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萩原葉子 『父・萩原朔太郎』 (中公文庫)

「灰ほどきれいなものはないのだよ、おっかさん」
(萩原葉子 『父・萩原朔太郎』 より)


萩原葉子 
『父・萩原朔太郎』
 
中公文庫 A 109-2


中央公論社 
昭和54年2月25日 印刷
昭和54年3月10日 発行
265p
文庫判 並装 カバー
定価320円
表紙・扉: 白井晟一
カバー: 舟越保武



「文庫版あとがき」より:

「「父・萩原朔太郎」が本になったのは、昭和三十四年(筑摩書房)のことであった。後、角川文庫に入り、五十二年再び筑摩書房より新装版が出た。今度(五十四年)中公文庫に入るに当り、初版以来初めて文章の加筆・推敲を試みることに踏み切った。」
「初版後に書いた「父の遺品」八篇を今度一緒に収録し、これで完結定本とすることができたことを、うれしく思っている。」



本書は筑摩書房の新装版をもっていたのですがどこかへ行ってしまったので、あらためて中公文庫版をアマゾンマケプレで注文しておいたのが届いたのでよんでみました。定価より高い420円(送料込)でした。



萩原葉子 父・萩原朔太郎



カバー裏文:

「不世出の詩人を父に持つ著者が、詩人の家族、交友、日常を、若き日の記憶の糸をたぐりつつ克明に描き、その全人像を再現した著者の第一作。文庫化にあたり初めて全篇に加筆推敲を加え、初版後に執筆の八篇をも収録した増補完結定本。」


目次:

晩年の父
 晩酌
 手品
 ある時
 表札のことなど
 訪客
 おむすび
 放送の時
 タバコと帽子のこと
 ある夜のこと
 父のくせ
 父の枕元
 父と迷信
 祖母のこと
幼いころの日々
 馬込村のころ
 北曲輪町にて
父の再婚
再会
父の遺品
 二重回し
 父の遺品
 父の手紙
 電車の中
 父と写真
 たばこと声
 女学生のころ
 手紙
折にふれての思い出(一)
 室生犀星さんと三好達治さんのこと
 北原白秋のこと
 佐藤惣之助のこと
折にふれての思い出(二)

初版あとがき (室生犀星)
文庫版あとがき




◆本書より◆


「晩年の父」より:

「父はとても正直で、嘘や、その場の取り繕いということのまったくできないたちだった。
 私も父に嘘を言われたことは、一度もなかったし、祖母も「朔太郎は馬鹿正直で困ってしまう」と、言っていた。」

「私は、学校の友達が遊びに来ると、決まって、「あの表札、誰が書いたの?」と聞かれるので嫌だった。そして父だとわかると、たいていびっくりするのである。
 父の字は、ちょっと見ると、まるで子供のような字だからだ。家の前を通る中学生なども「なんだ、これ子供が書いたんだね」と、言ったり、塀に石を投げて行くことがあった。」

「「着物は、いつものでいいんだろうね? 朔太郎、朔太郎! おや? まさか今の間に、もう出て行きゃしないだろうね?」と、気がついてあわててあちこち家中を探しはじめる。
 が、どこにも父の姿のないことが分ると、祖母は、
 「あきれたねえ! あんな恰好で、ハンカチやちり紙も持たずに行ったんだろうか?」と、大急ぎに納戸から、羽織、ハンカチ、ちり紙を取り出し、きかぬ気性を、まる出しにして、足早に玄関に行くと、
 「おや? 下駄がないじゃないかね」と、大声で女中を叱る。
 「でもたしかに、今まで庭下駄が出ておりました」と、おどおどした女中の声を後に祖母は、勢いよく格子戸を開けて出て行った。
 しばらくして帰って来た祖母は、息をはあはあさせながら、さもくやしそうに、
 「赤い鼻緒の下駄を、ちゃんと履いている朔太郎をそこの曲り角でたしかに見たので、大急ぎで追いかけたけど、とうとう見えなくなってしまったよ」と、握ったものを力なく畳に落す。
 「じゃ、あの赤い女物の下駄を、旦那さまが……」
 まだ来たばかりの女中は、びっくりして言葉もない。
 「出してあれば何だって、おかまいなしさ、だから旦那さまのは、すぐ目につく所に、いつも置いておかなくちゃいけないよ」と、不機嫌に言ってきかす。
 「旦那さまって、ずいぶん変っていらっしゃるんですね」と、おそるおそる言ったかと思うと、急に女中は下を向いて笑い出した。」

