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フレイザー 『金枝篇 (四)』 永橋卓介 訳 (岩波文庫)

「ボルネオのビアジュ族は、全住民の罪と災厄を乗せた小舟を、毎年海へ流してやる。航海をしていてこの不吉な舟に出くわした船員たちは、それが乗せている一切の悲しみをその身に受けることになる。」
(フレイザー 『金枝篇 (四)』 より)


フレイザー 
『金枝篇 
(四)』 
永橋卓介 訳
 
岩波文庫 白/34-216-4 


岩波書店 
1951年11月25日 第1刷発行
1967年7月16日 第3刷改版発行
1988年7月5日 第20刷発行
304p 
文庫判 並装 
定価500円



全五冊。



フレイザー 金枝篇 四



帯文:

「フレイザーは、伝説や魔術や信仰の意味を求めて、世界の諸民族の風習を隈なく探る。ここには目を瞠る奇習の数々が集められている。」


目次:

第五十章 神を食うこと
 一 初穂の礼典
 二 アズテク族社会の神を食う儀
 三 「アリキアに多数のマニイあり」
第五十一章 肉食の共感呪術
第五十二章 神的な動物の屠殺
 一 神聖な兀鷹(はげたか)を殺すこと
 二 神聖な牡牛を殺すこと
 三 神聖な蛇を殺すこと
 四 神聖な海亀を殺すこと
 五 神聖な熊を殺すこと
第五十三章 猟師による野生動物の宥和
第五十四章 動物礼典の型
 一 礼典のエジプト型とアイヌ型
 二 神聖な動物を伴う行列
第五十五章 災厄の転移
 一 無生物への転移
 二 動物への転移
 三 人間への転移
 四 ヨーロッパにおける災厄の転移
第五十六章 災厄の公的放逐
 一 鬼神の遍在性
 二 災厄の随時放逐
 三 災厄の周期的放逐
第五十七章 公的替罪羊
 一 具象化した災厄の追放
 二 物質的な器による災厄の随時追放
 三 物質的な器による災厄の周期的追放
 四 替罪羊概説
第五十八章 古代ギリシア・ローマの人間替罪羊
 一 古代ローマの人間替罪羊
 二 古代ギリシアの人間替罪羊
 三 ローマのサートゥルナーリア祭
第五十九章 メキシコの神殺し
第六十章 天と地の間
 一 地に触わらぬこと
 二 太陽を見ぬこと
 三 年頃の乙女の隔離
 四 年頃の乙女を隔離する理由
第六十一章 ボルダーの神話
第六十二章 ヨーロッパの火祭り
 一 火祭り概説
 二 四旬節の火
 三 復活祭の祝火
 四 ベルテーン祭の祝火
 五 夏至の火祭り
 六 ハロウィーン祭の火祭り
 七 冬至の祝火
 八 浄火




◆本書より◆


「第五十三章」より:

「このように生きているすべてのものを全く人間と同じ立場に置て考える未開人にとって、ある動物を殺して食べる行為は、動物の知性をわれわれ自身のそれに遙かに及ばぬものと考え動物が不滅の霊を持ちえないものと考えるわれわれに、同じ行為が提示するものとは著しく異なった様相を帯びるはずである。ここから、動物を殺す未開人猟師は、その素朴な哲学的理解にもとづいて、自分自身が動物の遊離した霊の復讐の危険にさらされていると信じており、あるいは人間と同じように親縁の絆と血族のための戦いの義務感によって団結していて仲間の一員に加えられた危害に対して憤る義務をもつという同種の他の動物の復讐の危険にさらされていることを信じているのである。したがって未開人は、殺さねばならぬ切迫した理由のない動物、少なくともその種類の一員の殺害に対して血の復讐を強行するような獰猛で危険な動物の生命はとらぬように心掛けるのが普通である。ワニはこの種の動物である。(中略)たとえばボルネオのダイヤク族は、ワニが先に人を殺したのでないかぎり、それを殺すことはない。」
「マダガスカル島のイタスィー湖の近くに住む人々は、毎年ワニどもに向かって宣告し、彼らの友の死に対しては同数のワニを代わりに殺して返報するとのべ、さらに善良なワニに向かっては、彼らと喧嘩仲になっているのではなくて人命を奪った彼らの邪悪な親族とだけそうなっているのだから遠ざかっているように、と警告するのである。マダガスカル島の諸部族は、自分たちをワニの後裔だと信じており、したがってこの鱗のある爬虫類を事実上の人間であり兄弟であるとみなすのである。もしこの動物のうちの一匹が図々しくも親族である人間の一人をむさぼり食うようなことがあれば、部族の酋長あるいは不在の場合には部族の慣習に通じた古老が人々を引き連れて水際へ赴き、犯罪者を正義の武器に委ねる旨、その家族を呼び集めて申し渡す。そして鈎に餌をつけて河か湖の中へ投げるのである。その翌日、罪ある兄弟、またはその家族の一員が岸に引き揚げられ、厳しい吟味のすえその罪が断証され、死刑を宣告された上で処刑されるのである。このようにして正義の要求は満足せしめられ、律法の尊厳が十分に擁護された上で、死んだワニは親族の者と同様に悼み悲しまれて葬られる。その遺骸の上には塚が築かれ、頭の位置を示す石が立てられるのである。」

