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三浦国雄 『風水|中国人のトポス』 (平凡社ライブラリー)

三浦 ああいうふうな細い道を抜けて行って、カラッと開けるというのは、中国のユートピアのひとつの典型でもあるんですね。それは洞天という洞窟の中の別天地なんですが、閉ざされた内部世界がカラリと外部世界へ反転するわけで、桃源郷もそういうものだと思うんです。」
(毛綱毅曠・三浦國雄 「風水のなかの都市像」 より)


三浦國雄 
『風水|
中国人のトポス』
 
平凡社ライブラリー 105/み-5-1 


平凡社 
1995年7月15日 初版第1刷
433p 
B6変型判(16.0cm) 
並装 カバー
定価1,400円(本体1,359円)
装幀: 中垣信夫
カバー・マーブル制作: 製本工房リーブル
カバー図版: 著者が台湾で入手した羅経(中心が太極で磁石が入っている)


「本著作は一九八八年十二月、平凡社より刊行された
『中国人のトポス――洞窟・風水・壺中天』に、
「東アジアの風水思想」「玉匣記――干支の迷宮」を新たに追加し、
表題を変更したものです。」



「平凡社ライブラリー版 あとがき」より:

「今回ライブラリー収録に際し、全面改訂とまではゆかなかったけれども、各篇に朱を入れて若干の補修を行なったほか、(中略)新たに短文二篇を増補した。」


本文中図・図版(モノクロ)65点。



三浦国雄 風水 中国人のトポス 01



カバー文:

「大地を、一個の巨大な生命体とみなす風水の思想。
そこには、人間の身体と宇宙とをアナロジカルに捉える〈場=トポス〉の認識、
そしてアジア的な自然観の最も本質的な表現がある。」



目次 (初出):

七十番目の列伝――『史記』太史公自序 (「高校通信」 31号、東京書籍、1965年/原題 「司馬遷の孤独」)
空間の造型――『西遊記』演変私考 (「大安」 12巻5号、大安、1966年)
『盆栽の宇宙誌』を読む (「東方宗教」 67号、日本道教学会、1986年)
中国人の天と宇宙 (「現代宗教 5 特集 宇宙論」、春秋社、1982年)
洞天福地小論 (「東方宗教」 61号、日本道教学会、1983年)
洞庭湖と洞庭山――中国人の洞窟観念 (「月刊百科」 250号、平凡社、1983年)
墓と廟 (「中国の古建築」 (『世界の文化史蹟』 17) 講談社、1980年)
墓・大地・風水 (「月刊百科」 260号、平凡社、1984年)
朱熹の墓――福建の旅から (「禅文化研究所紀要」 15号 (入矢義高先生喜寿記念号)、禅文化研究所、1988年)
太虚の思想史 (「集刊東洋学」 50号、東北大学中国文史哲研究会、1983年/原題 「張載太虚説前史」)
形而上の庭 (「中国学志」 乾号、大阪市立大學中国文学会、1986年)
東アジアの風水思想 (「月刊韓国文化」 17巻1号、悠思社、1995年)
玉匣記――干支の迷宮 (「is」 62号、ポーラ文化研究所、1993年)
風水のなかの都市像 (毛綱毅曠・三浦國雄) (「建築文化」 41巻475号、彰国社、1986年)

あとがき
平凡社ライブラリー版 あとがき
初出一覧
解説――生命体としての大地 (吉川忠夫) (「思想」 1989年 第8号)




◆本書より◆


「中国人の天と宇宙」より:

「「天門が開く」というのは『老子』以来、見える人には見える一種の神秘体験として伝承されていったようで、たとえば六朝時代北燕の馮跋(ふうばつ)は、夜天門が開き、赫然(かくぜん)たる神光が庭内を燭(てら)すのを見ているし(『晋書』伏乞載記))、北斉の文宣帝は遼陽山を通った折、やはり天門が開くのを目撃しているが、それは余人には見えなかったという(『北史』斉本紀中)。歴史家はこれらを王位に昇る人の瑞兆として書き留めているのだが、宗教者の体験もなくはない。中国浄土教の祖と言われる北魏の曇鸞(どんらん)は、汾川(ふんせん)の秦陵の故墟に行き、城の東門から入って青霄(あおぞら)を望んだとき、突如天門がからりと開き、六欲天の階位が上下重複するのが歴然と見え、この体験によってそれまで苦しめられていた「気疾」(ノイローゼ?)から解放されたという(『唐高僧伝』巻六)。もう一例。南宋の李庭芝が朝廷の命を受けて江陵(湖北省)から京口(江蘇省鎮江)にやって来た時、突然天が裂け、その裂け目にたくさんの軍馬や旗がひしめくのが見え、旗が紅旗からすべて黒旗に変わったと思う間もなく、その天空の裂け目はふたたび合わさったという(『癸辛雑識』続集上)。この光景は李庭芝だけでなく多くの人々によって目撃されたというから、あるいはこれは蜃気楼のような自然現象であったのかもしれない。」

「まず宇宙生成論について言うならば、天地開闢神話から始めるのが順序であろう。次に引くのは、盤古という巨人によって天地が開かれた話である。
  天地渾沌として雞子(たまご)のごとく、盤古その中に生まる。万八千歳にして天地開闢し、陽清は天となり、陰濁は地となる。盤古その中にあり、一日に九変し、天よりも神(しん)に、地よりも聖なり。天 日に厚きこと一丈、盤古 日に長ずること一丈なり。かくのごとくして万八千歳、天の数は極めて高く、地の数は極めて深く、盤古は極めて長ず。後に乃(すなわ)ち三皇あり。」
「この神話が初めて文献に現われるのは、三国時代呉の徐整『三五暦紀』であり、ここにはすでに陰陽哲学による潤色が見られ、この記述がどの程度古い神話の面影を留めているのか、そもそもこれが漢民族の最も古層の開闢神話なのかどうか(それどころか、これは作られた神話ではあるまいか、という疑いを私は払拭しきれないのだが)、(中略)神話学上多くの問題を含んでいるのだが、これほどイメージ豊かに開闢の様子を描いた神話はほかになく、また後世に与えた影響からしても、やはり筆頭に挙げるべきであろう。」
「徐整はさらにまた、この巨人の屍体が万物に転生したと述べている。」
「巨人の屍体化生神話は、インドのプルシア神話、北欧のイミル神話にもあるらしく(中略)中国独自のものとは言えないが、しかしこうして見てくると、この神話は有機体的宇宙観となって、のちのちまで生き続けたということができるであろう。」

