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『日本の名著 10 世阿弥』  責任編集: 山崎正和

「世阿弥がつくったといわれる「夢幻能」のなかに、われわれは彼が人間というものをどう見ていたかを知ることができる。ひとりの人間はひとりではなく、つねにひとりの村娘は幻の貴婦人の化身である可能性を含んでいた。人間の存在はいわば二重になっていて、その生命はむしろひとつの姿から他の姿に変わるときにこそ高まるのである。」
(山崎正和 「変身の美学」 より)


『日本の名著 
10 
世阿弥』 

責任編集: 山崎正和


中央公論社 
昭和44年10月1日 初版印刷
昭和44年10月10日 初版発行
478p 口絵(カラー)1葉
17.6×12.8cm 
丸背バクラム装上製本 貼函
本体ビニールカバー
函プラカバー
定価650円
装幀: 中林洋子

付録 5 (12p):
対談 世阿弥と現代文化(芥川比呂志・山崎正和)/執筆者紹介/読書案内/次回(第6回)配本/図版(モノクロ)6点



本書「解説付記」より:

「能作品を除いて、世阿弥の著作と信ぜられるものは、これまで二十一部確認されている。本書には、このうち芸術論としてとくに内容が深く、著者の思想を代表すると思われる『風姿花伝』『花鏡』『至花道』『三道』『遊楽習道風見』『九位』『拾玉得花』『習道書』、ならびに次男元能の筆録による『世子六十以後申楽談儀』を選んでおさめた。なお世阿弥自身の文体をしのぶよすがとして、付載として追悼文『夢跡一紙』と金春禅竹への書状二通をあわせ入れた。」
「翻訳は語学的な忠実さよりも、世阿弥の思想を「現代語化」することに重点を置き、大胆なパラフレーズを行ない、いわゆる訳注も本文中に融かしこむように努力した。訳文はそれぞれの担当者が試訳を作り、それを訳者一同で検討、修補する方法をとった。」



「日本の名著」シリーズ第5回配本。二段組。図版(モノクロ)多数。
現代語訳と解説。でてきたのでよんでみました。



世阿弥 日本の名著 01



帯文:

「世界に日本を代表する芸術思想は世阿弥の理論書の中にいきいきと躍動している。六百年間、能の世界に伝えられた彼の思索は、芸術ばかりでなく現代の哲学・思想に示唆するところ大きい。劇作家・演戯者・学者の協力によるユニークな現代語訳によりその思想を今日の視点から再評価する。」


目次:

変身の美学――世阿弥の芸術論 (山崎正和)
 世阿弥との邂逅
 芸術家の運命――宗教と政治のあいだで
 演戯する人間の自由(1)――演戯者と観客
 演戯する人間の自由(2)――演戯者と実存

演戯者から見た世阿弥の習道論 (観世寿夫)
 世阿弥の生きかた
 習道論

解説付記
 作品選定の基準
 翻訳の方法と凡例
 編集の基本姿勢

風姿花伝 (観世寿夫 訳)
 序
 第一 年来稽古
 第二 物学
 第三 問答
 第四 神儀
 第五 奥義
 第六 花修
 第七 別紙口伝

花鏡 (山崎正和 訳)
 一調・二機・三声
 動十分心、動七分身
 強身動宥足踏、強足踏宥身動
 先聞後見
 まず能くその物に成り、さて能くその態を似せよ
 舞は声を根となす
 時節感に当たること
 序・破・急のこと
 習道を知ること
 上手の感を知ること
 浅深のこと
 幽玄の堺に入ること
 劫の入る用心のこと
 万能を一心につなぐこと
 妙所のこと
 比判のこと
 音習道のこと
 奥の段

至花道 (観世寿夫 訳)
 二曲三体のこと
 無主風のこと
 闌けたる位のこと
 皮・肉・骨のこと
 体・用のこと

遊楽習道風見 (山崎正和 訳)

九位 (山崎正和 訳)
 九位の注
 九位習道の次第

拾玉得花 (山崎正和 訳)

三道(能作書)  (山崎正和 訳)
 能作書
 三体作書 その他

習道書  (山崎正和 訳)

