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岡谷公二 『柳田国男の恋』

「ひきがへるいつ動くかと見入り居れば庭のおもてに小雨降り来ぬ」
(中川恭次郎)


岡谷公二 
『柳田國男の恋』



平凡社 
2012年6月25日 初版第1刷発行
229p 初出1p
四六判 角背紙装上製本 カバー
定価1,800円(税別)



本書「あとがき」より:

「本書は、平成八年、新潮社から出版した『殺された詩人――柳田國男の恋と学問』に、平成十二年、雑誌『こころ』第三号に発表した「中川恭次郎という存在」(原題「柳田國男の恋をめぐって――中川恭次郎という存在」)なる一文を加え、全体に加筆訂正を行い、重複する部分は削って成った本である。」


『殺された詩人』は愛読書ですが、本書はまだよんでいなかったのでアマゾンマケプレで中古のよさそうなのを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。



岡谷公二 柳田国男の恋



帯文:

「世に知られた恋の詩人は、なぜうたを捨てたのか――。
一国民俗学確立のため、頑なに「私」を否定した柳田國男。
だが、本人の決意とは裏腹に、詩人の感性は
遺著『海上の道』にいたるまで確かに息づいていた。
没後50年、封じられた青年期の恋物語を丹念に辿り直し、
新事実の発見から柳田学の本質に肉迫する。

「我が恋成らずば我死なん」」



帯背:

「民俗学に刻まれた青春」


帯裏:

「國男は、明治三十二年ごろを境にして新体詩を捨て去ったばかりでなく、「空想に耽って、実際を軽く見る」新体詩人のあり方そのものをも否定し、実学である農政学へと大きく方向転換した。(中略)以後國男は、経世済民を念願とし、「学問は世のため、人のためでなければならぬ」と主張し続けるが、このような向日的な現実肯定を、彼の持って生れた素質から出たものと見るむきが多い。いや、それは定説になっている、とさえ言い得る。しかしそれは、彼が「態度を改めた」結果なのであり、彼の決意なのであった。
(本文より)」



目次:

松岡國男の恋
中川恭次郎という存在
殺された詩人
『海上の道』へ

あとがき
参考文献一覧
人名索引




◆本書より◆


「中川恭次郎という存在」より:

「中川恭次郎は、柳田國男(当時は松岡姓)が、明治二十年十二歳の時、次兄井上通泰(みちやす)に連れられて上京し、明治三十七年、結婚し、養子として柳田家に入るまでの間、彼のごく身近にいた存在であり、親戚で、七歳年上ということもあって、とりわけ明治二十九年、國男の父母がたて続けに死去した後は、父親代わりの役さえつとめたと言い得る。」

「柳田國男の話をきくために、そのころ森銑三(せんぞう)さんを、麻布の有栖川公園の中にある中央図書館に訪ねた時のことだった。(中略)森さんは、淡々としたユーモラスな口調で貴重な話を次々として下さった。」
「その折、森さんの口から中川恭次郎の名前が出た。思いがけないことに、森さんはその私淑者の一人だったという。以下は「中川翁」についての森さんの話の要約である。」
「翁は、名利に全く恬淡(てんたん)とした人で、世間の表面に出ることを嫌い、かげで多くの人たちの面倒を見た。」
「理想家肌のところがあり、静岡県の由比の奥に、「新しき村」のさきがけをなすような理想の村を作ろうとして、一家をあげて移住をし、農業をしたこともある。晩年は池上本門寺の境内に微風庵という庵を結び、精神治療法という治療法を編み出して、周囲に信服者を集めた。」
「精神治療というのは、坐禅と医学とを結びつけた独特の治療法で、その集まりは、翁の庵で週に一度、正座と称して線香を焚いて三十分ほど坐禅を組み、そのあと夫人の手料理を食べながら雑談をするだけのことだった。」
「娘の深雪さんは、聾啞学校の先生だった。たまたま日直に当った時、今日はほかにゆくところがあるからお父さん、代りに行ってよ、と頼むと、翁は「ああ、いいよ」と気軽に引き受け、本を持って娘の学校へ出かけてゆき、一日悠然と読書をしながら、娘の代りに日直を勤めて帰ってくるという風だった。
 深雪さんは、父親の看病もあって独身を通した。鍼(はり)をならっておけ、そうすれば自活ができる、という父親のすすめに従って鍼の学校に通い、今は伊豆の奥で鍼やマッサージで生計を立て、知恵遅れの弟さんと暮している。」

