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孟元老 『東京夢華録 ― 宋代の都市と生活』 入矢義高・梅原郁 訳注

「潘楼から東へ行ったところの十字路は、土市子と呼ばれ、また竹竿市ともいう。さらに東の十字路大街は従行裹角という。茶坊は五更になると灯をともし、衣類・書画・花環(かんざし)・領抹といった品物の取引売買が行われ、夜明けになると引き払う。これを「鬼市子(ゆうれいいち)」という。」
(孟元老 『東京夢華録』 より)


孟元老 著
『東京夢華録
― 宋代の都市と生活』 
入矢義高・梅原郁 訳注



岩波書店 
1983年3月24日 第1刷発行
1995年6月19日 第3刷発行
xviii 421p 口絵「内城拡大図」1葉
菊判 丸背布装上製本 貼函
定価5,600円(本体5,437円)



「とうけいむかろく」。本文中図版(モノクロ)56点、地図1点、表2点。「元刊本 東京夢華録」影印。
「〔再刷補記〕」は二段組。
本書は1996年に東洋文庫版(平凡社)が刊行されています。



東京夢華録 01


東京夢華録 02



目次:

解題 (入矢義高)

原序
幽蘭居士東京夢華録 巻一 
 東都の外城
 旧京城
 河道
 大内
 内諸司
 外諸司
幽蘭居士東京夢華録 巻二 
 御街
 宣徳楼の前の役所と寺院
 朱雀門外の町々
 州橋の夜市
 東角楼の町々
 潘楼の東の町々
 酒楼
 飲食物と果物
幽蘭居士東京夢華録 巻三 
 馬行街から北の医者町
 大内の西、右掖門外の町々
 大内の前、州橋の東の町々
 相国寺の大衆市場
 相国寺の東門前の町々
 上清宮
 馬行街の商店
 種々の運搬車
 市中の通貨の相場
 人の雇い入れ
 消防
 明け方に店を出す人びと
 いろいろな小商売
幽蘭居士東京夢華録 巻四 
 軍頭司
 皇太子の御成婚
 内親王の降嫁
 皇后行啓のときの乗輿
 いろいろな賃貸し
 修繕用具と僧侶道士の呼びこみ
 宴会の請負い
 会仙酒楼
 食べもの店
 肉の市
 餅の店
 魚の市
幽蘭居士東京夢華録 巻五 
 市民のならわし
 盛り場の演芸
 嫁むかえ
 出産と育児
幽蘭居士東京夢華録 巻六 
 正月
 元旦の朝賀の儀
 立春
 元宵
 十四日、五嶽観への行幸
 十五日、上清宮への御参詣
 十六日
 収灯ののち市民は郊外へ春を探りにゆく
幽蘭居士東京夢華録 巻七 
 清明節
 三月一日、金明池・瓊林苑の池開き
 臨水殿行幸、争標御覧と御宴
 瓊林苑への行幸
 宝津楼の宴殿への行幸
 宝津楼ヘの臨幸、諸軍の演技
 射殿への臨幸と弓射
 御苑を賭け事と見せ物に開放すること
 還幸の儀衛
幽蘭居士東京夢華録 巻八 
 四月八日
 端午
 六月六日の崔府君の生誕節と、二十四日の神保観神の生誕節
 この月に町々で売るいろいろな食べもの
 七夕
 中元節
 立秋
 秋の社の祭
 中秋
 重陽
幽蘭居士東京夢華録 巻九 
 十月一日
 天寧節
 宰執・親王・皇族・百官の祝賀参内
 立冬
幽蘭居士東京夢華録 卷十 
 冬至
 大祭の前の車と象の予行演習
 大慶殿での天子の御斎宿
 行幸の儀衛
 太廟での御斎宿 および神主を捧持して内陣より御出ましのこと
 青城の斎宮へ御到着
 郊壇に御到着、御親祭のこと
 郊祀からの還幸
 大赦
 還御ののち日を選んで諸宮へ御礼詣りのこと
 十二月
 除夜
跋 (趙師侠)