申楽談儀 (西野春雄 訳)
 序
  舞台芸術としての能
  一忠
  喜阿弥
  増阿弥
  犬王道阿弥
  観阿弥
  世阿弥
 一 演能のきまり
 二 能の風情
 三 能の「物まね」
 四 「どっ」という芸位
 五 声のこと
 六 音曲のこと
 七 祝言の音曲
 八 曲舞の音曲
 九 音曲の「かかり」
 一〇 文字なまり・節なまり
 一一 拍子のこと
 一二 謡の技法のさまざま
 一三 謡の面から見た芸位
 一四 能の作りかた その一
 一五 能の作りかた その二
 一六 能の作りかた その三
 一七 勧進能の舞台と翁の演出
 一八 能の装束と道具
 一九 面と姿について
 二〇 笛・狂言の名人
 二一 田舎申楽の芸風
 二二 すぐれた面の由緒
 二三 申楽の諸座
 二四 世阿弥と霊夢
 二五 田楽の起源
 二六 松囃子のこと
 二七 薪能のこと
 二八 永享元年の興福寺能
 二九 能役者のたしなみ
 三〇 後継者の育成
 三一 神事奉仕のこと
 付載 観世座規約
 奥書
 補遺
 〔別本聞書〕
  扇落しの型
  謡の文字扱いについて
  声の律呂について
  天女の舞について
  先人たちの短所について

夢跡一紙・書状 (原文)
 夢跡一紙
 きやよりの書状
 佐渡よりの書状

能への招待 (増田正造)
 はじめに
 能の流れ
 能の構成と種類
 能の舞・謡・囃子
 能の舞台表現
  能の舞台
  能の面
  能の扮装
  能の作り物と空間処理
  能の表現
 能の組織と修業
 能と狂言
 能の作品展望
  女
  老人
  直面
  物狂い
  法師
  修羅
  神
  鬼
  唐事

年譜




世阿弥 日本の名著 02



◆本書より◆


「変身の美学」(山崎正和)より:

「祭の日のあの狂おしい気分のなかには、いまもなお神聖な感情と極端に猥雑(わいざつ)な感情とが混然となっている。そのふたつは混りあうとひとを狂おしくさせるのであって、おそらく遠い昔、人間がタブーというものに触れた複雑な感情の名残りなのである。(中略)しかし文明は、そのふたつの感情をふたつに切り離して、巧妙に日常の理性に服従させようと試みたといえる。純粋に神聖なものも純粋に穢れたものも、それだけなら人間の日常的理性をけっして混乱させない。神聖な感情は理性の上に(引用者注:「上に」に傍点)、猥雑な感情は理性の下に(引用者注:「下に」に傍点)、われわれは整然と位置づけて安心することができるからである。(中略)中世の文明は、この理性の狡智(こうち)を社会的なかたちで実現した。すなわち宗教と芸能をふたつに割って、一群の聖職者は「良民」の上に(引用者注:「上に」に傍点)、無数の賤民遊芸人はその下に(引用者注:「下に」に傍点)閉(し)め出して位置づけたのである。」
「彼らは良民の日常理性の世界から明確に閉め出されながら、しかも古代人のように宗教的呪縛の強烈な力を持つことも許されなかった。(中略)宗教と芸能が二分されたときから、いわば狂的な感情にたいする日常理性の防禦は完璧であったといってもよい。両者はただ思い出したように結びついて、飼いならされた狂気を一瞬だけ日常から解放することができたにすぎない。そうでないときの宗教はむしろ日常化されて、生活者の世界の健全な一部をなしていた。もはや芸能は古代人の呪術とはちがって、日常世界のそとに広がる独自の世界を代表することはできなかった。遊芸者はあたかも修験者のように日常世界をはみ出しながら、しかし彼には精神的にも現実的にも、たとえば羽黒や熊野の山嶽というものは存在しなかったのである。
 観客のまえに立つ中世の役者は、したがって近代の個人よりもさらに孤独であったといえるだろう。冷酷な「他人」というものを発見するのに、彼には恐ろしいほど露骨な手がかりがあたえられていたからである。眼のまえには日常理性に従って生きる良民の世界があり、彼はそれとかかわるために理性的な言葉の助けを借りることはできなかった。しかも、もはや宗教的に聖なるものの助けもなしに、芸能はいかにしてそれら良民たちの健全なる魂を呪縛することができるのか――。「乞食の所行」として社会的にさげすまれることよりも、彼らの心を重くとらえていたのはむしろこの問題であっただろう。」

