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吉田敦彦 『日本人の女神信仰』

「このようにホモ・サピエンス・サピエンスの文化と共に古いことが確実な、大地母神の崇拝は、縄文時代のわが国においても明らかに、人々の信仰のまさに中心の位置を占めていたにちがいないと思われる。」
(吉田敦彦 『日本人の女神信仰』 より)


吉田敦彦 
『日本人の
女神信仰』



青土社 
1995年9月1日 第1刷印刷
1995年9月20日 第1刷発行
243p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,200円(本体2,136円)
装幀: 戸田ツトム+岡孝治



本文中図版(モノクロ)15点、図1点。



吉田敦彦 日本人の女神信仰



目次 (初出):

第Ⅰ部 縄文の女神
 1 土器と土偶によって表わされた女神 (原題「神話と考古学」/「季刊考古学」、別刷4、1993年12月)
  釣手土器と女神
  顔面把手付き深鉢
  土偶の祭り
 2 柄鏡形住居に見る女神の子宮と産道の表現 (「東アジアの古代文化」、77号、1993年10月)
  祭祀施設としての柄鏡形住居
  埋甕の風習
  子宮と産道の表現
 3 ヨーロッパと日本の先史文化に見る大地母神信仰 (原題「象徴儀礼としての出産――ヨーロッパと日本の先史文化に見る深層」/「イマーゴ」、5巻7号、1994年6月)
  最古の母神信仰と出産儀礼
  縄文文化の母神とその出産
  火の誕生と産道と見なされた住居への入り口
 4 プエブロの人類起源神話と縄文宗教の母神の祭り (原題「神話に見る人間の起源」/「CEL」、30号、1994年10月 ただし収録に当たって、大幅に加筆した)
  後期旧石器時代の地母神信仰
  ウェマーレ族の人類起源神話
  地母の神秘と通過儀礼

第Ⅱ部 昔話に見る女神信仰の名残り
 5 縄文の女神と昔話の主人公たち (原題「福神の系譜――縄文の女神から山姥まで」/「ふじらいふ」、23巻6号、1992年7月、同巻9号、同年10月、24巻3号、1993年4月)
  人を食う恐ろしい山姥
  幸福を授けてくれる山姥
  山姥の大便は五色の錦
  山姥の正体は有り難い女神
  価値あるものに変身した山姥
  人参となった山姥と食物の女神
  縄文時代の女神だった山姥
  竜宮から贈られた黒猫・鶏など
  殺された縄文の女神と昔話の主人公たち
 6 山姥の不思議と正体 (原題「昔話と縄文人の信仰」/「昔話――研究と資料」、22号、1994年6月)
  山姥と死体化生型作物起源神話
  財宝や御馳走を生みだす山姥
  土偶と縄文の母神

第Ⅲ部 アマテラスの本質と起源
 7 アマテラスと「日の御子=稲の王」としての天皇の起源 (原題「稲の王としての天皇の起源」/「別冊歴史読本」、18巻20号、1993年7月)
  生まれてすぐに送り出されたアマテラスとホノニニギ
  天孫降臨と石屋からの出現
  稲作と王権および陽光
 8 アマテラス神話に見る、日本的な意志決定の嚆矢 (原題「記紀神話が日本人一般にとって持つ意味と価値の認識を」/「東アジアの古代文化」、71号、1992年4月)
  自分ではことを決めることをしない、アマテラスとオホクニヌシ
  記紀神話と日本的な意志決定
 9 アマテラスと高句麗の祖母神の柳花 (原題「Georges Dumézil の研究に照らして見た、スキュタイ、韓半島、および日本の神話の関係」/「東亞文化」、31輯、1993年12月)
  はじめに
  オセット人の叙事詩伝説
  日本神話とスキュタイ神話の類似
  高句麗神話と『ナルト叙事詩』の類似
  柳花とアマテラスの類似
 10 アマテラスと三種の神器の起源 (原題「ユーラシア大陸を越えてきた聖宝――比較神話学から見た三種の神器」/「歴史読本」、35巻7号、1990年4月)
  スキュタイ王家のレガリヤ
  三種の神器の意味
  「天」と「水」の神の結婚
  高句麗の神話
  「三種の神器」の源流
 11 三種の神器およびアマテラスと、インド・ヨーロッパ語族の「三機能体系」 (原題「ヨーロッパの神話伝説と日本の神話伝説」/「歴史読本特別増刊・事典シリーズ」、1992年10月)
  ゲルマン神話の場合
  インド・ヨーロッパ語族に共通する三神
  日本での三神や三種の神器との対応

