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『トマス・ド・クインシー 著作集  Ⅳ』 (全四巻)

「人間全体にとって忌まわしく恥ずべきそのほかの残虐行為の数々がこの癲狂院では実行されており、それは必ずしも下男たちが与えられた権力を濫用するという形ではなく、管理者たちが揮う直接の権力によって行なわれていた。にもかかわらず、この癲狂院は患者に対する寛容な治療のために最も好ましい病院に選ばれ、実際きわめて高い評判を保ち続けたのである。」
(トマス・ド・クインシー 「湖水地方と湖畔詩人の思い出」 より)


『トマス・ド・クインシー
著作集 
Ⅳ』 


湖水地方と湖畔詩人の思い出 藤巻明 訳


国書刊行会
1997年2月10日 初版第1刷印刷
1997年2月20日 初版第1刷発行
685p 訳者紹介1p 
A5判 丸背紙装上製本 貼函
定価8,858円(本体8,600円)
装幀: 高麗隆彦



第二回配本・第四巻。
地図2点、モノクロ図版9点。



ド・クインシー著作集4



帯文:

「主要著作を集大成した初の作品集!!
コールリッジ、ワーズワス、サウジーら英国ロマン派の詩人たちや、湖水地方の思い出深き人びとの複雑深遠な肖像画。文学史上に不動の地位を保つ高名な回想録『湖水地方と湖畔詩人の思い出』を詳細な註を付して全訳。
本邦初訳!」



目次:

湖水地方と湖畔詩人の思い出 (藤巻明 訳)
 第一章 サミュエル・テイラー・コールリッジ
 第二章 ウィリアム・ワーズワス
 第三章 ウィリアム・ワーズワスとロバート・サウジー
 第四章 サウジー、ワーズワス、コールリッジ
 第五章 グラスミアの思い出
 第六章 サラセン頭
 第七章 ウェストモアランドと谷間の住人たち
 第八章 チャールズ・L――の思い出
 第九章 湖水地方の社会――エリザベス・スミス、シンプソン一家、K――氏
 第十章 湖水地方の社会
 第十一章 歩き屋ステュアート、エドワード・アーヴィング師、ウィリアム・ワーズワス

付録1 『テイツ・エディンバラ・マガジン』 一八三五年八月号掲載記事からの抜粋
付録2 ド・クインシーからワーズワスへの手紙
付録3 ワーズワスからド・クインシーへの手紙

訳註
解説・偉大なる雄弁と鑑識眼 (藤巻明)




◆本書より◆


「第一章 サミュエル・テイラー・コールリッジ」より:

「しかし、そろそろ、本当の、明白な剽窃の事例に移ろう。とはいっても、それはやはり、コールリッジほど造詣の深い人物が引き起こすとなると全く説明のつかない性質のものではある。(中略)ともかく、これから八百年か千年の後、コールリッジの『文学的自叙伝(バイオグラフィア・リテラリア)』を読んだ後に、偉大なバヴァリアの教授シェリング(中略)の哲学的評論雑録集を読むつむじ曲がりの批評家が現われないとも限らない。すると、その人は奇妙な発見をすることになるだろう。「文学的自叙伝」のなかには、Esse 実在(引用者注:「実在」に傍点)と Cogitare 思惟(引用者注:「思惟」に傍点)のあいだの相関関係に関する論述があり、議論の出発点である仮定を逆転させることによって、それぞれが、思惟可能な生成過程によって、どのようにして他方からの所産として生じうるのかを示そうと試みている。これは、フィヒテの時代以来、ドイツの形而上学者たちの心を大いに捉えてきた主題であり、何千もの論文が書かれ、そのうちの何百かは何十もの人々によって読まれている。特にこのコールリッジの論文には短い前置きが付けられていて、そこでコールリッジはシェリングとの偶然の一致に気づいて、真実に従ってそうするのが適当である限りいかなる場合にも、これほど偉大な人物に恩義を被っていることを喜んで認めようと表明しながら、特にこの場合については、proprio marte 自分固有の技能にて(引用者注:「自分固有の技能にて」に傍点)全仮説を考えついてから何年か後に初めて目にした議論を借用した可能性などあるはずがないと主張していた。これを読んだ後で、この論文全体が最初の一語から最後の一語にいたるまでシェリングからの逐語的な(引用者注:「逐語的な」に傍点)翻訳であり、議論を発展させるなり実例を変えるなりして、もとの論文を自分独自のものとする試みが一箇所としてなされていないことを発見した時、私の驚きたるやいかばかりであったろう!(中略)今挙げたものは鉄面皮な剽窃であり、思慮分別を持ち合わせていれば、わが国でドイツの文献、とりわけこの方面のドイツの文献に関する知識がないことを過度にあてにしない限り、犯せるはずのないものであった。ところで、コールリッジはシェリングから借りる必要などあったのだろうか。In forma pauperis 貧民としての権利で(引用者注:「貧民としての権利で」に傍点)借りたのだろうか。そんなことは全くなかった――だからこそ不思議だったのである。毎日毎日時を選ばず、ただ自分自身の営みが楽しいという理由だけで、己れの魔術的な頭脳という織機からもっとはるかに豪華絢爛たる理論を紡ぎ出し、しかもその理論たるや、シェリングが――これまでに生を享けたいかなるドイツ人も、ジャン・パウルでさえ――夢にも真似ようのなかった華麗で贅沢な比喩によって裏づけされていたのだった。黄金郷(エル・ドラード)の富に囲まれていながら、コールリッジは思い付けば誰の財布からでも一握りの黄金をくすねるようなはしたない真似をし、桁外れの事業主や百万長者(引用者注:「百万長者」に傍点)に取り憑くことで有名な軽窃盗罪行為に走る気違いじみた性癖を、知的な富に応用した新しい形で紛れもなく再現していた。先代のアン――公爵は、銀の匙などという取るに足らない品物に対して密かな熱狂を注ぐのを自制できなかった。そこで、父親の評判を落とさないよう気を配って、腹心の召使いに父親のポケットを探らせ、盗んだ品物の本来の持ち主を突き止めさせるのが、殊勝な娘の日々の務めとなったのである。」
「コールリッジは、自負してしかるべき重要な点のすべてにおいて、この世に生を享けたいかなる人にも劣らず独創的であり、古代ならアルキメデス、近代ならシェイクスピアにも劣らない人であったと私は心から信じている。読者は、ギリシアとローマの教父たちの著作のなかにも下らないものが含まれているというミルトンの説を目にしたことがおありだろうか。あるいは、アフリカの魔術師(オービア)が魔法にかける案山子(かかし)に詰め込む奇怪ながらくたについての話を読んだことがおありだろうか。あるいは、もっとお馴染みの例を挙げれば、子供――例えば三歳の――が夏の長い一日戸外で思う存分遊び回った後で眠りを貪っている時に、そのポケットを探って楽しい思いをしたことはおありだろうか。私にはその経験がある。そして、(中略)中身を細かく調べそのすべてについての正式な一覧表を作成した。ひょっとすると(引用者注:「ひょっとすると」に傍点)選択の法則が子供の苦心の行動を支配していたのかもしれないのだと説明を試みようとすると、哲学は途方に暮れ推測や仮説は混乱に陥る。文鎮にでもする以外これといって特徴のない石、古くて錆びついた蝶番、釘、料理女が背を向けた隙に掠め取ってきた曲がった焼き串、ぼろ布(きれ)、割れガラス、底の抜けた紅茶茶碗、そのほかどっさりある似たような宝物が、この procés verbal 議事報告書(引用者注:「議事報告書」に傍点)の主要項目であった。だが、この素晴らしい宝物を集めるために、多くの骨折りの必要が生じ、おそらくある種の危険に直面し、確信犯の泥棒が懐く不安に堪えねばならなかったことは疑いない。コールリッジの行なった強奪の値打ちはその程度であった。本人、あるいはほかの誰にとっても、その実用性はその程度であった。」

「当人を知っている者は、コールリッジがいかなる約束をしようと決してそれを当てにしてはいなかった。その意図はいつも決まって立派なものだったにもかかわらず、in re futura 未来のことに関しては(引用者注:「未来のことに関しては」に傍点)いかなる確約を与えられてもそれを真に受ける者はいなかった。午餐やそのほかの集まりにコールリッジを招いた人たちは、当然のことながら、馬車を送り、自ら出向くか代理人を派遣するかして連れて来なければならなかった。更に、手紙については、愛情の籠もった敬意を懐かせる女性の筆跡で宛名書きされていない限り、その他大勢の配達不能郵便物用抽斗(引用者注:「配達不能郵便物用抽斗」に傍点)のなかへ十把一絡げに抛り込んで、めったにと私は思うが、開封することさえなかった。」