「父には、妙なくせがたくさんあったが、なかでもとてもおかしいくせは、右の細長い人さし指と中指の先で、ひょい、ひょいと、通りがかりにかならず、決った場所にさわってみるくせだった。
 無意識のようでいて、とても神経質に念入りにさわり、酔うとますますひどくなってくるので、見ていても気になりおかしかった。それに鼻のあたりをくんくんいわせるくせも、酔うとひどくて、冬の夜など、遅く酔って帰って、寒そうに咳をしたり、くんくんいって帽子掛の壁を、ひょい、ひょいとさわり、ついでにお手洗の壁までわざわざさわりに行く。それから中廊下を歩くのだが、茶の間の前はちっともさわらないで、階段の曲り角の居間の最後の襖まで来ると何回でも激しくていねいにさわるのだった。
 そして階段をちょっと上ったところで、また右側の壁を瞬間的にひょい、ひょいとさわってからでないと、けっして二階に行かないのである。眠ったような顔で寒い寒いと口ぐせに言いながら、ふわふわと、階段の上の方まで行くと、またせかせかとひき返してきて、今さわった所をもう一度全部の指先で、さあっとそうざらいするように、さすりつけたり、ひょいと指先でふれてみるだけで、気がすんだように上って行くのだった。が、しつこく何度でもわざわざ降りてきては、さわり直しをする時など、いつまでたっても二階に上って行けなかった。」

「父はまた、御飯をぽろぽろこぼすくせがあった。酔うといっそうひどくなるので、お膳の上や畳のまわりは、御飯粒やおかずで散らかって大変なのだった。(中略)それにふだんとても無口な父なのに、飲むと同じことばかり、ひとりごとのように幾度も言うので、とても滑稽だった。祖母が、
 「もうわかったよ、さっきから百ぺんも聞いているよ」と言うが、父はいっこうおかまいなしに、同じことばかり駄々っ子のように言うので、誰も相手にしなかった。そして合の手に、うしろの茶箪笥に、ひょい、ひょいと指先でさわるのである。」

「父はとても臆病で、自分の書いたものを悪口など言われるとかなり気にして、幾日も家にこもったきりでそのたびに、疲れが目立つのだった。こんなに父をいじめる人はずいぶんひどいと、私は思わずにいられなかった。
 家にぜんぜん知らない方が見える時など、父はかなりの怯えかたをするが、わかってしまえば、とてもあけすけに明かるく応対した。
 父は話をする時、早口で言葉がもつれたりして、ちょっと舌足らずの感じで話すが、飲むとすこしゆっくりになってくる。そしていつも伏目で相手の顔を見ないが、何かの拍子に不意に顔をあげて、おどろくほど大きな目で一瞬相手を見て、すぐまた目をそらしてしまうのが父のくせだった。」

「父の枕元にあるもののうち、一番印象にあるのは、立体写真であった。父は二十代のころから、写真に凝って自分で焼つけ、現像などしていたというが、私の幼時のころの記憶では、もう立体写真に凝っていたようだった。
 細いボール紙の板に同じ二枚の写真を貼り、それを眼鏡に入れて見ると、浮き出して見えるのである。」
「ある日、私は父にお茶を持ってゆくと、いつものようにタバコの煙が部屋いっぱいに漂った中に、父は腹這いになって見覚えのある立体写真に見入っていた。が私を見るとあわてて写真から顔を離してこちらを向き、まるで悪いことでもしていたようにおどおどしているのだった。」
「書斎にいる時もそうだが、いつも父は一人でいる時に、誰かに入られることをとても嫌がった。だが「うるさい」などとは、けっして言わず、逆に自分が気がひけて逃げ出すような素振りに、小さくなってしまう。
 私は急いで部屋を出たが、それからは書斎で仕事の合間にも、父はよく立体写真を見ていることがあった。」
「ある時、(中略)私はいつものようにお茶を持って二階に行くと、父の姿はどこにもなく、寝室を開けて見ると蒲団はもぬけの空だった。」
「私は父に悪いと思いながら、立体写真をひき寄せそっと眼鏡をのぞいてみた。」
「すると、どうしたことだろう! つまらない写真だと思っていたのに、過去の時間が再現されて生き生きと浮き出して来た。(中略)幻想的な四次元の世界が展開していたのだった。父が、この立体写真を眺めるのは孤独だからだという思いがすると、私は父の冷んやりした固い蒲団の上に、坐ったまま悲しくなった。」

