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小松和彦 『日本妖怪異聞録』

「いまでこそ玉藻前の名を知る日本人は少ないが、江戸時代ではたいへん有名な妖怪であった。京の王権を倒すべく御所内に入り込んだ妖怪は、後にも先にも、この狐のみであったのだ。」
(小松和彦 『日本妖怪異聞録』 より)


小松和彦 
『日本妖怪異聞録』
 


小学館 
1992年5月10日 初版第1刷発行
1992年7月1日 第2刷発行
221p 口絵(カラー)8p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,700円(本体1,650円)
装丁: 中山銀士
人形制作: 野崎一人



本書「あとがき」より:

「わたしにとって、妖怪とは人間と人間との関係のなかから立ち現われてくる幻想であって、しかも、それは自分(たち)の否定的分身であると理解している。それが、あるときは、特定の集団の敵、もしくは影、つまり反権力の象徴として形象化され、また、あるときは、特定の個人の敵、もしくは影として形象化される。したがって、現状を肯定しようとすれば、妖怪は否定されるべき存在となるわけであるが、現状を改善しようとしている者にとっては、肯定すべき存在となるわけである。」
「この本は、中学・高校生向けの「小学館スペシャル ワンダーライフ」に寄稿した原稿をもとにして作られているため、参考文献をほとんどあげていないが、その作成にあたっては、多くの方々の研究を利用したり、協力を得ている。」



口絵カラー図版11点、本文中モノクロ図版39点。
でてきたのでひさしぶりによんでみました。



小松和彦 日本妖怪異聞録 01



帯文:

「日本の
八大妖怪
完全分析
大江山の酒呑童子、
那須野の妖狐・玉藻前、
大天狗となった崇徳上皇――
日本文化史の
裏面を蠢いてきた妖怪たちを、
異界研究の第一人者・
小松和彦(大阪大助教授)が
解読する!」



帯背:

「妖怪たちの
実像に迫る!」



帯裏:

「「われ深き罪におこなはれ、愁鬱(しゅううつ)浅からず。速(すみ)やかにこの功力をもって、かの科(とが)を救はんと思う莫大の行業を、しかしながら三悪道になげこみ、その力をもって、日本国の大魔縁となり、皇(すめらぎ)取って民となし、民を皇となさん」と、自らの舌先を食いちぎり、その血潮で大乗経に呪詛の誓文を記し、海底に沈めたという。こうして崇徳上皇は魔界に去っていった。しかしそれは敗者の反撃の到来でもあった…。(「日本の大魔王・崇徳上皇」より)
 妖怪とは、敗れ去った者、敗れ去った神々の姿なのだ。そしてそれはまた、ときには自然それ自体だったのかもしれない。日本史の背後を彩ってきた妖怪たちの実像に迫る最新作!」



目次:

第一章 大江山の酒呑童子
 日本妖怪変化史最強のヒーロー
 酒呑童子物語を推理する
 酒呑童子は越後生まれ?
 酒呑童子の父はヤマタノオロチ?
 酒呑童子の怨念は非征服民の魂の叫び

第二章 玉藻前
 狐は人をばかすもの
 朝廷転覆を狙う、スケールの大きな妖狐譚
 陰陽師の呪術が物語をリードする
 歴史的事実と宗教的背景
 各地に残る殺生石譚
 狐は必ず美女に化ける?

第三章 是害坊天狗
 天狗とはそもそも何か?
 僧をだます天狗の敵は仏教
 天狗とはもともとなんだったのか

第四章 日本の大魔王 崇徳上皇
 実在の人 崇徳上皇
 呪われた崇徳院の出生の秘密
 『太平記』にみる怨霊天狗の暗躍
 天狗の内裏に行き着いた牛若丸
 いまなお続く崇徳上皇の怨念

第五章 鬼女 紅葉
 鬼伝説から創作された『鬼女紅葉』
 語り続けられた戸隠の鬼伝承
 なぜ、鬼女物語が語り継がれたのか?

第六章 つくも神
 妖怪たちのパレード『百鬼夜行絵巻』
 百鬼夜行の目的はなにか?
 百鬼夜行から器物の夜行へ
 『付喪神絵巻』は『是害坊絵巻』の真言宗版?

