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ロード・ダンセイニ 『ダンセイニ戯曲集』 松村みね子 訳

「近ごろ彗星がこの地球に近く来たので地球が焦げて暑くなって来た、そのため神々はねむくなった、それで人間の心の中にある神の性質が、つまり、慈善とか、酔っぱらうこととか、贅沢とか、歌とかいうものが次第に消えてなくなったが、神々はそれの注ぎ足しをしようともなさらない。」
(ロード・ダンセイニ 「山の神々」 より)


ロード・ダンセイニ 
『ダンセイニ戯曲集』 
松村みね子 訳



沖積舎
2018年9月5日 発行
273p 付記(出版部)1p
四六判 並装 カバー
定価3,000円+税
カバー: ロード・ダンセイニ
装釘: 秋山由紀夫



本書「解説にかえて」より:

「松村みね子の翻訳による『ダンセニイ戯曲全集』の初版は、大正十年(一九二一年)十一月三日、警醒社書店から出版された。」
「出版にあたっては、原文の漢字を新字に、また仮名遣いは新かなに統一し、現在一般的にはつかわれていない表記(儘、猶、而しなど)はひらがなにひらいたことを、また初版とは作品順が違っていることをお断りしておく。」



「現在一般的にはつかわれていない表記はひらがなにひらいた」とあるものの、「最う(もう)」「最っと(もっと)」がそのままになっているのは何故なのか、謎です。
本書は同じ出版社から1991年に刊行された本の増刷だとおもいます。まだよんでいなかったのでバーゲンブックで出ていたのを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。



ダンセイニ戯曲集



帯文:

「あのイナガキ・タルホが真の男性文学と称賛した、愛蘭土の
ファンタスト、ダンセイニ卿。いとしの第三惑星にかかわる物語を、
星と神々の目から描くことができたこの作家が、生涯にもっとも
力をいれた分野こそ、戯曲であった。折りしもケルティック・ルネッサンスの
意気あがる舞台で演じられた〈妖精劇〉の熱気を伝える、
いちばん古くて、いちばんモダンな神秘劇が、大正期の麗歌人
松村みね子の訳文をまって、いま蘇る。
――荒俣宏」



目次:

アルギメネス王
アラビヤ人の天幕
金文字の宣告
山の神々
光の門
おき忘れた帽子
旅宿の一夜
女王の敵
神々の笑い

解説にかえて (山崎郁子)




◆本書より◆


「アラビヤ人の天幕」より:

アオーブ 沙漠はどうしてあんなにこすく水を隠しているのだろう。沙漠は人間に恨があるのかも知れない。沙漠は都会(まち)のように人間を歓迎してくれない。
ベルナアブ 恨があるんだとも。俺は沙漠は嫌いだ。
アオーブ 都会(まち)ほど美しいものは又とあるまいなあ。
ベルナアブ 都会(まち)は美しいものだ。
アオーブ 俺は思う、都会(まち)がいちばん美しいのは、夜(よる)が人家から滑り落ちて行く夜明けの少し後(あと)の時だ。都会(まち)はゆっくりと夜から離れて行く、ちょうど上着のように夜を脱ぎ捨ててしまう。そして美しい素肌で立って何処かの広い河にその影をうつす。すると日が昇って来てその額の上に接吻する。その時が都会(まち)の一番うつくしい時なのだ。男や女の声が街に起る、やっと聞えるか聞えないくらいにかすかに、あとからあとからと起る。それがしまいにはゆったりと大きな声になって、どの声も一つに集まってしまう。そういう時には都会(まち)が俺に物をいうように俺はたびたび思う。都会(まち)はあの自分の声で俺にいう。アオーブ、アオーブ、お前は何時か一度は死ぬ、わたしは此世のものではない、わたしは昔から何時も在ったものだ、わたしは死なないと。
ベルナアブ 都会(まち)は夜明けがいちばん美しいと俺には思われない。沙漠では夜明けが何時でも見られる。俺は思う、都会(まち)のいちばん美しい時は、日が沈んで夕闇がそうっと狭い町々に降りて来る時分だ。まだ夜(よる)でもない、そうかといって日中(ひる)でもない夕やみ、ちょうど謎のような夕やみ、その夕やみの中では外衣(うわぎ)を着た姿を見ることは出来ても誰の姿だか見分けることは出来ない。それからちょうど暗くなろうとする時、沙漠に出ていればただ真黒い地平線と、その上に真黒い空とよりほか何ひとつ見る物もない時分、ちょうどその時分、風に揺れる提灯がともされる、燈火(あかり)が一つ一つ窓に現われる、そして着物の色がすっかり違って見えて来る。そうすると何処かの小さい戸口から女が忍び出るかも知れない、男が刃物を持って古い遺恨(うらみ)をはらしに忍んで行くかも知れない。スカアミは店をひるのように明るくして一晩中酒を売ろうとする、男たちはあの店の外の腰掛に腰かけて小さい青い提灯の暗いあかりで骨牌の遊戯(あそび)をする、煙のうずまく大きな煙管(ぱいぷ)で強い烟草を吸う。ああ、それを見ているのは楽しいものだ。そして俺は好い気持になって考える、俺が烟草を吸いながらそんな事を見ているあいだに、何処か遠くの方の沙漠では、大きな赤い雲が翼のように拡がっているかも知れない、その雲を見ればアラビヤ人はみんな知っている、明日(あす)は熱風が吹くと、魔(サタン)の父親のエプリスの呪いの息の熱風が吹くと。」