「次に、宇宙構造論を見てみよう。最も古い科学的な構造論は蓋天(がいてん)説の名で知られている。『周髀(しゅうひ)算経』上巻で表明されているこの説によれば、天地はたがいに八万里へだたる平行な平面であり、その形状は「天は円にして張蓋(ひろげたかさ)のごとく、地は方にして棋局(ごばん)のごと」くである。そして固体の天は、北極を中心に左旋(東から西へ)し、日月は右行(西から東へ)する。その関係はあたかも石臼とその上を歩む蟻に似ている。石臼が左旋し蟻が右行するとき、石臼の回転は蟻の歩行より速いから、蟻も左旋しているように見える。つまり、日月は実際には東へ進んでいるのだが、見かけでは天に牽かれて西に没する――。
 蓋天説は前漢までの唯一の支配的な宇宙論であったが、やがてその矛盾を衝かれたため、天地は平行な平面ではなく、ふたつの平行な切断面をもつ球面と修正する(第二次蓋天説)。」
「これに対し、前漢の末に起り、蓋天説を圧倒してのちのちまで信奉せられたのが渾天説である。」
「この説の新しさは、天が地を包み地の下(そこは水の世界)へ回転してゆくとしたところにあった。つまり、蓋天説が天地を上下で捉えたのに対し、内外で捉えたのである。しかし、天を固体とみなし、その形状を天円地方(中略)と考えているところは、伝統的な天地観から逸脱するものではない。
 いったい、天を円、地を方と表象するのは最も根本的な中国人の天地観であった(中略)。のみならず、円形と方形とは天地のシンボルとして都市や建築のプランニングに生かされた。中国の都市や社稷壇(しゃしょくだん)が四角いのは大地を凝縮したからだし、天壇の碧琉璃(へきるり)の屋根が円いのは天の象徴にほかならない。」
「ところで、宇宙構造論としていまひとつ重要な理論を落とすことはできない。宣夜説がそれである。これは(中略)言ってみれば哲学的宇宙論であったが、「天は了(りょう)として質なく、仰いでこれを瞻(み)れば、高遠無極、眼は瞀(くら)み精(こころ)は絶ゆ、故に蒼蒼然たるなり」(『晋書』天文志)というごとく、天の固体性を打ち破り、無限宇宙論への道を開いたところにその斬新さがあった。」
「右の三説のほかにも種々の宇宙論が現われたが、(中略)それよりも、渾天説に依拠しつつ気一元論を発展させ、生成論と構造論と終末論とを統一した、宋の張載――朱熹の宇宙論を紹介すべきであろう。(中略)そのあらましを述べればこうである。天地混沌未分のとき、ただ一気だけが存在する。このガス状の連続的物質は全空間に充満し、生成することも消滅することもない。気はそのまま空間である(張載はこれを太虚と呼ぶ(中略))。しかし気は、聚(濃密化)と散(稀薄化)との絶えざる運動のうちにある。したがって空間はつねに不均質である。やがて、こうした気の部分的運動が全宇宙的規模で始まる。一気は初めゆっくりと回転し、次第にその速度を増してゆく。その回転は外側ほど急速であり、したがって外側の気は稀薄化してゆき、その分だけ中心にゆくほど気は濃密の度を加える。そして一気の回転が極点に達した時、中央の濃密な気は凝固してついに大地が結成され、ここに渾沌は天と地に分かれる。」
「日月星辰もまた天の回転とともに運行する。しかし宇宙は、十二万九千六百年を周期として生成と消滅をくり返す(中略)。地の周りをめぐる気の速度は、末期に近づくにつれて次第に鈍ってゆき、それに応じて中央の地の凝結が解体しはじめる。生成の過程とは逆に、中央の濃密な気は内から外に向かって波動のように拡散してゆき、気の農密度が宇宙全体にわたって均質化した時、一気は回転を停止し、ここに宇宙はふたたび渾沌にもどる――。」

「中国人にとって宇宙は、外在する際限なき時空としてのみあったのではない。彼らは宇宙を自在に伸縮し、いたるところに別乾坤を見出した。
 たとえば「壺中天」の話がある。後漢の費長房なる者がある時、市場で薬を売っている老翁が店じまいしたあと、軒先に吊してあった壺の中へピョンと跳び入るのを楼上から目撃する。翌日、くだんの老人の案内で壺の中へ入ることに成功した長房は、そこに広がる「玉堂厳麗にして、旨酒甘肴の盈衍(みちあふ)る」光景に目を奪われる(『後漢書』方術伝)。(中略)要するに、小さな壺は一個の宇宙を呑み込んでいたのである。そして、のちの内丹術(体内で不死の霊薬を造る技法)では、壺は人体、つまり体内宇宙(インナースペース)のメタファとなる。」
「なお、壺(こ)と瓠(こ)(ひさご、ひょうたん)は古代では通用して使われたから、ここでいう「壺」は人工のツボではなく天然の葫蘆(ひさご)であろう。」
「費長房については、こういう話も伝えられている。彼は「縮地脈」の術の心得があり、千里のかなたの場所も自由自在に目前に引き寄せることができたという(『神仙伝』巻五・壺公)。」



「洞天福地小論」より:

「要するに、人間は宇宙という巨人の体内に棲んでいると考えられていたのである。」

「洞天とは、山中に穿たれた一個の小天(小宇宙)であり、洞窟のごとく外界のごとく、内部世界がいつの間にか外部世界に反転している、クラインの壺のような不思議な空間であった。かかる幻視のユートピアは、一体いかにして生み出されたのであるか。それは端的に言って、身体を宇宙へと開いたあの想像力と同じ力の所産であったにちがいない。我々はさきに、宇宙と洞窟と身体との密接な連関についていささか考察を加えておいた。宇宙と身体には洞窟のイメージが貫通していたが、一歩進めて、三者はイメージとして互いに変換しうるものと観念されていたとしてよかろう。身体の側から言えば、洞窟もまた一個の擬似身体として表象されることがあったはずである。自己の内部世界を反転させた洞窟内の修行者は、その同じ存思のはたらきによって、擬似身体としての洞窟をもまた外へと開いたのであった。かくて道士の瞑想の裡において、宇宙-山(洞窟)-身体という三つの場の境界が消滅し、ここに洞天の世界が現出したのである。
 このような想像力は、より一般化して言えば、道教に特徴的な小宇宙の中に大宇宙を見る精神、閉じられた小さな空無の中に宇宙を容れるかの壺中天の精神、あるいは、「大中に小を見、小中に大を見、虚中に実あり、実中に虚あり」(『浮生六記』)とする精神――と通じるであろう。」



「洞庭湖と洞庭山」より:

「ちなみに言えば、かの五柳先生陶淵明(三六五~四二七)が描くところの桃花源は、この洞天説の換骨奪胎ではあるまいか。あれは、両岸の桃林が尽きた川の源で舟を捨て、狭い山の洞窟(トンネル)を潜(くぐ)り抜けて向こうへ出たらそこにのどかな村があった、というのではなく、私見によれば、その洞窟それ自体が「豁然(からり)と開朗し」――つまり外部世界へ反転したのである。「反転」という言い方に語弊があるなら、その洞窟の内部に一個の小宇宙が蔵せられていた、と言い換えてもよい。」

「ところで、この洞天というのは、閉じられたものが外へ開く――換言すれば、小さな内部世界が大きな外部世界へくるりと反転するという不思議な空間である。」

「壺中天は小のなかに大を見る看法であるが、それは、大のなかに小を見る――この現実を壺天に縮小して捉える見方と裏腹になっている。」
「このような感じ方は、(中略)母の子宮という比類ない壺中天の記憶を持つ、我々の原意識に関わることなのかもしれない。」

「唐の高宗の御代のこと、蜀は青城に住む男が青城山のふもとで薬を採っていたところ、地中深く落ちこんでしまう。もはやこれまでと観念したが、ふと見ると横穴が目に入ったので、そこを辿ってしばらく行くと、洞がぽっかり開いてとある村に出た。実はそこは玉皇(道教の至上神)の治める仙郷だったが、ここで一年ほど快適な生活を送った男は里心がついて故郷に帰る。しかし自分の家はすでに廃墟と化し、留守中に百年近い歳月が流れていたことを知らされる。男は仙女からもらった薬を飲みふたたび山に入って行方知れずになるが、「蓋(けだ)し洞天に去帰せしならん」と作者は結んでいる。」
「また、こういう話もある。唐代のこと、房州(湖北省)に住むある男が二年間も井戸を掘り続け、もう千尺余り(約三〇〇メートル)の深さになるのに水が一向に湧いて来ない。ところがそれからひと月ほど掘り進んだ時、突然地底から鶏犬の鳴き声が聞こえてきた。不思議に思ってさらに掘ってみると横穴がある。そこに入ってしばらく歩くと足元から光が洩れる。覗いてみたら、何とその穴の下には山が聳えていたのである。男はその穴から山の頂上に降り立ち、その山を下って改めて見渡してみると、そこは「別の一天地、日月世界」であった、という。」
「元の虞集(ぐしゅう)(一二七二~一三四八)は一個の岩石がそのなかに洞天を呑んでいた奇譚を伝えている。江西省臨川県の譙楼(しょうろう)(物見やぐら)の前に、幅一メートル余り、高さ六〇センチくらいの、何の変哲もない石が置いてある。人々の言い伝えによると、あるとき蜀の青城山から人がやって来て石を叩くと石が開き、その人は石中の洞府(洞天)に入って行ったという。」

「ところで、何故彼らはこのような奇怪な石を偏愛したのだろうか。要するに、太湖石は洞窟のミニチュアなのである。(中略)中国の士大夫たちは、大きなものは庭に、小さなものは机辺に置くことによって、峨々たる山岳や幽邃な巌穴に思いを馳せるとともに、みずからの日常世界を洞天化しようとしたのであった。」