「ひとは狎(な)れ親しんだものによっては統治されず、自分が完全に理解しえたものによっては呪縛されない。統治者の内部に一見統治とは無縁な孤独への志向があって、はじめて彼はひとびとを有効に指導することができるのである。」

「そうしたさまざまの外的な理由によって結びついたうえで、やがて義満と観世親子はひそかにもう少し屈折した関係を結んでいったのではないだろうか。この政治的支配者と社会的なアウトサイダーとは、それぞれ民衆からの孤立者として、たがいの内面にふしぎな同質性を発見しあったにちがいないからである。」

「「此比(このころ)の稽古には、ただ、指を指(さ)して人に笑はるゝとも、それをばかへりみず、内にては、声の届(とず)かんずる調子にて、宵暁(よいあかつき)の声を使ひ、心中には、願力を起して、一期(ご)の堺こゝなりと、生涯にかけて、能を捨てぬより外は稽古あるべからず」(このころの稽古は、もし他人に嘲笑されるようなことがあっても、そんなことは気にかけず、声の出しうる範囲の音程で、朝と言わず夜といわず、たゆまず稽古し、能の演戯者としての生涯の分かれ目はここだと自覚し、強い信念を持って、能から離れないようにしている以外、稽古の方法はない)
 十七、八歳から二十歳ごろまでの稽古について、世阿弥は『風姿花伝』「第一 年来稽古」のなかにこのように書いている。(中略)驚くべきことだが、ここには自己の存在をまず第一に「醜悪」として自覚した青春が記録されているのである。(中略)世阿弥にとって自己とはむしろ一種の不自然なのであり、意識して恢復(かいふく)しなければならない異様な欠如態にほかならない。
 現に世阿弥は、少年の自然な美しさを「時分の花」と呼び、それが失われたのちに恢復される壮年の美を「まことの花」と呼んでいる。すなわち、彼の青春はふたつの「花」にはさまれた空隙にすぎないのであって、そこにめざめる自己はいわば二重の喪失状態として自覚されるのである。「時分の花」はすでに去り、「まことの花」はまだ訪れて来ない。」

「それは本来の姿において、現実世界のなかで不適応として自覚される自己であった。世阿弥は良民社会から閉め出された卑賤なる芸人にすぎず、しかも少年の美しさを喪った醜悪な肉体とともに自己を発見した。(中略)不適応の状態があれば近代的自我はそれを解消し、現実世界をみずからの手で支配して生きようとする。不適合は近代人にとって偶然の椿事(ちんじ)にほかならず、彼は現実に祝福されて生きることが自己の本来の姿だと信じているからである。けれども、世阿弥の演戯する自己はそのような楽天的な自己ではない。むしろ不適応そのものを人間本来の現実と認め、積極的にそれをみずからの足場として生きる自己であった。いわば、演戯者の存在は現実世界のなかに投げこまれた「異物」なのであり、したがって彼は絶えずなにものかに扮装し、自分以外のなにものかに姿を変えて生きる宿命を負わされているのである。」

