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郡司正勝 『芸能の足跡』 

「宮城県の銀鏡(しろみ)の神楽は、まず「星の舞」の一番から始まる。つまり宵宮だけに舞われるのであるが、この舞は、立願のために舞うのだといわれ、芝居で出てくる天下国家を覆さんとする国崩しの謀叛人は、かならず星を祀って、その大願成就を願ったのである。」
(郡司正勝 「芸能の足跡」 より)


郡司正勝 
『芸能の足跡
― 郡司正勝
遺稿集』 

編集: 須永朝彦


柏書房 
2001年11月1日 第1刷発行
446p 
四六判 丸背布装上製本 カバー
定価3,800円+税
装幀: 石黒紀夫
挿画: 郡司正勝



著者による挿画(扉カット)7点、本文中図版(モノクロ)5点。



郡司正勝 芸能の足跡 01



帯文:

「昭和戦後の歌舞伎研究に画期的な方法を導入して
幾多の成果を挙げ、〈郡司学〉とまで称された
著者晩年の豊かな穣りの景色。待望の遺稿集。
歌舞伎を軸に古代の舞踊から能や民俗芸能、
また日本文化の心意伝承に及ぶ珠玉の論考を一巻に。」



帯背:

「読ませる
古典芸能論」



目次:

 Ⅰ
芸能の足跡 (「演劇界」 1990年1~12月号)
 寅の一点
 鍾馗舞
 九尾狐のルーツ
 庚申の夜
 粂の平内
 大力の女
 伴内と番内
 字舞
 不死身
 誰が袖
 楽屋の神様
 病鉢巻のルート
近世演劇の誕生 (岩波講座 『歌舞伎・文楽』 第一巻 1997年9月)
 1 「かぶき」の時代と位置
 2 「かぶき」の出発とその本質
 3 五条河原とかぶきの発祥
 4 「ややこ踊」について
 5 「かぶき踊」について
 6 「狂言歌舞妓」について
劇場を読む (「文学」 1987年4月号)
江戸の発想 (「TBS調査情報」 264、1981年2月)
かぶきと能の変身・変化 (「自然と文化」 19号、1987年12月)
 北斗七星と七変化
 変化の語源
 化身事
 能とかぶきの変身の形象化
かぶき演出のなかの儀礼――忘れても忘れえざる絵空事の秘めごと (「儀礼文化」 9号、1987年3月、1984年4月14日・儀礼文化学会大会講演)
元禄江戸かぶきが生んだ「打擲事(ちょうちゃくごと)」 (岩波書店・新日本古典文学大系 96 『江戸歌舞伎集』 付録、1997年11月)
かぶきと色子 (「文学」 1995年1月号)

 Ⅱ
黒衣論――黒は影か (「is」 67号、1995年3月)
歌舞伎衣裳の色彩 (講談社 『日本の美と文化 16 きものと文様』、1983年12月)
色とかたち (「國文學」 1996年3月号)
かぶき台本の性格 (北大国文学会創立40周年記念 「刷りものの表現と享受」、1989年11月)
芝居の台帳の性格 (八木書店版・天理図書館善本叢書 66 『仮名曾我当蓬萊』 月報 61、1984年5月)
かぶきの稽古について (「演劇」 34号、1992年5月)
かぶきの正月 (「北海道新聞」 1995年1月5日)
かぶきの桜 (「嗜好」 534号、1995年3月)
動く木働く木 (「嗜好」 別冊 〈木ブック〉、1992年3月)
水を見せる道具仕立 (「草月」 167号、1986年8月)
歌舞音曲の間 (「広邸好人」 1995年8月号)
役者と役者絵 (「歌舞伎」 別冊 「歌舞伎入門と鑑賞」、1978年4月)
役者大首絵について――五世尾上菊五郎の麗姿 国周画「梅幸百種」展講演要旨 (「館報池田文庫」 5、1994年4月)
浮世絵から写真へ (「國文學」 1995年9月号)
歌舞伎の東京 (「現代詩手帖」 1978年7月号)

