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鈴木棠三 『ことば遊び』 (中公新書)

「子供が無心に遊んでいるとき、虫も花も石も自分の世界に引きこんで、一つ一つにつぶやきながら呼びかけている。まさに荘周が蝶と化したのか、蝶が荘周となったのか、渾然として一つの世界に溶けこんだのと変らない。こうした心理を察しないと、子供のなぞなぞがもつ夢のような写実性は理解できないであろう。」
(鈴木棠三 『ことば遊び』 より)


鈴木棠三 
『ことば遊び』
 
中公新書 418 


中央公論社 
昭和50年12月10日 印刷
昭和50年12月20日 発行
4p+219p 
新書判 並装 ビニールカバー
定価380円
装幀: 白井晟一



本書「はじめに」より:

「ことばのもつ可能性を極限まで発掘しようとする行為が、ことば遊びであるといったら、我田引水との非難をうけるであろうが、ことばの機能の眠っている部分を揺り起し、潜在していた変化の万華相と、その面白さ美しさを見付け出したという実績が、ことば遊びの歴史にはある、この事実の重さを、没却してはならない。
 平安以来、歌詠みも、連歌作者も、俳諧の宗匠たちも、ことばの動き、その変り身の種々相を追い求めることに、心と身とを磨りへらして来た。その努力も、正岡子規のような明治以後の新指導者の眼には、ただただ無益で不まじめな営みとしか映らず、芸術の邪道であり、閑文学以外の何物でもないとして、痛爆されたのであった。」
「本書の中で私が説こうとするのは、こうしたことば遊びの変遷史が主である。」




鈴木棠三 ことば遊び 01



帯文:

「しゃれ、なぞなぞ、尻取り、回文など多彩な言語遊戯の世界」


帯裏:

「日本の言語遊戯はことばそのものの遊びであり、古来、文人たちはそれを砥石としてことばを錬磨し、ことばに潜在する変化の万華相とその面白さ美しさを見出し、人々はその楽しさを伝承して来た。しゃれ(秀句・地口・もじり)、尻取り、回文、早口ことば等々、万葉以来、和歌、連歌、俳諧、雑俳とからみあいつつ発展して来たことば遊びの系譜を、文芸、伝承の両面にわたって具体例で辿り、そこに日本人の日本語に対する感性を観る。」


目次: 

ことば遊びの世界
 はじめに
  ことばとことば遊び
  宗祇の挿話
  清みと濁りの違い
  鸚鵡返し
  逆さ読みいろは
 尻取りことば
  口拍子のよい尻取り
  尻取童唄
  文字鎖
 回文
  回文の規則
  回文歌
  回文俳諧
  回文の連句集
  八重襷
早口ことば
 早物語の系譜
  早歌
  てんぽ物語
  口遊び
 ういろう売のせりふ
  ういろう由来
  団十郎の創出
  舌もじり・早口文句の集成
  一九のせりふ
  こんきょうじの歌詞
 舌もじりの練習
  名調子のういろう売
  明治時代の舌もじり
  アナウンスの訓練
しゃれ
 しゃれの語系
  興言・利口
  洒落としゃれ
  シャレル・ジャレル
 秀句・こせごと・かすり
  秀句の意味転化
  こせごと
  かすりの多面性
 口合
  しゃれとしての口合
  『穿当珍話』
  口合の心得書
  絵口合
 地口
  地口諸説
  地口付
  『地口須天宝』
  地口行灯
 もじり・語路
  字もじり・本もじり
  語路・語呂合
 無理問答
  無理問答の約束
  無理問答の祖型
  無理問答本
なぞ
 古代のなぞ
  中国のなぞ
  字謎
  一伏三向、三伏一向
  ワザウタ
 なぞなぞ合
  なぞなぞ物語
  『枕草子』の挿話
  小野宮家歌合
  平安のなぞの技法
 なぞの型
  『徒然草』のなぞ
  なぞの解
  複数解の出るなぞ
  連歌の賦物
  賦物型のなぞ
  観察型のなぞ
 なぞの本
  『宣胤卿記』
  『見聞雑記』
  『なぞだて』
  『謎立』
  『酔醒記』
  『あたうがたり』
  『謎乃本』
  『寒川入道筆記』
 解きと心
  三段なぞの胎動
  享保期の三段なぞ
  はじめにしゃれありき
  題材の新しさ
  頓智謎興行
  寄席のなぞ解き
 判じ物
  長い伝統
  「今朝ほどの」
  『なぞなぞ集』
  隠句
 伝承のなぞ
  失われたなぞ
  子供のなぞ
  口拍子調のなぞなぞ
  大人から子供へ
  民俗なぞと文芸
  定まり文句
  納戸の懸金
  新しいなぞ