「私の知るかぎり、世阿弥が求めたような自由のありかたを、少なくとも示唆した現代の思想家はただひとりしかいない。(中略)ドイツの現象学者オスカー・ベッカー(一八八九~ )が、一九二九年に『美のはかなさと芸術家の冒険性』という短い論文を発表した。そこに現われた「被担性」(Getragenheit)という耳慣れない観念が、私にはたぶん世阿弥の「離見の見」に近い内容を持つ唯一のものであるように思われる。それは「決意」し「企て」る実存的自由が、にもかかわらず絶対に及ばない限界のかなたにかかわっている。」
「いっさいの不確実なものを許さないはずの実存哲学だが、われわれはそれがひとつの不確実な前提を残しているのを認めないわけにはいかない。すなわち人間は行動を起こすまえに、行動の全貌について少なくとも明確なイメージを持ちうるという前提である。たとえ行動の結果には失敗するにしても、実存主義者は自分の行動目標を事前に思い浮かべることができると考えている。(中略)だが芸術の場合にとりわけ明らかなように、われわれは行動を起こしてはじめて自分がなにを企てていたかを知る場合がある。(中略)そのとき達成される行動の質は行動を始めるまえにはおよそ想像することもできないだろう。」
「ベッカーはこの状態をとくに芸術活動の特質と認めて、それを「運ばれていること」、すなわち「被担性」と命名した。実存哲学によれば人間は現実のなかに「投げ出され」(被投性)、そして「企てる」(投企)のであるが、「被担性」はそれに並ぶ人間のもうひとつのありかただとされた。そしてそれは人間に「企てること」とは別種の自由をあたえるのであって、その幸運をベッカーはシェリング(中略)の言葉をかりて、「自然の自由な恩寵」と名づけている。
 ベッカーによればこの「運ばれ」た状態は、「古典時代の人たちが考えていた無重力状態での星の特異な運行」に似ているという。芸術家はこの状態のなかでのみ作品を「完結」しうるのであって、およそ彼は「この作品を『決断して』創ったのではない」「もしかしたら彼が『自然の自由な恩寵』をこうむるについては、はじめは極端な決断があずかって大いに力があったかもしれない。しかし、決して彼が自分の決断で自然を強制して取入れたのではなく、逆に自然が彼にむかって自由に身をゆだねたのである」「自然は、このように彼に身をゆだねることによって、彼を『担った』し、彼は担われて(引用者注:「担われて」に傍点)『自分の』作品の完結を体験した」しかしいうまでもなく、芸術家は「担われること」によってけっして放心状態におちいるわけではない。「自然の自由な恩寵」に恵まれながら、しかし実存としての自己を完全に失うわけではない。すなわち「芸術家が自分の作品を創造し完結させるのと、夢の踊り子が踊るのとでは、まるでやりかたがちがう。あとの場合は、夢遊病の女と同じことで、無意識である。なるほど、芸術家の天才の的確さには、何か『夢遊病的なもの』があるにはある。しかし、天才の天才たるゆえんは、まさに『目を醒(さ)まして』いて、比類のない明るさで照らしつくすところにある。とは言っても、ただ『目を醒まして』いて、『しらふ』だというだけのことではなく、『神的』狂気(マニア)に駆られているのである」(久野昭訳『美のはかなさと芸術家の冒険性』理想社)
「真の芸術家とは、傑作を成就する(引用者注:「成就する」に傍点)者である。『成就すること』(gelingen)は『できること』(können)以上のことである。――また、ある意味では、以下のことでもある。たとえ『できること』に絶対の自信を持っていても、断じてそれを『成就すること』という問題と取り換えることはできない」(ベッカー、前掲書)」

「世阿弥がつくったといわれる「夢幻能」のなかに、われわれは彼が人間というものをどう見ていたかを知ることができる。ひとりの人間はひとりではなく、つねにひとりの村娘は幻の貴婦人の化身である可能性を含んでいた。人間の存在はいわば二重になっていて、その生命はむしろひとつの姿から他の姿に変わるときにこそ高まるのである。世阿弥はこうした人間観を、役者としての自分の生活感情のなかから紡ぎ出したのにちがいない。われわれは世阿弥のなかから現代につうじる無数の思想を汲みとることができるのだが、しかしなにより汲みとらねばならないのは、現代にはもはやないこのふしぎな人間観かもしれないのである。」



「風姿花伝」「第二 物学」より:

「物狂い

 物狂(ものぐる)いは、能の中で、もっとも面白さの限りをつくした芸能である。一概に物狂いといっても、その中にさまざまな種類があるから、この物狂いを全般にわたって修得した演者は、あらゆる面をつうじて、幅の広い演戯を身につけられるであろう。その意味でも何度もくりかえし稽古を重ね研究すべき役柄である。」

「だいたい、物狂いの扮装については、その役に似合ったようにすることは、いうまでもない。しかし、常の人と異なった精神状態の物狂いであるという意味で、時によっては、実際よりも派手な扮装にすべきである。また、その曲に合った季節の花の枝を持って舞ったり、飾りとして挿したりするのもよいであろう。」

「鬼

 これは、特に大和(やまと)申楽(大和に生まれた申楽で、現在の観世・宝生・金春・金剛の各流の前身である。世阿弥ももちろん大和申楽である)の伝統的な芸能で、表看板である。しかも、非常にむずかしいものである。」

