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豊田国夫 『日本人の言霊思想』 (講談社学術文庫)

「もともと、山や河や風雷など、自然とかその他もろもろの精霊にむかって、これを鎮定するため、これらと同格の立場でその種姓(すじょう)をあかしたり、強圧的にこれらに命令したりするものが、本来の呪詞(中略)というものであった。」
(豊田国夫 『日本人の言霊思想』 より)


豊田国夫 
『日本人の
言霊思想』
 
講談社学術文庫 483 


講談社 
1980年5月10日 第1刷発行
1993年10月20日 第16刷発行
241p 
文庫判 並装 カバー
定価760円(本体738円) 
装幀: 蟹江征治
カバーデザイン: 菊池薫
福島県双葉町清戸迫横穴壁画



本書は学術文庫オリジナルであります。



豊田国夫 日本人の言霊思想



カバー裏文:

「古代の人は言葉に精霊が宿ると信じ、霊妙な力が人の幸不幸を左右すると考えた。これらの痕跡を、文献・伝承等に探り、祝詞の言霊・万葉人の言霊・仏教の言霊・名に宿る精霊・近世国学者の言霊観などの諸相に捉え、「言事融即」の観点から精細に考察する。外からの押付け言語政策、民族語のもつ母語固有の言霊、自国憲法に言語規定をもつ諸国、言語不信をかこつ言論、汎言語主義の病弊など、俎上に究明して言霊思想の回帰点に及ぶ。」


目次:

はじめに
一 言霊(ことだま)思想の原点
 1 言霊とは
  コトとタマ
  呪文・呪詞
  黒呪術
  白呪術
 2 コト(言・事)の融即観(ゆうそくかん)から
  古事記
  万葉集
  延喜式祝詞(えんぎしきのりと)
  日本書紀
  風土記
  古今和歌集
  その他
  コト表記混同の背景
 3 言霊の神がみ
  興台産霊神(こごとむすびのかみ)
  一言主神(ひとことぬしのかみ)
  八意思兼神(やごころおもひかねのかみ)
  八重事代主神(やへことしろぬしのかみ)
  太詔戸命(ふとのりとのみこと)
二 古代人の言霊生活
 1 ミコトモチ・ミコトノリ
 2 コトアゲ・コトアゲ制禁
 3 コトムケ・コトダテ・コトドヒ
三 万葉人の言霊の歌
 1 招迎(しょうげい)・祓除(ばつじょ)の歌
 2 鎮魂の歌
 3 夕占問(ゆふけどひ)の歌
 4 名前の歌
 5 人麿の「事霊」と憶良の「言霊」
  コト観念の分化
  人麿の表記
  憶良の表記
四 祝詞(のりと)の言霊思想
 1 祝詞(のりと)と言霊
  はじめに――大祓(おおはらへ)の詞(ことば)
  ノリトの語義
  呪詞とノリト
 2 撰善言司(よごとつくりのつかさ)
  ヨゴト
  撰善言司(よごとつくりのつかさ)
 3 ノリトの変化
 4 呪術(じゅじゅつ)氏族と鎮護詞(いはひごと)
  斎部(いみべ)と中臣(なかとみ)のノリト
  古語拾遺(こごしゅうい)
  大殿祭(おほとのほがひ)
  御門祭(みかどほがひ)
  宣命(せんみょう)
五 名にヤドル精霊(せいれい)たち
 1 神名・地名
 2 古代人・王朝女流の名
  万葉人の名
  正倉院残簡(ざんかん)戸籍の名
  東大寺奴婢籍帳(ぬひせきちょう)の名
  王朝女流の名
 3 実名の敬避
  『実名敬避俗(じつめいけいひぞく)研究』
  名はすべて美称
  名のタブー
  名残り
 4 イミナ(諱)とオクリナ(諡)
  イミナとは
  国諱(くにのいみな)
  オクリナとは
  贈賜名(ぞうしめい)
  帝諡(ていし)・元号(げんごう)
  悪名(あくめい)・賜醜名(ししゅうめい)
  罪人改名
六 仏教の言霊思想
 1 法語
  神仏習合の潤滑油
  カナ法語
  真言
  道元の愛語
  親鸞の聞法(もんぽう)
 2 読経
  読経(どきょう)の力
  持統(じとう)・文武(もんむ)・聖武(しょうむ)の時代
  光仁(こうにん)・桓武(かんむ)の時代
  ダラニ(陀羅尼)
 3 念仏
  念仏の言霊
  念仏行者たち
  物(もの)の怪(け)と言霊
七 近世国学者の言霊思想
 1 言霊の発掘
 2 三大家
  釈契沖(しゃくけいちゅう)
  賀茂真淵
  本居宣長
 3 音義言霊説
  平田篤胤
  清原道旧(みちふる)
  川北丹霊(たんれい)朝弘
  鈴木重胤(しげたね)
  橘守部(もりべ)
  富樫広蔭(ひろかげ)
  堀秀成(ひでなり)
  鹿持雅澄(かもちまさずみ)
  林圀雄(くにお)
  高橋残夢(ざんむ)
  富士谷父子(成章(なりあきら)・御杖(みつえ))
  倒語説
  音義説とアイウエオ
八 近現代の言霊思想の問題
 はじめに
 1 言霊と異民族の接触
  アイヌ・沖縄
  樺太・南洋諸島・満州国
  台湾・朝鮮
  米・ソ・仏の例
 2 言葉の呪縛(じゅばく)
  意味の三角形
  戦後の再評価
  言葉の魔力
  汎言語主義の病弊(びょうへい)
  現代的言霊思想
  言霊思想の回帰点