 (中略)ああタランナよ、タランナよ、わたしは此 市(まち)を憎む、ほそいほそい市街(とおり)と、酔いどれの男たちが悪漢(わるもの)のスカアミおやじの悪い評判のばくち店でいつの夜も博奕をやっている此 市(まち)を憎む。ああわたしは祖先の代(よ)から何時の時代にも都会(まち)を見たことのない卑しい家の子を妻としたい。我等二人は沙漠の中の長い路を乗り通して、たった二人でアラビヤ人の天幕までも乗り着けよう。王冠は――何処ぞの愚かな欲深の人間の苦労の種にやってしまえ。」

 そうだ、我々は時の奴隷である。」
エズナルザ 時は沙漠に住んでいるとわたくしの種族(たみ)は申します。あの沙漠の太陽の中にいると。
 いや、いや、時は沙漠には住んでいない。沙漠では何物も変らないではないか。
エズナルザ わたくしの種族(たみ)は申します、沙漠は時の故郷であると。時は自分の生れ故郷には仇をしない。併し、世界の何処の国でも、沙漠のほかの国々をば荒すのだとわたくしの種族(たみ)はいって居ります。」
 時は何物をも惜まず滅ぼしてしまう。
エズナルザ 時よりも最っと力強い人間の小さな子がございます。その子は世界を時の手から救ってくれます。
 時よりも力強いその小さい子は何だろう? 愛だろうか、時よりも力づよいのは?
エズナルザ いいえ、愛ではありません。」
 時にも打勝ち愛よりもなお勇ましいその人の子は何ものだろう?
エズナルザ それは追憶(おもいで)でございます。」



「金文字の宣告」より:

少年 僕は金の塊(かたまり)を持ってるよ。ギションに流れ落ちる小川で僕が見つけ出したんだ。
少女 あたしは詩を知ってるわ。それはあたし自分の頭の中から見つけ出したのよ。」

少年 (中略)僕がそこの扉の上にその詩を書いて上げよう。
少女 書ける?
少年 うん、書けるとも。(中略)この金塊で書いて見よう。鉄の扉だから金色の字が書けるだろう。」

予言者の長 純金で書かれてあります。神々の一人が書かれたのでありましょう。
侍従長 神が?
予言者の長 永遠の星の中に住みたもう神の一人が書かれたのでありましょう。
第一衛兵 (第二衛兵に小声で)昨夜(ゆんべ)おれは星が一つ光りながら地に墜ちるのを見た。
 これは何かの知らせか、それとも最後の宣告か?
予言者の長 星のお言葉でございます。
 それでは最後の宣告であるな?
予言者の長 星のお言葉は冗談(たわむれ)ではございません。
 わしは大なる王であった――星が彼を滅した、星は彼の最後の宣告に神を遣わした、と歴史に云って貰いたい。」



「山の神々」より:


オーグノ (熟考しながら)あの人たちがこんな風になってもう幾月も経つ。何事が起ったのだろう?
サアン 何か悪いことが起ったのだ。
アルフ 近ごろ彗星がこの地球に近く来たので地球が焦げて暑くなって来た、そのため神々はねむくなった、それで人間の心の中にある神の性質が、つまり、慈善とか、酔っぱらうこととか、贅沢とか、歌とかいうものが次第に消えてなくなったが、神々はそれの注ぎ足しをしようともなさらない。
オーグノ まったく、この頃はあついね。
サアン おれは夜よる彗星を見る。
アルフ 神々はねむいんだね。」