「まず、鬼というものは、本来、強く恐ろしいものである。この強く恐ろしいということは、面白いと感じるものとは相反する要素である。」

「このように、一筋縄ではいかない鬼の能を演じて、面白いところがあったとしたならば、その演者はあらゆる能をきわめつくした上手というべきであろう。」

「ただ、鬼の能の面白さというものを考えてみると、それは巌(いわお)に花が咲いたような不思議な美しさであろう。」



「風姿花伝」「第四 神儀」より:

「古代日本

 日本においては、欽明(きんめい)天皇の御代に、大和国泊瀬(はつせ)川に洪水があったとき、川上からひとつの壺が流れてきた。その壺を三輪の明神の杉の鳥居のあたりで殿上人が拾いあげた。その中に嬰児がいた。その子はみめかたちが柔和で、玉のように美しかった。これはたぶん天から降ってきたのだろうというので、宮中へ申しあげた。その夜、天皇の夢にその子が現われて、「私は、中国の秦(しん)の始皇帝(しこうてい)の生まれかわりで、日本国に縁があって、今あなたの目の前にいるのだ」といった。天皇は不思議なことだと思われて、宮中に召された。この子は、成人するにしたがい、才知が抜群で、十五歳のときには、大臣の位にのぼり、秦という苗字(みょうじ)を賜わった。秦という文字は秦(はた)とよむから、秦河勝(はたのこうかつ)がその人である。
 聖徳太子は、天下に少し乱れのあったときに、神代やインドにおける吉例にしたがって、六十六番の芸能を演じるように秦河勝に命じられ、また御自分で六十六番の面を作られて、それを河勝にあたえられた。河勝は橘の内裏の紫宸殿(ししんでん)において、この六十六番の芸能を演じた。するとまもなく、天下が治まって国土が平穏になった。そこで聖徳太子は、後世のために、元来は神楽(かぐら)であったのを、神という字の偏(へん)をとりのけ、旁(つくり)ばかりを残された。これはすなわち十二支の申(さる)という字であるから、この芸能を申楽(さるがく)と名づけた。これは、つまり「楽しみを申す」という意味でもあり、また前記のごとく、神楽の神の偏と旁を分けて作った名称なのだ。
 その秦河勝は、欽明(きんめい)・敏達(びたつ)・用明(ようめい)・崇峻(すしゅん)・推古(すいこ)・聖徳太子といった代々に仕えた。この申楽の芸を子孫に伝え、自身は「仏や神の化身など、変化の者は、跡を残さない」という習わしのとおり、摂津国難波の浦(今の大阪付近)から、木をくりぬいて作った舟に乗って風のまにまに海に流され、播磨国坂越(しゃくし)の浦(今の瀬戸内海、赤穂の東の港)に着いた。村人が引き上げてみると、姿かたちが人間と変わった者が乗っていた。それがその地方のあらゆる人に祟(たた)りをして、ふしぎな現象をおこす。そこで、これを恐れて神として祭ると、その地方は豊かになった。この神をおおいに荒れる神と書いて大荒(たいこう)大明神と名づけた。現在でも霊験があらたかな神で、その本体は、毗沙門天王(びしゃもんてんのう)である。聖徳太子が、逆臣の物部守屋(もののべのもりや)を平定されたときも、この秦河勝の神通力によって、守屋は討たれたということである。」



「花鏡」より:

「観客からの批評で、ときどき「なにもしないところが面白い」などといわれることがある。これこそ能の演者が深く秘する内心の工夫による効果である。
 舞や歌をはじめとして、しぐさや役柄の演戯の各種はすべて肉体によって演ずる技芸である。これにたいして「なにもしないところ」というのは、肉体的な技芸のあいだに生じる間隙にほかならない。この「なにもしないところ」がなぜ面白いのかと考えて見ると、それはつまり、技芸と技芸を油断なくつないでいる心のもっとも深い部分の緊張によるのである。舞を舞いやめた間隙、謡(うたい)を謡いやめた間隙、そのほか、せりふやしぐさなどいっさいの技芸の休止部に、つねに配慮を捨てず、緊張を持続する意識の奥底の充実がある。この意識の奥底にある充実感が、おのずと外ににじみ出て観客に面白いと思わせるのである。
 このようなしだいではあるけれども、しかしこの意識の奥底の充実は、演者によってそれが保持されていると外にはっきりと見えてはいけないであろう。もしその緊張があからさまに見えてしまえば、それはすでにひとつの技芸にほかならず、もはや技芸を「しない」ことの面白さではありえない。したがって、演者はみずから無心無我の境地にはいり、自分の配慮を自分でも意識しないほど深く演戯に集中し、その集中力によって技芸の間隙の前後をつなぐようにするべきである。このような、いわば意識を超えた意識の集中が、すなわち、ひとつの能のなかですべての技芸を一貫して統一する心の緊張の力なのである。」