あとがき




◆本書より◆


「土器と土偶によって表わされた女神」より:

「このように体の中に、あらゆる種類の御馳走を、まるで無尽蔵のようにふんだんに持っていた。そしてそれを、気前よく体から出して食べさせるという性質を持っていたとされている女神は、『古事記』と『日本書紀』の神話の中にも出てくる。」
「『古事記』の神話では、オホゲツヒメという名前のその女神は、「種々の味物」つまりいろいろな種類の美味しい食べものを、体の中に持っていた。そしてそれらを、鼻と口と尻から、いくらでも出すことができた。それでこの女神はあるとき、自分のところに食物を求めにやって来たスサノヲのために、そのやり方で体からどっさり、いろいろな美味しいものを出した。そしてそれらを料理して、スサノヲに食べさせようとした。
 ところがスサノヲは、オホゲツヒメが体から食物を出すところを、覗き見していた。それで鼻や口や尻から分泌したり排泄して出した汚いものを、食べさせようとしていると思って、怒ってオホゲツヒメを殺してしまった。そうするとそのようにして無残な殺され方をした、オホゲツヒメの死体の頭からは、蚕が発生した。また両目からは稲が、両耳からは粟が、鼻からは小豆が、陰部からは麦が、尻からは大豆が、それぞれ生じたと物語られている。
 そっくりの性質を持った女神は、『日本書紀』の神話には、ウケモチという名前で出てくる。この女神もやはり、体の中にさまざまな食べものを持っていて、それらを口からいくらでも吐き出すことができた。それであるときツクヨミの訪問を受けたこの女神は、口から次々に、御飯と、いろいろな種類の魚と、鳥や獣とを吐き出した。そしてそれらを御馳走にして、大きな台の上にどっさり盛り上げ、ツクヨミに食べさせようとした。
 ツクヨミはすると、「口から吐いたものを食べさせるとは、なんという汚い無礼なことをするのか」と言って、顔色を変えて激怒した。そして剣を抜いて、ウケモチを斬り殺してしまった。
 そうするとウケモチの死体の頭からは牛と馬が発生した。ひたいからは粟が、眉毛からは蚕が、目からは稗が、腹からは稲が、そして陰部からは、麦と大豆と小豆が、それぞれ発生したと物語られている。」



「柄鏡形住居に見る女神の子宮と産道の表現」より:

「藤森栄一らによってつとに主張されて来たように、縄文時代の宗教の中心を占めていたのは、当時の人々によって土偶や、また殊に中期にはいろいろなタイプの土器によっても姿を表わされて、崇められていた、大地母神的な女神の信仰だった。山本暉久の言う「第一期敷石住居」が作られた時期になると、人々は、自分たちを保護し育んでくれる生活の場であると同時にまた、きわめて神聖な祭場としての意味も持つことになったこれらの住居にも、その有り難い母神の体が具現されているという、信仰を持つようになった。それに伴って住居への出入り口は、ごく自然に、女神の産道として意識されることになった。
 それだからこそ当時の人々は、その場所に埋甕を埋設した。そしてその中に、死産児を埋葬したのだと思われる。
 なぜならその埋葬に使われた甕形の土器は、当時の人々によってこれもまた明らかに、同じ有り難い母神の体を表わすものと意識されていた。それでその甕の中に埋葬されることで、死児は母神の体内に入り、そこで保護されて新しい生命を賦与される。そしてそこからやがて、母神の産道にほかならぬ住居の出入り口部を介して、その場所を埋甕の上をまたいで通る母の体内に受胎され、この世にまた生まれ出ることになると信じられていたと、想定できるからだ。
 このようにして祭場として使われる建物を、母神の体そのものに見立てる信仰は、祭祀にのみもっぱら使われる場所として、柄鏡形住居が出現すると、それに伴ってとうぜん、前の時期におけるよりも格段に強化されたにちがいないと、想像できる。日常の生活の場とはっきり分離されたことで、神聖性と神秘性がおそらく飛躍的に増大した、この建物の内部に、その出入り口部から入ることは、当時の人々にとって、ますますはっきりと、産道を通って女神の体内に入ることと意識された。
 大地母神の体に入ることは、言うまでもなく死を意味する。つまり祭りのために、この柄鏡形という特殊な構造の聖所に入って行くそのたびごとに、当時の人々は自分たちがそのことでいったんは、象徴的な死を遂げるとはっきり意識していたにちがいない。
 だが万物をたえず豊かに生み出し育むことを続けている、大地母神の体内には、これも言うまでもなくまた、無限な生命がまさに横溢している。そこに入る者はそれ故、あらゆる生命の源泉の内奥に深く参入して、その神秘を体験する。そしてそこで、溢れるほどの生命の恵みに浴することができると、信じられていたにちがいない。
 柄鏡形住居の内部で執行された、神秘な祭りへの参加を果たした上で、そこからまた日常生活の場である外の世界に出て来ることを、当時の人たちはそれだからとうぜん、母神の体から新たな生命を得て再生することと、意識していたと思われる。」



