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『ボードレール全集 Ⅲ』 福永武彦 編集

「彼はいわばどぶのなかで死んだのだ。(中略)まったく公平であるためには、彼の悪徳の一部、とりわけその泥酔癖の責任を、神の摂理によって彼がとじこめられていたきびしい社会のせいにするべきであろう。」
(ボードレール 「ポオについての雑稿」 より)


『ボードレール
全集 Ⅲ』
 
福永武彦 編集
訳者代表: 平井啓之


人文書院 
1963年10月20日 初版印刷
1963年10月30日 初版発行
24p+573p 口絵(モノクロ)2p 
四六判 丸背布装上製本 機械函
定価850円
装釘: 中井貞次

月報 3 (6p):
ボードレールの批評作品(佐藤正彰)/ボードレールの詩(吉田健一)/ボードレールの和らぎ(篠田一士)/ボードレール・逸話と伝説3(阿部良雄)



全四冊。
本文二段組。本文中図版1点。



ボードレール全集



目次:

文学批評家としてのボードレール (中村真一郎)

文学批評 1
 エドガー・ポオ、その生涯と作品 (平井啓之 訳)
 エドガー・ポオについての新しい覚え書 (平井啓之 訳)
 ヴィクトル・ユゴー (辻昶 訳)
 マルスリーヌ・デボルド=ヴァルモール (高畠正明 訳)
 オーギュスト・バルビエ (高畠正明 訳)
 ペトリュス・ボレル (高畠正明 訳)
 エジェジップ・モロー (高畠正明 訳)
 ギュスターヴ・ル・ヴァヴァスール (高畠正明 訳)
 テオドール・ド・バンヴィル (高畠正明 訳)
 ピエル・デュポン(一八五一) (橋本一明 訳)
 ピエル・デュポン(一八六一) (橋本一明 訳)
 テオフィル・ゴーチエ(一八五九) (渡辺明正 訳)
 テオフィル・ゴーチエ(一八六一) (渡辺明正 訳)
 ルコント・ド・リール (高畠正明 訳)

音楽批評
 リヒアルト・ワグナーと『タンホイザー』のパリ公演 (白井健三郎 訳)

文学批評 2
 ジャン・ド・ファレーズ著『ノルマンディー短篇集』と『むだばなし』 (清水徹 訳)
 ルイ・ド・セヌヴィル著『解放されたプロメテウス』 (清水徹 訳)
 シャンフルーリの『短篇小説集』 (清水徹 訳)
 ジュール・ジャナンと『公現祭のお菓子』 (清水徹 訳)
 ギュスターヴ・フローベール著『ボヴァリー夫人』 (山田𣝣 訳)
 シャルル・アスリノー著『二重生活』 (粟津則雄 訳)
 レオン・クラデル著『こっけいな殉教者たち』 (粟津則雄 訳)
 ヴィクトル・ユゴー著『レ・ミゼラブル』 (辻昶 訳)

文学批評補遺
 エドガー・ポオ、その生涯と作品(初稿) (平井啓之 訳)
 ポオについての雑稿 (平井啓之 訳)
 レアリスムあるが故に (菅野昭正 訳)
 『危険な関係』についてのノート (菅野昭正 訳)
 ポール・ド・モレーヌ (菅野昭正 訳)
 ヴィルマン氏の精神と文体(抄) (清水徹 訳)
 ジュール・ジャナンへの手紙(草稿) (篠田浩一郎 訳)

エッセイ
 愛に関する心慰める箴言抄 (橋本一明 訳)
 若き文学者への忠言 (橋本一明 訳)
 玩具のモラル (福永武彦 訳)
 付録 (人が生の道を進むにつれ、……)他三篇 (阿部良雄 訳)

ジャーナリズム
 ポンサール(『パリ劇壇つや話』より) (篠田浩一郎 訳)
 天才はどのようにして借金を払うか (篠田浩一郎 訳)
 道義的な演劇と小説 (鈴木道彦 訳)
 異教派 (鈴木道彦 訳)
 新聞「哲学者ふくろう」の編集と構成のためのノート (篠田浩一郎 訳)
 「ル・フィガロ」編集長への手紙 (阿部良雄 訳)
 アカデミーの改革 (篠田浩一郎 訳)
 シェークスピア生誕記念祭 (篠田浩一郎 訳)
 付録 (篠田浩一郎 訳)
  新聞「侃々諤々」の「雑談」
  新聞「公共福祉」
  新聞「国民論壇」
  新聞「アンドル県の代表者」