「最後に、内面性に徹していっさいの感覚的効果を超越した魅力によって成功する能というものがある。というのは、最高の上手の演能のなかには、あらゆる演目を習得したのちに、舞も謡もしぐさも筋の面白さも、たいしてない能を演じながら、もの寂(さ)びたなかにどことなくひとの心をうつ魅力があるものである。こういう演能を、また「冷えたる曲」とも呼んでいる。(中略)これを、感覚的効果を超越した魅力によって成功する能ともいい、また、技巧に対する意識的な配慮を超越した能〈無心の能〉ともいい、さらにまた、外面的なかたちの美を超越した能〈無文の能〉とも呼ぶしだいである。」



「遊楽習道風見」より:

「『論語』に「あるとき子貢が、私はものに譬えればなににあたるでしょうかと訊ねると、孔子が、おまえは器であると答えた」という一節がある。孔安国の解釈によれば、それは「おまえは器用な人間だ」という意味であるといわれる。さらに子貢が、どういう器でしょうかと訊ねると、孔子は、瑚璉(これん)であると答えたという。包咸の注釈によると、瑚璉というのは宗廟(そうびょう)の儀式に供物を盛って供える貴い器であるといわれる。
 ところで、この器の譬えをわれわれの能の場合にあてはめて考えてみると、まず、舞と歌の二つの基礎技術と、老人・女性・武人の三つの基本役柄にはじまり、やがてその応用としてあらゆる演目をこなす芸域の広い達人が、すなわち器用の人だといえるだろう。能のさまざまな役柄につうじており、幅の広い芸風を一身に兼ね備えている力量が、器用ということなのである。すなわち二つの基礎技術、三つの基本役柄で習得された視覚美と聴覚美が、あらゆる演目に応用されて魅力を発揮し、どの場合にも尽きることのない芸術的効果をあげるとき、これを芸能における器(才能)というのである。
 またこれを、仏教でいう「有」と「無」の対概念にあてはめて考えてみると、いわゆる「有」は眼に見える現象として外に現われた演戯の効果であり、あらゆる現象の根底にあると考えられる根源的な「無」が、この場合、芸能の器に相当すると考えられる。そうして、あらゆる現象形態を生み出し、眼に見えるものとして現われさせているものは根源的な「無」である。たとえば水晶というものは完全な透明体であって、それ自体は色も文様も持たない空虚な物体であるが、そのなかから火を生じ水を生じるようなものである。火と水という性質のまった異なったものが、無色の透明体から生まれるというのは、いったいいかなる因縁によるものであろうか。ある歌に「桜木はくだきて見れば花もなし花こそ春の空に咲きけれ」といわれている。まことにうまくいいあてた歌であって、能においてさまざまに異なった演目の花を咲かせる種となるものは、ただひとつ、演者の全身を貫く心の内面的な緊張である。たんに透明体にすぎない水晶が火や水を生み、花の色とは無関係な性質を持った桜の木が花や実を生じるように、本来は「無」である心の内面的なはたらきから、さまざまに多彩な演目の舞台効果を生み出す達人こそ、すなわち芸能の器というべきであろう。
 いったい、寿命を延ばすめでたい芸能であるところの能の、その芸のかざりともなる花鳥風月の種類はさまざまにある。ところで、四季おりおりの時節によって、花葉・雪月・山海・草木、その他いっさいの生命あるものやないものを生み出している器は、この自然世界である。そこで、こうした自然の万物を能に趣きを添える素材とし、自分の心を自然世界の産出力そのものに一致させて、そのことによって安んじて大自然にも較(くら)べられる芸道の奥義に定着し、そうして能のいわゆる「妙花」――至上至高の境地にはいることを心がけるべきである。」



「九位」より:

「妙花風の境地

この境地を禅宗で使う譬喩を借りて暗示するならば、つぎのようになるだろう。すなわち「新羅の国では深夜に太陽が明るく輝いているのが見える」
 妙花風(みょうかふう)の「妙」というのは、言語によって表現することができず、いっさいの意識のはたらきを超越した存在のことである。」

