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佐竹昭広 『古語雑談』 (岩波新書)

「「心だにまことの道に叶ひなば祈らずとても神や守らん」
「この歌には何となく人を励ます力があるような感じがする。また、自分にとって「まことの道」とは何であるかと内省を促してくるような所のある歌だと思う。」

(佐竹昭広 『古語雑談』 より)


佐竹昭広 
『古語雑談』
 
岩波新書(黄版) 350 


岩波書店 
1986年9月22日 第1刷発行
vii 207p 
新書判 並装 カバー 
定価480円



本書「あとがき」より:

「小著『古語雑談』は、『東京新聞』(夕刊)に連載した「古語雑談」(昭和五十年四月五日から十月十五日まで)を母胎としている。」
「新書のための修訂加筆を依頼されたのが本年三月、以後、折を見て増益改刪の事に従い、今日に至った。」



本文中図版20点。



佐竹昭広 古語雑談



カバーそで文:

「古歌にいわく「見もわかぬ書籍をつづり読まんより物知る人の雑談を聴け」――一つ聴いては惹きこまれ、二つ聴けば座を立てなくなる雑談の形式により、古語の表記と読み・意味をめぐって、先学の達成を紹介しつつ、著者再審の知見を自在に語った百二十余語。和語に漢語に難解語、歌俳句あり絵本あり、万葉語から江戸語まで。」


目次:

はなしは庚申の晩
 1 はなし
 2 噺と話
 3 雑談
 4 話と放し
 5 もたれる
 6 やすい
 7 やさしい
 8 やさしいしびり
 9 「やさし」の美学
かなしき時は身一つ
 10 身こそやすけれ
 11 「たのし」と「かなし」
 12 ねぶた流し
 13 賀の「たのし」
 14 宴の「たのし」
草薙の剣
 15 民間語源
 16 天の蛇
 17 クソヘビ
 18 蛇の剣
 19 ヤマトタケル
 20 アギの渡り
 21 アキの渡り
 22 サシ野とタシ野
 23 『風土記』の地名譚
二色の虹
 24 青
 25 青と黄
 26 英訳『古事記』
 27 青・赤・白・黒
 28 赤と黄
 29 黄塗りの舟
 30 赤い舟
 31 紫
花ぞ昔の香りににほひける
 32 紫のにほへる妹を
 33 咲く花のにほふがごとく
 34 つつじ花にほへる君が
 35 今は盛りににほふらむ
 36 橘のにほへる香かも
青葉若葉の日の光
 37 光
 38 雪の光 
 39 川の瀬光り
 40 光儀
慇懃に我が思ふ君は
 41 慇懃
 42 朝参
 43 過所
 44 戯笑の歌
はや教へなん九九の算用
 45 二八十一
 46 二九十八
 47 九九
 48 九九と一一
 49 二九と四九
 50 『乳母の草子』
 51 公家と高利貸
 52 そろばん
 53 算木とそろばん
 54 半弓と鉄砲
右は弁当、左は不便
 55 疲労
 56 不弁と不便
 57 弁当
 58 抄物ヲ読マウゾ
 59 さとりのわっぱ
 60 『法華経直談鈔』
貧窮殿
 61 無力
 62 乏少
 63 貧乏神
 64 貧窮
ずつなし者の節句ばたらき
 65 術ない
 66 ずつなし
 67 黒豆かぞへ
 68 方言辞典
 69 ずくなし
 70 大ズク、小ズク
 71 惰けもの
 72 不精の悪魔
 73 懶惰と懈怠
雲霧といへば俳諧なり
 74 鶯の狂言
 75 雅と俗
 76 俳言
 77 漢語の俳諧性
 78 俳諧師宗祇
 79 畳字連歌
 80 和語と漢語
物皆は新まるよし
 81 展転と灼然
 82 いちじるしい
 83 火気
 84 ほけ・ほのけ
 85 可能な訓
 86 占相
 87 昼か夜か
 88 左 右
 89 まで・まかぢ・まそで
大かた誤字にぞありける
 90 誤写
 91 『校本万葉集』
 92 本文校訂
 93 沢瀉注
 94 木の暮闇
文字を余す事好む人多し
 95 田舎宗匠
 96 指を折る
 97 字余り
 98 一字千金
 99 西行と宣長
 100 宣長の法則
 101 あらはに余りたり
 102 と思ふ
 103 夢といふものぞ
 104 母音の重出
 105 母音の脱落
 106 石垣謙二先生
 108 字余りの例外
 109 「火気」再説
人さまざま
 110 たまゆら
 111 ゆら・ゆらく
 112 たまかぎる
 113 玲瓏
 114 滂動
 115 人麻呂の名歌
よき子を持ちぬれば
 116 五右衛門忌
 117 『本朝二十不孝』
 118 死一倍
 119 『文正草子』
 120 別本『文正草子』
 121 孝子
祈らずとても神やまもらん
 122 北野の秘歌
 123 『天神大事』
 124 まことの道

