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網野善彦 『日本社会の歴史 (中)』 (岩波新書)

「新たな文化を創り出したアイヌは、土器を用いず、農耕も行わず、狩猟、とくに漁撈・採集を営みつつ南北に活発な交易を行い、日常用具・食料を入手し、十三世紀後半までにはサハリンに入り、さらに北東アジアのアムール川流域で交易を展開するようになっていたのである。」
(網野善彦 『日本社会の歴史 (中)』 より)


網野善彦 
『日本社会の歴史 
(中)』
 
岩波新書(新赤版) 501 


岩波書店 
1997年7月22日 第1刷発行
1998年3月6日 第6刷発行
iii 202p 
新書判 並装 カバー
定価640円+税



全三冊。
図版(モノクロ)3点(章扉)。



網野善彦 日本社会の歴史 中



カバーそで文:

「自律的に進展する社会と「国家」とのせめぎあいの前近代史を、社会の側からとらえなおす通史の続編。近畿を中心とした貴族政権日本国――朝廷と、武人勢力によって樹立された東国王権。この二つの王権の併存と葛藤のなかで展開する活力あふれる列島社会の姿を描く。中巻は十~十四世紀前半、摂関政治から鎌倉幕府の崩壊まで。〔全3冊〕」


目次:

第六章 古代日本国の変質と地域勢力の胎動
 第一節 寛平・延喜の国制改革
 第二節 東国国家の樹立と「海賊」の瀬戸内海支配――天慶の乱
 第三節 十世紀の社会と政治
 第四節 地域社会の活発化と十一世紀中葉の国制改革
 第五節 十一世紀後半―十二世紀前半の社会と政治

第七章 東国王権の出現と王朝文化の変貌
 第一節 十二世紀後半の社会と政治
 第二節 東国の王権―鎌倉幕府の樹立
 第三節 東国・西国戦争――東国王権の確立
 第四節 十三世紀の社会と文化

第八章 東西の王権の併存と葛藤
 第一節 協調する東西の王権
 第二節 モンゴル襲来と十三世紀後半の社会
 第三節 十三世紀後半―十四世紀前半の社会
 第四節 東国「国家」の崩壊




◆本書より◆


「第六章」より:

「もともと醍醐天皇の死の原因になった清涼殿の落雷は菅原道真の怨霊の祟りとする風聞が広く世にひろがっていたが、そのうえ醍醐に続いて、翌九三一年(承平元)、宇多上皇もまた死去し、疫病の流行、京都における群盗の横行など不穏な事態がおこってきた。
 さらに、九三二年(承平二)以降、瀬戸内海では海賊の活動が再び活発化し、やがて伊予国日振島(ひぶりじま)を本拠に、千余隻にも及ぶ大集団になった。政府は、新羅の海賊に対処したときと同様に、水軍をふくむ国衙の軍勢に対する軍事指揮権をもつ警固使を設置し、追捕使を派遣して鎮圧にあたらせ、この面でも軍制改革を推進しつつ、海賊に対処しようとしている。のちに反乱をおこす伊予掾(いよのじょう)藤原純友(すみとも)もこの時の警固使であり、追捕使の伊予守紀淑人(よしと)とともに海賊の鎮圧、懐柔にあたっていたのである。」
「一方、東国では延喜年間を通じて、駿河、飛彈、下総、上野、下野、武蔵など、いたるところで官舎が焼かれ、国府が襲われて国司が殺害される「凶党」の蜂起が絶えまなくおこっていたが、九三五年(承平五)以降、東国の有力な武将平将門(たいらのまさかど)と常陸大掾(ひたちのだいじょう)平国香(くにか)とのあいだではげしい私闘がくり返されるようになった。」
「これらの豪族たちは、古代以来の首長の流れをくむ郡司たちにかわって「君(きみ)」「大君(おおきみ)」とよばれ、武勇によって新たに地域の首長の立場に立ち、はげしい戦いを通じて豪族の中の豪族、「君」の中の「君」の地位を争っていたのである。
 そのなかにあって平将門は、一族すべてを敵に回しながら、たび重なる戦闘の勝利を通じてさらに勢威を振るい、九三九年(天慶二)、国司に圧迫された郡司、国司に反抗する富豪たちを庇護する立場に立ち、常陸の国衙の軍勢と戦ってこれを撃破、その勢いをかって国府を焼いて、国司を捕虜にし、ついに王朝国家と正面から対立するにいたった。
 こうして常陸を支配下においた将門は、さらに下野、上野の国府を襲撃、国司を京都に追い返し、関東をほぼ制圧したが、このとき巫女が神がかりし、八幡神が菅原道真を通じて将門を「新皇」とする、という託宣を下した。将門は従者たちの歓呼のなかで新皇に即位し、下総に王城をおいて伊豆をふくむ坂東諸国に国司を任命、ここに、激動のなかから新たな国家が東国に誕生した。
 将門は王朝の反逆者とされた菅原道真によって正当化された新皇という地位に立ったのであり、西日本と異なる体質の風土と社会をもつ東日本のうち、関東と伊豆は、京都の「本天皇」を戴く王朝国家の支配を脱し、新皇将門の下に東国国家の支配下に入ることになった。」
「一方、同じ年、あたかも将門に呼応するように、伊予国に土着していた藤原純友は、その動きに敵対した備前と播磨の国司を捕虜にし、さらに九四〇年(天慶三)、讃岐、阿波の国衙の軍勢と戦い国府を襲撃、瀬戸内海は事実上純友の率いる「海賊」の支配下に入ることとなった。」
「列島の東西におこったこの反乱のなかで、短期間ではあれ、京都の天皇による日本国に対する支配が分断され麻痺し、とくに東国に独自な国家がごく短期間ではあれ誕生した意義はきわめて大きかった。新皇将門、白馬に乗る英雄将門の記憶は長く東国人のなかに生き続け、東国が自立に向かって歩もうとするときにこの記憶は甦り、それを支える役割を果たすことになったのである。」

「このころの都では、すでに独自の職能集団として車借(しゃしゃく)を兼ねていた牛飼童(うしかいわらわ)、芸能民集団としての博打、さらには祇園社の犬神人(いぬじにん)などとなった非人等々の「京童(きょうわらわ)」といわれた人びとをはじめ、商人・工人などの職能民集団がしばしば乱闘をおこしていた。祇園会、賀茂祭などのさい、これらの人びとの闘諍(とうじょう)が発生しているが、こうした人びとをふくめ貴族たちまでを大きく巻き込んだ田楽(でんがく)が、一〇九六年(永長元)をはじめ(永長の大田楽)、しばしば大流行している。」



「第七章」より:

「このように、この時期の文化・思想の動きは、宮廷を中心とする動きだけではなく、「京童(きょうわらわ)」ともいわれた人びとをふくむ多様な都市民、傀儡・遊女から博打にいたる京・畿内周辺の職能民などの活発な動きを背景にしており、各地域にも、東北の平泉、安芸の厳島、北九州の博多、国東(くにさき)半島の六郷満山(ろくごうまんざん)のように、独自な政治・経済・文化の中心が生まれ、それぞれに多様な文化的所産を生み出しつつあった。それはもはや、それまでの王朝国家の枠をはるかにこえるものになろうとしていた。」