参考文献
あとがき




◆本書より◆


「万葉人の言霊の歌」より:

「長田王(ながたのおほきみ)が筑紫に派遣されて、海上の小島「水島」にわたる時、
  葦北(あしきた)の野坂(のさか)の浦ゆ船出して水島に行かむ浪立つなゆめ ( 二四六)
と詠んで、海上の無事祈願に和した、石川大夫(いしかはのまへつぎみ)の歌、
  奥(おき)つ波(なみ)辺波(へなみ)立つともわが背子(せこ)が御船(みふね)の泊(とまり)波立ためやも ( 二四七)
は、困難な接岸の平穏を、言霊の効験に祈願したもので、いわば祓除に類する。また、八代女王(やしろのおほきみ)が聖武天皇への献歌、
  君に因り言の繁きを古郷(ふるさと)の明日香(あすか)の河に潔身(みそぎ)しにゆく (六二六)
もこれに入る。この「言の繁き」状態というものは、単にうわさ程度ではなく、ご寵愛に対する後宮の人びとのそねみ恨みのはげしい呪詛も、当時ミソギを必要とするほどに相当深刻なものであった。かの平城宮趾の井底から、眼や腹部に呪い釘をうちこまれたあとのある人形(ひとがた)の木片が出土しているが、上代ではとくに人の呪詛は、言葉であっても物理的な影響が身におよぶと信じられていた。万葉では「言の繁き」とか「人言の繁き」の語が、ほとんど定型化し、慣用されているが、それほどに恐怖感を内蔵していたもので、従って祓除の必要もあったのである。」

「万葉人は夕暮時をタソガレ(誰そ彼)、カハタレ(彼は誰)時ともいっているが、うす暗くなると誰かよくわからなくなるので、この時刻にはとくに神秘な印象を深くもっていたのである。彼らは、すべてのものが陰影をおびる夕暮れには、ものの精霊が動きだすとも考えた。別に、この時刻をオホマガトキとかマガトキともいったが、これは大禍時、逢魔時とも通じて、マガとは曲、邪、禍である。ノリトの御門祭(みかどほがひ)に「天(あま)つ禍津日(まがつひ)と云ふ神の言はむ悪事(まがこと)」とあるマガでもある。それはこの時刻を悪霊跳梁の時と考えたのである。そこで人びとは、魂振りの鎮護詞(いはひごと)を唱えて悪霊を鎮(しず)めた。とくにヨソ者の往来するヤチマタの辻は、もろもろの精霊の集いひそむ場所と信じられた。チマタの神すなわち道祖神の信仰がここに生れる。柳田国男が『石神問答』でいっているように、邪神の侵入を阻止する地域や境界の守護神が、クナド、サエの神である。」
「辻占の原義について、中山太郎著『日本巫女史』では、変死者は、その凶霊が人びとに祟るので、道の辻か橋のタモトに埋めた。そうすると、往来の人びとがその上を踏み固めるので、悪霊の発散を阻止鎮圧(そしちんあつ)できた。辻占とか橋占とは、往来の人びとの言葉をかりて、その凶霊がうらなわせると信じたことによるという。ひとつの解釈ではあろう。なお、伝説に宇治橋を守護したという女神の話もあるが、由来、橋というものはひとつの境界をなすところから、そのたもとに嫉妬(しっと)深い女神を祭り、ヨソモノの侵入を防ごうとしたものらしい。橋の下で、上を通る人の話による占(うらない)を橋占(はしうら)ともいったらしいが、「夕占(ゆふけ)」も道の辻で、もの蔭にひそみ、通行の人の話をきいて吉凶をうらなうものであった。
 藤原清輔の『袋草子』には、「問夕卦歌(ゆふけをとふうた)」がのっているが、平安末期の『二中暦』にも「夕占問時(ゆふけをとふとき)誦(しょう)する呪文」として、そのしぐさとともに、つぎのような歌がある。
  ふなとさへ ゆふけのかみに ものとはば みちゆくひとよ うらまさにせよ」

