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シルヴィー・ヴェイユ、ルイーズ・ラモー 『フランス故事・名句集』 田辺保 訳

「それは、自分の属する群れを離れるばかりか、羊飼いの導いてくれる正しい道からも離れて行く羊のことである。自分の家族を家族と思わぬ子どものことかもしれない。アウトサイダーの人生、あるいは少なくともみなが一致して自分のために「よい」とみとめてくれる人生とはちがった人生を選んでしまうような男、もしくは女のことかもしれない。」
(『フランス故事・名句集』 「迷える羊 Une brebis égarée」 より)


シルヴィー・ヴェイユ、
ルイーズ・ラモー 
『フランス故事・名句集』 
田辺保 訳
絵: ロジェ・ブラション



大修館書店 
1989年1月20日 初版発行
336p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,266円(本体2,200円)


"Trésors des expressions françaises"
par Sylvie Weil et Louise Rameau
illustrations de Roger Blachon
(c) Editions Belin, Paris, 1981



挿絵68点。
著者の一人シルヴィー・ヴェイユはシモーヌ・ヴェイユの姪(シモーヌの兄アンドレの娘)です。序文はジョルジュ・ペレック。



ヴェイユ フランス故事・名句集



目次:

はじめに (ジョルジュ・ペレク)

フランス故事・名句集

訳者あとがき

フランス語索引
日本語索引




◆本書より◆


「パリア
  Un paria

マージナル・マン〔周辺人、はみだし者〕以上の人、排斥され、締め出され、無視された人をさす。そのむかしの、インドのハリジャンがそうであった。この語は、一六九三年に初めてあらわれ、タミール語パラヤン(parayan)――「太鼓たたき」の意――を起源とする。太鼓たたきがけがれた者とみられていたのは、葬列に加わって太鼓をたたいたからである。
 インドでは、カースト制度外の人々、階級制度の最下層の人々をさすのに、この語が使われた。また、この人たちのことを「不可触賤民」とも呼んだ。すべての宗教的・社会的権利を剝奪された人々だった。この階級は、一九四七年には廃止された。」


「石を投げる
  Jeter la pierre

 多くの場合、「石を投げない」という否定形で言われる。そもそも、「石を投げる」ということばを口に出すのは、「そんなことはしない」と言うためか、「そんなことをしてはならない」と言うためかにきまっているからである。それにまた、この表現も、ある実際の場面から由来したのであって、石打ちの刑が行われようとするところを、イエスが、形式上はその禁止をしないでおきながら、うまく阻止した故事による。イエスをつけねらっていたパリサイ人らが、モーセの律法をたてにイエスを罠にはめようとたくらみ、姦淫の現場をつかまえられた女を、そこへ引き立ててきた。そして、イエスにこう言った。

   「(……)こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」(……)
   しかし、イエスはかがみ込み、指で地面に何か書きはじめられた。かれらがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」としてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。
   これを聞いた者は、年長者からはじまって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、女とが残った。女はずっとそこにとどまっていたのである。イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」女が、「主よ、だれも」とこたえると、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」
          (ヨハネによる福音書八・五―一一)」


「熊の舗石
  Le pavé de l'ours

山に住む一匹の熊――やっと大人になりたての熊――と、庭いじりの大好きなひとりの老人がいて、どちらもひとり(一匹)暮しにあきあきし、友だちを探しに出かけたそうな。そして、一匹とひとりが、出くわしたのだ。すぐに、かれらは友だちになり、一しょに暮すことになった。人間は、好きな自分の仕事にとりかかり、熊は、狩りをして獲物を持って帰った。また、大事な特別の任務も果たした。それは、友だちの老人が寝ているときに、その顔にたかる蠅を追払うという任務だった。

   さてある日、老人が、ぐっすりねむりこんでいると、
   その鼻先に一匹の蠅がやって来て、とまろうとするので、
   熊は、大いに困ったことになった、追払おうとしてもだめなのだ。
   「なんとしてでもつかまえてやるぞ。さあ見ろ」と、叫んだ。
   言ったとおりにさっそく実行だ。忠実な蠅取り役は、
   舗石を一枚はがして、手につかみ、がーんと投げつけたのだ、
   老人の頭は砕け散った、もちろん、蠅もつぶれたけれど。
   役にも立たぬ理屈をこねなかったかわり、すぐれた射手となったのだ。
   急死した老人を、そこへ、そっと寝かせてやった。
          (ラ・フォンテーヌ『寓話』巻の八、一〇、「熊と庭いじりの老人」)