「これらの職能民の主だった人たちは、前述したように、西国においては天皇、神仏など、人の力を超えた聖なる存在の直属民として、供御人、神人、寄人などの称号をもっていた。鋳物師が天皇家に直属し、蔵人所灯炉供御人といわれたことは前にのべたが、魚貝売のなかに、やはり天皇家直属の粟津橋本供御人、祇園社にも属する今宮神人などが見え、油売の多くは石清水八幡宮山崎神人となっており、石清水八幡宮淀綱引(よどつなひき)神人という称号をもつ塩売などもいたのである。こうした神人、供御人、寄人たちは、市、渡、津、泊で津料・関料などの交通税免除の特権を保証され、聖なるものの分身として広域的に遍歴しながら交易に従事していた。」
「また神人・寄人のなかには、日吉神人などのように「借上」といわれ、金融に携わる人もあって、山僧といわれる延暦寺の下級の僧侶や、熊野三山僧といわれた山臥(やまぶし)にも、借上に従事する人が多かった。そしてこのころになれば、米だけでなく銭貨を資本として貸し付けることも行われているが、やはり日吉上分銭、熊野初穂物のように、神仏への初穂・上分とされた銭がはじめて資本となりえたのであり、利息は、神仏への御礼として支払われたのである。こうした借上のなかにも商人の場合と同様に、少なからず女性の姿が見られるが、こうした商業や金融への女性の広範な関わりの一つの背景として、女性による養蚕や絹・布などの衣料生産があったと考えられる。
 そして、廻船人や魚貝商人など遍歴する商工民の根拠地、浦、浜、渡、津、泊、あるいは宿には、寺院や神社が建てられることが多く、またしばしば関所が設定された。そこに入港し通過する船は、神仏への初穂・上分を関料として支払うことを義務づけられており、これを怠る船などに対しては、こうした港や交通路を警固するために、岬や丘陵上などに設けられた城を根拠として、海の領主や山の領主、あるいは職能民自身が武力を行使してその納入を強制した。こうした行動に出たとき、これらの人たちは「海賊」「山賊」「悪党」などとよばれたのである。」



「第八章」より:

「かつては畏怖すべき事態ととらえられていた「穢(けが)れ」に対する社会の対処が、文明化の進展とともに大きく変わりつつあり、「穢れ」を汚穢として忌避する空気がしだいに強くなってきた。葬送や、刑吏として住宅破却に携わった非人や犬神人、囚守の役職にあり刑吏として斬首を行った放免、斃牛馬(へいぎゅうば)の皮を扱う河原細工丸などの人びとは、なお神人、寄人の呼称をもち、天皇、神仏に結びついてキヨメに携わる職能民として畏れられる存在であったが、十三世紀末になると、一遍などの新しい宗教をはげしく罵倒した『天狗草紙(てんぐそうし)』に、はじめて河原細工丸を「穢多」という字で表現した事例があらわれる。このように穢れのキヨメに関わる職能民それ自体を賤視する空気が、貴族、寺社の一部にしだいに強くあらわれるようになってきた。それはやがて牛馬を扱う馬借・車借や、遍歴する芸能民・宗教民にまで及んでくるが、これは神人・供御人制の及んだ西日本で顕著になってきた現象であり、戦士、武人たちの政権の樹立された東日本では殺生・穢れに対する感覚は異なっていたと思われ、非人、河原細工丸に対する賤視の動きは、鎌倉を例外として、いまのところ明確には確認されていない。
 しかし、全体として神仏に対する畏敬、呪術的な力に対するおそれが薄れてきつつあったのは確実であり、それにともない、これまで神仏への畏怖によって規制されていた富への欲望が否応なしに表にあらわれ、過度な利潤をむさぼり、高率の利息を取り、博打や酒、遊女におぼれて殺傷に走るなどの動きが目立ってくる。そしてこうした人の制御できない得体の知れない力を、穢れをもふくめて「悪」「悪人」として排除、抑圧しようとする動きが、前述したように、とくに「徳政」を強調する農本主義的な政治路線の側から顕著になってきた。
 これに対して、悪人こそ救われると説いた親鸞の真宗、善人も悪人も、浄も不浄も、男も女も、阿弥陀の誓願を信じ、一遍の賦(くば)る札をうけとればみな救われると説く一遍の時宗、自らを旃陀羅(せんだら)(賤民)の子といって「悪党」のなかにその身を置くことを辞さなかった日蓮の法華宗は、みな「悪」に正面から立ち向かい、悪人を救済しようとした宗教であった。」






こちらもご参照ください:

網野善彦 『日本社会の歴史 (下)』 (岩波新書)























































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