「目は大きく、その表情は柔和だった。お目当ての人であると分かったのは、目の光に靄がかかっているというか夢見心地を湛えているような独特の様子からであった。これがコールリッジだった。私は一分かそこらこの人物をしげしげと眺めていた。すると、私自身の姿も通りにある何物もその目に映ってはいないという印象を受けた。白日夢にどっぷり浸っていたのだった。」

「一八一〇年の秋コールリッジは湖水地方から去った。しかも――私の知る限り――永遠に。(中略)様々に移り変わる美しい光景のあらゆる姿形をあれほど知り尽くしていた場所からこのように永遠の自己追放を行なった理由が何であったのか、私には推測することしかできない。おそらく、いかにももっともと思われるようなものとは正反対の理由であった。万が一にも、美しい光景の魅力に対して無関心になったからではなく、美しい光景の圧倒的な力に反応し続け、衰えることを知らぬ感受性が、余りにも苦痛に満ちた記憶と、突然思い出され照らし出される個人的な追憶の迸り――

  「十年も深く埋もれし隠し場所より
  時に飛び出してきて、」

耐え忍ぶには余りに辛く余りに痛ましい形で、現在と長く忘れられた過去とを鉢合わせさせるような追憶――と、結び付いてしまったからであった。私の友人に、海岸を―― ανηριθμον γελασμα、すなわち無数の笑顔を浮かべた波が目に入ったり、あるいはその響き渡る轟きが耳に届いたりするところを――歩くことができないという異彩を放つスコットランド人がいる。波は古くからの連想による結び付きによって、燦(きらめ)いてはいたが余りに熱烈すぎた自分の青春時代を、とても耐えきれないような形で心に呼び起こしてしまうからというのである。」



「第二章 ウィリアム・ワーズワス」より:

「その当時私は、体裁よく振る舞うことが覚束ないほど会話の能力に欠けていたのだろうか。その点に関して言えば、それは私がワーズワスと似ている(中略)特異な点であった――すなわち、ごく若い頃、私は興味を惹かれた事柄についての考えを十分に伝えようとすると、奇妙な当惑と言葉の欠乏に悩まされていたのである。また、欠乏していたのは言葉だけではなかったのであり、一つの主たる考えが幾つかの付随的な考えに拡散してゆくことがよくあるものだが、そうした付随的な考えを解きほぐすことはおろか、それらを完全な形で自分の意識に上らせることや、しかるべく整理することさえもできなかった。というか、少なくとも、そうしたことを会話に必要とされる迅速さをもって行なうことはとうていできなかったのである。私は、知性と深い感情とが結び付いて複雑に縺れ合った考えを提供するような主題を扱っているのだと気づくたびに、悲しい預言の苦しみを全身に漲らせた巫女(シビラ)のように苦しんだ。そして、一つにはこうした事情から――また一つには、夢想に耽りがちな私の抜き難い習癖のために――人生のその時期に、私は “pour le silence” 「沈黙のための」きわめて卓越した才能を備えていたのである。」

「イギリスに生を享けた女性で、これほどはっきりとエジプト人のように日焼けした顔を見たことは稀だった。その目は、ワーズワス夫人のように柔和ではなく、かといって険しくも大胆不敵でもなく、熱に浮かされていて、人をどきりとさせるようで、動きが気忙しかった。人当たりは温かく、熱烈でさえあった。感受性は生まれつき深みを帯びているようだった。そして、熱烈な知性の名状し難い焰が一見して明らかにそのなかで燃え、それは当人の気質の抗い難い本能によって前へ押し出されてはっきりと表面に表われたかと思うと、それに代わってたちまち、(中略)守るべき慎みに従って、消し止められるということを繰り返していたが、この焰のために、態度全般と会話において、当惑ばかりでなく自己矛盾の雰囲気さえも醸し出されており、時には見ていて痛ましいこともあった。発言と発音すら、しばしばというよりもむしろたいていの場合、明瞭さと落ち着きという点に関して、過剰な生来的感受性の興奮とおそらくは何か病的な神経の興奮性との影響を被っていた。時折、自己の内部で拮抗し妨害し合う様々な感情のせいで吃ることさえあり、余りに決定的な形で吃ってしまうため、もしも事情を知らぬ者がこの姿を見てその時の感情の状態のままそこから立ち去ったとしたなら、この女性は吃りという発話能力の欠陥にチャールズ・ラムその人と同じくらい痛ましく苦しめられている人なのだときっと考えたはずである。これが詩人の唯一人の妹ワーズワス嬢――詩人の大切な「ドロシー」――であり、偉大な兄が最も孤立し引き籠もって暮らしていた時に兄とのあいだで交わし生涯に渡って続くことになった交流に、当然のことながらたいへん多くのものを負っていたが、一方、兄の方でも妹に対してこの上なく深甚な恩義を被っていることを認めていた。」

