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谷川健一 『女の風土記』 (講談社学術文庫)

「文化とは生ものか、くさったものか、と問われると、私はくさったものと答えることにしている。(中略)爛熟(らんじゅく)し、頽廃(たいはい)するところまでいきつくのが真の文化の名に値(あたい)するのである。」
(谷川健一 「女の時間」 より)


谷川健一 
『女の風土記』
 
講談社学術文庫 709 


講談社 
昭和60年11月10日 第1刷発行
268p 
文庫判 並装 カバー
定価680円
装幀: 蟹江征治
カバーデザイン: シックス


「本書は、読売新聞社刊『女の風土記』(昭和五十年、第一刷)を底本とし、著者の了解のもとに随時、振りがなを付けました。」



本書「まえがき」より:

「本書は、昭和四十七年七月から一年余にわたって中日新聞に連載したものである。」



谷川健一 女の風土記



カバー裏文:

「日本文化の基底には、折口信夫が明らかにしたように、共同体の間を流浪して歩く人々のもたらす文化が一貫して流れており、そこには村や家々から「流れ出た男たち」の系譜が見られる。本書は、そのような男たちと同じように流れ出た女たちへの哀惜をこめた記録であり、挽歌である。民俗学者の視点で選びぬいた六十余篇の神話や伝説を通して、底辺の女たちの生への願望、いかにして生きる喜びをつかむかを追究した伝承の女性史である。」


目次:

「学術文庫」のためのまえがき
まえがき

太陽の巫女(みこ) (上)
大洋の巫女 (下)
影媛(かげひめ)あわれ
二上山(にじょうさん)の落日 (上)
二上山の落日 (下)
水鏡(みずかがみ)
フカにくわれた娘
かざしの花
青墓(あおはか)の女 (上)
青墓の女 (下)
冥府(めいふ)の巫女 (上)
冥府の巫女 (下)
青衣(しょうえ)の女人(にょにん) (上)
青衣の女人 (下)
さかずきの花
飯豊(いいとよ)の青の皇女
ヒスイの耳かざり
あもれおなぐ
白風呂敷の女
筑波山
神風連(しんぷうれん)の女
女の殿様 (上)
女の殿様 (下)
ささらの傘
不運な星
名ごりの夢
山中の死
登波(とわ)物語 (上)
登波物語 (下)
漂泊の果てに
辻のはなし
巫娼(ふしょう)のおもかげ
雪のサンタマリア
キリシタンと鯨
からゆきさん (上)
からゆきさん (下)
ある愛国者たち
水草の花
島の老女の話
大神島の老女
ぱなり焼の歌
人頭税(にんとうぜい)に泣く
荒野に咲く
半世紀の後に
濁密地獄(だくみつじごく)の女
凶作地のかげに
孤島の騎士道
樗(おうち)の花
巨人のまなざし
産のしとね
思いやり
子そだて
家の小ささ
草履(ぞうり)の足音
女の時間
女の宿命
「チチ」と「ハハ」
兄と妹
男と女
女性史の視点
薄明の無言劇

解説 流れ出た女たちへの挽歌 (高良留美子)




◆本書より◆


「太陽の巫女 (下)」より:

「古代人にとって世界とは何であったか。太陽が東から出て西へ沈む。それを自分の眼で確認できるところが世界であり、宇宙であった。」


「フカにくわれた娘」より:

「山口県の豊北町にある土井ケ浜から、数多くの埋葬人骨(まいそうじんこつ)が掘り出されたことがあったが、そのなかに川鵜(かわう)を抱いていた娘のいたことが報告されている。古代には天(あま)の鳥船(とりふね)といって、鳥は死者のたましいをはこぶ舟に見立てられたが、ここに川鵜がえらばれたというのは、特別の意味があったようである。鵜は水にもぐる習俗をもっているところから、水底にあると信じられている冥府(めいふ)とつながりをもっていると古代人は考えたらしい。」
「鵜は、人間のたましいを、水底の冥府へとみちびく使者とおもわれていた。この土井ケ浜の少女の親も、娘のたましいが迷わないようにと鵜をしっかり抱かせていたのではなかったか。」
「『出雲風土記』のなかでとくに私の注意を引くのは、フカにくわれた娘の話である。
 天武(てんむ)天皇のころに、語臣(かたりのおみ)の猪麻呂の娘が出雲の毘売崎(ひめさき)というところを散歩していたら、フカにおそわれて、くい殺されてしまった。そのとき、父の猪麻呂は殺された娘を砂浜に埋葬(まいそう)して、ひどく怒り、なげき、夜となく昼となく苦しんで、娘を葬(ほうむ)った場所を去らなかった。数日たって、怒りはますますつのり、わだつみの神はじめ天神地祇(てんじんちぎ)に祈って、たすけを求めると、百あまりのフカが一匹のフカをとりかこんで浮き上がってきた。猪麻呂は、そのフカをつきさしてとらえ、腹を切りさくと、なかから自分の娘の片足が出てきた。」
「井上実は、もともと、この説話は出雲臣(いずものおみ)の先祖につたわる伝説だったろうとしている。そして惨劇(さんげき)のおこなわれた毘売崎という場所は、水神(すいじん)の近づくところではなかったかと考えている。つまり、フカはもともと海神の使者であり、それゆえに神聖な動物とみなされていた。いや、それどころか、本国ではフカのすがたをしたものが、人間とまじわるときは人の姿になると信じられていた。八尋(やひろ)もあるワニ(サメ)になって子どもを産んだトヨタマヒメがそうである。」
「トヨタマヒメは、海辺の浪打ちぎわに産殿(うぶや)をたてて出産にそなえたが、産殿の屋根が鵜(う)の羽で葺(ふ)きあがらないうちに生まれたので、子どもはウガヤフキアエズと命名した。この鵜の羽をもって産殿を葺く、ということには、深い仔細(しさい)があるように私には思われる。つまり、それは海底の宮殿のイメージなのである。」
「私は沖縄列島の南端の石垣島で、つぎのような話を聞いたことがある。石垣島の北のはしの平久保崎は、波のあらいところだ。(中略)そこで船が難破(なんぱ)したことがあった。夜の八時ごろであったが、四、五人が行方不明になった。母親は子どもをおぶったまま、海にとびこんだそこをフカがおそった。ところが、そのフカが明け方になって別の場を悠々(ゆうゆう)と泳いでいたところを漁師の手によって釣りあげられた。腹をさいてみると、なかから帯や子どもの衣服、それに髪や歯や足の爪が出てきた。肉ははやくも腐爛(ふらん)していた。
 私はこの話が、とおく『出雲風土記(いずもふどき)』の世界ともつながっていることを感じる。(中略)八重山では「人を喰ったフカはかならずあがる」といわれている。海の底に死者のたましいの住む都を想像した古代人の信仰がそこに生きている。太古の海にたいする畏怖(いふ)が双方(そうほう)にあると推察する。」



「冥府の巫女 (下)」より:

「沖縄では太陽のことをテダと呼ぶ。現世(げんせ)と来世(らいせ)から成り立っているので、あの世にも太陽がある信じられている。それをグショウテダと呼んでいる。グショウは後生であるが仏教的な意味はこめられてはいない。沖縄の古い世界観では、現世と後生(来世)はまったく相似である。この世に葬式があると同様に、あの世にも葬式がある。この世に太陽がかがやくとおなじく、あの世にも太陽がかがやくのはとうぜんである。
 冥府(めいふ)の太陽が海岸をしずかに照らすありさまは、たとえば九州の装飾古墳(そうしょくこふん)の壁画(へきが)に描かれている。死者のたましいをはこぶ船があり、その船のへさきには死者のたましいをみちびく鳥がとまっている。その上に、あの世の太陽がおぼろげな光芒(こうぼう)をひろげている。」



「あもれおなぐ」より:

「天降り女はたいてい川上や山間の泉、あるいは人がしばらく足をとめる山野の神秘感をそそるところに降りてくる。そして降りるときには、どんな晴れた日でも小雨が降り、雨とともに姿をあらわす。」


「雪のサンタマリア」より:

「寛永(かんえい)このかた二百数十年間を潜伏(せんぷく)して生きるほかなかった古(ふる)キリシタンは、信仰の手引書一冊もてば極刑(きょっけい)に処せられるというきびしい社会の空気のなかで、教義の内容を忘れていった。しかし、信仰を堅く守るとなれば、消えかかった記憶を自分たちの想像力でおぎない、自分たちの聖書を創出せねばならない。そうして彼らは手づくりの天地創造の物語『天地始之事』をのこした。
 それは、教養のない辺土(へんど)の民が、自分たちの一切をあげて作りあげたおどろくべき物語であった。この物語も筆写することは許されず、ながく口から口へと伝えられていったのである。それが幕末にひそかに記録され保持されたのはさいわいであった。
 その一部分を紹介してみよう。
 昔、呂宋(ルソン)国の帝王が、下人の娘であるマリアに求婚した。マリアは自分がただの人ではないことを示して求婚をしりぞけるために、みなの前に不思議を現出させた。すなわち、天に祈ると夏の土用というのに雪がちらちらふり出して、まもなく数尺つもった。帝王がおどろくひまにマリアは昇天した。このことからマリアは「雪のサンタマリア」の名で呼ばれた。
 マリアは、ふたたび下界に降ってくらし、たまたま書物をよんでいるとき、天使があらくぁれてマリアにむかい「そこもとのすずしき、きよき御体をお貸しあれ」と言った。そうして二月中旬のとある夕暮れに聖霊(せいれい)は蝶(ちょう)のかたちをして、マリアの口のなかにとびこみ、マリアは身ごもった。
 マリアの親は、マリアがだれの子かわからないものを身にやどしたことを恥じ、家から追い出した。マリアは「そこにたたずみ、かしこにまよい、あるいはのにふし山にふし、なんぎにたとえはなかりけり」という放浪の果てに、ようやく「べれんの国」(ベトレヘム)にたどりついた。
 折りしも大雪が降り出したので、家畜小屋にしばらく宿を借り、身をちぢめて寒さをしのいだ。そして夜半に産気づいてイエスを生んだ。寒中のことで、左右から牛馬が息を吹っかけてイエスがこごえないようにした。マリアは、はみ桶(おけ)でイエスに産湯(うぶゆ)をつかわせた。
 夜が明けると、家主の女房(にょうぼう)が出てきて、哀れにおもい、自分の家につれていって、薪(まき)がないので糸をつむぐ織機(しょっき)やひき機を折って、マリアとイエスの身体をあたためてやった。ご馳走(ちそう)に蕎麦(そば)飯をこしらえて差し出すと、イエスは母のふところから手を出して、それをいただいた。
 以上がイエス誕生(たんじょう)のくだりまでのいきさつである。はじめにのべた「雪のサンタマリア」の話は、すでにキリシタンの活動時代にも知られていた。ただし舞台はローマで、ある信者夫婦が雪の降った場所に自分の教会をたてよ、と夢のなかでマリアからお告げを受けた。はたして、夏の土用に雪のふりつもったところをローマの郊外に見いだし、そこにサンタマリアの教会をたてたという話である。」

「私は数年まえに、長崎県の平戸(ひらど)や生月(いきつき)島や外海(そとめ)地方の潜伏(せんぷく)キリシタンの子孫をたずねてあるいたことがあった。生月島のある老人は、今でも祭り(祝日)には、魚に酒をそそぐと言った。それはパンにブドウ酒をそそぐ行為を意味するのであった。
 生月島の近くに中江ノ島という岩だらけの無人の島がある。そこは殉教者(じゅんきょうしゃ)が「ここから天国へは遠くはない」と叫んで殺された島である。その岩の裂(さ)け目から流れ落ちる水滴を瓶(びん)に受けて、潜伏信者たちは聖水に使用してきた。私は篤信(とくしん)の老人とその島にわたってみた。老人は岩にむかって祈りをささげ、中江ノ島の殉教者をしのぶ歌をうたった。

  前は泉水、うしろは高き岩なるやナ 前もうしろも潮であかするやナ

 潮であかするとは、潮がひたひたと満たしているという意味である。

  参ろうやナ、パライゾの寺に参ろうやナ パライゾの寺とは申するやナ
  広い寺とは申するやナ 広い狭いはわが胸にあるぞやナ」



「キリシタンと鯨」より:

「潜伏(せんぷく)キリシタンの残したマリアの画像のひとつに、マリアが乳呑(ちの)み子をふところに入れ、上臈(じょうろう)のすがたで旅装束(たびしょうぞく)をしてすわっているものがある。まえには、杖(つえ)とわらじがおいてある。嬰児虐殺(えいじぎゃくさつ)に狂奔するヘロデの魔手をのがれて、エジプトに避難(ひなん)したときの図であるが、この画像を拝する潜伏キリシタンには、二重の思いが去来していたはずである。
 すなわち、明治政府は硝煙(しょうえん)の匂いのまだたちこめる明治元年にキリシタンの禁制をあらためて確認し、同三年には長崎県の信徒の総流罪(るざい)を実行した。その言語(げんご)に絶する受難の体験は、マリアとイエス母子の受難の旅にあやかって「旅」と呼ばれた。そうしてその「旅」の思い出は子や孫に語り草となって受けつがれた。それが今ものこる「旅の話」である。
 そのなかでツルという二十二歳の処女が受けた責苦は、ひとしおひどかった。堅固(けんご)の信者と見なされたツルは十八日間拷問(ごうもん)に会い、さいごには雪のなかに身体を埋められた。同室の女たちがこわごわ見ると、ツルの身体は雪の下にあり、ただ髪毛だけがわずかに黒く見えていた。そのうち、役人の手先がやってきて「改心しろ、死んでしまうぞ」と迫るが、ツルは引き立てようとする男の手をふりはらって立とうとしない。そうして最後には、犬のように四つんばいになって小屋まではっていった。
 ツルたちのいる室のとなりは、棄教(ききょう)した者たちがいる室であった。そこから、かつての同志たちの苦難を見かねて、ひとにぎりのヌカや、一片の魚の骨をよこした。ツルたちはヌカをねって食べ、その骨をなんども煮て汁をすすり、のこった骨はさらに火に焼き、石にたたき、くだいて嚙(か)んだ。これは津和野藩につれていかれた「旅」の話の一節である。」
「長崎県でキリシタンの居住する生月(いきつき)、平戸(ひらど)、五島などは、同時にまた鯨(くじら)とりでさかえたところである。」
「大正なかば、平戸島で幼年時代をすごした水上すゞ子は、こうしたキリシタンと鯨とりの思い出をつぎのようにのべている。」
「「海岸によこたわる鯨のまわりから、血潮(ちしお)の色が赤々と波をそめて浜辺までよせていた。鯨の上には大ぜいの男たちが、蟻(あり)のようにとりついてせわしく働いていた。彼らは白い褌(ふんどし)ひとつの半裸体で、青竜刀(せいりゅうとう)のようにそりかえった刃をきらめかせながら巨大な鯨のからだを切り割いていった。いつのまにか切りとられた肉片は、たくさんの人間の手でたえまなく浜辺の納屋(なや)にはこびこまれていった。
 納屋の入り口には、ことさら荒くれた二、三人の男たちが控え、大声でなにかを指図(さしず)している。鯨組の人のほかはだれもそこに近づけず、すべてがなにもかも殺気だってみえた。太陽の直射の下で、人びとはやすむことなく働いていた。どこからともなく呼び交わす声がきこえ、また一瞬奇妙(きみょう)なしずけさになった。
 この光景は、なにか大きな獲物(えもの)にたかる蟻の営みに似ていた。その肉をひき裂かれ、まわりの波を血潮にそめて横たわる鯨は、かえって死者の栄光にみち、その血にまみれて右往左往する人間には、生きるもののかなしみがあった。いつか鯨は白い骨となり、その骨もはらわたも、すべては納屋のなかに消え去ってゆくことだろう。
 ひたひたと紅い波のよせる渚(なぎさ)には白いぶよぶよした脂肪のかたまりや、こまかい肉片がいちめんに漂(ただよ)っている。ずっと離れた磯(いそ)で、しきりにそれを拾っているものがあった。みるからに貧しげな服装の女たちは、裾(すそ)をからげて水のなかをあるきながら、すばやく肉片を拾いあげて手にした皮袋のなかに押しこむ。細い竹の先に鈎(かぎ)をつけたものでたぐりよせる。キリシタン村落の女たちなのだ。手拭(てぬぐい)で顔をかくしている。
 ――見るんじゃないよ。
 母は小声で言って、私の袖(そで)をきつく引いた」」



