FC2ブログ

網野善彦 『海と列島の中世』 (講談社学術文庫)

「そのように海に目を向けてみると、われわれ自身がいつしか陸の生活、陸の交通に慣れ続けてしまったために、われわれの視野から外れてしまっていた、いろいろな新しい事実を見つけ出すことができると思います。」
(網野善彦 「海の領主 伊予の「海賊」」 より)


網野善彦 
『海と列島の中世』
 
講談社学術文庫 1592 


講談社 
2003年4月10日 第1刷発行
386p 付記1p
文庫判 並装 カバー
定価1,150円(税別)
装幀・カバーデザイン: 蟹江征治
カバー写真: 海から見た十三湊


「本書の原本は、一九九二年一月に日本エディタースクール出版部より刊行されました。」



本書「原本まえがき」より:

「本書は一九八六年から一九九〇年までの間に、種々の機会を得て行なった講演・講座等のなかから、主として海に関連するものを選んで集成したものである。」


「学術文庫版まえがき」より:

「学術文庫とするに当って、とくに講演をもとにしているため、原本に多く見られた「日本」と「日本列島」、「朝鮮」と「朝鮮半島」、「中国」と「中国大陸」等の表記に関わる不用意、不正確な点を改めたが、そのほかは明白な誤りの訂正のみにとどめた。」


本文中地図8点。

本書はまだよんでいなかったので、もったいない本舗さんで325円(送料無料)で売られていたのを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。



網野善彦 海と列島の中世



カバー裏文:

「海は柔らかい交通路である。それは自在な交通を許し、人と人を結び、文化同士を融合させる。本書では全国の中世海村・海民の姿が、綿密な現地調査と文献から浮き彫りにされてゆく。中国大陸・朝鮮半島・日本列島をまたにかけた「倭寇世界人」を生み出した海のダイナミズムを探り、東アジアに開かれた列島社会の新鮮な姿を描き出す、網野史学の論集。」


目次:

学術文庫版まえがき
原本まえがき

Ⅰ 列島
 海のルート――「中国文化」と律令制
  さまざまな交流ルート
  陶磁器や銭の流入
  「中国文化」の影響
  律令制の導入と改変
  苗字と文字
 海の時代――奥能登と時国家文書から
  ペルーに渡った日本人
  人と人を結ぶ海
  「遣唐使」と生徒の質問
  律令国家と陸の海
  江戸から明治へ
  時国家文書の研究
  海に顔を向けた家
  商人や廻船人
  日本海交易の最前線で
Ⅱ 地域
 中世の海村――若狭の浦々
  歴史研究の出発点
  海民の活躍した舞台
  重要な製塩地
  浦の共同性
  廻船人の動き
  海上交通の中心地
 東と西の地域史――常総を中心に
  国号と天皇
  東国の起請文
  国号の歴史性
  職能民――組織化から自立へ
  神仏の「奴婢」
  東日本の家礼的職能民
  東国の独自性
  東日本の「海船」「海夫」
  海上交通と香取社
  「文之身」
Ⅲ 都市
 海上交通の拠点――金沢氏・称名寺の場合
  中世遺跡の保存について
  鎌倉と房総
  海の道と海夫
  中国大陸へいたる道
  北条氏と唐船
  唐船の造船
  人と物の交流
 都市の起源――今、なぜ一の谷か
  律令国家の成立と国府
  聖なる場所
  地域に根づいた都市
  国府と守護所
  海と見付
  都市のできる場所
  墓と市
  あらたなる宗教
  宗教のない社会
Ⅳ 社会
 説経節の世界――中世社会の変化
  中世のアジール
  国分寺と非人の宿
  寺院と旅人の宿
  地名の背後にあるもの
  港を見下ろす館
  「日の本」と「日本」の国号
  遍歴する人々
 「悪」の諸相――緊張する社会
  「悪」の使い方
  「不善」から「悪」へ
  「悪」と「穢」
  「悪」と神仏
  「悪」と武士
  差別
  『一遍聖絵』のテーマ
  観念の変化
 Ⅴ 海民
 海の領主――伊予の「海賊」
  二神島を調査
  江戸時代に清銭が流通
  由利千軒の伝承
  『豫章記』の伝承
  朝鮮への使い
  「職人的」な海民
  海の武士団
 海夫――九州をめぐる海上交通
  「海夫」という人々
  「船を以て家となす」
  倭寇世界人
  国境をこえて
  廻船が運んだもの