 Ⅲ
大石内蔵助の虚像と実像 (「日本古典文学会々報」 44号、1976年11月)
 大岸宮内
 家老役という虚像
 大石良雄の実像
「仮名手本」の二人の不義士 (「國文學」 1986年12月号)
南北の金 (「悲劇喜劇」 483号、1991年1月)
「悪婆」と「毒婦」 (「江戸文学」 12号、1994年7月)
田之助と悪婆時代 (ペヨトル工房版 『歌舞伎はともだち③三代目澤村田之助』 1996年3月)
外郎売と御霊神 (歌舞伎座團菊祭筋書、1993年5月)
お七曼陀羅 (国立劇場第135回歌舞伎公演筋書、1986年1月)
道行初音旅 (国立劇場第169回歌舞伎公演筋書、1991年11月)
幽霊は壁を通る (「is」 53号、1991年9月)
日本の亡霊 (「季刊邦楽」 27号、1981年6月)
幽霊の故郷 (「つち」 88号、1984年8月)

 Ⅳ
能と、そのあとに来るもの (「國文學」 1983年10月号)
見てはならぬ芸能 (重要無形文化財「雅楽」特別鑑賞会第10回プログラム、1998年1月)
日本最古の舞踊 (重要無形文化財「雅楽」特別鑑賞会第7回ブログラム、1995年2月)
国風の歌舞のこと (重要無形文化財「雅楽」特別鑑賞会第9回プログラム、1997年3月)
日本の仮面と舞踊 (重要無形文化財「雅楽」特別鑑賞会第5回公演プログラム、1993年1月)
 一、伎楽の時代
 二、舞楽の時代
 三、能の時代
 四、仮面の民俗舞踊
日本の「地獄」の芸能 (パリ・アトリエ舞踏団「新曲」プログラム、1995年4月)
火と水の饗宴 (「月刊文化財」 1982年8月号)
「老い」のかたち (「アーガマ」 129号、1993年12月)
見せるものではない盆踊 (『本田安次著作集』 第10巻付録、1996年9月)
南阿蘇の「にわか」 (「北海道新聞」 1996年11月6日夕刊)
アジア芸能圏のなかの日本の伝統芸能 (「しにか」 1995年6月号)
チルボンの憑依舞踊 (「ゴロゴロ通信 gara gara」 22号、1994年10月)

 Ⅴ
偽りの山 (「is」 59号、1993年3月)
 俗なる山と山師
 山のイリュージョン
 偽物を楽しむ
花鳥風月の系譜 (花と緑の博覧会・印刷物 「花鳥風月祭」、1990年4月)
 花鳥風月という言葉
 「風月」という言葉
 見立てるということ
 花鳥が主人公の劇舞踊
 江戸風流としての花鳥
瑞祥の「花」、循環する生命 (NHKエンタープライズ 『花宇宙 アジアの染め・織り・飾り』 1992年7月)
江戸の芸術 (「國文學」 1990年8月号)
廓のこと (「國文學」 1993年8月号)
江戸時代の中国劇の知識 (「未名」 8号、1989年12月)
日本の三国志 (徽劇公演プログラム、1993年5月)
雛の位置 (『NHK徳川美術館』①、1988年12月)
耳なし譚 (「北海道新聞」 1992年3月4日夕刊)
四季の源流 (「CEL」 32~35号、1995年3・6・9・12月)
 春の源流
 夏の源流
 秋の源流
 冬の源流
忘れゆく美 (「東京新聞」 1984年5月12・19・26日夕刊)
 曖昧さについて
 見せてはならぬもの
 貧と潔癖について
「続く」ということ (「野萩青少年育成財団」 10号、1989年7月)

 Ⅵ
かぶき道――私の中の歴史 (「北海道新聞」 1993年8月2~12日、聞き手・山口勝次郎記者)

編集後記 (須永朝彦)




郡司正勝 芸能の足跡 02



◆本書より◆


「芸能の足跡」「寅の一点」より:

「寅の一点は、暁天の三時から五時にかけての時刻の始めで、北斗星の柄(斗柄という)が寅の方向を指すのが正月であった。
 西宮の夷(えびす)舞わしが「西の宮の恵比須三郎左衛門の尉(じょう)、生れ月日は何時(いつ)ぞと問へば、福徳元年正月三日、寅の一点」などといって、夷人形を遣ってきたのである。」
「この初寅を定める基準は、冬至から数えるのである。十一月朔日(ついたち)は、星の化身とされる妙見の冬至の星祭の日で、妙見詣をする。」
「宮城県の銀鏡(しろみ)の神楽は、まず「星の舞」の一番から始まる。つまり宵宮だけに舞われるのであるが、この舞は、立願のために舞うのだといわれ、芝居で出てくる天下国家を覆さんとする国崩しの謀叛人は、かならず星を祀って、その大願成就を願ったのである。「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」の入鹿とてもその例を漏れるものでない。大判事の遅参を叱した入鹿が「アレ見よ、今日は午の上刻。流星南に出でて北に拱(たんだく)するは。万乗の位に即く丸(まろ)が吉星。それ程の事知らぬ大判事でなし」といっている。
 しかも「月は西の嶺にかくれ、星は北の空に集まる頃」は、幽霊が出現する(『伽婢子』「金閣寺の幽霊に契る」)。さすれば、ハムレットが、父王の亡霊に出合うのも、まさしく地獄の口があくといわれる「北斗星の西に当る、あれ、あの星が、恰ど唯今光りをる辺へ参つたるころ」(「ハムレット」坪内逍遙訳)であった。ハムレットの叛逆の兆しは、このときに吹き込まれるのである。」