「詩人は戸外に生きていた。そして、途方もない喜びを、兄と妹は自然のごくありふれた外観とその果てしない多様性とから引き出していた――その多様性たるや余りにも際限がないため、ライプニッツの原理通りに、木や灌木の葉っぱ一枚もその繊維質とその配列において正確にほかのどの葉とも決して似ていないのだとすれば、ましてやある一日がその喜ばしい要素の全体に渡って別の一日の繰り返しになることなどないというほどであった――」

「ワーズワス嬢は、威厳のために不可欠の慎み深さを保つには、余りに情熱的で激しやすい女性であった。(中略)手短にいえば、私がこの世で知り合った誰よりも、ワーズワス嬢は衝動に生きる人であった。」
「ワーズワス嬢の型破りな教養が実際に(引用者注:「実際に」に傍点)人を驚愕させた例は、その文学的な知識に関してであった。何を読むにせよ読まないにせよ、専ら自分の心の衝動だけに従ったのであり、心が導くところならそこへ(引用者注:「そこへ」に傍点)付いて行き、心が沈黙しているか無関心なところでは、著者の名が高かろうが、社交上の必要を満たすためにその著者の作品と馴染みになる必要があろうが、そんなことは一顧だにしなかった。そして、このようにして、不思議な例外的な女性が誕生したのである。すなわち、流行の範囲からはかなり外れていた幾人かの偉大な著者たちには深く精通しており、その上自分自身で目覚ましい印象を生み出すことができ、ある種の主題については、楽しく、しかも発する言葉のすべてに独創性の刻印を施して書くことができるにもかかわらず、母国語の古典的な作品について無知であり、(中略)青鞜主義(ブルーストッキンギズム)の地位と特権から直ちに追放されてしまうほど文学史には無頓着な女性であった。」



「第八章 チャールズ・L――の思い出」より:

「確かにそれは紛れもなく気違い病院から脱走してきた気の毒なL――であり、打ち解けて自分になついていると本人がしかるべき根拠に基づいてそう考えていた人物の名誉と愛情に縋って、保護を求めに身を投げ出してきたのだった。」
「とにかく私は一つのことを心に決めており、それは、この不幸な友人に対する私の態度を一定の原則に基づいたものとすること、すなわち相手を率直に扱い、いかなる場合にも身柄の自由にかかわる企ての加担者とはならないということであった。この友人が再び囚われの身となることは分かっていたが、私の手を通してそうするのは御免だった。このような場合には(すなわち、相手が私の誠実さを当てにして身を投げ出してきた場合)人殺しであろうと私は裏切りはしない。」
「人間全体にとって忌まわしく恥ずべきそのほかの残虐行為の数々がこの癲狂院では実行されており、それは必ずしも下男たちが与えられた権力を濫用するという形ではなく、管理者たちが揮う直接の権力によって行なわれていた。にもかかわらず、この癲狂院は患者に対する寛容な治療のために最も好ましい病院に選ばれ、実際きわめて高い評判を保ち続けたのである。」



「第十一章 歩き屋ステュアート、エドワード・アーヴィング師、ウィリアム・ワーズワス」より:

「歩き屋が言うには、野蛮人たちのあいだを行く文明人の旅行者は、護身のための武器を携えていない限り、謂れなき暴力に遭うものと考えた方がいいと一般に思われているけれども、武器は携行しない方がはるかに安全な備えだと分かったということである。同胞である人間がその身を相手の正義感と親切心に向かって投げ出すという形で行なわれる寛容に対する訴えかけを(中略)拒むほど見下げ果てた人間を見たことは一度もなく、それまでの十倍も広範囲に渡る旅をしたとしても決して見ることはなかったであろう(中略)ということだった。」




こちらもご参照ください:

『トマス・ド・クインシー著作集 Ⅰ』 (全四巻)
磯田光一 『イギリス・ロマン派詩人』
川崎寿彦 『森のイングランド ― ロビン・フッドからチャタレー夫人まで』
































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Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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