 この寓話からはじまって、不つごうな出来事のことを「舗石」と呼ぶようになった。いや、しかしこれだけでは、まだまだ言い足りない。また、「熊の舗石」と言うことで、どうかすると意図だけは申し分ないのに、へまな結果をもたらしたこととか、さらに広く、礼節の枠をこえて害をもたらすことの多い、下手なあいさつ、下手なほめことばもさすようになった。」


「なめてもらっていない熊
  Un ours mal léhé

 動物の熊にかぎらなくても、フランス語で「熊」(un ours)というと、かなり愛想がわるくて、人づきあいのきらいな人間のことをいう。だからヴォルテールはデファン夫人〔マリー・ド・ヴィシー=シャムロン・――、一六九七―一七八〇〕にあてて書いたのである。「だれのことですって……わたしのことですよ、奥さま……。わたしは、こんなにも長い間、友情をそそいでくださったかたのお言いつけにも従わなかったのです……。わたしは、熊ですが、それでも、まったく礼儀正しい熊であることは、どうかお信じになってください。」
 しかし、熊という熊がみな、これほどに礼儀を心得、社交的であるとはかぎらない。一般には、人並以上に粗野でがさつな人間のことを「十分なめてもらっていない」(mal léhés)やつと形容しているようである。

   あごには、濃いひげを生やしていた。
   毛むくじゃらのそのからだは、
   まるで熊だといってよかったが、「十分なめてもらっていない熊」だった。
          (ラ・フォンテーヌ『寓話』巻の十一、七)」

「ところで、この表現の起源を知ろうとするなら、動物の熊にまで戻らねばならない。それは、ひとつの奇妙な言い伝え――もちろん根も葉もないうそだが、――から来ているので、母熊はその子をなめることで、手足の形を整えるのだとする。この作業は長くかかったのに違いない。なかにはきっと、途中で疲れてしまう母熊もあったことだろう……。ラ・フォンテーヌは別の所で〔『寓話』巻の八、一〇、「熊と庭作り」〕、「山に住む熊の中には、半分しかなめてもらっていないやつがいて……」と語っている。」


「カービン兵のように到着する
  Arriver comme les carabiniers

 すなわち、いつも非常に遅れて着くことをいう。この表現は、オッフェンバッハ〔ジャック・――、一八一九―八〇、ドイツの作曲家〕の喜歌劇『山賊ども』〔一八六九〕の中の、カービン兵〔カービン銃をもった兵士〕の一節をふまえたものである。

   おれたちは、カービン兵
   家々の安全の守り手。
   けれど、なんでもうまくは行かぬ、
   人を助けにかけつけるとき、
   いつも着くのが、大へんおそくなる。」


「万事順調ですよ
  Tout va très bien

 この言葉に、中断符(……)をつけるか、「奥さま(侯爵夫人どの Madame la Marquise)」という呼びかけをつけ加えるなら、それは実際、事柄はもうこれ以上わるくはならないという意味になる。これは、三十年代にはやったシャンソンをそれとなしにさし示す。侯爵夫人が、召使いのジャムに電話している。もう二週間も家をあけているので、何かかわったことが起こっていないかをたずねるために。

   「もしもし、ジャムなの、なにもかわったことはない?」
   ジャムが答える。
   「万事順調ですよ、奥さま、
   万事順調、万事順調ですよ。
   けれど、けれど、申し上げておかねばならぬことがひとつ、
   なんでもない、小さなことですが、悲しいことがひとつ、
   ちょっとした事件、つまらないことですが、
   奥さまの灰色の雌馬が死にました……」

 それは、ほんの初めだった。雌馬が死んだのは火事のため、火事で馬小屋が全部焼けてしまいました。万事順調……万事順調です……その火事は、侯爵閣下の焼身自殺が原因でした……。
 シャンソンの終りでも、万事はやはり順調で、もう何ひとつ残っているものはなくなってしまう。どうやら電話機だけらしい。」




Ray Ventura - Tout va très bien madame la marquise









こちらもご参照ください:

シモーヌ・ヴェイユ 『ロンドン論集とさいごの手紙』 田辺保・杉山毅 訳
ジャック・カボー 『シモーヌ・ヴェーユ伝』 山崎庸一郎・中條忍 訳 (新装版)



























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尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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