「劇場を読む」より:

「能楽における造り物は、その系統として、かぶきにも承け継がれている。上方で大道具を造り物と称してきたのは、伝統性の強い風土によるとおもうが、かぶきにおける大道具は、それとは別に、祭礼のときの山車の機巧とその性質を同じくするものであった。
 したがって、舞台そのものが、山車の風流の仕掛を導入したものといえる。しかも舞台は常に動こうとしている点が、能舞台や能の造り物と違うところである。」
「かぶきの舞台は、はじめから野外的な空間をもつものだといってよかった。」
「つまり大道具は、祭礼の山車であり、風流の飾物であり、仕掛ものである。これは、演劇の背景ともまたちがうもので、その証拠には、大道具のセリ出しは、囃子が伴わないと動かない。大道具自体が主役であって、その上に乗っている人物は、人間の餝りものにすぎないのである。」
「明和七年十二月廿七日より大坂の小川座にかかった、並木正三の「桑名屋徳蔵入船物語」は、その大道具の変化の極致をみせたものであった。深川の遊里が、そのまま居所替りで、遠州灘の檜垣舟に変ずる道具である。台本によると、若殿の亀次郎に、家老の多度津一角が「コレ、阿房殿、こなたは此処を鎌倉の深川ぢやと思うて御座るか」というと、亀次郎が「深川でなうて、そんなら此処はどこぢや」と急(せ)いていうと、一角が「此処は遠州灘の大難所で御座るわいの」というと同時に、二重舞台前の蹴込みが舟の縁に返る。(中略)こうした大仕掛の大道具の変化は、この期に至って美事に絶頂をきわめているといってよい。」

「「御船」と舞台をいうのは、今日の文楽の「船底」と呼ぶのと同意であろう。かぶきの劇場の見物席にも「引舟」とか「後舟」とかいう名称が残っていたのも、なんらかの心意伝承があろう。かぶきの舞台が、両花道を備えて土間・切落しの客席を囲っているのも、舟であり、この見物席を取り囲んだ空間それ自体が舞台であったといえる。
 かぶきの演出では、しばしば見物席すらもが舞台になった。『かぶき草子』(大谷本)によれば、出雲の阿国は、見物人を舞台に引き上げて一緒に踊ったし、名古屋山三の亡霊に扮した役者は、見物の中から舞台へ上がった。こうした演出は、元禄時代では盛んに行なわれたもので、(中略)見物席のなかを逃げ廻る趣向は再三あったし、(中略)桟敷を舞台とした例も一二ではなかった。」
「しかも、見物席が、舞台の上まであったので、(中略)席のない舞台に自由に坐り込んだのは、里神楽の神楽殿さながらで、(中略)つまり演劇空間は、舞台と見物席の別があっても、自由に位置転換を行なったのが、かぶき本来の劇場意義であったといえる。」



「かぶき演出のなかの儀礼」より:

「我々はその京劇を拝見しまして、「あっ、かぶきにも昔こんなものあったが、それがどうしてなくなっていったのか」と気づくことがございます。(中略)たとえば、梅葆玖という方が得意にしている出しもので、楊貴妃が酔っ払う芝居がございます。「貴妃酔酒」と申します。これは梅蘭芳の当り役でございまして、(中略)これを拝見しておりますと、まあ、劇的なストーリーなんていうものは別にございません。一時間十五分の間、楊貴妃が酔っ払う所作だけでございます。これはやっぱり驚きでございますね。ただかぶきにも昔はこのことがあったのだと、心に思いあたることがございます。とかくかぶきでは、腹を切ってから長々とその一場の物語をする、腹を切って三十分も、それは人間がもつはずのものではない。その間の回想シーンをずっと引き伸ばしたものを見せる、これがあの芸だったと思います。ですから、人間の動作の一部を非常に引き伸ばして、そしてそれを回想して見せる、というのがかぶきの芸にも昔はあった。それが今日はストーリーばかりを追うようになりまして、その芸がみんな脱落していってしまう。」