「古代ギリシアのある農業書は、その土地を鼠の害から護ることをねがう農夫に、次のようにすることをすすめている。――「一枚の紙をとり、それに次のように記せ――『ここにいるなんじ鼠よ、われ汝にかたく命ず、汝われを害することなかれ、また他の鼠をしてかくなさしむることなかれ。われ汝に向こうの畑を与うべければ。』(ここにおいてその畑を指定せよ)――『しかし、もしわれ再び汝を捕うることあらば、われ神々の母によりて汝を七つに引き裂くべし。』――こう記して日没前に畑の中の切らざる石にこの紙をはりつけ、書かれたところを上に向けて置くよう注意せよ」と。」

「アルバニアでは、畑やブドウ園がイナゴや甲虫によって荒されるような場合には、何人かの女が乱髪で集り、その昆虫を少しばかりつかまえ、それを持ち葬列を組んで泉か河へ行って、その中で溺らせてしまう。そして女たちのうちの一人が、「われらに先立ち逝けるイナゴよ甲虫よ」と歌い出すと、他の女たちがその挽歌をとり上げ、繰り返して合唱する。このように何匹かのイナゴと甲虫の葬式を執り行なうことによって、全体に死をもたらそうとするのである。」



「第五十六章」より:

「西部アフリカの黄金海岸では、疫病が流行しはじめると棍棒や炬火で武装して、悪霊を追い払うために出て行くことがある。定めの合図に従って全住民が怖ろしい叫び声をあげ、家の中のあらゆるところを叩きまわり、それが済むと狂気したように表へとび出して炬火を振りまわし、無茶苦茶に空をうつのである。嚇かされた悪霊がその町か村から退散したと誰かが報告するまで、この騒動は続けられる。人々はこれを追いかけ、森林の中まで追いつめてから、二度ともどって来るなと嚇しつける。」

「バフィン島のエスキモーは、晩秋になって暴風が陸の上を吹きまくり、凍った海をなおも軽くしばり止めている氷の足枷をうちくだくとき、海に浮かぶ氷塊が物凄い音をたてて互いにぶっつかっては飛び散るとき、また氷の塊が乱雑に積み重なってゆくとき、彼らは禍いを帯びた空に棲む精霊の声を聞くという。そんな時には、死者の霊が荒々しく小屋の戸を叩く。入っては来られないが、つかまった不運な人こそ禍いである。すぐに病気にかかって死んでしまうのである。そんな時、巨大な毛のない犬の影がほんとうの犬を追いかける。犬はその影を見て痙攣を起こして死んでしまう。数かぎりもない悪霊どもが横行し、エスキモーに病気と死、悪天候と失敗をもたらそうと競う。このような化け物の訪問者のうち、最も怖れられているのは下界の女主セドナと、死んだエスキモーをその手におさめる彼女の父である。ほかの精霊どもが空と水をみたしているに対し、彼女は地下から出て来る。それで今は妖術者たちにとっては多忙な季節である。どの家からも歌ったり祈ったりする声が聞えて来る。ほそぼそと燃える燈火にうす暗く照らされた小屋の奥の方の神秘的な暗がりに坐って、彼らが霊どもを宥めているのである。最も厄介なのはセドナを追い払う仕事である。だからこれは一番有力な妖術者のために残して置かれる。ある大きな小屋の床の上に一本の繩をぐるぐる巻きにして、上部に小さな穴を残して置くようにする。この穴は海豹の呼吸孔を表わすものである。二人の妖術者がその傍に立つ。一人はちょうど海豹の穴を見守るように槍を握り、もう一人は銛綱を持っている。第三の妖術者が小屋の中に坐っていて、この場にセドナを誘い出すため呪歌を吟唱する。やがてセドナが荒々しい息づかいで、小屋の床の下に近づいて来るのが聞こえはじめる。それがあの穴からにゅっと現われる。すかさず銛を打ち込むと、怒って銛を引きずりながら沈んで行く。二人の妖術者は力の限り綱にしがみつく。物凄い格闘がしばらく続く。しかしついにセドナの死物狂いの身もだえが奏功し、銛からその身を引きちぎって彼女はアドリヴンの棲家へ逃がれ去る。銛を穴から引き上げて見ると、それには生々しい血糊がべっとりとついている。妖術者たちはそれを自分たちの努力の証拠だとして、誇り顔に見せびらかすのである。このようにしてセドナと他の悪霊どもがようやくのことで追い払われると、その翌日はこれを記念して盛んな祭りが老人や若者たちによって執り行なわれる。しかし彼らはまだ要心していなければならない。と言うのは、手負いになったセドナが猛々しく狂い立って、小屋の外などに出ていると誰でも引き捕えるからである。それで誰でも頭巾の上に護符をつけて、自分の身を彼女から護ろうとするのである。この護符は彼らが生まれるとすぐ身につけた最初の着物の一片で出来ている。」