「きれい好きの祖母が、一番いやがるのは、埃(ほこり)だった。(中略)そそっかしい父は、お燗の湯を火鉢にじゅっといわせて、ひっくり返すことがよくあった。灰はたちまちお膳の上に広がり祖母は顔を真赤にして、「このひどい灰をどうしよう? 雑巾を誰か早く! まったく朔太郎にはあきれてものも言えやしない」と、繰り返し叫び続け、両手を振って一心に灰を払おうとするのだった。しかし父は「灰ほどきれいなものはないのだよ、おっかさん」と言う。祖母はあっけにとられて「朔太郎はまったく、きみょう(引用者注:「きみょう」に傍点)なことばかり言うよ」と言うのだった。」



「幼いころの日々」より:

「このころ「君恋し」「アラビヤの唄」「私の青空」などの流行歌がはやって、頽廃的なけだるい気分がただよっていた。」
「近所の人たちは、急に洋装になった母を見ると、珍しそうにしげしげと眺め「あれ、モダンガールですね」とか「あの足をごらんなさい」などと立ち止って笑ったりした。教室でも、母が洋装で来ると、あっち、こっちで笑い声が起こり、しまいには授業ができなくなるのだった。
 「モダンガールがきたわよ。あれは萩原さんのお母さんよ」と、母と私を比べて言うので、恥ずかしさで胸も塞がれる思いがするのだった。」

「もうダンスに集まる人々もなく、来客もなかった。鴨居に頭がつかえるほど背の高い青年が、よく来るようになったのはこのころだった。まだ少年の面影のある若い青年Wは、いつも学生服を着ていた。前髪を深く下げた、愁(うれ)わしいようすで柱に寄り掛かると、せつなく、けだるい黒目がちの瞳で、「えんじの紅帯ゆるむも侘びしや……」と、いくらか投げやりな調子で「君恋し」のメロディーを低い声でくちずさんだ。すると、母も悩ましそうに、青年と並んで坐り、調子外ずれな声で唄いはじめるのだった。」

「もうかなり暗くなりかけたころだった。ふと気がつくと、父が細い畑の道を、寝巻のようなよれよれの着物を身体に捲きつけるように着て、すいすいと歩いている。ちびた下駄は、今にも二つに割れそうに貧弱で、まるで乞食のように哀れっぽく見えた。うしろから私は、「お父さまあ!」と呼ぶと、びっくりしたようにふり返り、「ああ、葉子か、こんな所で遊んでいたのか」と、茶のソフトの奥で、苦悩の中からわき出たような笑い顔を残し、すぐにまたせかせかと行ってしまうのだった。私はその時の、父の痩せてみすぼらしいうしろ姿がとても気になって、家に帰ると、母に、
 「お父さまの着物、もっといいの着せてあげてよ。乞食とまちがえられたら困るじゃないの」と、言った。
 「つながり乞食」「乞食山にいる大勢の乞食」等、――盲目の奥さんを綱でひっぱって歩く、夫婦のつながり乞食や、とうかん森に大勢集まっているので、乞食山といわれる山に、たむろしている乞食やルンペンが、たくさんいる時代だった。」