「ヨーロッパと日本の先史文化に見る大地母神信仰」より:

「これらの洞穴の中でも特に有名なものの一つにたとえば、南フランスのアリエージュ県のトロワ・フレール洞穴がある。(中略)一九二九年にこの洞穴を探査したキューンは、岩壁画のある奥の広大な「広間」に到達するまでに、彼がそのおりに嘗めねばならなかった非常な苦労のことを、次のように述べている。

   床面は湿ってぬらぬらしており、岩だらけの通路から滑り落ちぬように、細心の注意をせねばならなかった。起伏の激しいその通路を抜けると、その先には一〇ヤードほどの長さのきわめて狭隘な道があり、四つ足で這って通らねばならなかった。その先にもなお、いくつもの大広間と、それらをつなぐ狭い通路が続いていた。……
   鍾乳石の眺めは、本当にすばらしかった。天井から滴り落ちる、水滴の幽かな音が聞こえるほかには、何の物音もせず、動くものは何一つなかった。……その沈黙は、じつに不気味なものだった。広く長い折れ曲がった廊下を過ぎると、その先はとても細い坑道になっていた。……その坑道の幅は、わたしの肩幅とほとんど変わらず、高さもそれと同じくらいだった。……そこを通り抜けるためには、両腕を脇腹にぴったり密着させて、腹這いになり、蛇のように身をくねらせて進まねばならなかった。この通路の高さは、所々では辛うじて一フィートほどしかなく、通るには顔を地面に密着せねばならなかった。まるで棺の中を這っているような気がした。頭を上げることもできず、呼吸することすらできなかった。そのあとで穴の高さがいくらか増大し、前腕部で身体を支えられるようになった。だがそれも長くは続かず、通路はじきにまた狭くなった。このようにして、一ヤードまた一ヤードと苦闘しながら、四〇ヤード余りの距離を進まねばならなかった。……頭のこれほど近くに天井があるということは、本当に恐ろしい。それはまた、きわめて困難なことでもあり、その所為でわたしは何度も、頭を強くぶつけた。この苦労には、終わりがけっしてないのではないかと思えたときに、とつぜんその坑道をすっかり通り抜けていた。
   いま立っている広間は、じつに広大だった。天井と壁をランプで照らして見ると、厳粛な雰囲気の感じられる室で、そこにやっと、絵があったのだ。

 このように非常な困難と危険を冒した末にやっと到達できるような、地下の洞穴の奥の広間のようになった部分を、この時期のクロマニョン人たちは明らかに、彼らにとってもっとも重要であったにちがいない、儀礼を行なうための聖所として用いていた。そしてその地下深くの聖所の壁と天井に彼らは、自分たちにとってもっとも大切な狩りの獲物だった、野牛や馬などの動物の画を、(中略)じつに迫真的に描いた。」
「このことからこのような岩壁画の描かれた地下の聖所が、クロマニョン人たちによって、彼らの暮らしに必要なこれらの動物を、無数に妊娠しては生み出してくれる、有り難い母神の子宮と見なされていたことが、明らかだと思える。またそこに行き着くために通らねばならぬ、迷路のような長い地下の通路はまさしく、その母神の産道に見立てられていたにちがいないと想像できる。」
「じじつ母神の産道を表わす長い迷路を危険を冒して通り抜けて、子宮を表わす祭場に行くことは、クロマニョン人たちにとって、そのたびに死をいったん体験することと、信じられていたにちがいない。なぜなら大地母神はその豊穣な子宮から、万物を絶えず地上に生み出すことを続けている一方で、生きとし生けるものはすべて最後には、死んでまた母である大地の腹の中に呑みこまれる。だから大地の腹の内奥に入ることはとうぜん、死ぬことを意味したと思われるからだ。
 しかしながら大地母神の子宮に入ることは同時にまた、万物を妊娠しては生み出すその子宮に、胎児として妊娠されることであるとも信じられていたにちがいない。だからその地母の子宮の中で祭りを実施することで、クロマニョン人たちはそのたびに、そこに充満している無限の生命力に、自分たちも浴したいと念願したのだと想像できる。そして祭りを終えてまた産道である迷路を通り抜けて、明るい地上に出たときには、彼らは心の底から、大地の胎内でいったん死んだあとでまた生命を更新されて、地上に生まれ出ることのできた喜びを味わったのだと思われる。つまり地下の洞穴の奥に岩壁画を描き、そこで祭りをするたびごとにクロマニョン人たちは、象徴的な形で死んではまた再生することを、くり返していたと思えるわけだ。」