「第五十七章」より:

「悪魔どもを運び去る器には、色々な種類があるようである。よく見られるのは舟である。」
「たとえばボルネオの海岸の異教諸部族の多くのものは、次のようにして疫病を追い払おうとする。まずサゴヤシの木髄でもって一つあるいはそれ以上の人形をざっときざみ、米その他の食べ物と一緒にそれを小舟か、十分に艤装したマレー舟に積みこむ。この舟は檳榔子の花と葉でつくったリボンで飾ってあって、退き潮に乗せて沖合に漂い行かせるのであるが、(中略)病気をも一緒に運んで行くのである。
 共同社会全体の悪魔ども病魔どもを一緒にあつめて運び去らせる器が、動物ないし替罪羊であることもしばしばである。」
「ボルネオのビアジュ族は、全住民の罪と災厄を乗せた小舟を、毎年海へ流してやる。航海をしていてこの不吉な舟に出くわした船員たちは、それが乗せている一切の悲しみをその身に受けることになる。」



「第五十八章」より:

「古代ギリシア人もまた、人間替罪羊の慣習をもっていた。プルータルコスの故郷カイロニアの町では、この種の儀式が主執政官によっては町の役場で、各戸主によってはめいめいの家庭で執り行なわれた。それは「飢餓の追放」と呼ばれた。一人の奴隷がアグヌス・カストゥスの杖でうたれ、「飢餓を連れて出て行け。富と健康をつれて入って来い」という言葉とともに、外へ追い出されるのであった。」

「小アジアのギリシア人が執り行なった替罪羊は次のようなものであった。ある町が疫病、飢饉その他の社会的災厄に見舞われた場合には、共同社会を悩ます一切の災厄をその身に負わせるため、一人の醜い人物、あるいは不具者を選び出す。彼は適当な場処に連れて行かれ、乾無花果、大麦パン、それからチーズをその手に持たされる。これを彼は食べるのである。それから海葱、野生無花果、その他の野生の樹の枝でもって生殖器を七度たたかれ、その間じゅう笛が特殊な音を奏でた。それが済むと、森林の木を積み重ねた上で焼かれ、その灰は海の中へ投げ棄てられるのであった。」

「この有名な祭り(引用者注:「サートゥルナーリア」)はローマ暦年の最後の月である十二月にあたり、種播きと農耕の神サートゥルヌスの幸福な治世を記念するためのものだと一般には考えられていた。サートゥルヌスはイタリアの義にして仁慈の王として太古この地上に住んでいた者で、無知で分散していた民を山の上に引き上げて一緒に集め、彼等に農耕の術を教え、律法を与え、これを平和のうちに統治したのである。彼の治世は「黄金時代」といわれた。」
「この古代のカーニヴァルを特徴づけるように見えるものは、宴楽とバカ騒ぎ、気狂いじみた快楽の追及の一切にほかならなかったのである。」
「自由人と奴隷の差別は一時撤廃された。奴隷はその主人を嘲り罵っても構わず、主人たちと同じように酒に酔ってもよく、(中略)さらに他の時期なら笞刑、投獄または死刑の罰をすら受けるかも知れないような行動に対してすら、一言の叱責を受けることもなかったのである。いや、それどころではなくて、主人と奴隷はその地位を転倒して、主人が食卓で奴隷の給仕をさえした。(中略)同様なものが、この同じ時期にあたり自由人がサイコロを投げて決める模擬の王権であった。サイコロで決められた者は王の称号を帯び、一時的な人民に対してふざけたバカらしい命令を出す。一人に対してはブドウ酒を調合することを、他の者に対してはそれを飲むことを、他の者に対しては歌うことを、他の者に対しては踊ることを、他の者に対しては自分を非難して語ることを、他の者に対しては笛吹き女を背負って家をまわることを命じるという類であった。」



