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フレイザー 『金枝篇 (二)』 永橋卓介 訳 (岩波文庫)

「それで多分エーゲリアは神聖なカシワの樹の根もとから湧いて出る泉の精霊であった。ドードーナにある大きなカシワの根もとからもこのような泉が湧き出しており、女祭司たちはその淙々(そうそう)たる噴泉から神託をきいたと言われている。」
(フレイザー 『金枝篇 (二)』 より)


フレイザー 
『金枝篇 
(二)』 
永橋卓介 訳
 
岩波文庫 白/34-216-2 


岩波書店 
1951年5月15日 第1刷発行
1966年12月16日 第4刷改版発行
1988年7月25日 第24刷発行
336p 
文庫判 並装 
定価550円



全五冊。



フレイザー 金枝篇 二



帯文:

「ここでは、未開民族のさまざまなタブーや精霊の弑殺の風習が述べられる。「世界がまだ若かった頃の思惟の全体」がここにあるのだ。」


目次:

第十三章 ローマとアルバの王
 一 ヌマとエーゲリア
 二 ユーピテル(ジュピター)としての王
第十四章 古代ラティウムにおける王国の継承
第十五章 カシワの樹の崇拝
第十六章 ディアーヌスとディアーナ
第十七章 王者の重荷
 一 王のタブーと祭司のタブー
 二 霊的権力と俗的権力の分離
第十八章 霊魂の危難
 一 「マネキン」としての霊魂
 二 霊魂の失踪と呼び戻し
 三 影と映像としての霊魂
第十九章 タブーとされる行動
 一 異人との交際
 二 飲食
 三 顔を見せること
 四 家を離れること
 五 食物を食べ残すこと
第二十章 タブーとされる人物
 一 酋長と王
 二 服喪者
 三 月経と分娩の女
 四 戦士
 五 人殺し
 六 猟師と漁夫
第二十一章 タブーとされるもの
 一 タブーの意味
 二 鉄
 三 鋭どい武器
 四 血
 五 頭
 六 毛髪
 七 理髪の儀式
 八 毛髪と爪の処置
 九 唾液
 一〇 食物
 一一 結節と指輪
第二十二章 タブーとされる言葉
 一 人名
 二 親族の名
 三 死者の名
 四 王と他の神聖な人物の名
 五 神の名
第二十三章 未開人への感謝
第二十四章 神聖な王の弑殺
 一 神々の死
 二 力が衰えると殺される王
 三 一定期間の後に殺される王
第二十五章 一時的な王
第二十六章 王の息子の犠牲
第二十七章 霊魂の継承
第二十八章 樹木の精霊を殺すこと
 一 聖霊降臨祭の役者
 二 謝肉祭の埋葬
 三 死の追放
 四 夏の迎え入れ
 五 夏と冬のたたかい
 六 コストゥルボンコの死と復活
 七 植物の死と復活
 八 インドにおける類似の儀礼
 九 呪術の春




◆本書より◆


「第十三章 ローマとアルバの王」より:

「ローマ年代記は、アルバの王たちのうちの一人、ロームルスあるいはレムルスあるいはまたアムリウス・シルウィウスなる者が、自らユーピテルと同程度の、あるいはそれにも優る神であると主張したことを記録している。彼は神の外見を保ち、庶民を威圧するためにある機械を考案し、それによって雷霆(らいてい)のとどろきと電光のはためきを模倣した。ディオドーロスは、みのりの季節になって烈しい雷がしきりに鳴りとどろく時、この王が兵隊に向かって剣を楯にうちあてて天空の砲のとどろきを消し去るよう命じたと述べている。しかし彼はその不虔の罪を自ら贖(あがな)わねばならなかった。物凄い大暴風雨のさなか、彼も彼の家も雷撃をうけて壊滅し去ったのである。アルバの湖は雨のために増水し、洪水となって彼の宮殿を呑んでしまったという。水が減って湖面の静かな時分には、清澄な湖底にいまなお宮殿の廃墟が見えると古代の歴史家は言っている。」


「第十七章 王者の重荷」より:

「社会の初期のある段階では、王や祭司はしばしば超自然的な威力をそなえており、あるいは神の受肉であるように考えられ、この信仰と一致して自然の運行は多かれ少なかれ彼の支配に従うものと想像され、その結果として悪い天候や農作の失敗その他の災害に対して責任を負わねばならぬと見られた。自然に対する王の威力は、人民や奴隷に対する威力と同じように、一定の意志の働きを通してふるわれるものと考えられたことがある程度までうかがわれる。それで旱魃、飢饉、疫病、あるいは暴風雨などが襲って来た場合には、人々はこのような災厄を彼らの王の怠慢や罪悪のせいだとして、笞刑(ちけい)や縲紲(るいせつ)をもって罰を加え、それでも因業な心を改めぬ場合には王位を剝奪して弑殺するのであった。しかしながら、このように自然の運行が王の意志命令に依存していると考えられていた一方、一部は王の意志とは独立していると考えられることもあった。彼の人格は、(中略)宇宙の動力的中心と考えられ、宇宙の各方面にそこから威力の線を放射するものと信じられていた。そこで彼のあらゆる動作――頭を動かしたり手を挙げたりするようなことでも――たちまち支障を起こして自然のある部分をひどく妨害することになる。彼は宇宙のバランスを支える均衡点であって、彼の側におこったいささかの不規則といえども、それはたちまち微妙なバランスを破る結果となるのであった。」


「第十八章 霊魂の危難」より:

「ヒューロン・インディアンは、霊魂は頭も軀も手も足もそなえていると考えた。つまりそれは人間そのものの完全な模型だったのである。エスキモー人は「霊魂は自分が属している軀と同じ恰好をしているが、たいそう捉えがたくて稀薄な性質をもっている」と信じている。ヌートゥカ・インディアンによれば、霊魂は小さな人間の恰好をしている。それが坐っている座は頭の脳天である。(中略)フレイザー河の下流のインディアン諸部族は、人間は四つの霊魂をもっていると考えており、その中の主なものはマネキンの姿をしているが他の三つはそれの影である。マレー人は人間の霊魂を小さな人間のようなものであって、ほとんど眼には見えず、その大きさは拇指くらいで容姿つり合い顔色に至るまで宿主である人物にそっくりだと考えている。このマネキンは全く触知しがたいものではなくて、実質的なものの中に入ればそれだけの場処をふさぐのではあるが、稀薄で非実体的な性質をもっており、そこここと敏速に飛びまわることができる。そして睡眠、夢幻恍惚状態、病気などの場合には一時的に、また死後は永久的に肉体を離脱するという。」
「霊魂は小さな人間のような恰好をしているというフィージー諸島民の観念は、ナケロ部族において酋長の死んだ時に行なうことから明らかに知られる。酋長が死ぬと、世襲の葬儀屋を営んでいる者たちが、立派な敷物の上に油をぬられ飾りをつけられて横たわっている彼に呼びかけて、「酋長よ、起きなさい。行こうではないか。その日がこの国にやって来た。」という。彼らが彼を河の畔まで伴なって行くと、そこには幽霊の渡し守が出て来て、ナケロ族の霊魂を向こう岸へ渡してくれる。こうして酋長の最後の旅路のお伴をしながら、彼らはめいめいの扇を低く支えて彼の上を覆うてやる。それは、彼らのうちの一人がある宣教師に語ったように、「霊魂は小さな子供くらいしかない」からである。自分でイレズミをするパンジャブ地方の人々は、人が死ぬと霊魂すなわち人間のうちに宿る「小さな全き男または女」が、生前その肉体を飾ったと全く同じイレズミ模様をつけて天に昇ると信じている。」

「眠っている人の霊魂はその身体から抜け出して行って、現に夢みている場処を実際に訪れ、夢みている人に会い、夢みていることをすると信じられている。たとえばブラジルやギアナのあるインディアンは、深い眠りからさめたとき、その身体がずっと寝床の中で身動きもせずに横たわっているのに霊魂は狩り、魚とり、木伐りその他何でも彼が夢にみたことをするために行って来た、と堅く信じて疑わない。(中略)マクシ・インディアンのある病弱な男が、カヌーを漕いで困難な長い激流をさかのぼることを雇い主から命じられた夢を見て、その翌日雇い主に向かって哀れな病身者に夜分こんな骨折りさせるとはけしからんと、おおいにその非を鳴らしたそうである。グラン・チァコのインディアンは、実際に彼らが見聞したことだと言って、全然信じられぬような話をしばしば人に語ってきかせる。それで彼らのことを良く知らぬよその人々は、このインディアンは嘘つきだと速断してしまう。ところがインディアンの方では、彼らが物語ったことの真実性を堅く信じているのである。つまりこの驚くべき冒険は彼らの夢にすぎないのだが、彼らはこれを白昼の事実と区別しないのである。」