「最初に芸能の道にはいって、舞と歌との二大基本をさまざまに稽古している段階が浅文風にあたる。これをよくよく学んで、すでに浅い芸風ながらも美しい素質が現われ、しだいに老子のいう創造的な「道」にはいって行く過程はもはや広精風の境地にあたる。この段階で演目の数を増(ふ)やし、芸風の幅を広げ、創造的な「道」を進んで十分な成果を収めるようになれば、それが正花風である。以上が舞と歌の二大基礎技術から、老人・女性・武人の三つの基本役柄にまで進む段階である。
 そのつぎは、これまで習得された各種の技芸が十分に熟成され、危なげなく安々とこなされるようになった段階であり、芸道の真髄を悟りえたことが演戯のかたちに現われてくるさかいめである。すなわちこれは、それまでに習得された技芸を自覚的にはっきりと把握し、さらに自覚を越えた無意識の安定感の境地に根をおろす段階であって、これが閑花風の境地である。さらにこのうえに、至上至高の幽玄の芸風をなしとげて、「有」がそのまま「無」であるような、自由自在の演戯を見せる芸風が寵深花風である。さらにまたそのうえに、あらゆる批評や説明のことばを絶して、心のなかの構想と演戯の現われとがつねにおのずから一致してしまうような自由な境地が、妙花風なのである。ここまで来て、能の奥義、最高の道は終りである。」



「拾玉得花」より:

「こうした花の品等を説明するにあたって、ここにひとつの私案がある。すなわち花の種類を大きく分けて、性花(しょうか)(本質的で唯一の花)と用花(ようか)(現象的で多様な花)のふたつを立てるのである。」
「禅の公案に「あらゆる現象界の事実はひとつの本質の現われであり、ひとつの本質はつねに現象界の多様な事実としてのみ実在する」といわれている。このように本質的なひとつの花(性花)から出て、芸の品等に応じておのずから面白さの個々の形態が生まれてきたのを、各種の花(用花)と考えるがよい。」

「禅宗の格言に、「完全に悟りきってしまった心境は少しも悟っていない心境と同じである」といわれている。中国宋代の禅僧自得慧暉(じとくえき)和尚もその書物『六牛図』のなかで、「生命は一旦絶たれたのちにふたたびよみがえる。同一の生命が、そのときには多種の身体的現象をとるものだ」と述べており、さらに「真に精練された金は火中にあっても変化せず、白玉は泥中にあってもそのままの姿を保つ」と述べている。能の道もまたそうしたものであって、中級三段階から上級三段階の品等をきわめてしまえば、下級三段階の芸を試みても、その演戯者自身の品格は上級三段階の位置を動くことはないであろう。これは砂のなかの金、泥のなかの蓮花のたとえにもあるとおり、たとえ混じっても染まるということがないはずである。この境地に達した達人をこそ、じつはほんとうの「安位」のひとというべきであろう。こういうひとはいかなる演目を演じていても、自分は自由自在に演じているとさえ意識しないはずであって、その演戯はいっさいの技巧や工夫を超越した状態にはいっている。この境地をこそ、妙花をのり越えた妙花ともいうべきであろうか。」

「能における成就とは、これまで序・破・急ということばで表わしてきた過程にあたるものである。なぜかといえば、「成り就く」ということは事柄がしかるべき経過をたどって一定の結果に落ち着くことだからである。経過をたどって完結するということがなければ、ひとの心に成就したという感情が生まれるはずがない。ひとつの舞台効果がそれとして完結した瞬間が、まさにひとが面白いと感じる瞬間なのである。すなわち、序・破・急の三段階が整然と展開することが成就ということにほかならない。
 よく心して考えてみると、宇宙のあらゆる現象、是非善悪の諸行為、情あるものも情なきものも、ことごとく序・破・急の発展秩序をそなえている。鳥のさえずりや虫の鳴く音にいたるまで、それぞれの秩序・法則をもって鳴くものであって、その秩序というのは序・破・急である〔鳥や虫の鳴く音こそ、あの自然さは位を越え、意識を超えた理想的な成就である〕。」



「習道書」より:

「昔、大和申楽に名生(めいしょう)という笛の名人あった。この人は、数寄者として有名な京極の道誉入道〔佐渡判官ともいう〕でさえ、「能の演戯の間がのびるのはよくないことだが、この名生の笛を聞いていると、時の経(た)つのも忘れてしまう」と感心されたほどの笛の達人であった。
 あるとき、祭に奉納する演能があって、主役の演者と子方の演者とが問答体の謡〈ロンギ〉を謡ったのだが、そのときの基本的な調子は「鸞鏡(らんけい)」調(洋楽のハ調のラとシの中間)であった。ところが年少の役者はまだ声が幼くて、とかく「盤渉(ばんしき)」調(洋楽のハ調のシ)にうわずっていった。しかし主役演者の声は「鸞鏡」調であるから、だんだんとやりとりを重ねてゆくうちに、二人の調子がそろわなくなり、興ざめな上演になりかけたものである。それを名生が笛の調子を本来の「鸞鏡」に吹きながら、いっぽう子方の声のほうをいくらかかげんして「盤渉」調の彩り、他方主役演者のほうは本来の「鸞鏡」調に吹いて、その結果、両者の声の調子に異和感がなくなり、舞台全体の効果もおもしろいものになった。
 ところで、そのように巧妙な演奏をしたとは、一座のだれも気がつかなかったのだが、そのときの主役演者は後に名生に向かって、「きょうの笛の演奏はとくに神業(かみわざ)であった」と賞(ほ)めたものである。そのとき、名生がいうには、「聞き分けていただいたので申すのですが、年とった声と若い声のやりとりの調子を整えるには、ずいぶん工夫をこらしたものです」と答えた。これはつまり、年をとった声と若い声が笛の彩りによって調子の違いを仲介され、全体として傷のない音楽的効果が完結したものである。これこそ昔から「太平の世の声」といわれるものに相当し、いわゆる「心安らかに楽しむ」音楽的表現というものであろう(『申楽談儀』によれば、このときの主役演者は観阿弥であり、問題の子方は世阿弥自身であった)。」



「申楽談儀」より:

「応永十九年(一四一二)の十一月、京都伏見の稲荷神社付近の法性寺(ほうしょうじ)大路にある橘倉(たちばなくら)(質屋か)の亭主が、けががもとで重態になり、危篤におちいったとき、稲荷の明神がその店の召使いの女に憑かれ、観世に法楽能(ほうらくのう)をさせるならば病人は平癒するであろう、との御神託があったというので、わたし(世阿弥)が稲荷の神前で能を奉納した。稲荷明神が憑いた女が言うには、「能は十番舞うがよい。三番を伊勢の天照大神に御覧に入れ、三番を春日大明神に御覧に入れ、三番を八幡大菩薩に御覧に入れ、残る一番をこの私(稲荷明神)が見るであろう」と。そこでこの御神託にしたがって十番の能を奉納したのである。わたしがその橘倉の家へ挨拶に行ったところ、「観世が来た」というので、奥へとおし、赤色の絹を下された。その絹は現在もだいじに保存してある。
 また、応永二十九年十一月十九日のこと、相国寺(しょうこくじ)のあたりに住む、檜の皮で屋根をふく大工の娘が病気で重態であったとき、北野天満宮の不思議な夢のお告げがあって、「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」の歌の三十一文字を、それぞれ歌の頭に置いて三十一首の歌を詠み〔それは「すすめ歌」といって、多くの人に信心を勧めて詠んでもらう歌であるが〕、観世に合点(がってん)(よい歌に印をつけること)してもらって神前に納めるように、とのことであったので、さっそく多くの人に歌を詠じてもらい、縁故を頼ってわたしに合点を求めてきた。わたしは、御霊夢のことであるから辞退することもできず水垢離(みずごり)を取って体を清め、合点をしたのであった。そのころはすでに出家して観世大夫を長男元雅に譲っていたので、夢のなかのお告げの「観世」とは、自分(観世入道世阿)か、それとも観世大夫元雅かと思ったが、夢中に現われた天神が「世阿である」と仰せられたということであった。」




世阿弥 日本の名著 03






こちらもご参照ください:

戸井田道三 『能 神と乞食の芸術』
『夢野久作著作集 4  梅津只圓翁伝』
川村二郎 『イロニアの大和』























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うまれたときからひとでなし
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分野: パタフィジック。

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好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

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