「北曲輪町は、昔、城下町だったそうだが、近くの町には、芝居小屋や映画館が並んで、夜になると町は人出で賑わい、三味線の音は二階家の家々から流れていた。(中略)また見世物小屋にも父に連れられて行った。ドギツイ看板の絵を見ると、不思議な動物や人間がいきいきと想像されて、期待と恐怖で恐る恐る父の手を握って中に入った。ろくろっ首という、真白い首の長い女が三味線を弾いたり、ものを食べたりして坐っていたり、片端(かたわ)の子供や蛇がいて、もやもやした、何だか為体(えたい)の知れないじめじめした空気だった。そして看板の絵のようなものは何もなかった。」

「妹の薄弱は学校でもしだいにめだって、
 「この家には、ばかがいるよ」と、門に石を投げられるようになった。私は、今までよりもっと友達がいなくなって、皆が楽しく遊ぶ休み時間には、校庭の隅にかくれて、始業のベルの鳴るのを待った。」



「父の再婚」より:

「いよいよM子さんが家に来ると思うと、私は祖母のことがしきりに気になりはじめた。はたして祖母とうまくゆくだろうか。祖母は非常にわがままであったし、それに他人を愛するということのまったくないに等しい人だった。」

「だが、祖母のいない時の晩酌は、時間におかまいなしにゆっくり飲んだあと、ふだん祖母のいる居間でタバコを喫むと、いつもの眠ったような目で、M子さんの小さい白い足の指を、まるで無意識のようにひょいとさわったりするのである。そうした時の父は母親に甘える赤ん坊のようであった。M子さんがくすぐったそうに笑いながら、
 「葉子さんが見ているじゃありませんか」と、いうのだが父はいっこうに無頓着で、まるで猫の仔でもなでるような手つきで、細い指先でひょい、ひょいとさわったり、掌の中にM子さんの桜貝のような足の指を包んだりするのである。
 M子さんはもうがまんができないように、きまりわるそうに足をひっこめてしまうと、父は眠ったような目をちょっとあけて、こんどはM子さんの指先を、ひょいひょいとさわるのである。M子さんは細い目尻をいっそうあげて笑うと、
 「先生はだだっ子みたいですね」と、指先を任せたまま感心するのだった。」



「父の遺品」より:

「父の二重回しは、もう十年前のもので、酒の染みやタバコの焼跡がたくさんある。冬は和服の上に着てどこへでも出掛けて行き、酔ってふらふら歩いている時など、みすぼらしいため、不審尋問されることは珍しくなかった。薄くなっている故か深夜酔って帰って来る時など、寒い、寒いと言う。
 そんな二重回しでも、一度気に入ってしまうと、新しいのを作るのを嫌がり、祖母がいくら勧めても要らないと取り合わないのである。「困ったねえ、あんなものを着て歩かれちゃ、世間体が悪くてしょうがない」と、言うのが祖母の口癖だった。」

「足早の父は、先の尖った靴でどこでもかまわず一直線に歩いた。石ころをよけて歩いたり、水たまりを避けたりはしないのである。」



「折にふれての思い出(二)」より:

「少女のころとなった私は、(中略)内気で友達も出来ない性格だった。その上に小学校を三度も変り、何よりいやなのは遊び時間と遠足と運動会だった。(中略)家では皆から「母なし子」と邪魔者扱いにされ、毎朝登校前は祖母や叔母たちに拗ね、学校へ行きたくないと泣いててこずらせた。」
「父はあまり家にはいず、毎晩お酒を酔いつぶれるほど飲んでいたようだった。」

「私は銭湯が何よりもきらいで、叔母が入る間中いつも暑い外で待っていたのだが、ある時、父と一緒に男湯に入った。父と一緒に入ることなど珍しいので、うれしくて私はそこら中をかけまわって喜び、父が困って止めても止まらず、あげくの果に小桶の上にのって、はしゃいで底を抜いてしまったのである。」

「父は、時々早合点をする癖があり、それに一度そうと信じてしまうと、別のことを分ろうとしないのである。」
「さすがの祖母も、これには閉口して、「朔太郎のとんちんかんにはまったく骨が折れる」とこぼした。」