「黒衣論」より:

「黒衣は無くていいということでなく、晴れの舞台の介添役として、立派な後見の一種であり、儀式としての目立つ重要な役目なのである。人形芝居で、開幕に先立って口上を述べるのは、やはり黒衣である。したがって、いつでも主役に故障の起ったときは、代役しなければならぬ実力を持っていなければ勤まらぬ役なのである。(中略)影の支え、影の力が黒衣の役目だといっていい。無い者だと想えという約束ではないのである。黒い色は、力の象徴とみてよいのかも知れぬ。」
「隠れることによって目立つという、黒の芸能の美学といっていい。」



「色とかたち」より:

「昨年、白内障で右の一眼を手術し、人工膜を入れて気のついたのは、両眼の色彩感覚の差異である。義眼の人工網膜の方は硝子質だから水色で、青空など見ると青色が鮮やかに増加されるが、手術しない左の肉眼の方は、黄色がかった世界であることに気がついた。」

「「青」は、かぶきでは庶民の色である。たとえば「菅原伝授手習鑑」の武部源蔵、「忠臣蔵」の六段目の早野勘平など、武士にしても身分の低い落魄(おちぶ)れた者が着る衣裳の色である。そして、それらの者と苦労をともにする女房たちのほとんどの衣裳は浅葱(浅黄)色である。これは中国の京劇でも同じで、「青衣旦」という、貧しいが節婦という女方(旦)の役柄がある。おそらく、この青色は「青人草」からきた感覚で、高山彦九郎ではないが「草莽(そうもう)の臣」の草原の色で、日本人にとっては、青色も緑色も「あを」なのである。二月堂のお水取りにあらわれる「青衣の女人」も、たんに青色の衣服を着た女性というのではなく、名もなき民草の女性ということの記号色なのだといえる。」
「青色の布は、紺屋が染める。水色と紫色のあいだが「紺青」で、「紺碧」ともいう。江戸時代には、紅染屋と区別され、「青屋」といって賤民扱いされ、「駄染屋」といわれた商売であった。江戸を代表するかぶき作者鶴屋南北も、浮世絵師の傑物歌川国芳も、紺屋世界の出身者であった。その発想や意匠の奇抜さは、その出自に由来するところが多いとみたい。
 青色には、白色と紛れる方向と、反対色の黒色へゆく道があった。」

「祇園の下級神人「犬神人(つるめそ)」の衣服は柿色であった。(中略)黙阿弥の「網模様燈籠菊桐」の中間小猿七之助が、身分が上の御守殿の滝川を犯す「洲崎土手の場」の扮装は、紺看板に赤合羽というなりである。紺色も赤合羽の柿色も下賤の色である。これに対して、滝川は白地の衣裳となる。これで、色が色を犯す芝居となるのである。魔道に堕ち、天下を覆さんと天魔となった崇徳院は「柿の御衣に篠懸(すずかけ)」(謡曲「松山天狗」のアイ)という禍々しい御姿となった。」



「かぶきの桜」より:

「おなじく所作事で、有名なのが「関の扉」の桜で、これは雪中に返り咲きした墨染桜の精が、傾城となって現われるという幻想的なもので、桜の精は、のちに薄鼠地の着付に枝垂桜の模様で、桜の大木の洞(うろ)から出現し、桜の枝をもっての立廻りになると、華やかなトキ色に枝垂桜の模様の着付にぶっ返る。」

「「祇園祭礼信仰記」の「金閣寺の場」では、桜の大樹に縛られた狩野雪姫が、縄付きのまま、散る桜の花片を足先で集めて鼠を描くと、白鼠があらわれて縄を嚙み切るという奇跡を見せるが、この場のことを「爪先鼠」という。」



「歌舞伎の東京」より:

「明治二十四年の一月に、歌舞伎座で、黙阿弥作の「風船乗」が上演された。常磐津の大切所作事で、本名題を「風船乗評判高閣(うわさのたかどの)」といった。当時、来朝して評判の高かった英人のスペンサーの風船乗りと、前年に完成した浅草の十二階を舞台で見せようというものである。
 前場は、上野公園博物館前の場で、スペンサーを待つ見物の雑踏する新風俗を見せ、五代目尾上菊五郎が、黒のシャッポに鼠色の洋服で出て、軽気球に乗りこんでビラを撒く。軽気球は宙乗りで上ってゆくと、道具が替って空中となり、子役が遠見のスペンサーとなって、軽気球から落下傘に飛び移ると、本役のスペンサーに入れ替って、落下傘のまま奈落へ下りてゆく。また上野の場になって、人力車に乗ったスペンサーが出で、ガス樽の上で、英語の演説をする。
 次に、浅草の凌雲閣(十二階)の場に替って、風船をみてから酉の市へゆく、菊五郎二役の三遊亭円朝で出るといったもので、常磐津や清元に西洋音楽を加えたかなりの際物であったから、初演だけで終ったが、上野公園博物館前とか、浅草の十二階の場など、江戸では見られなかった新東京の風景が舞台になった。」
「時計を出してみて、もう昇る時刻だなどともいう。浅草公園の場は、江戸時代とおなじ観音堂や茶屋の風景でありながら、その後に、煉瓦造りの凌雲閣の十二階をニョッキリとみせたところは江戸と東京の新旧を目のあたり、その異和感こそが東京だといってよかった。」



「「悪婆」と「毒婦」」より:

「「悪」という字は、道徳的にわるいという語に、後世になって統一されてしまったが、もとはむしろ剛(つよ)い、あばれ者などを意味している例は、いまさらいうまでもなく、悪七兵衛景清をはじめ、藤原頼長の悪左府、悪源太義平のごとく、狂言の「悪太郎」のごとく、社会の秩序に抗した者に冠せられたもので、彼らは一方のスターだといってよかった。」


「見てはならぬ芸能」より:

「「見てはならぬ芸能」。したがって「見せてはならぬ芸能」を、宮中の御(み)神楽をもって第一とする。
 ご存じのように、神楽には「御神楽」と「里(郷)神楽」がある。宮中のを「御神楽」、そのほか国々地方の神社の神に仕える楽を「里神楽」という。われわれは里神楽は見ることができるが、御神楽はふつう見ることができない。里神楽は御神楽の「もどき」である。したがってわれわれは、もどきの芸能は見ることができるが、その本体は拝むことができない。それは神の所作だからである。」

「本来「あそぶ」とは神の所作をいったもので、東北地方の「いたこ」がおしら神を遣うのを「おしら遊び」といっている。(中略)「遊び」とは、もっとも神に近い行動・行為のことであった。」



「日本の仮面と舞踊」より:

「かぶきは、仮面を捨てた踊に始まるのであるが、趣向として面を使うものがある。古くから「後面(うしろめん)」と称して、頭の後に面をつけて、前後で、別人格となって踊り分けるのが特色であった。男女となったり狐が化けたりするのである。」


「忘れゆく美」「曖昧さについて」より:

「曖昧さというと、道徳的には後ろ暗い貌で悪徳となりそうだが、美の世界では倫理を越えた境地である。そして、明瞭さというものが人間を生かすかどうかは、すこぶる疑問であろう。
 近代の機械文明のなかでも、電気照明は文明の重要な尺度となっているが、その精巧さは曖昧の世界を止めどもなく追い出してしまったように思える。だれか、電気照明の明るさのなかで滅んでしまったものを数えたことがあったろうか。」
「芸術はこうして追い詰められて、誤解を惧(おそ)れず高揚する場を失い、誤りを許されずに低姿勢を強いられてゆくのであろうか。完成度というものを否定してきたこの国の伝統的美意識は変貌せざるをえないのであろう。」



「かぶき道」より:

「昨年夏、長崎県の対馬で見た盆踊は、特定の家の青年、それも長男だけで十二人が、位牌を並べたお寺の縁側の前で踊っていました。崖ぷちの狭い場所で電気もなく、真暗なところで子供が何人か見ているだけで、私が行ったら「見せるものじゃない」といわれました。
 聞かせてはならない歌、見せない芸能というものがあることを改めて実感しました。」






こちらもご参照ください:

服部幸雄 『江戸の芝居絵を読む』
守屋毅 『中世芸能の幻像』
網野善彦 『悪党と海賊』 (叢書・歴史学研究)
白川静 『文字逍遥』 (平凡社ライブラリー)
細馬宏通 『浅草十二階』









































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うまれたときからひとでなし
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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

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