「作物の栽培は、それを開始したこの時期の人々によってこれもごく自然に、大地母神の体を傷つけ、分断するような行為であるとも感じられたのだと思われる。じじつどんな原始的なやり方であっても、作物の栽培にあたっては人間は、なんらかのしかたで大地の自然状態を破壊する。大地母神に対する信仰を持つ人々にとっては、それは明らかに、母神の尊い体に殺傷を加えることであったにちがいない。太古に作物の栽培が開始されたとき、人々がおそらく至る所で持ったと思われる、このような観念のもっともあからさまに表明された例として、宗教学の大権威者であったエリアーデはたとえば、十九世紀の末に、北アメリカの原住民ウマティラ族の予言者であったスモハラが語ったという、次のようなきわめて印象的な言説をあげている。

   われわれみんなの母を、農作業によって、傷つけたり、切ったり、引き裂いたり、引っ掻くのは罪だ。わたしに地面を耕せと言うのか。刃物を取り上げて、わたしを生んだ母の胎に突きたてることが、わたしにできるだろうか。もしそんなことをすれば、わたしが死んだときに、彼女はもうわたしを二度と、自分の胎内に受け入れてはくれないだろう。鋤で掘り起こし、石を取り除けと、わたしに言うのか。母の肉を害して、骨を剝き出すことがわたしにできようか。もしそんなことをすればわたしは、また再び生まれてくるために、彼女の体の中に入ることが、できなくなってしまうだろう。わたしに干し草にする草を刈り取り、それを売って白人たちのように金持ちになれと言うのか。自分の母の髪の毛を切り取るようなだいそれたことが、どうしてわたしにできるだろうか。

 このスモハラの言説に表明されているような感情に基づいて、縄文時代のわが国でも人々は、この時期に彼らが始めた、焼き畑による作物の栽培にあたって、自分たちがまさに、大地母神の尊い体を火で焼いているだけでなく、傷つけ、分断していると感じた。ただその感情に基づいて、白人たちのように農業を営んで金持ちになることを断固として拒否したスモハラとはちがって、当時のわが国の人々は、(中略)自分たちの生活のために、芋などの作物の栽培を始めた。」



「縄文の女神と昔話の主人公たち」より:

「全国津々浦々で語られてきた昔話の一つに、「牛方山姥」という次のような筋の話がある。
 牛方かまたは馬子が、牛あるいは馬の背に、魚などの食物の荷を積んで、山を越えようとしていると、山姥が出てくる。そして荷物の食物を、「くれ」と言って要求してはもらって食べることをくり返し、たちまちすっかり食べ尽くしてしまった上に、しまいには牛あるいは馬まで、取り上げて食べてしまう。牛方あるいは馬子は、そのあいだに逃げて行って、一軒の家を見つけ、天井裏などに上がって隠れる。ところがそこはなんと山姥の家で、やがて山姥が帰ってきて、餅を焼いて食べようとする。それで牛方あるいは馬子は、すきを見てその餅を、竹槍などを使って上から取って食べてしまう。
 山姥は鼠に餅を取られたと思い、あきらめて、釜とか風呂桶あるいは櫃などの中に入って寝る。牛方あるいは馬子はそこで、山姥がすっかり熟睡をしたところに下りて行って、釜や桶に蓋をした上から重石を置いたり、櫃を釘付けにするなどして、山姥が目を覚ましても出られないようにする。それから釜や桶の下で火を燃やし続け、あるいは櫃に錐で穴を開けそこから熱湯を注ぎこんで、山姥を焼き殺すか煮え湯を浴びせて殺す。そうすると多くの話では、大変に苦しんで死んだ山姥の死骸が、いろいろな貴重なものになって、それを手に入れた牛方あるいは馬子は、「大金持ち」とか「長者」、「分限者」になったと、物語られている。」



「山姥の不思議と正体」より:

「山姥はこのように、各地に伝わるいろいろな昔話の中で、無残な死に方をして、その死体ことに血から、根や茎の赤い作物が生じるという、不思議な性質を持つことを物語られてきている。この点で昔話の中の山姥には、大林太良によっていみじくも洞察された通りたしかに、記紀神話のオホゲツヒメやウケモチとも共通する、作物起源神話の主人公の女神としての性質が認められると思われる。」
「昔話の中の山姥には、卑見によればまた別の点でも、オホゲツヒメおよびウケモチと奇妙なほど酷似した性質が、見られるのではないかと思われる。なぜならオホゲツヒメとウケモチは、生きていたあいだその身体から、(中略)排泄物や分泌物を出すのと同じやり方で、さまざまな種類の美味しい食物をふんだんに出すことができたと言われている。ところがそれと同様に山姥も昔話の中で、排泄物や分泌物として、貴重な宝物などをまるで無尽蔵のように大量に出す、不思議な力を持つことを物語られているからだ。」
「このように記紀の神話のオホゲツヒメやウケモチとも不思議なほどよく吻合する、昔話に見られる山姥の性質には、卑見では、縄文時代の中期にすでにわが国で崇められていた古い女神の性質の名残りが、いろいろな点できわめてはっきりと認められると思える。その女神に対して当時の人々が持っていた信仰のあり様を、われわれはまず、この時期に急に大量に作られるようになった土偶によって、窺うことができると思われる。」
「ところで土偶は、縄文時代の早期や前期に作られたものを見ても、乳房や腹、女性器などがはっきり、誇張されて表現されたものが多い。(中略)このことから縄文時代を通して土偶には、何か人間にとって大切なものを、身体から豊かに生み出してくれる、母の性質を持つ女神を表わす意味があったことが想像できる。
 縄文時代の中期になると人々は、このような有り難い母神の像であった土偶を、なぜかさまざまな形に、入念に作り上げては壊した。そして破片のあるものは丁重に祭りながら、他の多くの破片は分けて、離れた場所に持って行くことをくり返すようになったのだ。
 それはこの時期から、それまでの狩猟と採集に加えて、何らかの方法で作物を栽培することが、人々の生活にとって肝心な営為になった。そしてそれらの作物や、その他の人間の暮らしに必要なさまざまな資源の起源が、大林太良の言う「死体化生型」の神話によって、説明されるようになったためではなかったかと想像できる。
 つまりその神話を信じることで当時の人々は、作物をはじめとするもろもろの大切な資源が、尊い女神が殺されると、その死体のいろいろな部分から発生するという信仰を持つようになった。そしてその信仰に基づいて彼らは、その尊い女神を表わした土偶を、丹誠をこめて作っては無残に破壊することで、(中略)その死体の各所から作物や他のものを、生じさせようとする祭りを、くり返すようになったのだと思われる。」




◆感想◆


本書で最も印象に残ったのは、じつはエリアーデからの引用(予言者スモハラの言葉)でした。著者はデュメジル派でエリアーデ(およびユング)には批判的だったと思うのでたいへん恐縮です。しかしデュメジルは「三機能」とか神話の社会性(政治性)を重視しているのでうまれつき社会性のない自分には興味がもてないです。ところで大地母神崇拝というのは大地が生み出すもの(オホゲツヒメやウケモチや山姥が体内から吐き出すもの)をひたすら狩猟採集的に受動的に享受するエコロジカルな「母性原理」的あり方であるはずで(大地母神キュベレーを信奉したのは自己去勢者たちでした)、山姥を殺してお金持ちになるとか、オホゲツヒメやウケモチを殺して農耕牧畜的に能動的に自然破壊するのは著者もいうように母殺しであり、それはすでに「父性原理」のはじまりです。オホゲツヒメを殺したスサノオは他でもない、蛇=母(大地母神)=無時間を殺してアニマとしてのクシナダヒメ=稲作=歴史的時間と結婚した張本人ではないですか。著者はもちろん、農耕も通商(コミュニケーション)も拒絶したスモハラにではなく、山姥を殺して死体を売ってお金もうけした牛方に共感する側にいる人なので、致し方ないですが、しかし女神を殺してお金を奪っておいて、日本人は「女神信仰」です、では虫が良すぎるのではなかろうか。
とはいうものの著者が紹介する事例は(重複は多いものの)たいへん興味深いのでありがたいです。





こちらもご参照ください:

吉田敦彦 『昔話の考古学』 (中公新書)
石田英一郎 『桃太郎の母』 (講談社文庫)





































































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