「サンタル族はこんな話をする。ある人が眠っていると喉が渇いてたまらなくなった。そこで彼の霊魂がトカゲの形をして出て行き、水を飲もうと水差の中へはいった。ちょうどその時、水差の持ち主が偶然それに蓋をしてしまった。そのために霊魂は軀に戻ることができず、彼はそのまま死んでしまったのである。ところが、友人たちが彼の遺骸を火葬にしようと用意をしているとき、誰かが水を使おうとあの水差の蓋をとった。するとトカゲが中から出て来て元の軀に戻ったので、軀はたちまち甦がえったのである。甦えった男は立ち上って、なぜそんなに泣いているのかと友人たちにたずねた。彼らはお前さんが死んでしまったと思ったので、すんでのことで軀を焼くところだったと答えた。彼は水を飲もうとして井戸の中へ落ちてしまい、今ようやく出て来たところだと説明した。一同はなるほどそうだったのかとうなずき合ったという。」



「第十九章 タブーとされる行動」より:

「時として異人とその呪術に対する恐怖があまりにも大きくて、どのような条件でもその入来を許さぬこともある。たとえばスピークがある村へ到着した時など、土着民は戸を閉ざして彼を受けなかった。「彼らはこれまでついぞ白人なるものを見たことがなかったし、その人たちが携えていたブリキ箱も初めてのものだったからである。『こんな恰好をした箱め、盗賊のワッタが化けて俺たちを殺しに来たのかも知れない。お前たちを通すことは相ならん』と彼らはかぶりを振った。どのように説得しようとしても無駄だったので、一行はそのまま次の村へ進むほかはなかった。」
 異国からの来訪者について感じる恐怖は、しばしば相互的なものである。未開人は未知の土地へ入ると魔法の地を踏んでいるように感じ、そこに出没する鬼神とその地の住民の呪術から身を護る手段を講じるのである。」
「また旅行している人は、彼が交際をした異人から何か呪術的な害を受けて来ると信じられることもある。それで旅行から帰って来ると、その部族の友人たちの集団に再び加えられる前に、ある潔めの儀式をうけなければならないのである。」



「第二十章 タブーとされる人物」より:

「未開人はこのように神聖な酋長や王を、接触すればいわば爆発する神秘的な霊的威力をそなえたものとみなすところから、自然彼らを社会の危険な階級の中に組み入れてしまい、彼がある種の恐怖の念をもって見ている人殺し、月経中の女などに課すると同じ種類の制限を彼らにも加えるのである。たとえばポリネシアの神聖な王や祭司は、自分の手でもって食物に触れることを許されておらず、そのため他の者に食べさせてもらわなければならなかった。またわれわれが今みたように、彼らの食器、衣類その他の所持品は一切他人が使用してはならず、この禁を冒したなら死を与えられるのであった。ある未開人たちはこれと全く同じ制限を、初潮の処女、分娩後の女、人殺し、服喪者および死人と接触したすべての人物に要求している。たとえば最後にあげた部類に属する人々について最初に述べてみれば、マオリ族ではすべて屍骸に触れた者、それを墓場へ運んだ者、あるいは死人の遺骨に触れた者は、あらゆる交際と交通を遮断されてしまうのである。彼はどんな家にも入ることができず、どんな人物や事物にも接触することができないのであって、この掟に叛けば彼らにすっかり死霊をつけてしまうことになるのであった。その手は全く使うことができぬほどひどいタブーとなり、あるいは汚れを受けるので、食物にすら触れてはいけなかった。そこで食物が地べたに置かれると、彼は坐るか跪くかして両手を注意ぶかく背にまわし、苦心惨憺それを食べつくすのであった。場合によっては他人から食べさせてもらわねばならなかったが、食べさせる方の側では腕をなるべく長くのばし、タブーとなった者に接触しないで目的を果たすようにした。ところが食べさせる側の人がまた相手方に負わされているものよりたいして軽くない沢山の制限を受けなければならなかったのである。人口の多い村には必ずと言ってよいくらい、このように汚穢を受けた者の世話をして悲しい当てがい扶持をもらって生きているところの、賤しい身分のうちでも一番いやしい零落し切った下郎がいた。ボロにくるまり、頭から足の先まで赤土泥を浴び、むかつくようなフカの油の臭気をぷんぷんさせていつも独りぽっちで押し黙ったままでいる、やつれ切ってかさかさに痩せ衰えた半分気違いの老人で、朝から晩まで村の人通りの多い道や往来から離れたところにじっと身動きもしないで蹲(うずくま)ったまま決して仲間入りすることのない他人の多忙な生活ぶりを、どんよりとうるんだ眼で力なく見守っているのである。一日に二回、施しの食物が彼の前に投げられると、彼は手を使わないでどうにかそれをむしゃむしゃ食べる。夜になると脂じみたボロ屑を身のまわりにまといつけ、木の葉や屑物などでこしらえたひどい巣穴にもぐり込んで、汚物にまみれ寒さにふるえ飢にせめられながら、悲惨な明日の日の序曲である悲惨な夜を、悪夢にとぎれがちな眠りのうちに過ごすのであった。」


