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『ボードレール全集 Ⅳ』 福永武彦 編集

「天才とはつまるところ、意のままにとり戻される幼年期、今や自己を表現するために成年の諸器官をもつようになり、無意志的に集積された材料のすべてに秩序をつけることを可能ならしめる分析的精神をもつようになった、幼年期にほかならないのだ。」
(ボードレール 「現代生活の画家」 より)


『ボードレール
全集 Ⅳ』

福永武彦 編集
訳者代表: 阿部良雄


人文書院 
1964年6月20日 初版印刷
1964年6月30日 初版発行
23p+426p xlviii
口絵(モノクロ)2p 図版(モノクロ)16p
四六判 丸背布装上製本 機械函
定価900円
装釘: 中井貞次

月報 4 (6p):
現代と近代(宮川淳)/ボードレール・逸話と伝説4(阿部良雄)/全集の完結に当って(福永武彦)



全四冊。
本文二段組。本文中図版77点。別丁図版16点。



ボードレール全集



目次:

美術批評家としてのボードレール (寺田透)

美術批評
 バザール・ボンヌ=ヌーヴェルの古典派美術展 (本城格・山村嘉巳 訳)
 一八四六年のサロン (本城格・山村嘉巳 訳)
  ブルジョアに
  1 批評は何の役に立つか
  2 ロマン主義っとは何であるか
  3 色彩について
  4 ウージェーヌ・ドラクロワ
  5 愛の主題とタッサエール氏について
  6 数人の色彩家について
  7 理想とモデルについて
  8 若干の素描家について
  9 肖像画について
  10 シックとポンシフについて
  11 オラース・ヴェルネ氏について
  12 折衷主義と懐疑について
  13 アリ・シェフェール氏と環状の模倣者について
  14 数人の懐疑者にすいて
  15 風景画について
  16 彫刻はなぜ退屈であるか
  17 流派と職人について
  18 現代生活の英雄性について
 一八五五年の万国博覧会、美術 (中山公男・阿部良雄 訳)
  1 批評の方法
  2 アングル
  3 ウージェーヌ・ドラクロワ
 笑いの本質について (阿部良雄 訳)
 フランスの諷刺画家たち (中山公男・阿部良雄 訳)
 外国の諷刺画家たち (中山公男・阿部良雄 訳)
 一八五九年のサロン (高階秀爾 訳)
  1 現代の芸術
  2 現代の公衆と写真
  3 諸能力の女王
  4 想像力の支配
  5 宗教、歴史、幻想
  6 同(続)
  7 肖像画
  8 風景
  9 彫刻
  10 終りに
 哲学的芸術 (清水徹 訳)
 ウージェーヌ・ドラクロワの壁画 (高階秀爾 訳)
 ウージェーヌ・ドラクロワの作品と生涯 (高階秀爾 訳)
 ウージェーヌ・ドラクロワ (高階秀爾 訳)
 現代生活の画家 (阿部良雄 訳)
  1 美と流行と幸福
  2 風俗のスケッチ
  3 芸術家
  4 現代性
  5 記憶の芸術
  6 戦争の記録
  7 盛儀と式典
  8 軍人
  9 ダンディ
  10 女
  11 化粧礼讃
  12 女たちと娘たち
  13 馬車

美術批評補遺
 一八四五年のサロン (豊崎光一 訳)
  1 序のことば
  2 歴史画
  3 肖像画
  4 風俗画
  5 風景画
  6 デッサン―版画
  7 彫刻
 マルチネ画廊の展覧会 (阿部良雄 訳)
 「風俗画家たち」についてのノート (阿部良雄 訳)
 画家と銅版画家 (阿部良雄 訳)
 E・ピオ氏のコレクション競売 (阿部良雄 訳)
 クラップ氏のコレクション目録 (阿部良雄 訳)