あとがき




◆本書より◆


「3 雑談」:

「現代では「雑談」の二字を何のためらいもなく、ザツダンと読む。古くはこれをザウタンと読んだ。十七世紀初頭、キリシタンの宣教師たちも「雑談」の語をローマ字ではっきり Zŏtan と記録している。ザウタンがいつごろからザツダンに変わるのか、『節用集(せつようしゅう)』の類を手がかりに、大まかに時代を下ってみる。
 徳川九代将軍家重の時代、寛延三(一七五〇)年の『懐宝節用集綱目大全』では、昔のままザウタン、ただし、ザウの部分はつとに開合(かいごう)の別をうしない、ゾウと発音されていたはずだ。文政元(一八一八)年『倭節用悉皆袋増字』に「雑談(ザフダン) トリマゼタセケンバナシ」、「談」が濁音ダンに変わっている。一八六七年、ヘボン編『和英語林集成』も Zōdan である。そうして、明治二十三年刊『増補東京節用集』、明治二十六年刊『新撰日本節用』に及んでようやくザツダンという読みが見つかった。
 この語形が明治二十三年以前のどの辺までさかのぼれるか、さらに深い調査を必要とすることは勿論であるが、とにかくザツダンという語形の成立が歴史的に相当新しいものだということは言えそうである。」



「24 青」:

奄美大島方言で青大将をオーナギという、そのオーは青(あお)のことであった。南の島々では「青色(あおいろ)」ということばもオールと発音される。しかもオールは青系統の色ばかりを指すとは限らない。
 富家直(とみいえただし)氏の「「あお」について」(『国際文化』二〇七号)という論文に、常見純一氏の調査による沖縄本島西海岸地方の挿話が紹介されている。お婆さんが嫁に向かって「オールのタオルを取っておくれ」と言った。「そんなタオルはありません」と嫁は答える。「そこにあるオールのタオルだよ」と、お婆さんの指さしたタオルは鮮やかな黄色のタオルだった。
 よく似た挿話は南から北へ飛んで秋田県にもある。秋田市の小学校の校長先生が自宅へ「机の上のアオイ表紙の本をこの人に渡してくれ」と書いたメモを持たせてやった。届けられて来たものは、青色の表紙ではなく、黄色い表紙の本だったという(柴田武『生きている方言』)。
 「あお」という語を黄色に対しても使う方言は、その他、越後・飛騨・八丈島など各所にあることが判明している。」



「29 黄塗りの舟」より:

「従来『万葉集』における色名「黄(き)」は、左の歌の「黄」の字をキと読むことによって存在が認められていた。

   沖つ国うしはく君が塗り屋形(やかた)黄(引用者注:「黄」に傍点)塗りの屋形神が門(と)渡る (巻十六、三八八八)

 『万葉集』に、船体を赤く塗った船が「朱(あけ)のそほ舟」「赤(あか)ら小舟」「さ丹(に)塗りの小舟」などと呼ばれて洋上を通行しているが、黄色に塗った舟のごときは他にも例を見ない。「黄塗りの舟」が果たして黄(き)に塗った舟であったかどうかは、はなはだ疑問である。」