「からゆきさん (下)」より:

「宮岡謙二は海外に渡航(とこう)した日本人に関する数千冊の蔵書をあつめており、そのなかから日本人の娼婦(しょうふ)のすがたをたんねんに拾い出してきた奇特(きとく)の人である。宮岡の文章からいくつかの船中渡航の光景を紹介することにする。
 明治のすえに、門司(もじ)を出港して香港(ホンコン)にむけて航海中の貨物船に、ある日、飲み水のポンプの故障がおきた。そこで吸いあげ音の通っているところをだんだん検査してゆき、石炭庫の一部が開けられた。ところが、闇(やみ)のなかからふらりふらりとよろめき出たのは、髪をふり乱した四、五人の女であった。さらにおどろいたのは、飲料水のパイプに食いついている女たちのすがただった。唇を血みどろにして死んでいる女たちもいた。
 そこで飲料水を吸いあげるパイプの故障は、この女たちがのどのかわきにたまりかねて食い破ったことがわかった。(中略)ところが歯でかみくだいたパイプからもれた水はほんの一口にすぎず、のどを通るか通らぬうちに空気が入ったので、それきりとなった。
 さらにかたわらの石炭のなかから、顔や身体じゅうに掻(か)き傷や嚙(か)み傷のある死体が二つ掘り出された。十何人もの密航の娘たちが、彼女らを誘惑(ゆうわく)した二人の男によってたかってすさまじい仕返しをした姿だった。では、どうした次第でこうした始末になったのか。推測するに、密航の手引きをした船員が、数日のあいだは、小さなにぎり飯とバケツ一杯の水をめぐんでやったが、ほかの真面目(まじめ)な仲間にうたがわれて、めったなことができず、食物や水をはこびこむことをやめてしまった。石炭から出るガスと糞尿(ふんにょう)の臭気とで息もつけないところにもってきて、飢えとかわきがはじまった。台湾近くになるとまるでむし風呂に入ったような暑さ。そのなかで出る汗もなくなるほどの苦しみをあじわったあげくのせっぱつまった女たちの行動だった。」
「密航婦たちは人間よりは品物として扱われた。たとえばウラジオストクの場合だったら、そこの受取人に内地の送り出し人から「チュウモンヒン△△コ××ヒツク」と電報を打つ。商品の送り状とまったくおなじである。」
「日本の軍事探偵(たんてい)として、日露(にちろ)戦争まえの満州(まんしゅう)(中国東北部)で活躍した石光真清(まきよ)はつぎのようにのべている。女の仲買人(なかがいにん)は「白米の商人」の名で呼ばれ「至急白米幾袋どこどこに送れ」と打電して取り引きされた。」
「この「からゆきさん」はヒマラヤ山麓(さんろく)からアフリカまで流れていった。」
「宮岡謙二の文章によると、日本の娼婦(しょうふ)の足どりは、北はシベリア・満州から西はシンガポールを中心にして半円をえがき、インドをへてアフリカの東海岸に及んでいる。南はニューギニア、オーストラリアにいたり、東はハワイからアメリカのカリフォルニア沿岸に達している。
 この日本の娘子(じょうし)軍の発展の地図が大東亜(だいとうあ)戦争の「皇軍(こうぐん)」が攻撃攻略(こうげきこうりゃく)した地図と重なり合うのに私はおどろく。娼婦たちの骨の上に無名の兵士たちの骨が重なりあうのは、日本の近代史そのものの姿にほかならなかった。」



「ある愛国者たち」より:

「日露戦争が起こると、海外に在留(ざいりゅう)する日本人は祖国のために献金したが、なかでも娼婦はこぞって、自分たちの稼(かせ)いだ金を勝利のためにと捧げた。」

「この娼婦のインターナショナリズム(国際性)を利用したのが明治国家のナショナリズムであった。しかも娼婦たちのナショナルな心情、すなわち祖国愛に明治国家は身をすりよせた。
 明治の栄光は、このような明治の悲惨(ひさん)に裏打ちされたものである。」









































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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