解題と注
 美術批評
 美術批評補遺

巻末図版
巻末付録
 図版目次
 巻末図版目次
 略書誌 (阿部良雄 編)
 索引
  人名索引
  作品名索引
  雑誌新聞名索引




ボードレール全集Ⅳ 01



◆本書より◆


「一八四六年のサロン」より:

「君たちは三日間パンなしで生きることができる。詩なくしては決して生きることはできない。」

「ロマン主義は、まさに主題の選択の中にあるのでもなければ、正確な真理の中にあるのでもない。それは感じ方の中にある。
 彼らはロマン主義を外部に探し求めたが、ただ内面にのみそれを見つけうる可能性があったのだ。
 ロマン主義は、私にとっては、美の最も新しい、最も現代的な表現である。」
「ロマン主義を語ることは、現代美術を語ることである。――すなわち、諸芸術が有するあらゆる手段を用いて表現された内奥性、精神性、色彩、無限への憧憬である。」
「現代芸術において、色彩がきわめて重要な役割を演じていても、何も驚くことはない。ロマン主義は北方の子であり、北方は色彩家である。夢と妖精は霧の子である。熱烈な色彩家たちの祖国イギリス、フランドル、フランスの半分は霧の中に沈んでいる。ヴェネツィアも入江に洗われている。」
「これにひきかえ、南方は自然主義的である。そこでは自然が非常に美しく、明るいが故に、これ以上何も望むことはなく、現に自分の眼前にあるもの以上に何か創造すべき美しいものを見出しえないからである。ここでは、青空の下の芸術であるが、ここから数百里も北にさかのぼると、アトリエの深い夢となり、幻想の視線が灰色の地平線を漂うのである。
 南方は微妙な作においても、彫刻家のように粗暴で実証的である。苦悩と不安にとらえられた北方は、想像でわれとわが心を慰める。」

「一つの美しい自然のひろがりを想像しよう。そこでは、あらゆるものが思うままに緑になり、赤味をおび、埃をあび、玉虫色に輝く。一切の物がその分子構成にしたがってさまざまに色どられ、光と影が移動するにつれて刻々に変化し、熱素の内的作用によってゆさぶられて、たえず振動している。その振動はあらゆる線をふるわせ、永遠にして普遍的な運動の法則を全きものたらしめている。無限のひろがりが、時たまは青く、しばしば緑色になって、空の果てまでのびている。それは海だ。木々も芝生も苔も緑である。緑は幹の中をうねり、若い茎も緑である。緑は自然の基調をなしている。なぜなら、緑はあらゆる他の色調と容易に調和するからだ。(中略)青すなわち大空は、白い軽い綿雲、あるいは灰色の雲のかたまりでたち切られ、それらが空の陰欝なまでのどぎつさをうまくやわらげている。――季節のもやが――冬、夏をとわず――物の輪郭をうるおし、やわらげ、あるいは消滅させてしまうが故に、自然はさながら、自分の中にあらゆる色を持ちながら、高速度に回転すると灰色に見える小独楽に似ている。」
「太陽が海に沈むとき、真赤なファンファーレが四方に響きわたる。あけにそまった調べが水平線上にわき起り、緑が真紅にそめられる。しかしやがて、広大な青い影が、いわば光の遠いかすかなこだまのようなオレンジ色とうすバラ色にそまった一群の調べを拍子正しく前方に追いやる。一日の光のこの偉大な交響曲、昨日のそれの永遠の変奏曲であるこの交響曲、その多様性が常に無限から生じるところのこの旋律の連続、この複雑な讃歌が色彩とよばれるものなのだ。
 色彩の中には和声、旋律、対位法が見出される。」