「第二十二章 タブーとされる言葉」より:

「言葉と事物とを明確に区別することのできない未開人は、名称とそれによって命名されている人物または事物の間の鏈鐶は、単なる気まぐれな観念的連合ではなくて、毛髪とか爪とか彼の身体の他の物質的部分を通じる場合と全く同様に、容易にその名を通じて人物に呪術をかけ得るほどに両者を結合するところの、真実で本質的な羈絆であると一般に信じているのである。事実未開人は名を彼自身の生命的部分とみなし、それにしたがって取り扱い方に注意をはらう。」
「中央オーストラリアの諸部族では、すべての男子、女子、子供は日常つかわれる名の他に、生後すぐ長老たちから与えられ群団の真正な成員のほかは誰にも知らされていない秘密の名、あるいは神聖な名をもっている。この秘密な名は最も厳粛な機会のほかは決して口にせられない。」



「第二十四章 神聖な王の弑殺」より:

「シルック族の宗教の基本的要素は、一般に生きていようと死んでいようと神聖なあるいは神的な王たちに対して彼らが行なう礼拝にあると見られる。王たちはただひとつの神的な霊によって活かされていると信じられているが、これは半神的なしかしおそらくは本質上歴史的な王朝の創設者から、彼のすべての後継者たちを通して今日まで伝承されるものである。こうしてシルック族はその王たちを、人間の、家畜の、そしてまた作物の安寧が緊密に依存する受肉の神々とみなすところから、当然彼らに絶大な尊崇の念をもち、またあらゆる配慮を怠らないのである。そしてわれわれにはいかに奇異に見えようとも、不健康や衰弱の兆候が現われはじめるや否や神的な王を弑殺する彼らの慣習は、王に対する彼らの深甚の尊崇と、王を保持しようとするあるいはむしろ王を活かしている神的な霊を保持しようとする配慮から直接に出発するものである。(中略)なぜなら、すでにわれわれが見たように、王の生命あるいは霊は全王国の繁栄と極めて密接に共感的に結合されており、もし王が病気にかかったり衰弱したりすれば、家畜は病気に冒されて増殖することをやめ、作物は畑で腐り、人間は疫病で絶滅すると彼らは信じているからである。そこで彼らの意見によれば、このような災厄を避けるただひとつの方法は現在の王がその先任者から継承したところの物的な霊を、それがなお活発で疫病や老齢の衰頽によって影響されぬうちに次の継承者に転移するため、王が健康で強壮なうちに殺してしまうことである。」






こちらもご参照ください:

フレイザー 『金枝篇 (三)』 永橋卓介 訳 (岩波文庫)
J・G・フレーザー 『火の起原の神話』 青江舜二郎 訳 (角川文庫)

































































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うまれたときからひとでなし
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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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