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『瀧口修造の造形的実験』 (2001年)

「私のこころみは、すべての人のこころみることができるもの。それは可能と同時に限界をもつ。それを思い知ったのはこの私の手。しかし何かがこの手を通って、絶えず循環していることを知る。」
(瀧口修造 「手が先き、先きが手」 より)


『瀧口修造の
造形的実験』

Shuzo Takiguchi: Plastic Experiments


編集: 杉野秀樹(富山県立近代美術館)/光田由里(渋谷区立松濤美術館)
翻訳: 小川紀久子/ギャヴィン・フルー
デザイン: 桑畑吉伸
制作: コギト
発行: 富山県立近代美術館/渋谷区立松濤美術館 
2001年
233p 
24.5×20cm 
並装(フランス表紙) 
グラシン紙カバー


富山県立近代美術館
2001年7月19日―9月24日
渋谷区立松濤美術館
2001年12月4日―2002年1月27日



本書「あいさつ」より:

「瀧口修造は1903年に富山県で生まれ、上京後の1920年代後半から、詩作、当時の最新の芸術動向であったシュルレアリスムの紹介、美術評論など、多面的な文筆活動を始めます。戦前の詩作は、戦後の1967年に『瀧口修造の詩的実験 1927―1937』と題して刊行されました。」
「一方で瀧口は、1959年頃から「ジャーナリスティックな評論を書くことに障害を覚えはじめ」て、エクリチュールの原点を模索しデッサンに着手、これに没頭し始めます。その後、短期間のうちにバーント・ドローイング(焼き焦がし)や戦前にも試作していたデカルコマニー(転写技法)、ロトデッサン(器械の回転運動で円を幾重にも描く)といったさまざまな表現手段を用い、1960年代前半を中心に倦むことなく造形の実験を重ねました。」
「瀧口が後半生に心を注いだ、言葉によらない表現行為は、今まで断片的に紹介されていたに過ぎません。しかし、故綾子夫人が最期まで身近に留めおかれた遺品の中に、未発表の瀧口の制作物が数多く残されていました。
 本展では、これらを中心に調査した成果を技法別に7つに区分して展覧し、瀧口修造の知られざる作り手としての実像を紹介することで、彼の造形的な実験に秘められた意味を再考する機会を作ろうとするものです。」



作品図版338点、資料図版63点、瀧口修造ポートレート他図版9点。



瀧口修造の造形的実験 01



内容:

Foreword (The Organizers)
あいさつ (主催者)
謝辞

瀧口修造 テキスト再録
 私も描く
 手が先き、先きが手
瀧口修造からの、もうひとつの贈り物 (杉野秀樹)
瀧口修造 造形的実験の軌跡 (光田由里)
瀧口さんと「眼に見えないもの」について (恩蔵昇)

図版/Plates
 1950年代
 Ⅰ エクリチュールのイニシエーション
 Ⅱ デッサン、水彩
 Ⅲ 飛沫ノ遊ビ
 Ⅳ バーント・ドローイング
 Ⅴ デカルコマニー
 Ⅵ 手作り本、オブジェ

年譜 (土渕信彦 編)
展覧会歴 (土渕信彦 編)
参考文献 (土渕信彦 編)
作品リスト

I also Draw (1961) (Shuzo Takiguchi/Translated by Gavin Frew)
Another Present from Shuzo Takiguchi [Summary] (Hideki Sugino/Translated by Kikuko Ogawa)
Plastic Experiments by Shuzo Takiguchi [Summary] (Yuri Mitsuda/Translated by Kikuko Ogawa)




◆本書より◆


「私も描く」(瀧口修造)より:

「文字ではない、しかし何かの形を表わそうというのでもない線、この同じ万年筆を動かしながら、ともかくも線をひきはじめた。最初はただの棒線であった。それから、どこか震えるような線、戸惑う線、くるしげにくびれ、はじける線、海岸線のように境界をつくろうとする線、つつぱしる線、甘えるような線、あてのない、いやはや他愛のない線、そんなものが幾冊かの帳面を埋めた。」
「線、線、線。こうして線を書いているうちに、奇妙なひと筆描きのような、自動的な線が突然現われはじめた。それはうねうねとくねりながら、空中にロープをまわすような具合に、上から下へと急降下する。このスピード遊びは私にスリルを感じさせる。それがどんな遊びなのかわからないが、そこにできるくびれた曲線の形が妙にエロティックな誘惑をもつ。そればかりではない、それはときに頭と胴体をもつた人間のような格好を帯びたりする。」
「こんな線形態が、私のどこにひそんでいたのかわからない。」
「私はどこまでも動機を尊重したい。というよりも、私のデッサンにすこしでも取柄があるとすれば、動機だけだといえるようになりたいのである。デッサンの衝動が現われるとき、それを直接にとらえることが私には重要なのである。しかも私はそうした行動にできるだけ自由をあたえたい。(中略)私もすべての人間のようにデッサンする手をもつているという単純な事実をまず率直に確認したいと思う。」
「臆せず手を動かそう。前進しよう。行動の自由。ごく小さな行動でも「自由」が必要である。」



「手が先き、先きが手」(瀧口修造)より:

「文字でない、何かの記号、といっても実はその源泉や所在の定かでないもの。はたから見れば苦しげな手の所業であろうが、眺められる手には、習性のかげに、ふと見慣れぬ姿態を垣間見ることがある。
 何かを体験しつつある手の横顔、または手の知らない手つきを。」
「奇妙なことだが、最初は絵のことなど、まったく念頭になかったのに、スケッチブックを何十冊とかさねるうちに、デッサンのABCというものに否応なく、どこかで触れているな、と意識する。しかし画法の基本とか基礎とか言われる概念とは、思いがけずまったく別のところで。――絵画はどこから始まる? と考えること自体、改めておもしろいと思う。」

「やがて持続のあいだに、どこからか自分のオートマティックな線が、或る速度につれて現われだすのに気がつく。われながら、忌々しいことだが。しかし手癖というには、見慣れない手の動きが繰り出される。おそらく、速度の自動選択とともに。」

「ふと、絵画の小窓のひとつを叩いているのか、裏口の敷居をまたいでいるのか……と思うことがある。だが引返す。動機がそこにはなかったから。」

「手を失った人にも、見えない手、おそらくよりよい手とその運命があろう。
 私のこころみは、すべての人のこころみることができるもの。それは可能と同時に限界をもつ。それを思い知ったのはこの私の手。しかし何かがこの手を通って、絶えず循環していることを知る。」




瀧口修造の造形的実験 02



瀧口修造の造形的実験 03



瀧口修造の造形的実験 04



瀧口修造の造形的実験 05



瀧口修造の造形的実験 06






こちらもご参照ください:

瀧口修造 『瀧口修造の詩的実験 1927―1937』 (縮刷版)
Derek Bailey 『Improvisation』 (revised edition)








































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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

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将来の夢: 石ころ。

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