「明るくて陽気そうな色調もあれば、陽気そうでいて淋しい色調もあり、豊麗で陽気そうな色調もあれば、豊麗でいて淋しい色調もあり、ありきたりであってしかも個性的な色調もある。」
「私の窓の向いに、長い間、どぎつい緑と赤で半分ずつ塗りわけた居酒屋があったが、その色彩は私の眼にとって快い痛みであった。
 私はどこかの類推家が、色彩と感情の完全な音階を確立しているかどうかを知らない。しかし私は、私の考えを完全に述べてくれているホフマンの一節を、まじめに自然を愛する人々をすべて喜ばせるにちがいない一節を思い出すのである。「私は、単に夢の中とか、やがて眠りにおちこむ前の軽い混迷状態の中だけでなく、目ざめて音楽を聞いている時にも、色彩と音と香りとの間に、ある類似と内的な融合を見出すのである。すべてこれらのものが一つの同じ光線によって生み出され、それあが相集ってすばらしい合奏を生み出すべきものであるように私には思われる。褐色や赤の金盞花の香りは、ことに私自身にふしぎな効果を与える。その香りは私を深い夢想の中におとしいれる。そうすると、遠くの方でのように、オーボエの重々しい深い音が聞えてくるのである。*
    * 『クライスレリヤナ』。」

「ウージェーヌ・ドラクロワの伝記にはほとんど波瀾がない。あれほどの勇気と情熱とを与えらえたあのような人間にとっては、最も興味ある戦いは、彼自らが自分に対してなさねばならない戦いである。戦いが重大であるためには、その範囲が広大である必要はない。革命や世にもふしぎな出来ごとも、頭蓋の空の下、脳髄という狭い、神秘的な実験室で起るのである。」

「ドラクロワ氏の欠点はときとしてあまりに明らかであるから、まるきり経験のない人にもすぐ目につく。(中略)ご存知のとおり、偉大な天才というものは決して中途半端な間違い方をすることはなく、彼らはあらゆる方面で並外れているという特権を持っているのだ。」



「一八五五年の万国博覧会、美術」より:

「この世界性(コスモポリチスム)という神与の恵みに――十全に――あずかっている人の数は少ない。しかしこれは誰でも、程度こそさまざまだが、同じように獲得できるものなのだ。この点にかけてもっとも素養のある者たちとは、何年もの間、森の奥、目もくらむばかりの平原のただ中に、銃器一つを友として、熟視し、解剖し、筆記しつつ生きてきたあの孤独な旅行者たちである。彼らと複雑な真実との間には、いかなる学校教育のヴェールも、大学流の逆説も、教育の理想論(ユートピア)も、立ちはだかることがない。」
「美を表現すべき任務を持つ人たちが、あのこちこちの教授たちの準則に従ったなら、美そのものが、この地上から消え失せてしまうであろうことは、誰でも容易に想像できる、――そうなれば、あらゆる典型、あらゆる理念、あらゆる感覚は、一つの広大な統一体、単調な、普遍的な、倦怠と無の如くに尨大な統一体のなかに溶融してしまうのでろうから。そうなれば、生の必須(シネクワノン)の条件たる多様さも、生から消え失せてしまうだろう。芸術の多彩な産物の中には、学校の規則や分析から永遠にはみだすような何か新らしいものが存在するということは、それほどに真実なのだ! 驚き、これは、芸術や文学によってひき起される大きなよろこびの一つであるが、それも、類型や感覚そのものの多様さから生れるのだ。」
「美は常に奇妙 bizarre である(引用者注:「美は常に奇妙である」に傍点)。(中略)私が言いたいのは、美の中には、常に、少量の奇妙さ、素朴な、故意のものではない、無意識の奇妙さがふくまれており、「美」を特に「美」たらしめているものは、まさにこの奇妙さだということである。それは、美の登録証明であり、特徴なのだ。(中略)ところで、この、環境や風土や風俗、種族、宗教、芸術家の気質などに依存して無限に変化する多様な、抑圧不可能な、必然的な奇妙さというものを、この地上のちっぽけなどこかの学校の殿堂で考え出された理想論(ユートピア)的な規則によって、支配し、修正し、矯正したりするなら、どうして芸術そのものの死を招く危険をおかさずにすむだろう?」



「笑いの本質について」より:

「夢想的なゲルマニアこそ、絶対的滑稽のすばらしい見本をあたえてくれる。かの地では、すべてが重厚、深遠、過激である。兇暴なしかもきわめて兇暴な滑稽というものを見いだすためには、ドーヴァー海峡を越えて、霧深い憂欝(スプリーン)の王国をおとずれなければならない。」
「私は初めて英国の黙劇(パントマイム)の上演を見たときの記憶を、永く心に留めていることだろう。それは今から数年前、ヴァリエテ座でのことだった。」
「英国のピエロは暴風雨のように舞台へ現われて、荷物の梱のように倒れ、笑えばその笑声は場内をゆるがすのだった。この笑いは陽気な雷鳴にさも似ていた。」
「そしてこの奇妙な劇のなかでは、万事がこんな工合に、激烈に表現された。誇張性 hyperbole の眩暈だった。
 ピエロが、家の戸口の敷石を洗っている女の前を通りかかる。女のポケットから物を盗み出してしまうと、今度は自分のポケットに、スポンジ、ほうき、バケツから水まで、入れようとする。」
「なんだか知らない悪事を働いたせいで、ピエロは最後に首を斬られることになった。英国だというのに、なぜしばり首にしないで断頭台(ギロチン)を使うのか?(中略)とにかく、殺人機械が、こんなロマン派的新機軸にびっくりしているフランス舞台の上に、でんと据えられたわけだ。屠殺場送りと嗅ぎつけた牡牛のように暴れたりわめいたりしたあげく、ピエロはついに自らの運命に服する。頭が、白と赤に塗った大きな頭が首から離れ、音を立ててプロンプターの穴の前をころがって、血のしたたる首の切り口や、切断された椎(つい)骨や、その他、切って肉屋の店先に吊したばかりの肉塊さながらのあらゆる細部を観客に見せた。ところがここで、突然、首のなくなった胴が、おさえ切れない盗癖に駆られて立ち上り、自分自身の頭をハムか酒びんか何かのように、堂々とかすめ取り、(中略)その首をポケットにねじこんでしまった。」
「彼らのあらゆるしぐさ、あらゆる叫び、あらゆる顔付きがこう告げている――仙女の思(おぼ)し召しなのだし、運命がわたしたちを駆り立てているのだし、それで別にわたしはくよくよはしない。さあ! 駆けよう! 突進しよう!」



「一八五九年のサロン」より:

「驚かせたい、また驚かされたいという欲望は、きわめて正当なものである。It is a happiness to wonder 「驚かされることは幸福である」という。しかし同時にまた It is a happiness to dream 「夢見ることも幸福である」のだ。」

「今から数年前、人の話では海軍士官だったという強烈で風変りな個性を持った一人の男が、パリの中のきわめて絵画的な視角を写し出した一連の銅版習作を試み始めた。メリヨン氏は、そのデッサンの厳しさ、繊細さ、正確さによって、過去の優れた銅版画家を思い出させた。巨大な町の自然の偉容が、これほどまで豊かな詩情をこめて描き出された例はほとんど見たことがない。積み重ねられた石の荘厳さ、指で天を指し示す(引用者注:「指で天を指し示す」に傍点)鐘楼、天空に向って煙の大軍を吐き出す工業世界のオベリスクたち修理中の記念建造物の素晴しい足場――建築の堅固な巨体のすぐ傍に組み立てられた逆説的な美しさを持った骨組だけの建築であるあの足場――怒りと恨みをこめて騒めく空、そこで演じられるあらゆる悲劇を思い起すことによっていよいよ深みを増すかのように見える遠近法による奥行き等、苦悩と栄光に満ちた文明の舞台を形成する複雑な要素は、何ひとつとして忘れられてはいない。」
「しかしながら、残酷な悪魔がメリヨン氏の頭脳を冒した。不思議な錯乱があの輝かしくも堅確なものと思われた才能をすっかり曇らせてしまった。ようやく生まれかかっていた彼の栄光と彼の業績は、突如中断された。その日以来われわれは、大洋の厳そかな冒険と訣別して、世界でも最も不安に満ちた都会の闇欝な威光を描き出したこの画家、力強い芸術家となったこの風変りな海軍士官について、何か喜ばしい知らせがないかと不安に包まれて待ち続けている。」