元刊本 幽覧居士東京夢華録 (原文)

あとがき (入矢義高)

〔再刷補記〕  (一九九三・二・一五補記)




東京夢華録 03



◆本書より◆


「解題」より:

「『東京夢華録』十巻は、北宋の首都汴京(べんけい)(現在の河南省開封市)の繁昌記である。宋代では、西の洛陽を西京(西都)と称し、汴京を東京(東都)と称した。ここに記録された時期は、北宋の最後の天子徽宗(きそう)の治下、西暦でいえば十二世紀の初めに当る。
 著者は孟元老(もうげんろう)。幽蘭居士(ゆうらんこじ)はその号であるらしいが、その伝記の詳しいことは、巻頭の自序で語っていることのほかは一切わからない。その言うところによれば、役人であった父が転任するのに随って、崇寧二年(一一〇三)にこの都に来住し、そこで成人した。時あたかも繁栄の極点にあった首都での生活は、彼を存分に楽しませてくれたが、靖康の年(一一二六)の冬、金軍の猛攻を支えきれずに都が陥落すると、彼はその翌年に都を脱出して南下し、江東の地に難を避けた。やがて寄る年の波に、うたた在りし日の楽しさが偲ばれるとともに、また旧都の繁栄の事実が次第に人びとに忘れられかけてくるのが歎かわしく、そこでこの書物を書くことにしたという。この自序が書かれたのは南宋の紹興十七年(一一四七)、都を脱出してから二十一年後であり、彼の齢はおそらく六十歳に近かったか、あるいはそれを過ぎていたであろう。」
「本書の記述内容は、大別して三つの部分に分けることができる。第一は、都市区劃や宮殿・寺院・店舗・名勝地などの名称や位置を述べた地理的説明の部分。第二は、一年を通じての宮中および民間の行事を述べた、いわゆる時令の部分(巻六から巻十まで)。第三は、市民の風習や生活のくさぐさを即物的に活叙した部分である。」
「底本は、東京の静嘉堂文庫に蔵する元刊本で、(中略)この版本が現在われわれの見得る最良のテキストである。」
「注の作成には全精力を費やしたが、それでもなお未詳の事項が相当あり、ことに衣服・食品・植物などの名については、十分に考定できなかったものが多い。」



「巻1 河道」より:

「城壁を穿(うが)って河すじが四つある。」
「中央を流れる河を汴河という。」
「東の城壁の水門の七里外から、西の城壁の水門の外まで、この河にかかる橋は十三ある。東水門の外七里の所にある橋を虹橋という。この橋には橋脚がなく、すべて巨大な材木を使ってアーチ式に架橋し、朱(あか)い塗料で飾りたてたところは、ちょうど空に虹がかかったようである。」



「巻2 潘楼の東の町々」より:

「潘楼から東へ行ったところの十字路は、土市子と呼ばれ、また竹竿市ともいう。さらに東の十字路大街は従行裹角という。茶坊は五更になると灯をともし、衣類・書画・花環(かんざし)・領抹といった品物の取引売買が行われ、夜明けになると引き払う。これを「鬼市子(ゆうれいいち)」という。」


「巻3 相国寺の大衆市場」より:

「相国寺の境内は毎月五回、民衆の取引市場に開放される。大山門のあたりは、すっかり小鳥や犬猫の類の市(いち)になって、珍しい鳥や変わった動物は無いものなしである。第二、第三の山門のところは、どこも家具や道具類の市で、境内には色とりどりのテントを張った露店や模擬店ができ、蒲合(かます)・ござ・屏風・カーテン・洗面用具・馬具・弓剣・季節の果物・塩乾肉などの品々を売っている。仏殿の近くには、孟家の道士用の冠、王道人の蜜漬け果物、趙文秀の筆、および潘谷(はんこく)の墨の店がでる。両側の廊下には、寺々の尼さんが刺繍細工・領抹・造花・宝石細工・首飾り・生色の摺り箔の模様入りの幞頭や帽子・かつら・かんむり・紐・糸などの品を売っている。仏殿のうしろに廻ると、資聖門の前は、すべて書籍・骨董・絵画、および転任する地方官たちが持ち帰った各地の物産とか香料の類を出しており、そのうしろ側の廊下はみな占い師、術使い、伝神といった類である。」