「私は深雪さんに手紙を書いた。日帰りで訪ねるつもりだったが、泊りがけで来てくれ、という返事がかえってきた。」
「夜には、由比の山寺に住んで農業をしているというもう一人の弟の敏樹さんもやってきた。」
「私は二時間ばかり、(中略)父君の話をきいた。」
「一度大喀血をして、もう駄目かと思われた時、筆と紙を求めたので持ってゆくと、仰臥したままでしきりに何か書いている。遺書ででもあろうかと皆は静まり返って見守っていたが、あとで読んでみると、なんと猫の特性を三十ばかり並べた一種の猫辞典だったのには皆呆れてしまった。父君は、大の猫好きだったのである。」
「深雪さんが、「よかったら、読んでみて頂戴」と言って、父君の歌集『松花集』と、四、五十枚ほどの、大分変色している原稿用紙の綴りを渡してくれた。」
「「佐渡紀行」と題された深雪さんの原稿の方は、父君と二人で佐渡の僻村の寺に滞在していた時、父君が、医者のいない村の人々の病気を治し、深雪さんが啞の子供に言葉を教えたため、深く感謝されて、お礼のしるしに、一夜村の人々が総出で、寺の本堂で佐渡おけさを踊るという話だった。事実そのままなのであろうが、私の眼にはそれが、この世ならぬ父娘の身に起きたこの世ならぬ幻想物語と映った。」

「私たちは言葉少なに食事をした。夏樹さんは、ほとんど口をきかないが、(中略)深雪さんの言いつけには素直に従って、膳の片付けでも、食器洗いでも何でもした。(中略)夏樹さんを見ていると、知恵遅れとは、世俗の汚れを受けつけない事実の謂(い)いであることが如実に感じられた。いや夏樹さんだけではない。深雪さんだって、敏樹さんだって、浮世の垢が肌に染みない、目に見えぬ保護膜のようなものを、父君から授かっているのだった。」

「それからしばらくして、私は、やはり森さんに紹介されて、中川恭次郎のもう一人の弟子に会いにいった。それは、本門寺の門前の有名な葛餅屋のおかみさんだった。」
「私が伊豆に深雪さん姉弟を訪ねた話をすると、彼女は、夏樹さんは恭次郎の実子なのではなく、さる有名人の隠し子なのだと教えてくれた。それにもかかわらず、恭次郎は実子よりも可愛がって夏樹さんを育てたのだという。」

「その後も私は、中川恭次郎という人物に関心を持ち続けた。(中略)「さる有名人」は、もしかしたら國男かもしれないという思いもあったからである。」

「恭次郎の(中略)歌の対象は、ほとんどが嘱目の自然であり、季節の推移である。人生の所懐といったものは、ごく稀にしか歌われないし、彼の愛する猫に比べると人間は影が薄く、「妻」も「子ら」もほとんど登場しない。歌の若干を抄出しておく。

  ひきがへるいつ動くかと見入り居れば庭のおもてに小雨降り来ぬ
  蜂一つ窓に入り来て家の内をひとめぐりして庭に出で行く
  里川の水をにごして摘み来つる根芹あらへば指のつめたき
  かへり来し猫に目ざめてねやの戸をあくればかをる木犀の花
  月毎に足らぬがちなる世渡りも慣るれば慣れておもしろの世や」

「國男と恭次郎を結んでいたひそかな絆、その具体的な証拠は、國オトコが生涯にわたって恭次郎に送金を続けていた事実である。」

「最後に松岡磐木さんの言葉を引用する。これは、「松岡國男の恋」の掲載誌をお送りした際、下さった手紙の中の一節である。
 「(中略)……中川のおじさんは(中略)、君は口がかたいからと、それまで父や母から断片的には聞いていた『國男の恋』の経緯をすべて話して下さり、『これをたれかに言っておかないと死ぬに死ねない』とハラハラ落涙されました」
 さらに磐木さんは、このことは「縁につながる私の口からは絶対に漏らすことはできない」ゆえ、「私があの世に持って行くほかはありません」と書いている。」
「恭次郎が磐木さんに打ち明けた秘密をここでこれ以上穿鑿(せんさく)することはしない。或る時期、國男の身に深刻な事態が生じたこと、それに恭次郎が深くかかわったことだけは確かである。」
「國男は、明治三十二年ごろを境にして新体詩を捨て去ったばかりでなく、「空想に耽って、実際を軽く見る」新体詩人のあり方そのものをも否定し、実学である農政学へと大きく方向転換した。」
「以後國男は、経世済民を念願とし、「学問は世のため、人のためでなければならぬ」と主張し続けるが、このような彼の向日的な現実肯定を、彼の持って生れた素質から出たものと見るむきが多い。(中略)しかしそれは、彼が「態度を改めた」結果なのであり、彼の決意なのであった。
 國男の新体詩や初期の詩的散文を読むと、彼が、この世がこの世で終らぬことを信じる神秘家的な素質の持主であり、強い他界願望を抱き、不可視なものに惹かれ、厭世感を日常の感情として生きていた青年だったことが分る。」
「このような転換をなしとげるには、よほど強力な契機がなければならず、(中略)この深刻な経験こそ、この転換の契機だったと私は考える。」
「あくまでも「公」を優先させる彼の志向の根に、私は、彼の若き日の(中略)経験が植えつけた罪責感がある、と思うのである。」