「神々の笑い」より:

第二衛兵 王妃(おきさき)はお気が変なのだ。
第一衛兵 お気が変ではないのだが、奇妙な御病気なのだ。何も恐ろしい事がないのに、始終何か恐れていらっしゃるそうだ。
第二衛兵 それは恐ろしい病気だ。それじゃ、上から天井が堕ちかかるか、地面が足の下で切れ切れに裂けるか、怖がるようになるだろう。そんな事を怖がるくらいなら、俺は気違いになった方がいい。」

ルデプラス 神々か? 今の世に神々はない。我々の世が開けてからもう三千年も立つ。我々の幼時を育ててくれた神々は死んでしまった。それともあるいは、もっと年の若い国を育てに行ったのかも知れぬ。」

王妃 ああ、神々のことをおっしゃいますな。神々は恐ろしゅうございます。凡ての、ありとあらゆる審判(さばき)はみんな神々から来るものでございます。うねり曲がった山々の霧の帷帳(とばり)の蔭で、神々は鉄床(かなしき)の上の金属(かなもの)のように未来をお造り出しになります。私は未来が恐ろしゅうございます。」

予言者 日は低く沈みかけている。もうお別れします。私は常に夕日を愛していました。夕日が金にへりどられた雲の中に沈んで見馴れた万物を目あたらしくするのを見に行きましょう。日が入って夜が来る、悪が行われて神々の復讐が来る。」




◆感想◆


「アルギメネス王」は、自分の神(偶像)を持つ者が王になり、その神が滅ぼされれば王座を追われる、という話で、神像を壊され王座を追われダルニアック王の奴隷となって土木工事に従事しているアルギメネス王は、痴呆状態で犬のように骨をむさぼって喜んでいる有様ですが、土を掘っていて、かつて「王様だった人」の「恐ろしい刀」を見つけ、その刀の力によってダルニアック王の神を滅ぼし、王座を奪還します。痴呆状態の時には奴隷仲間のザアブと、ダルニアック王の犬が死んだら死体をもらって食べようなどと相談していたのに、王座に戻ると王様らしさを取り戻して、犬は「先王と共に葬ってやるがよろしい」などと常識的なことをいってザアブをがっかりさせます。

「アラビヤ人の天幕」は、沙漠に憧れる王が自分にそっくりな駱駝の御者に王位を譲ってロマ(ジプシー)の娘とともに沙漠を放浪する話です。

「金文字の宣告」は、少女が「自分の頭の中から見つけだした」詩を、少年が「小川で見つけだした」金で王宮の門に書きつけると、それが神の宣告であるとみなされる話ですが、もちろん、「小川で見つけだした」金塊は神の金塊であり、「自分の頭の中から見つけだした」詩は神が与えた詩であります。

「山の神々」は、神々のふりをして人々を騙そうとした乞食と泥棒がほんものの神々によって石像にされ、それを見た人々が「われわれは疑っていた」が、乞食たちは「ほんとうの神々だったのだ」と平伏する話です。これは、神のふりをした乞食が神に罰せられる話と受けとるのが妥当なのかもしれないですが、わたしとしては、乞食が神になった話として読みたいところです。

「光の門」は、死んだ二人の泥棒が「天の門」を開くとそこには「遠い星が途もなくさまよい歩いている」「無」があるだけだった、という話ですが、「無」をその目で見、神々の哄笑をその耳で聞くことができたこの二人の泥棒は、ある意味、選ばれた人であるというべきなのではなかろうか。つまり、ふつうの人々(奴隷も含む)より王や子どもや乞食や泥棒の方が神に近い、というわけです。

そういうわけで、結論が出たので後ははしょりますが、戦争で殺しあうことしか頭にない「男たち」を怖れた女王が、招待した敵の男たちをナイル河に祈って溺死させる「女王の敵」が印象に残りました。現代的によめば神経症とか殺人とかですが、神話的によめば父権制に対する母権制の勝利です。





こちらもご参照ください:

イエーツ 『鷹の井戸』 松村みね子 訳 (角川文庫)
フィオナ・マクラオド 『かなしき女王 ― ケルト幻想作品集』 松村みね子 訳
ロード・ダンセイニ 『エルフランドの王女』 原葵 訳




























































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