あとがき




鈴木棠三 ことば遊び 02



◆本書より◆


「はじめに」より:

「ことば遊びは、それ自体を楽しむもので、理屈の介在は禁物である。そこで、そのかみの文学者たちが、いかにことばの機能を見つめ、ことばの転換による変化を知悉しようと努めたか、それを証拠だてる、興味深い一挿話の紹介から、本書の記述を始めることにする。
 連歌史上、最高の権威とされる宗祇(一四二一~一五〇二)が、ある時、高弟の宗長(一四四八~一五三二)を連れて浜辺を歩いていた。漁師の網に海藻がかかって上がるのを見て、「それを何というか」とたずねた。すると漁師は「和布(め)とも申し、藻(も)とも申します」と答えた。宗祇は、何という海藻かとたずねる気だったのだろうから、漁師の答は答になっていないのと同じである。宗祇にはそれがおかしかったのであろう。さっそくこのことばを引取って、

    めともいふなりもともいふなり

という句にして、宗長に、付句(つけく)を命じた。宗長はすかさず、「引連れて野飼ひの牛の帰るさに」と付けた。この句は夕暮の田園風景を見事に描いている。西の山陰が暗くなりかかるころ、野道を二匹の牛が帰ってくる。一匹がメーとなくと、もう一匹がモーとなきかわす。牛のなき声をメとモにとりなした即興だが、描写のデッサンもしっかりしている。宗祇は宗長の手腕に敬意を表したが、自分は行き方を変えて、ことば遊びによって句を作ってみせた。

    よむいろは教ふる指の下を見よ

 幼子がいろはのお手本をひろげて、まず読み方から習っている。親が、手本の上を一字一字指でおさえながら、「ゆ・め・み・し・ゑ・ひ・も・せ・す」と教えている光景である。表面はそうなのだが、「指の下」がなぞになっている。ユの下はメ、ヒの下はモであるということで、和布と藻に通わせた機智である。」

「仮名で国語を書き現わす方法が、昔は不完全で、濁点が無くても濁って読むことなどは少しも珍しいことではなく、むしろ当り前であった。」
「清(す)みと濁りの誤りが笑話化した例は、古今を通じて少なくない。」
「或人がこんな歌を詠んだ。

    雪の門(かど)足跡付けて出でければ訪(と)はれぬるかと人のあやしむ

 雪の上に二の字二の字の下駄の足跡をつけて出て行ったあとで、家の者が、「おや、誰かたずねて来た人があったのかしら。声がきこえなかったので出て挨拶もせずにお帰ししてしまって、気の毒なことをした」と話し合ったという意味の歌。ところが滑稽な人物があり、この歌を次のように直してしまった。

    雪の門足跡付けで出でければ飛ばれぬるかと人のあやしむ (『黒甜瑣語(こくてんさご)』三)

 雪に足跡がついていないから、空中を飛んで出たと思うに相違ない。清濁のまぎらわしさを逆手にとったいたずらである。」



「尻取りことば」より:

「尻取文句のことを、漢語では粘頭続尾というらしい。わが国では、文字鎖(もじぐさり)と古くはいった。ただし、文献に出てくる文字鎖は、われわれがやっているような尻取りの遊びではなく、長歌の各句を鎖のように続けて行くものであった。この代表的な作に、源氏文字ぐさり、大内文字ぐさり、節会(せちえ)文字ぐさりなどがあった。
 源氏文字ぐさりというのは、『源氏物語』五十四帖を巻の順に詠みこんだ文字鎖である。
   源氏のすぐれてやさしきは、はかなく消えし桐壺(きりつぼ)よ、余所(よそ)にも見えし帚木(ははきぎ)は、われからねになく空蝉(うつせみ)や、やすらふみちの夕顔は、わかむらさきの色ごとに、匂ふ末摘花(すえつむはな)の香に、錦と見えし紅葉の賀、かぜをいとひし花の宴、むすびかけたる葵草、榊(さかき)の枝におく霜は、花散里のほとゝぎす、須磨のうらみに沈みにし、忍びて通ふ明石潟、たのめしあとの澪標(みおつくし)、しげき蓬生(よもぎう)つゆ深み、水に関屋の影うつし、知らぬ絵合おもしろや……契りのはては蜻蛉(かげろう)を、おのがすまひの手習は、はかなかりける夢の浮橋。
 一句に一巻ずつ巻名を詠み入れてあるが、上下二巻ある若菜は一句にまとめ、実際には本文の無い雲隠も、一句としてある。途中を忘れても、尻取文句のおかげで思い出すという便宜があるので、実用的な意味が大いにあったのであろう。」



「回文」より:

「和歌は、上句が十七字、下句が十四字と上下の字数が同じでない。それが回文歌を作る上に、かなり大きな隘路となる。(中略)ところが発句の場合だと、五・七・五の十七字で上下が同字数であるから、中七の真中の字を軸として上下を振替えることができる。この点、和歌に比してずっと容易といえる。また連句の場合なら、七七の句だと、さらに作りやすいことになる。」
「回文俳諧を作る者が多いため、実作の参考用として、回文詞をあつめた作法書も現われた、『世間尽』には、上五の句を下五に置いた場合は、次のようになるとして、下記のような回文詞二十五例を示している。

  中きよき――きよき哉
  照りて来つ――月照りて
  田は月か――杜若(かきつばた)
  よき槌も――望月夜
  爪琴を――男松
  村雨や――やめざらん
  村々に――にらむらん
  てれ月日――ひきつれて

 また中七の回文詞についても六十八語を示してある。

  草花はさく
  鳥と小鳥と
  遠き鳴き音(をと)
  刈萱かるか
  形見を見たか
  参りけり今
  削り切り付け
  竹屋が焼けた
  病は今や
  仕合せはあし
  雪とくと消ゆ
  山の木の間や
  泣くな子泣くな
  月夜の夜来つ
  功徳(くどく)福徳

 明暦の昔すでに、「竹屋が焼けた」が、口語の回文詞として加えられている事実には興味ふかいものがある。
 連句の場合、偶数番の句は七・七の十四字から成るが、この場合に上七が下七になるとどのように変るかを示したのが、次の例である。

  よみ来つる歌――すがる月見よ
  機嫌さへ冬――夕べ寒けき
  見ゆるはしはし――しはし張る弓
  ねふりつ乗るは――春のつり舟
  友の来つるは――春月のもと」



「早物語の系譜」より:

「室町時代には、『平家物語』を語る琵琶法師が、早物語というものを演じた。(中略)早物語というからは、琵琶を速いテンポで弾きながら、早口で語ったに相違ない。またその詞章は、曲調に合ったものでなくてはならぬから、(中略)パロディないしはそのために作られた滑稽で明るい詞章だったであろう。」
「奥州のボサマ(坊様)と称する者は、そうした盲僧(もうそう)の末流であるが、村から村へ、家から家へ、琵琶や三味線を背にして渡り歩いたかれらは、いわゆる奥浄瑠璃を語る合間に、滑稽な早物語を語って、村びとの御機嫌を取り結んだのである。
 その詞章を、菅江真澄(一七五四~一八二九)が書き留めたものがある。十章あるうちの一つを掲げる。
  こゝに大男一人候ひしが、余(あんま)り日本は狭いとて、すみちがって踞(ねまつ)て候。是では腰が病めるとて、つゝと立てば、雲にぎたを引かけて、霞に笠を剝(は)ぎ取られ、是ではごせがやけるとて、後(うしろ)はねにつゝと跳(は)ね、泥なる海に跳(は)ね込んで、ざんぶこんぶと漕ぎ給へば、袴の襠(まち)の空(あ)き目より、なんだやら、むやりぐやりといふほどに、武蔵野へ駈け上(のぼ)り、打ちほろって見給へば、鯨の子供が四五千匹とりついて候。須弥山(しゆみせん)に腰うち掛け、富士山に火をかけて、ぢいぶら/\といびって食(た)べて候。是では咽喉(のんど)が乾(かは)くとて、近江の湖を、小盞(さかづき)などとなぞらへて、する/\すったりと食(た)べたりけり。是でも咽喉(のんど)が乾くとて、大地をほっかりと踏み破り、地獄の釜の蓋を盗み取り、天竺の八日町へ持って行き、三千三百三十三文に売って、御酒を買って、食(た)べたりけり。是もてんぽの皮の物語。(『ひなの一ふし』)
 てんぽの物語とは、誇張のうそ話ということである。」