「現代生活の画家」より:

「子供はすべてを新しいもの(引用者注:「新しいもの」に傍点)として見る。子供はいつも陶酔(引用者注:「陶酔」に傍点)している。色や形をむさぼり吸い込む子供の悦びほど、いわゆる霊感に似たものはない。(中略)天才とはつまるところ、意のままにとり戻される幼年期(引用者注:「とり戻される幼年期」に傍点)、今や自己を表現するために成年の諸器官をもつようになり、無意志的に集積された材料のすべてに秩序をつけることを可能ならしめる分析的精神をもつようになった、幼年期にほかならないのだ。子供たちが新しいもの(引用者注:「新しいもの」に傍点)を前にして動物を思わせる恍惚とした眼差(まなざ)しをじっとそそぐのも、まったく、この深くて悦びにみちた好奇心のせいなのだ。」

「この男たちは、伊達者(ラフィネ)、気取り屋(アンクロワヤブル)、しゃれ者(ボー)、流行児(リヨン)、あるいはダンディなど、どんな名で呼ばれるにしても、みな同じ起源から出ている。みな、反抗とか反逆とかいう同じ性格を帯びている。みな、人間の矜恃のなかの最上の部分を代表する者たちであり、低俗なるものと闘ってこれを壊滅しようとする欲求、今日の人々にあってはあまりに稀となったあの欲求を、代表する者たちなのだ。そうしたところから、ダンディたちに見られる、冷然としていてもなお挑戦的な階級(カースト)の、尊大な態度が生まれる。ダンディスムは特に、民主制(デモクラシー)がまだ全能となるにはいたらず、貴族制(アリストクラシー)の動揺と失墜もまだ部分的でしかないような、過渡期にあらわれる。こうした時代の混乱の中にあって、自分の階級からはみ出し、嫌(いや)気がさし、することもない人々、それでいていずれも生来の力をゆたかにもった何人かの人々が、一種の新しい貴族制を打ち建てようという計画をいだくことがあり得る。この貴族制がなかなかに打ち破りがたいものであるのは、最も貴重な、最も破壊しがたい諸能力の上に基礎をおき、勉強やお金の力では得られない天与の資質にもとづいているからだ。ダンディスムは、頽廃の世における英雄性の最後の輝きであって、旅行者が北アメリカにもダンディの典型を見出したという事実は、この考えを弱めるものでは全然ない。なぜなら、私たちが野蛮な(引用者注:「野蛮な」に傍点)と呼ぶ種族が、実は消え失せた大文明の残片であると想像してふつごうな点は何もないからだ。ダンディスムとは一個の落日である。かたむく太陽さながら、壮麗で、熱を欠き、憂愁にみちている。しかしながら、悲しいかな! すべてを平等化する民主制の上げ潮は、これら人間矜恃の最後の代表者たちを日に日に溺れさせてゆき、これらの驚異的な勇者たち(ミュルミドネス)の痕跡の上に、忘却の波をそそぐのだ。ダンディというものはわが国では稀になってゆく一方だが、他方、隣国イギリスでは、(中略)まだこれから先長らく、シェリダン、ブランメル、バイロンの後継者たちのために、場所が残されていることだろう、ただし、後継者の名にふさわしい者たちが現われるものとしての話だが。」

「ダンディの美の特質は、何よりも、心を動かされまいというゆるぎない決意からくる、冷やかなようすにある。ひそんだ火の、輝くこともできるのに輝こうとはせずにいるのが、外からそれと洞見されるさま、とでも言おうか。」







こちらもご参照ください:

『ボードレール全集 Ⅰ』 福永武彦 編集
北原白秋 『トンボの眼玉』 (復刻)

























































































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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

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