「殺された詩人」より:

「要するに私の言いたいことは、昭和初期の彼の精神の不調は、少くとも単なる過労や、家庭内の心労からだけきているのではない、ということだ。」
「「私」から「公」へ、それは実に大きな心の転換であった。」
「彼の若き日の女性関係とそこから生れた深刻な事態の実相は今なお半ば闇に包まれており、今後それが白日の下にさらされることはまずないであろうが、この大きな転換がその辺を契機としていることだけは確かだ。そして強い罪責感がこの転換を促したこともまちがいないだろう。この罪責感を少しでも消すために、彼は「私」を捨てて、「公」へと向ったのだ。」
「彼は、欧米滞在中につぶさに見聞した実証主義の風潮をそのまま受け入れ、民俗学確立のために、それまでもっとも関心を抱いていたテーマすら切り捨て、自分の欲求を抑え、或いはそれに逆らって働いた。だから彼の神経衰弱とは、あまりにも「公」に執しすぎた彼の、忘れられた「私」によるしっぺ返しであり、科学をめざす民俗学者柳田國男によって殺された詩人松岡國男の復讐だったとも言えるのである。」




◆感想◆


エリアーデによれば、現実世界がマーヤー(幻)であると認識した者には二つの対処法があって、ひとつは現実から身を離して隠遁すること(エリアーデの友人シオランの生き方がこれに当たります)、もうひとつは現実が幻であると認識した上で、現実世界における自分の任務を果たす生き方(エリアーデはこっちです)を選ぶことです。
グノーシス主義的なアンチ・リアリティの厭世詩人であった柳田国男が「経世済民」を選んだのもそうで、そうしなければ恒常的な発狂と自殺の脅威にさらされつつ生きることになって、それはたいへんハードです(しかしグノーシス主義者がこの世の現実に過剰に適応してしまうと、今度はなつかしい「光の国」へ帰るべき自己からの疎外 alienation に陥ってしまいます)。岡谷氏の著書『柳田国男の青春』『貴族院書記官長 柳田国男』の中心テーゼもだいたいそういうことだったとおもいます。
ところが、『殺された詩人』で柳田国男の「恋」を真正面から取り上げてしまったために、隠されていたなまなましい現実が自己主張し出して、そのへんの後始末もかねて刊行されたのが本書である、ということになるのではあるまいか。
本書「あとがき」には、『殺された詩人』では「差しさわりもあって、暗示的にしか書けなかった」が、「その後」「確信を得」「かなり踏み込んだ形でその辺の事実を書くことができた」ゆえに「全体の主張が以前より鮮明になったような気がする」とありますが、一読者であるわたしの感想としては、以前の明解な主張(柳田国男は狂気あるいは自殺を回避するために詩を捨てて実学を取った)が、「恋」ゆえにかえって晦まされ、明快さを欠いてしまっているようにおもわれます。確かなことは知りえない「事実」に真正面から関わりあおうとするとそういう状況にならざるをえないので、そのへんのことは、「神社」シリーズについてもいえるのではなかろうか。
具体的にいうと、本書「中川恭次郎という存在」をうっかりよむと、中川恭次郎の子息である「夏樹さん」が、「いね子」(明治33年逝去)との間にできた柳田国男の隠し子であり、そのことへの罪悪感が柳田国男をして「経世済民」へ向かわせた、というふうに取れるのですが、『殺された詩人』(1996年)の「あとがき」(「中川恭次郎という存在」はこの「あとがき」の内容を増補したものです)によると、著者が「深雪さん」姉弟を訪ねたのが「もう二十年近く前」とあるので、多く見積もって1976年、その時点で「夏樹さんは(中略)もう七十近いはずなのに」とあるので、「夏樹さん」が生まれたのは多く見積もっても1906(明治39)年。柳田が「態度を改め」て「経世済民」を志したという明治32年頃よりも後、しかも結婚後です(※)。「ちっとも態度なんか改めていないじゃないか」と言わざるを得ません。

※柳田国男が南方熊楠と絶交した理由を、南方が「女中」として紹介した女の人(「きし」)に柳田が手をつけたからだ、とする説がありますが、それは大正3(1914)年のことなので、「夏樹さん」が「きし」との間にできた隠し子だとすると、今度は少なく見積もっても年代があわないです。



こちらもご参照ください:

岡谷公二 『殺された詩人 ― 柳田国男の恋と学問』

































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