あとがきにかえて (原本)
 漁村史料の伝来
 古文書返却の旅

初出一覧
解説 (田島佳也)




◆本書より◆


「海のルート」より:

「不思議なことですが、われわれがお互いに日常の世界で、もし郷里の言葉そのままで話し合ったとしたら、おそらく話が通じないのではないかと思います。(中略)それぐらいそれぞれの土地で語られる言葉は多様なのです。」
「ところが不思議にも古文書の世界になると、九州でも東北でも古文書は読めるのです。音声の世界と文字の世界との違いがきわめて大きいので、文字の世界だけ見ると本州・四国・九州の日本列島主要部の社会は非常に均質に見える。とくに公文書の世界は全く均質です。そこに「日本人の均質性」、「単一民族」などの幻想が生まれてくるのだと思います。日本列島の社会においてはこのように音声の世界と文字社会の間に特異な断絶があると思うのですが、なぜそのような文字社会の均質性が生まれたのかと考えると、律令国家をはじめ、その後の王朝国家、鎌倉、室町、江戸幕府まで一貫している国家の文書主義の作用があったと考えざるをえないのです。」



「海の時代」より:

「友人の文化人類学者増田義郎さんの話では、十七世紀のごくはじめ一六一三年に、リマの町の人口調査をスペイン人がやっており、その資料が残っているのだそうです。(中略)そのなかに、まぎれもない日本人の名前をもった人が二十人いるというのです。これは漂流などではなく、確実にリマに住んでいた人々で、中国系の人も非常にたくさんいるのだそうです。一六一三年といえば江戸幕府がようやくできあがろうとしているころのことで、もちろん幕府はいわゆる「鎖国」をしていたわけではありませんから、さまざまなルートで日本人は列島の外に出ていったわけですが、その足跡はペルーにまでとどいているのです。
 支倉常長(はせくらつねなが)が伊達政宗(だてまさむね)の命(めい)によってローマへの途次、太平洋を渡ってメキシコに行ったということは、みなさんもよくご承知のことでありますけれども、これも一六一三年のことで、じつは歴史の表にはっきりと現われた常長の渡航計画がたてられた根底には、記録にみえる数でも二十人、それよりもおそらくはるかに多くの日本人がどういう道をとったのかはわかりませんが、南アメリカまで渡っていたという事実があったことを、この資料によってはっきり確認できるわけです。こういうかなりの経験と蓄積があってはじめて政宗はこの計画をたてる発想を持ちえたのでしょうし、常長も太平洋を渡ることができたのだと思います。
 記録に現われる事実は、多くの場合、氷山の一角で、ごくごく断片的なことでしかないのですが、じつはその裏に名前も全く伝わっていない非常に多くの人々の根深いところでの活動があるということを考えなくてはなりません。」



「中世の海村」より:

「海は決して人と人とを隔てるだけではなく、反対に結びつける役割も大いに果たしていると考えてよいのではないでしょうか。そのような視点に立つと、「日本は島国で周囲から孤立していた」という考えが、偏ったものであることは明らかです。
 このようにむしろ「島国」を広く世界にひらかれた社会にした海の役割は、日本の文化・社会を考える場合、絶対に度外視できません。そして、その海を通じて人と人を結びつける役割を担ったのは、海辺に生活の根拠を持ち、船で活動していた海民―海の民です。こうした海の民こそが、日本列島の島と島、あるいは日本列島をアジアの諸地域に結びつけてきたわけで、海の民の日本の歴史の中で果たしてきた役割は、きわめて大きなものがあると、私は思います。」



「東と西の地域史」より:

「やや唐突な話ですが、「東日本」に住む人々、東北に住む人々は、古代のある時期まで、「日本人」ではなかった、といい切っても差し支えないのではないかと私は考えています。「日本」は、京都の王朝を中心とする国家の国号であり、東国人が果たしてどこまで自らを「日本人」と意識し、あるいは「日本」という国家を意識していたか、私はかなり疑問ではないかと思うのです。」
「これまでの研究によって、ほぼ確実といえることは、「日本」という国号は、天皇という称号が制度的に定着した時期とほぼ時期を同じくして、七世紀後半から八世紀のごく初めまでに定まっており、しかも対外的な国号として用いられたという点です。」
「当初、おそらくこの国号は「ヤマト」と呼ばれたと推測されています。また「日の本の大和の国は……」というように「大和」の枕言葉にもなっていますし、さらに沖縄―琉球王国の人々が、十五世紀以降、当時の日本を指して「ヤマト」と呼んだことを考えてみても、当初この国号が、畿内を中心として成立した律令国家、列島西部にまず支配領域を持った国家の国号、とくにいわば「畿内人の国家の国号」として用いられたことは、間違いない事実だと思います。当時、「東夷(あずまえびす)」といわれた東国人も畿内人から異質な存在と見られていましたし、さらに「蝦夷(えみし)」といわれた東北人、「隼人(はやと)」とよばれた南九州人がこの国家の範囲外であったことはいうまでもありません。これらの人々は「日本人」ではなかったのです。」
「そして、そういう状況を背景として、東国では平将門が新皇(新天皇)として、ごく短期間ではあれ、この畿内人中心の「日本」とは別個の国家を樹立した事実、さらに鎌倉幕府が、少なくともその成立当初は、すでに死亡している以仁王(もちひとおう)を「新皇」とし、京都の王朝とは別の元号を何年かは用いていたという事実を理解する必要があります。これは、畿内の「日本」とは別個の国家が東国に生まれたことを示しているといってよいと思うのです。」
「すでに指摘されていることですが、鎌倉幕府には二つの政治の路線があったと考えられます。一つは東国に自立した国家、「日本国」とは別個の国家をつくるという東国自立路線、もう一つは「日本国」の中で鎌倉幕府がその覇者(はしゃ)となろうという路線です。この二つの路線は鎌倉幕府の政治史の中で相互に対立し合い、さまざまな事件をおこしていますが、鎌倉幕府の主流は、東国自立路線、「日本国」とは別個の国号と元号を持つ方向ではなくて、もう一つの「日本国」の中の実力者、覇者となる道を選んだのです。」

「実際、縄文人や弥生人は日本人ではないし、邪馬台国(やまたいこく)も日本ではないのです。古墳時代の倭人も日本人とはいえないし、「日本」という国号の決まる前の人物、たとえば「聖徳太子」とのちにいわれた人も厳密な意味では日本人ではないといえます。「日本」という国号は七世紀後半、天皇とセットになって決まり、畿内を中心としたこの国家が支配を及ぼしていった地域や社会の人々との間にさまざまな緊張や対立を生み出しながら、次第に日本列島に広がっていったのです。(中略)この国号「日本」もまた歴史的なものなのだという見方にたって、歴史を考え直してみる必要があると私は考えます。」



「都市の起源」より:

「石に対する中世人の思い入れはたいへん強烈なものがあります。私の郷里の山梨には、丸い石、非常に原始的な姿を持った丸石の道祖神がたくさんあるのですが、こういう石の呪力に対する信仰は、日本の民俗の中に深く存在するわけです。」


「説経節の世界」より:

「一般的に、このような駈込寺(かけこみでら)のようなアジールに駈け入った人が、なぜ俗世界の縁から切れるのか、私流にいえばなぜ「無縁」になるのかについては、そうした場が俗世間の縁の切れた神仏の世界、聖なる世界と考えられていたからだと思うので、これがアジールの原理の中世社会に即したとらえ方であろうと思います。
 国分寺に駈け入った厨子王は、それ故、神仏の奴婢(ぬひ)になったのだと思うのですが、この時期、それが非人という姿で説経節の世界には現われている。この点から説経節の世界の時代的な特質を考えることができるかもしれない、と私は思うのです。
 乞食、非人といわれた人々は、中世前期、十四世紀までは、神仏直属の人―神人(じにん)、寄人(よりうど)、あるいは天皇直属の人―供御人(くごにん)などの人々と身分的には同じ立場にあったことは間違いありません。商工民、芸能民にはこのような立場の人が多く、当時の神仏に対する畏敬・畏怖はそのまま、こうした神仏の直属民に対する畏敬・畏怖につながっていたのです。それが中世後期になると、(中略)非人、河原者、遊女など神仏に直属する人々の一部が、神仏の権威の低下にともなって社会の中でいやしめられる存在に転化していきます。私は、ここに日本の社会の根底にかかわる大きな変化があったのだと思っております。」

「「諏訪大明神縁起絵詞」(『諏訪大明神縁起絵巻』の詞書しか残っていない)の中で、十四世紀の頃の北海道に「蝦夷(えぞ)」、ほぼアイヌといってもよい人々が描かれています。この中に唐子(からこ)党、日の本党、渡(わたり)党という三つの集団がこの当時の北海道にはあって、渡島半島あたりの人々とみられる渡党は本州側と話も通ずるけれども、あとの二つの集団とは話も通じないといわれています。「日の本」は「日下」と書くこともありますが、この地名は集団の名称になっているので、多少とも広い地域の名称と見ることができると思います。北海道に十四世紀からそういう地域名があったということは、ひじょうに注目すべきことだと思うのです。
 もう一つ、日本国の境界が東西南北で表現されることがありますが、十六世紀、戦国時代のころ、「東は日下(ひのもと)、北は佐渡」と近江の商人がいっている事例があります。この時代、東北は東の方向と考えられておりましたから、東は日の本といった場合、さきほどの東北北部、北海道南部をさしていることは明らかです。」
「つまり北海道、東北に、畿内、大和からはじまった日本とは違う「日本」が、十五世紀から十六世紀にかけて確実に存在したという事実は重要なことで、もともと日の出る方向が「日の本」になるわけですから、「日本」という国号は移動する可能性を十分にもっている。また日本列島の地域で「日本」とは異なる国号をもとうとした動きは、琉球国以外にも、たとえば東国にもありえたと思うのですが、こういう可能性もふくめて、これからもっと考える必要がある問題なのではないかと思っております。」



「海の領主」より:

「永原慶二さんのお話に、封建的な領主として時代に生き残り、勝っていくためには、やはり陸の農民をしっかり掌握することが大事であって、河野氏の場合は海に関心を分散させていたことが、一つの敗因かもしれない、そういう意味のご発言がありました。まさしく事実はそれで間違いないと思いますが、私は負けることは決して悪いことではないと考えます。「負けるが勝ち」といいますけれども、勝ち残って封建領主として大名領国を建設した人々と、逆に敗れて高い地位を与えられず、むしろある場合にはいやしめられる条件にいた人と、どちらが幸せか。これは考え方次第だと思いますが、むしろ私は後者のほうが世の中がよく見えて、時代の流れを本当につかむことができる、という面があるのではないかと思っています。現代は競争社会で勝って勝って勝ち抜いた者が時代をリードしているという状態ですけれども、むしろそうでない、いわゆる世俗的には負けた人間から見える世の中のあり方の方が真実であり、その真実を生かすことこそ、じつは本当に人間らしい世の中をつくりうるのではないか、そんなふうに私は考えております。
 そういう意味で私がお話しした海の世界の民は、歴史の中で敗北していったという面が事実として間違いなくあるわけです。けれどもわれわれがこれからの時代を考えていくうえに、海民の生活のあり方は、負けてしまったからなにも知る必要はない、ということでは決してないと思うのです。むしろそれ故にこそ、「負けた」側の人々の問題をより深く考える必要があるのではないか、私はそんなふうに考えておりますので、海民については今後ともいろいろ勉強していくつもりでおります。」






こちらもご参照ください:

谷川健一 『白鳥伝説』 全二冊 (集英社文庫)
谷川健一 『古代海人の世界』





























関連記事
スポンサーサイト



プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本