「墓・大地・風水」より:

「風水術は、中国人の大地に対する特有の感覚に基礎を置いている。大地は冷たい土の堆積ではなく、一個の巨大な生命体と見なされる。そこに生命を賦与するのが気にほかならない。気は宇宙に充満してたえず運動しているガス状の連続する微物質だが、生命体にとっては活力の源泉となる生エネルギーである。
 気と人間との関わりについて言えば、気が人体のなかを流れるルートが経絡(けいらく)であり、その皮膚面における結節点であり鍼灸の治療点が気穴、いわゆるつぼ(引用者注:「つぼ」に傍点)である。経絡のステーションと思えばわかりやすい。」
「大地にもどれば、人体と同様地中にも気がめぐっていると考えられていた。この万物を育む気を地気と呼ぶ。」
「なお、土はむろんのこと石のような固い物質でも気の範疇で捉えられていた。気の一元論者あった三国呉の楊泉(中略)はその「物理論」の中で述べている、「石は気の核、土の骨だ。気が石を生むのは、人間の絡が爪や歯を生むようなもの」。さらに奇異なことに、このような地中の鉱物も生長すると考えられていた。」

「古書にしばしば現われる「地脈」は、地中を縦横に走る地気のルートのことに相違ない。秦の将軍蒙恬(もうてん)は死を賜わった時、自分が死なねばならぬのは、万里の長城を築いた際に地脈を断ったからだ、と呟いて毒を仰ぐ。地脈を断ち切れば、地気が洩れて大地の生成力が枯渇すると考えられていたのであろう。それは大自然に対する重大な犯罪である。」



「太虚の思想史」より:

「「太虚」がこのように万物の始源という性格をもつとすれば、万物は滅びてのちふたたびその始源である「太虚」に復帰するという死生観が存在するのも異とするに足りない。」



三浦国雄 風水 中国人のトポス 02



「形而上の庭」より:

「河図・洛書が、繋辞伝の太極―両儀―四象―八卦という生成過程と照応するとされていたことについては前述した。そこで述べられていたように、河図・洛書ではその中心部が太極の位置であった。」
「さて、こうした素姓探しの考証ばかりしていると、これらの図が庭の設計図であることをつい忘れてしまう。これは本来、眺めたりあれこれ思弁したりするためのものではなく、そのなかへ入って逍遥するためのものなのである。「私」と対峙するものなのではなく、「私」と一体となるべきものなのだ。「私」のための密やかな場所であり、この場所の主人公は「私」でなければならない。その「私」の本来の居場所が太極亭にほかならない。「私」は太極なのだから。
 端的に言ってこの庭は一個の(二個の)宇宙である。これ以上整合的で規範的なものは考えられぬ、それ自体で完結し充足した小宇宙である。ここには世界がまるごと存在する。八卦によって空間が定位され、河図・洛書は時間的生成の暗喩である。のみならず、これらは易と洪範の原型であった。つまりここには、世界と存在の真相が隠されている。
 だが、この場所が息づき意味をもつためには、太極としての「私」がここへ降り立たねばならない。「私」が太極亭から足を踏み出すことによって、この宇宙は始動する。二つに分かれ、四つに分かれ、万化がわが身とともに生成する。ふたたび「私」が太極亭に帰れば、この世界は寂然として音もなくなるだろう。されば、この庭園の逍遥は「造化の遊戯」とでも呼ぶべきであろうか。」



「東アジアの風水思想」より:

「風水思想にもし未来があるとすれば、その価値は、自然をブルドーザーで荒々しく改造するのではなく、所与の自然を想像力によって再構成し、人間と自然との間に安らかな調和を打ち立てるその自然観に求められるべきであろう。」





こちらもご参照ください:

曽布川寛 『崑崙山への昇仙』 (中公新書)
澤田瑞穂 『金牛の鎖 ― 中国財宝譚』 (平凡社選書)
大室幹雄 『囲碁の民話学』 (岩波現代文庫)
武田雅哉 『桃源郷の機械学』


























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