそはキリストを理解したと思い込み、キリスト自身よりもキリストの目的を了解したと思い込んだ。ユダの目的は甚だ大胆だったが、しかし(私の説明している説に従えば)まさにその理由で少しも不実なものではなかった。(中略)ユダは自分がキリストのまさに最も深遠な目的を遂行していると考えたが、それはキリストに特徴的な虚弱が欠いていたエネルギーによって遂行していると考えたのだった。ユダは、キリストが認めたが実現させる大胆さを欠いていた大きな政治的変化は、彼(引用者注:「彼」に傍点)の行動力によって実現されると夢想した。ユダの希望はこうだった。ユダヤ当局によって現実に逮捕されたときにキリストはもはや逡巡しない。エルサレムの民に信号を送らざるを得なくなり、すると彼らは、キリストを反乱運動の長に置くこととローマのくびきを投げ捨てることという二重の目的のために一斉に立ち上がる。この計画の世俗的な見通しとしては、イスカリオテが正しかったことは有り得ないことでは全くない。」


「イギリスの郵便馬車」より:

「闇の中からファニーの面影を思い起せば、四十年の深淵からふいに六月の薔薇が浮び上る。また、一瞬、六月の薔薇を思えば天使のようなファニーの顔が浮ぶ。聖歌の交誦のように代る代るファニーと六月の薔薇が、六月の薔薇とファニーが浮ぶ。それから二つは聖歌のように交じり合い――薔薇の花々とファニーたちが、ファニーたちと薔薇の花々が楽園の花のように幾重にも重なって果てしなく現れつづける。その次に、王室御用の真紅と金の制服を着用し十六重のケープをまとった高徳の鰐尊者が現れる。鰐はバースの郵便馬車の御者台から四頭立ての馬を駆る。その時、突然、時刻の彫像に飾られた巨大な文字盤が出現して、われわれ郵便馬車の者たちを引き止める。時刻たちは天空や天使の群と交じり合う。それから、われわれはいきなりマールバラの森に到着し、愛らしいノロ鹿の家族たちと一緒になる。鹿と仔鹿たちは露を宿す茂みに隠れる。茂みには薔薇の花々が咲きこぼれている。薔薇はまたしてもファニーの愛らしい顔を呼び起す。彼女は鰐の孫娘であるから、半ば伝説上の恐ろしげな動物たちの一群を――グリフィン、竜、バシリスク、スフィンクスを――目覚めさせ、ついには相争う幻影たちすべてが群がり合って、聳え立つ紋章の楯に入りこむ。楯には滅び去った人間の慈愛と美を表徴する広大で花やかな図柄があり、言い表しがたい魔性のものたちに四分割されている。すべての上に、あたかも一切の頂にある兜飾りのように、一人の麗わしい女性の手があり、その人差指は優しく悲しげに戒めるように天を指している。天には大地とその子らの儚さを宣告する永遠の文字が刻まれている。」

「おそらくわれわれの誰もがこの夢から逃れることはできない。たぶん人間の背負う悲しい宿命のせいであろう、この夢はあらゆる世代を通じて、われわれの一人一人にエデンの園の原初の誘惑を繰り返してみせる。この夢の中では一人一人の意志の弱味に餌が差し出される。またしても人間を誘惑して破滅の快楽に陥れる罠が仕掛けられる。またしても原初の楽園におけるように、人間は自らの選択によって堕落する。老いた大地がまたしても秘密の洞穴から天に向っておのが子の弱さを果てしなく嘆きつづける。またしても「自然はその座から全創造物を通して溜息を吐き」、またしても「すべては失われたという嘆きをしるす」。ふたたび、神への限りない反逆を悲しむ天に応じて嘆きの溜息が繰り返される。われわれの一人一人が、夢の世界の中で、自分自身に向って原初の罪を実証してみせているという可能性もなくはない。たぶん真夜中に眠る者のひそかな葛藤のもと、当座の意識に照らし出されはするが、すべてが終ればたちまち闇に呑まれて記憶から消える夢の中で、この不可思議な種族の子のそれぞれが、原初の堕落という神に対する反逆を自らのために完結させているのかもしれない。」





こちらもご参照ください:

『トマス・ド・クインシー 著作集  Ⅲ』 (全四巻)
ジェラール・ド・ネルヴァル 『阿呆の王』 篠田知和基 訳












































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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