「少女のころの私は、お客さまに挨拶することがひどく恥ずかしくて嫌いだった。だから父のお客さまにはよくよくの時でない限り出てゆかなかった。」

「父の若い時にも馬込村の畑を、身なりもかまわずソフトをあみだにかぶって歩いている姿を見て、近所の人達から、バスター・キートンに似ていると言われたそうである。そんな時の父は、誰に会ってもまるで気がつかないで、知人に挨拶されると、ひどくあわてて、ひょいとソフトを取っておじぎをする。その時のおかしいほどのまじめさが似ているのだと思う。
 私も道で父と会っても、大抵はぜんぜん気がつかないですれ違ってしまう。
 「お父さま……」と、呼ぶとぎくっとあわて、ひょいとソフトを取って、私に挨拶をする身がまえになるのだった。」

「妹は、二歳下だが、幼時に高熱がつづいて知能が遅れ、入学を一年遅らせたので、私が女学校四年になる時に、小学校を卒業した。卒業といってもまったくのお情けで実力は一年生よりもなかった。ポケットに石ころを拾って通る人にぶつけたり、ばかやろうと怒鳴ったりするので、目が離せなかった。」
「父は、妹を式場隆三郎氏に診てもらったり、ジェームス坂の斎藤病院に連れて行って相談したり、少しでも癒るものならといろいろ手を尽してみたが、やっぱり打開の道はなかった。」
「滝野川にある精薄児収容の施設に妹を送って行った日は、一日中煙のような雨が降っていた。」
「立派な礼拝堂のある広いT学園には、男子は畑や家畜の世話など、知能に応じての仕事の場所もあるらしかった。女子の仕事は、べったり廊下の隅にうずくまっているだけの子供の世話や、手足が不自由で排便の始末のできない子供の面倒をみることだった。
 先生の話によると良い家庭の子が多くても、外聞をさけるために面会にも来ない親が多いということであった。」

「父は指が細長くて、器用そうに見えるが実際はとても不器用で、本や小包みなどを父の荷造りで送ると、たいてい向こうへ着くころはぐさぐさになり、中身が半分出てしまったり、ひどい時は何にも無くなっていたということもよくあった。だからギターなども困難な技術のいる曲などは上手とは言えなかったが、その代り曲の味をつかむことが得意だった。感情を思いきり出してしまい、曲の中にすっかり入り込んでしまっているのだった。
 そしてしだいに感情が高ぶってくると、指先は乱れ、楽器に指を打ちつけているような弾きかたとなり、不思議に曲の感じが出てくるのだった。」

「祖母は「朔太郎はよごすからよい着物は着せられない」と、いつも言ったが、父は寝巻のままでも飲みに行ってしまうのに、新しく着物を作るという時には、かなり気むずかしくてやたらのものでは気に入らないのだった。」
「その代りひとたび気に入ってしまうと、もうそればかり着てしまうのでこんどは脱いでもらうのにまた祖母は苦心するのだった。」

「父の洋服は、もう十年ぐらいも新しいものを作らなかった。それも全部で二着きりない。」



「初版あとがき」(室生犀星)より:

「私はよく萩原を訪ねた。そして何時も茶の間から出て来た葉子は、突立ったままにこりともしないで、何しに来たとでもいうよう大きい眼一杯に私を見て、お父さんはいるかねと聞くと、肯(うな)ずいて見せて、いるわといってハシゴ段の下の段から顔を上に向けて言った。
 「お父さん、むろうさんが入らっしったわよ」
 「あ、上れといってくれ」
 その返事が私にも聞えたので、葉子がアゴをしゃくっている間に、ハシゴ段を上って行った。そして私が後架に行く為に階下に降りると、葉子はまだ茶の間をうろうろしていて、私の顔を見ても矢張りにこりともしなかった。
 何時行ってもこの子は茶の間に立って、うろうろしている変な子だ、何処かまともに言葉がいえないオシのようなものがあって、この様子だと学課の方もよくはあるまいと思った。」






こちらもご参照ください:

『続 幻影の人 西脇順三郎を語る』
堀口大学 『水かがみ』
富士川英郎 『萩原朔太郎雑志』
泉名月 『羽つき・手がら・鼓の緒』
塚本靑史 『わが父塚本邦雄』























































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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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