第七章 鈴鹿山の大嶽丸
 宝物倉に納められた三大妖怪
 鈴鹿山の鬼神・大嶽丸
 大嶽丸蘇り、またも暴れ回る

第八章 宇治の橋姫
 捨てられた女が鬼女となる
 宇治の橋姫伝説と丑の時参り

あとがき




小松和彦 日本妖怪異聞録 02



◆本書より◆


「大江山の酒呑童子」より:

「以上の物語からわかることは、酒呑童子は、比叡山が伝教大師によって天台宗の総本山として開かれる前の先住の神であった、ということである。にもかかわらず、里からやってきた伝教大師はこれを追い払い、制圧しようとしたのである。(中略)つまり、先住民=敗者=鬼、征服者=勝者=人間という、まことに単純な図式がここには見えるわけである。」

「酒呑童子は山の神や水の神と深いつながりを持っている。彼ら鬼たちは龍神=大蛇=雷神のイメージと重ね合わされており、酒呑童子が大酒飲みと描かれているのは、近江誕生説にしたがえば、彼がヤマタノオロチ=伊吹明神の血を引く異常な「人間」であったからである。
 酒呑童子は仏教によって、もともと棲(す)んでいた山を追われてしまう。それは山の神が仏教に制圧されたプロセスと同じであろう。酒呑童子を迎えてくれる山は、仏教化されていない山、土着の神々が支配する山であった。
 酒呑童子は、たしかに京の都の人びとにとっては極悪人で、仏教や陰陽道など、京の人びとの生活を守る信仰にとっても敵であり、妖怪、化物であったろう。しかし、退治される側の酒呑童子にとっては、自分たちが昔から棲んでいた土地を奪った仏教の僧や、欺(だま)し殺す武将や陰陽師たち、さらに、その中心にいる帝の方こそ、極悪人なのである。
 酒呑童子の物語から、土着の神や人びとの哀しい叫び声が聞こえてくる。征服者への怨(うら)み声が……そしてその声は、自然それ自体が征服されていく悲鳴であるのかもしれない。」



「妖狐 玉藻前」より:

「ここで取り上げる妖怪は、日本の妖怪狐のなかでも、もっとも名高い、京都の王権を倒そうというとてつもない野望を持った狐の物語である。」

「荼吉尼天信仰と玉藻前伝説が関係があることは、何人かの研究者に指摘されている。この荼吉尼天信仰は、真言宗、とくに近くにある伏見稲荷を東寺(とうじ)が支配下に置いたことから、東寺系の密教僧たちの間で信仰され出し、それが広く流布することになったと考えられている。
 東寺を中心とする真言僧徒は、狐を辰狐王菩薩(しんこおうぼさつ)と称して神仏化し、天照大神(あまてらすおおみかみ)に比定した。ここから、奇怪なことに、天照大神が天岩戸(あまのいわと)に隠れたとき、狐の形になって入ったとの説も生まれることになった。玉藻前の身体から光が放たれたのは、天照大神の光とも通じるところがあるわけである。
 東寺の高僧たちの間では、辰狐王菩薩つまり荼吉尼天が、王法守護の神とみなされていた。しかし、その一方では、斑足王が祀った塚の神ともみなされ、この場合では、王法を破壊する神であった。荼吉尼天は両義的神であったのだ。もし玉藻前に荼吉尼天の影響があるとすれば、そこには、明らかに王法破壊の側面が組み込まれているということになるだろう。」

「その遺骸(いがい)はただちに京に運ばれ、院の叡覧(えいらん)があったのちに、うつぼ舟に乗せて流し捨てられたという。もっとも、多くの伝本は、酒呑童子と同様に、宇治の平等院の宝蔵に納められた、と記しているのが興味深い。
 すなわち、王権は、こうした王法を破壊しようとする妖怪を退治したというしるしを、今日でいえば博物館に相当するところに収納しておくことによっても支えられていたのである。イギリスの大英博物館が、かつて大英帝国が盛んなりし頃に、植民地から収奪した宝物を並べ立てていることを思えば、宇治の宝蔵の意味するところがよくわかるはずである。」

「いまでこそ玉藻前の名を知る日本人は少ないが、江戸時代ではたいへん有名な妖怪であった。京の王権を倒すべく御所内に入り込んだ妖怪は、後にも先にも、この狐のみであったのだ。」



「是害坊天狗」より:

「鳥類タイプの天狗がしきりに活動していたのは、平安時代であった。この頃の天狗をめぐる伝承の多くは、仏教とりわけ比叡山、つまり天台宗の僧たちにかかわるかたちで語られている。
 すなわち、天狗は仏法をおとしめようとして、人間界に出現してくる妖怪として描き出されているのである。」
「安倍晴明(あべのせいめい)や安倍泰成(あべのやすなり)といった陰陽師たちがその呪力(じゅりょく)で、あるいは源頼光(みなもとのらいこう)や源頼政(よりまさ)といった武将が、その武力で、妖狐や鬼などを退治して名声を獲得したのと同様のことを、僧たちは天狗を相手に演じていたのである。」

「高僧に従う神的童子たちを「護法童子(ごほうどうじ)」という。この護法童子は、さまざまなものに変化する能力を持ち、空中を飛び、恐ろしい能力さえ持っている。それは、いってみれば、もう一つの「天狗」、天狗の反転したイメージであるといっていいだろう。」



「日本の大魔王 崇徳上皇」より:

「白峰神宮の創建は、慶応四(一八六八)年、明治維新政府軍が奥州列藩同盟軍への攻撃を開始しようとしていた年のことである。それに先立ち、「もしものことがあっては」と怖(おそ)れた明治天皇は、父孝明天皇の遺志を継いで、「日本国の大魔縁となり、皇(すめらぎ)を取って民となし、民を皇となさん」と、自らの舌先を食いちぎり、その血潮で大乗経に呪詛(じゅそ)の誓文を記し、また死後は怨霊(おんりょう)、天狗となって人の世を乱し続けたとされる崇徳上皇の霊を、讃岐(さぬき)の白峰御陵から乞い招いて、神に祀(まつ)りあげることで、その恐ろしい霊威(れいい)の発現を封じ込めようとした。」

「こうして、崇徳上皇は魔界に去っていった。しかし、それは敗者の反撃のときの到来でもあった。
 ほどなくして、京の疫病の流行や貴族の病気や死は、崇徳上皇の怨霊のなせるわざだ、という風評が流れるようになった。このパターンは菅原道真(すがわらのみちざね)が死後に怨霊(おんりょう)となって天皇の病気や死、あるいは疫病の流行をもたらしたというのと、まったく同じであった。」

「承和(しょうわ)五(一三四九)年六月二十日のことであった。東山の今熊野というところに宿をえていた羽黒山の山伏の雲景(うんけい)が、天竜寺見物に出かけたとき、町で知り合った六十歳ばかりの老山伏に、「天竜寺も立派だが、われわれの住む山こそ日本に並びない聖地である。ぜひ見物しなさい」と誘われ、愛宕山に案内される。
 愛宕山の仏閣を見物して感心していると、老山伏はさらに「せっかくここまで来たのですから、この愛宕山の秘所もお見せしましょう」といって、雲景を、本堂の後にある座主(ざす)の僧坊と思われる建物へ案内したのである。
 「本堂の後」とは、「後戸(うしろど)の空間」などともいわれ、「表」に対して「裏」、「光」に対して「闇(やみ)」に対応する、「魔多羅(またら)神」などの怖しい邪神や荒ぶる神、祟り神のたぐいが祀られる空間であった。」
「そこにはたくさんの人が座っていた。(中略)とりわけ目立つのは、高御坐(たかみくら)に「大きな金色の鳶(とび)が翼をつくろって着座」している方であった。あまりに怖し気で不思議に思われたので、案内する老山伏に、「この集まりはなんなのですか」と尋ねたところ、山伏は次のように説明してくれたのである。
 「上座の金の鳶の姿をしたお方こそ崇徳院であらせられる。そのそばの大男こそ源為義入道の八男八郎為朝である。左の座には代々の帝王、淡路の廃帝、井上皇后、後鳥羽院、後醍醐院、いずれも帝位につきながらも悲運の前世を送らざるをえなかったために、悪魔王の棟梁(とうりょう)になられた賢い帝たちであらせられる。次の座の高僧たちは、玄肪(げんぼう)、真済(しんざい)、寛朝(かんちょう)、慈彗(じけい)、頼豪(よりいえ)、仁海(じんかい)、尊雲(そんうん)たちで、やはり同じように大魔王となられて、ここにお集まりになり、天下を大乱に導くための評定(ひょうじょう)をしておられるのである」。」
「政争で敗れて怨みをいだきつつ世を去った天皇やその近親者、あるいはそれに巻き込まれて殺されたり、自死したりした武士や高僧たちの怨霊が天狗と化して、それが手を結び合って一団となって、時の支配者たちに挑戦し怨みを晴らそうとしているのである。いささか乱暴ないい方をすれば、この世に生じたあらゆる災厄はすべて魔界に棲む怨霊天狗の仕業とみなす、というのが『太平記』に見られる天狗観であるといっていいだろう。」
「天狗界にやってくる人間は、人間界に怨みを残して死んだ者である。そして、その怨みを晴らすために、しきりに天下騒乱の計略を練っている。その計略が実現したのが、歴史上の災厄・騒乱だと、当時の人びとは、というか『太平記』の作者たちは、みなしていたのである。」

「崇徳上皇は白峰陵で、じっと自らの出番を待っている、と考えられていたのだ。(中略)皇族が天下を治めていないかぎりは、その霊力を発現させるには至らない。というのは、崇徳上皇の敵は、朝廷であったからである。」
「孝明、明治の両天皇は、王政復古のときがやってきたとき、まず思い浮かべて恐怖したのは、この崇徳上皇の怨霊の発現であり、その政道への妨害であった。
 それを封じるために、崇徳上皇の霊を京に招いて、神に祀りあげようとしたわけである。」




小松和彦 日本妖怪異聞録 03






こちらもご参照ください:

宮田登 『江戸の小さな神々』
ハインリヒ・ハイネ 『流刑の神々・精霊物語』 小沢俊夫 訳 (岩波文庫)
阿部正路 『日本の妖怪たち』 (東書選書)
中野美代子 『中国の妖怪』 (岩波新書)
『定本 柳田國男集 第四卷 遠野物語 山の人生 他』 (新裝版)







































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