注より:

「似顔かきを伝神というが、ここのはおそらくそうではなく、宋代に流行した箕仙(きせん)の術(神おろし)の類であろうかと思われる。」


「巻3 いろいろな小商売」より:

「馬を飼っていれば、二人が毎日かいばを届け、犬を飼えば飴の滓を届け、猫を飼えば猫の餌と小魚を届けるという商売がある。いかけ屋、かすがい打ち、桶の箍(たが)直し、諸道具の修理、靴直し、革帯磨き、幞頭・帽子の修繕、冠(かんむり)のつくろいなどの御用聞きもある。毎日香印を刷るものは、ちゃんと店を構えていて、家の門口に貼るお札や扁額、また季節季節の行事に応じて神仏の絵像などを刷る。家々に水を売るものは、それぞれ縄張りの町内がきまっている。また漆塗り、かんざし・腕輪作り、大斧を担いだ薪割り、扇子(うちわ)の柄の取替え、練り香屋、豆炭作りがいる。夏には毛〓(漢字: 毛+亶)洗い、井戸さらえなど、欲しい時に何でも直ぐ間に合う。
 また軍隊の休暇の日に、軍楽隊が空き地で音楽を奏する。町々から女子供が見物に集まってくると、そこで飴や果物を売るといった商売がある。これは「売梅子」といい、また「把街」ともいう。」

「毎年春になると、役所から人夫を出して、都内の溝浚えをやる。そのとき別に穴を掘って、浚え出した泥を入れる。それを「泥盆」という。役所から見廻りが来て検分が済むまでは、これに蓋をしないから、夜間の往来には、月の暗い晩などよく気をつけねばならぬ。」



注より:

「陸游の語るところでは、汴京の溝渠は非常に深くて広いものだったので、お尋ね者の恰好の隠れ場にもなって、なかには女を攫(さら)って来てここに囲うものもあり、国初以来、有能な開封府尹でもそれを禁絶できなかったという(『老学庵筆記』巻六)。北宋の梅堯臣に、この溝浚えを詠んだ「淘渠」と題する詩があり、「五歩ごとに一塹を掘り、道路は崩れた堤みたいになって、車馬の往来も絶たれ、家々の通行も遮断され、もし老人が一人で夜歩きなどしようものなら、足を滑らせて一命は助かるまい」と述べている(『宛陵先生集』巻一七)。この溝浚えをやるのは、毎年二月の中旬であった(『東軒筆録』巻一五)。」


「巻6 十六日」より:

「やがて豪華な灯火や炬火(かがりび)がともされ、月影と花の色と、おぼろに霞みわたり、おちこちに燭光(ともしび)がゆらめく。三更(午前零時ごろ)になると、楼上から小さな紅紗の灯毬が、綱につるして中空にさし出される。すると市民にはみな天子の御還幸だとわかる。たちまち楼外に鞭を鳴らす音が聞こえると、山楼の上と下、数十万の灯燭が、一どきに消える。そこで貴人の車馬は、ことごとく大内の前から目白押しに南行して、相国寺に遊びにゆく。
 寺の本殿の前には、音楽の舞台が設けられ、諸軍が楽を奏している。両方の歩廊には詩牌灯がともされているが、たとえば「天碧(あお)くして銀河は下り来らんとし、月華は水の如く楼台を照らす」とか、「火樹には銀花合(あつま)り、星橋には銀鎖開く」とかいった詩である。その灯は木の牌(ふだ)で作られ、文字を彫りぬいて、紗絹(うすぎぬ)で覆ってあり、そのなかに隙間なく灯明を点じ、順々に配列したもので、これまた一つの見ものである。」



注より:

「元代の戯曲『西廂記』に「月明は水の如く楼台を浸す」という句があり、それは五代の蜀の王衍の宮詞「月華は水の如く宮殿を浸す」にもとづくとは、『焦氏筆乗』続集巻三の説である。」


「〔再刷補記〕」より:

「月光を水に喩えた表現は、ほかにも唐の趙嘏「江楼旧感」詩の「月光は水の如く水は天の如し」や、北宋の柳永「佳人酔」詞の「雲淡く天高く風は細(こま)やか、正に月華は水の如し」や、南宋の楊万里「七月十一夜、月下独酌」詩の「月光は水の如く吾が体を澡(あら)う」などがある。」


「巻7 臨水殿行幸、争標御覧と御宴」より:

「天子はまず金明池の臨水殿に行幸になり、群臣を召して宴会が催される。御殿の前には桟橋をかけて儀仗兵がならび、御殿の近くの水面には、飾り立てた船が四隻ならぶ。その船上には諸軍の芸人たち、たとえば大旗使い・獅子舞・豹舞・棹刀(ほこ)使い・蛮牌(たて)使い・神鬼・雑劇(しばい)といったようなのが乗っている。ほかに二隻の船がならぶ。これはみな楽部(オーケストラ)が乗っている。また、小さな船が一隻あって、上に小さな飾り舞台を作り、その下に三つの小さな門があって、人形芝居の舞台のような形になっている。その真向いの水上の音楽船で、参軍色(コンダクター)が祝言を述べ、音楽が奏されると、その飾り舞台の中央の門が開いて、小さな人形の乗った小舟が現われる。その小舟には、一人の白衣の人形が釣糸を垂れており、舳(とも)には少年の人形がいて、棹をさして舟を漕ぎながら、ぐるぐると数回まわり、口上を述べて音楽が奏されると、活きた小魚が一匹釣り上げられる。また音楽が奏されると、小舟は舞台のなかに入る。つづいて人形が築毬(ホッケー)・舞旋などを演ずる。これも、それぞれ祝言を唱え、みながそれに唱和し、音楽が奏されて、おしまいになる。これを「水傀儡」という。
 また、二隻の飾り船が現われる。船上にはぶらんこ台が立てられ、船尾では百戯の芸人が竿に上り、左右軍の院虞候(いんぐこう)・監教らが鼓と笛を合奏している。別に一人がぶらんこに乗って振り、ちょうど水平になろうとするところで、もんどり打って水にとびこむ。これを「水鞦韆」という。
 水上の演技がすむと、百戯(げいにん)の乗った音楽船が一斉に銅鑼(どら)や太鼓を鳴らして、音楽を奏し旗を振りまわしながら、水傀儡の船と二組になって退場する。
 すると小さな竜頭船が二十隻現われる。船上には緋の衣を着た兵士がそれぞれ五十余人乗っていて、どの船にも旗・太鼓・銅鑼を用意している。船首(へさき)に一人の士官がいて、旗を振って合図する。これは虎翼軍の将校である。さらに虎頭船が十隻登場してくる。その上には錦の衣を着た一人が小旗を手にして船首に立つ。ほかのものたちはみな青い短衣を着て、長くとがった頭巾をかぶり、一斉に棹をふり廻す。これは普通の平民から芸人の籍に入れられたものたちである。」



原文より:

「餘皆著青短衣長頂頭巾齊舞棹乃百姓卸在行人也」


「巻7 宝津楼ヘの臨幸、諸軍の演技」より:

「天子が宝津楼へお成りになると、諸軍の演技が楼の下でくりひろげられる。」
「突然に霹靂(かみなり)のような大きな音がひびく。これを「爆仗」という。すると、蛮牌をもった者は退場し、煙が一面にたちこめたところへ、ざんばら髪に仮面をつけ、口からは狼のような牙をむきだし火煙を吐きながら、鬼神のような姿をした者が登場する。身には青地に摺箔の花模様のある後ろ短かの上衣を着、摺箔の黒い袴をはき、はだしで、大きな銅鑼(どら)を手にし、これをもって踊りながら進退する。これを「抱鑼」という。舞台を何回かぐるぐる廻ったり、あるいは地面から火煙を吹き出させたりなどする。また爆仗が一声ひびくと、楽部は「拝新月慢」という曲を奏しはじめる。すると、顔に緑青を塗り、金色の目玉の面をつけ、豹の皮や、錦や刺繍(ぬいとり)の看帯などで身を飾った者が出てくる。これを「硬鬼」という。あるものは刀や斧をもち、あるものは杵(きね)や棒をもち、足踏みしたり立ち止まったりして、何かを追いかけ捕えようとしたり、様子を窺うようなしぐさをする。また爆仗が一声ひびくと、長い髯をつけた面をかぶって、緑の袍をばらりと身にまとい、靴をはき、笏をもち、絵で見る鍾馗(しょうき)のような姿の者が現われ、そのそばには一人が小さな銅鑼を鳴らして拍子を合わせながら踊る。これを「舞判」という。そうしているところへ、二、三人の痩せた男が体じゅうに白粉を塗り、真っ白の顔に金色の目玉で、髑髏(しゃれこうべ)のような格好をして、錦や刺繍の囲肚(はらまき)と看帯とを着け、手には軟杖をもち、めいめ道化のおどけたしぐさをして、狂言芝居のような具合である。これを「啞雑劇(パントマイム)」という。また爆仗が鳴ると、すぐ火煙が湧き起って来て、相手の顔も見えなくなる。その煙の中から七人の者が、みなざんばら髪で文身(いれずみ)をし、青い紗(うすぎぬ)後ろ短かの上衣を着て、錦や刺繍(ぬいとり)の囲肚(はらまき)と看帯を着けて現われる。そのうちの一人は摺箔の花模様のある小さい帽子をかぶり、手に白旗をもつ。ほかの者はみな頭巾をかぶり真剣をもち、組み打ち斬り合いをして、首を斬り、心臓をえぐり出すしぐさをする。これを「七聖刀」という。たちまち爆仗が鳴りひびき、またもや煙が出る。これが散ってしまうと、そこには青い幕でとり囲まれて数十人の者がならぶ。みな仮面をつけ異様な服を着て、お社(やしろ)の中の鬼神の塑像のようである。これを「歇帳(けっちょう)」という。」



「〔再刷補記〕」より:

「「七聖刀」 七聖とは妖術を使って暗夜に人を殺したり物を盗んだりする七人組の兇悪なシャーマンらしい。『夷堅丁志』三の「韶州東駅」の条にその陰惨な話があり、『西湖老人繁勝録』には、佑聖観の前の広場で「七聖法」の術を使って、人の頭を切り落したあと直ぐもと通りについで見せる幻術のことを述べている。」


「巻7 還幸の儀衛」より:

「遊覧の人たちは、一日じゅう賭けをやって取った品物を、竹竿に掛けたりなどしながら帰った。上流の女性でも、小さな轎に花を挿し、簾(みす)を下ろさないでいるものもあった。三月一日から、四月八日の「池仕舞い」までの間というものは、風雨の時でさえも遊覧客があって、空(す)いた日というものはまずなかった。
 この月は春の終わりの月で、百花は爛漫と咲き、牡丹・芍薬・やまぶき・ばらなど色々と市に出る。花売りは馬頭の形の竹籠に花をならべ、その呼び売りの声もすっきりとして耳に快い。日の当った簾(みす)のある静かな庭、朝日を受けて幔(とばり)を掛けた高楼(たかどの)に、昨夜の酒もまだ醒めず、うまし夢からやっと覚(さ)めたというときに、この花売りの声を聞くと、つい新たな感傷が湧き出で、人知れぬ悩ましさもほのぼのと起って、いっときの良い気分のものである。」




東京夢華録 04



東京夢華録 06



東京夢華録 07



東京夢華録 05



東京夢華録 08




清明上河図(ウィキペディア)



































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