「第六十章」より:

「読者の注意をひきたいと思う掟の第一は、神的な人物はその足で地に触れてはならぬ、とするものである。」
「注意されねばならぬ第二の掟は、神的な人物に太陽の光をあててはならぬ、というものである。」

「上にのべた二つの掟――地に触れぬこと、太陽を見ぬこと――が世界の多くの地方で、年頃になった乙女たちによって別々にかあるいは結合して守られているのは注目に価するところである。」
「ボルネオのオト・ダノム族では、八歳から十歳くらいの乙女は家の中の小部屋に閉じこめられ、世間との交際を一切断ち切られてしまう。この小部屋は家の他の部分と同じように、杙棒でもって地面から支え上げられており、隅の方にあけられたただひとつの穴から光をとっているだけであるから、乙女はほとんど真暗なところに居るわけである。乙女はどんな口実をもうけても、また最も必要な目的のためにすら、この部屋を離れてはならない。閉じこめられている間は、家族の誰も彼女に会ってはならぬことになっており、ただ一人の女奴隷だけが用を承わる。しばしば七年にも及ぶこの淋しい幽閉のあいだ、乙女は敷物を編んだり、その他の手芸などして日々を過す。運動不足のため肉体の発達がおくれて発育不全となり、女になる年齢に達して外へ連れ出された時には、顔色は真蒼で丸で蠟細工を見るようである。彼女はいまや、まるで生まれて間もない幼児のように、あれはお日様、これは土、これは水、あれは木、これは花というように教えられる。それから盛大な祝宴がもうけられ、一人の奴隷が殺され、その血が乙女に塗られるのである。その昔セーラム島では、娘が年頃になると暗くした小屋の中へ自分から閉じこもった。」

「父親の手によって地下の部屋または真鍮の塔に幽閉されたが、黄金の雨の形で彼女に接近したゼウスによって身ごもったというダナエーにかんする古いギリシアの話は、おそらくこの類に属する説話であろう。この複本はシベリアのキルギス人が彼らの祖先について語る説話のうちにある。ある酋長が、一人の麗しい娘をもっていたが、一切男の眼にふれないようにするため、これを暗い鉄の家に閉じこめて置いた。一人の老婆がこれに仕えていた。さてこの娘が大人になったとき、老婆にたずねてこう言った。――「そんなにたびたびどこへ行くの。」「娘よ」と老婆は答えて、「輝かしい世界があるのです。その輝かしい世界にあなたの御父様も御母様もお住みだし、どんな人だってそこに住んでいるのです。私がたびたび行くのはそこなのです。」そこで娘は、「やさしいお婆さん。誰にも言いませんからその輝かしい世界を見せて下さい。」このようにして老婆は娘を鉄の家から連れ出した。ところがその輝かしい世界を見るなり、娘はよろよろとよろけて気を失ってしまった。そればかりか神の眼が乙女の上におちたので、乙女は懐妊してしまったのである。怒った父親はこれを黄金の箱につめこみ、涯しもない海へ漂よい行かせた(中略)。前にあげたギリシアの説話に出て来る黄金の雨、それからこのキルギスの説話の神の眼は、おそらくどちらも日光と太陽を意味するものであろう。女が太陽によって懐妊するという考えは伝説には決して珍しいものではなく、結婚の慣習のうちにすらその痕跡が残っているのである。」

「このようにひろく年頃の乙女に課せられる束縛の動機は、原始未開人が月経の血に対して一般に抱いているところの、深くしみこんだ恐怖心にある。」

「このように、月経ちゅうの女を隔離する目的は、この時期に女から発出すると信じられている危険な力を中和するところにある。(中略)大地と太陽の二つから遮断されているために、乙女がその恐怖すべき感染によってこれら二つの大きな生命の源泉を毒することはできないからである。これを簡単に言って見れば、彼女は電気の用語をもってすれば、絶縁されることによって無害にされているのである。(中略)マクシ族はもし娘が掟を犯したならその身のいたるところに痛みが起こると信じているのである。つまり娘は物凄い威力で充たされていると考えられており、それを抑圧しておかなければ彼女自身に対しても、彼女と接触するすべての者に対しても破滅的な影響を及ぼすことになるというのである。この威力を関係者すべての安全のために必要な限界内に抑圧しておくことこそ、かのタブーの目的なのである。」







こちらもご参照ください:

フレイザー 『金枝篇 (五)』 永橋卓介 訳 (岩波文庫)
谷川健一 『女の風土記』 (講談社学術文庫)
池上俊一 『動物裁判』 (講談社現代新書)


























































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