「判じ物」より:

「判じ物は、一名考え物ともいった。願人坊主の判じ物には、ヒントが付いていて、たとえば「虫壱ツ考」「近江八景考」などとある。上方で判じ物、江戸では考え物と呼んで区別すると『守貞漫考』には説いているが、実際は必ずしもその通りではなかったことが、右の「考」によっても分る。
 願人坊主は乞食坊主の一種で、寒垢離(かんごり)、代待(だいまち)なども行って糊口をしのいでいた。服装は浅黄または白の服装、頭を白木綿で包み、施米箱を胸にかけるのが正式の服装だったらしい。加持祈禱をするのが建前だが、橋本町・山崎町などの裏店に定住している連中は、のちには金になることなら何でもやるようになり、大道芸人として住吉踊、チョボクレ、阿房陀羅経など芸人まがいの世過ぎをした。もちろん、実際にはもっといかがわしい犯罪的なことにも手を染めていたようだ。」
「判じ物がいつから始まったかははっきりしないが、享保十四年(一七二九)四月には禁止されているところを見ると、享保初年あたりまでは遡るものと考えてよいのであろうか。この禁令は守られず、その後も行われていたことが、諸書に見えている。滑稽本『古朽木』(安永刊)には、「願人坊主の判じ物をとり上げて見れば、けふのは珍しく絵にはあらで、『尻の穴痛む病は獣(けだもの)の鼻の長きを二十(はたち)重(かさね)て』といふ歌なり。これは何と判じたら能(よ)からうと、天窓(あたま)を砕く折ふし」とある。答は記してないが、地蔵菩薩(痔象𦬠。𦬠は菩薩の略字)であろう。これなどヒント無しでも判るが、一体に判じ物は難解である。解答を売るのだから、すぐ判っては銭にならない。わざとひねり、こじつけも多い。とにかくこの文により安永ごろのは絵入りが普通だったことがわかる。
 黄表紙の『色男十人三文(いろおとことおでさんもん)』(天明刊)には「イエイエ是は願人坊主の置いて行った今朝ほどの判じ物なりといふ」とあって、午前中に、判じ物の紙を店先などに配って行き、あとでいま一度廻って来て、正解を教えて銭をもらう。その時、「今朝ほどの判じ物」と言って来たのである。このせりふが当初からのものであったことは、享保十五年、江戸板行の雑俳集『ちりつか』のモジリの句に、「重箱で くばってまはり 今朝ほどの」の句があるのでも明らかである。これが普通名詞のようになって、『浮世風呂』でも「此番頭のいふ事は、今朝ほどの判(はんじ)物の様だ、アハハハハハ」と言わせている。何を言ってるのかわけが分らないという悪態だが、判じ物にこじつけが多くて解きにくかったことがこれでも知れる。或いは「上げおきました考え物」と言って来た者もある。代金はいくらだったか不明だが、「一つかみやりながらきく判じ物」(明和二年)という句があるから、銭一摑み、せいぜい七、八文、多くても十文どまりであったろう。」







こちらもご参照ください:

塚本邦雄 『新装版 ことば遊び悦覧記』
鈴木棠三 編 『中世なぞなぞ集』 (岩波文庫)
ピエール・ギロー 『言葉遊び』 中村栄子 訳 (文庫クセジュ)







































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