「万葉人はものの名についても、単に符号という以上に名と実体とが一つのものであると思っていたようである。そして、たとえば実名を他人に知られることは、当人の生命が薄れるとか、呼ばれれば呼んだ人の許に行かねばならないし、名に呪詛(じゅそ)を加えられると呪(のろ)われて傷つくとまで信じていた。こうして、すべて実名は極秘にされた。しかし、男性の生活ではどうしても名による自己表示が必要であるから、実名を秘して俗名の生活をしたらしい。恋人同士は、二人だけが互に名のりあい、母親にさえも相手の名を秘密にした。」

「女性の実名は、平安朝の後世になっても、多く記録されていないほどに秘密なものであった。いかにそのタブーの習俗が強かったかのあかしである。名実一体・言事融即の思想の名残りというものであろう。」

「「言」から「事」が起るとしても、「事」は「言」よりも広く、言語行為をつつみこむ。この意味から、人麿に用いられている「事霊」の「事」を、単純に「言」の借字として解釈する契沖以来の考えは再考せねばなるまい。」
「人麿の時代は上代的な言霊信仰の残映が強く、人麿自身にも多くの魔術的心性をみる。」
「人麿は伝来のコトダマやコトムスビの概念を「事(引用者注:「事」に傍点)霊」として集約的にとらえたものではなかったろうか。」
「『万葉集』でのコトの表記は、許等(こと)とか許登(こと)などの一字一音式から次第に事とか言に分化してゆく。ヤマト言葉と漢字の訓義の結合がなされて行くのである。しかし、事や言の字で表記する、コトの意味内容にはズレがあったとみられる。このズレが人麿の事霊(引用者注:「事」に傍点)と憶良の言霊(引用者注:「言」に傍点)とする表記のちがいであったと思う。」
「次第に言と事の混用がなくなっていき、あきらかに言事の融即観はくずれてゆく。と同時に言葉への不信感があらわれ、(中略)人の真実は言葉につくし難いものとする嘆きの歌があらわれる。万葉の第三期では「練(ねり)の言葉」とか「空言(むなごと)=虚言」などの語で、多くの万葉人が言葉と真実の遊離を嘆いている。だから、疑問をもつところでは、言霊への信仰が色あせていたといえよう。」
「事(引用者注:「事」に傍点)霊が言(引用者注:「言」に傍点)霊となったことは、コトダマの思想、信仰が、祭式化された言葉に中心がおかれるようになったことからではなかろうか。そして、言霊信仰がすべて(中略)狭義にだけとらえられることになってゆく。(中略)とにかく人麿と憶良ではコトダマ観というか信仰というか、その思想の根底に、何か異質なものがあったのではなかろうか。(中略)ここに、古代人がもっていた言霊観のひとつの変化のプロセスをみることができるようである。」



「祝詞の言霊思想」より:

「もともと、山や河や風雷など、自然とかその他もろもろの精霊にむかって、これを鎮定するため、これらと同格の立場でその種姓(すじょう)をあかしたり、強圧的にこれらに命令したりするものが、本来の呪詞(ノロヒの言葉ではなく、鎮護詞(いはひごと))というものであった。」


「名にヤドル精霊たち」より:

「彼らには、単に識別するための実用のみならず、病魔悪霊からのがれて強く生きぬくため、考えられるだけの呪詞的命名を行なったあとがみえる。」
「正倉院の残簡戸籍はすべて庶民のもので、(中略)憶良の遣唐使のころ(七〇二)と同年のものが大部分である。」
「男性に久漏麻呂(くろまろ)の名があったが、久漏とは、膿(うみ)のとまらない大きなオデキで、課役免除の残疾(ざんしつ)とされた(竹内理三)。加佐売(かさめ)(カサは天然痘)、(中略)薬(くすり)、久須利(くすり)などの名もあるから、病魔に対するマジカルな命名と考えられる。」
「特殊な名では、逆(さかひ)、真逆(まさかひ)、麻礼(まれ)(稀)、竟富知(おふち)(大霊)、麻我利(まがり)(曲・勾)、乱(まがひ)など、何か悪霊回避とか呪的観念が感じられる。(中略)悪霊がクサイものを嫌うと考えた古代人は、クサの転呼の「クソ」も名とした。久曽売(くそめ)、小屎売(をぐそめ)、屎(くそ)など。後世、紀貫之の幼名は阿古久曽(あこくそ)(『日本書紀通証』一)といったが、『古今和歌集』には「源つくるが女」という人に「くそ」という名がある(一〇五四の歌)。霊妙の意のクハシメの名もあるが、クソはその逆である。
 明、浄、直、誠が、わが民族宗教の中心思想であるが、穢や臭、曲や禍、邪、醜、磐石、金鉄の名、あるいはエトにあやかる命名などは、マモノに対するマジナヒの効果を期待するようなものではなかったろうか。これらの名の発音の生活そのものに、言霊信仰のマジナヒの心理があったといえよう。」







こちらもご参照ください:

川村湊 『言霊と他界』
西郷信綱 『日本の古代語を探る』 (集英社新書)
佐竹昭広 『古語雑談』 (岩波新書)













































































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