「30 赤い舟」:

「海神は赤い色を禁忌とする。
 承平五(九三五)年一月、土佐の国より海路帰任の旅を急ぎつつあった紀貫之(きのつらゆき)は、「舟には紅(くれなゐ)濃く良き衣着ず。それは海の神に怖ぢて」のことだと『土佐日記』に記している。
 海神の気に障らぬよう赤い色を避ける消極的対処法に対して、逆に海神がいやがり寄りつかぬよう積極的に赤い色を採用する対処法もあった。神功(じんぐう)皇后は、船体から乗員の着衣までことごとく赤土で染め、航海のつつがなきを期したと伝えられる(『播磨風土記』逸文)。これこそ海神を赤色の呪力で制圧する積極的対処法である。『万葉集』の赤い舟、「朱(あけ)のそほ舟」「赤ら小舟」「さ丹(に)ぬりの小舟」なども同様、聖なる赤の呪力に負う。
 問題の「黄塗りの屋形」(三八八八)にしても、中国風の「黄」字に惑わされず、黄色を「赤」の範疇で把えた日本古代の色彩感覚に照らして、日本語の読みとしては赤色をあらわす「に」という色名を当てれば疑問は解消しよう。すなわちこの舟は船体を赤く塗った「にぬり」の舟であり、「きぬり」の舟ではなかったと見たい。」



「43 過所」:

「和歌(やまとうた)の原則は和語(やまとことば)にある。
 『万葉集』の歌は「光儀」「乾坤」「黄葉」「慇懃」「丈夫」「猶預」等々おびただしい数の漢語を駆使して表記されているが、それらはみな、「すがた」「あめつち」「もみち」「ねもころ」「ますらを」「たゆたふ」といった和語を中国風に表意した用字であって、音読させるための表記ではない。純粋に音読したと認められる語は、和語には絶対翻訳できない語、すなわち「餓鬼(がき)」「布施(ふせ)」「法師(ほふし)」「檀越(だにをち)」「婆羅門(ばらもに)」あるいは「塔(たふ)」「香(かう)」など、仏教関係の語を中心とする少数の例しかない。例えば「双六(すぐろく)」は外来の遊戯だったし、「過所(くわそ)」も当時の法制用語で、現代のパスポートに当る。

   過所(引用者注:「過所」に傍点)なしに関飛び越ゆるほととぎす…… (『万葉集』巻十五、三七五四)

 ほととぎすがパスポートなしに関所の空を越えて行くとは、ずいぶん奇抜な発想である。「過所」などという固い漢語はこうした奇抜な歌のなかでこそ使って面白がられたのである。」



「76 俳言」より:

「滑稽を旨とする俳諧では、滑稽さを出すために俳言(はいごん)を用いる。俳言とは、正統的な和歌・連歌では使用しないが、俳諧の世界では使用する俗語・漢語の類を称する。」


「115 人麻呂の名歌」:

「かりに十人の万葉学者に全四千五百余首の読み下しを作らせれば、十人の間におそらく何百箇所という相違が出てくること必定である。それぞれの人がおびただしい数のことばを『万葉集』から消し、あるいは新しく加えることであろう。文庫本に収めてしまえばせいぜい二冊分しかない歌ではあるが、十人十様の読み解きが行われる以上、意地悪く言うなら、結局どの本に拠ってみたところで全面的な信用は置けない。柿本人麻呂の代表作、

   東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ (巻一、四八)

の歌にせよ、本当にこういう歌だったという保証はどこにもない。右の読み下しは賀茂真淵(かものまぶち)の案出したもので、かれ以前の読みは、

   あづま野のけぶりの立てる所見てかへり見すれば月傾きぬ

であった。真淵の読み方があまりにも美しいために、疑問を残しながらも下手に手が出せないというのが正直なところである。
 原文は、次の十四字から成る。

   東野炎立所見而反見為者月西渡」






こちらもご参照ください:

橋本進吉 『古代国語の音韻に就いて 他二篇』 (岩波文庫)
西郷信綱 『日本の古代語を探る』 (集英社新書)














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