文明批評
 哀れなベルギイ (阿部良雄 訳)
 付録 べるぎいノ魅惑 (阿部良雄 訳)

解題と注
 文学批評 1
 音楽批評
 文学批評 2
 文学批評補遺
 エッセイ
 ジャーナリズム
 文明批評




◆本書より◆


「エドガー・ポオ、その生涯と作品」より:

「先頃ひとりの不幸な男が法廷に引きだされたが、その額はめずらしく風変りな入墨でかざられていた、つきなし(引用者注:「つきなし」に傍点。原文は「Pas de chance!」)と。彼はこうしてまるで書物の表題のように、じぶんの人生のレッテルを眼のうえにもちはこんでいたのであり、訊問によって、この奇妙なレッテルが残酷なまでに真実であったことが証したてられたのである。文学史のなかには、これに似た運命の人々、真の呪いを受けた人々がおり、――その額のまがりくねったひだのなかにふしぎな字体で書かれた悪運(引用者注:「悪運」に傍点。原文は「*guignon*」)の字をもちはこんでいる連中がいる。盲目の贖罪の天使は彼らを引っとらえて、他人のみせしめにと力のかぎり鞭うつ。その生涯が才能や美徳や優雅さを示しても無駄である。社会は彼らにとってはいわば特別の呪詛であり、彼らのうちにみずからの迫害があたえた数々の弱味を責めたてる。――運命をやわらげるためにホフマンが何をやらなかったろうか、また宿命を祓いのけるためにバルザックがくわだてなかったことがあろうか。――それではすでに揺籃期から不幸をととのえるいわば悪魔の「摂理」が存在し、――円形劇場に殉教者を投ずるように、敵意にみちた環境のなかに精神的で天使のようなうまれつきの人々を予謀(引用者注:「予謀」に傍点)をもって投入するのであろうか。それでは、祭壇にささげられ、われとわが身の廃墟を通って死と栄光へと歩みゆくべく運命づけられた、聖なる(引用者注:「聖なる」に傍点)たましいたちが存在するのであろうか。「闇黒界(引用者注:「闇黒界」に傍点)」の夢魔が永劫にこれらのえらばれたたましいたちを取りかこむのだろうか。」

「エドガー・ポオの生涯はなんといたましい悲劇であることか! 陳腐さのためにそのおそろしさが一そう高められるおそるべき終焉であった彼の死よ!――私が読みえたすべての文献から、私には、合衆国が畢竟大きな牢屋にすぎなかったのであり、彼はそれを、もっと香ぐわしい世界に生きるようつくられた生き物の熱にうかされたような焦燥をもって、はせめぐったのである、という確信が生まれた。それはガス灯に照らされた宏大な蛮境にすぎず、――そして、彼の詩人としての、或いは酔漢としてさえの内面生活、精神生活は、この嫌悪にみちた雰囲気の影響をのがれるための不断の努力に他ならなかったのだ。民主的社会の世論の独裁権とはなんと情容赦もないことか。」



「E・ポオについての新しい覚え書」より:

「詩とは、人がたといほんのわずかでもじぶんの内部にくだりゆき、みずからのたましいに問いかけ、その熱情の思い出をよびおこそうとするならば、詩自体以外の他の目的をもたない。それは他の目的をもつことはできず、したがっていかなる詩も、詩を書くたのしみのためにだけ書かれた詩ほど、偉大で、高貴で、真に詩の名にふさわしいものはありえない。」


「ペトリュス・ボレル」より:

「諺となり形容詞となる人の名があるものだ。一八五九年に、ある一小新聞が、陰欝で極端な性格をもった詩あるいは小説から受ける不快感や軽蔑を表明しようとするとき、ペトリュス・ボレル! といった言葉を投げつける。それで、万事はいいつくされる。判決は下され、作者は雷にうたれるというわけだ。
 ペトリュス・ボレルあるいは狼狂者(リカントロープ)シャンパヴェール。かれは『狂詩曲』 Rhapsodies や『背徳短篇集』 Contes immoraux、『ピュティファル夫人』 Madame Putiphar などの著者であり、ロマン派の暗い夜空に輝くいくつかの星のひとつであった。それはいまでは忘れられ消え失せた星であり、今日いったいだれがそれを憶えてい、まただれが決然とそのことを語る権利を主張するほどにその星のことをよく識っていようか?」
「狼狂とはよくも名づけたものだ! この人間狼、あるいは狼人間。いったいいかなる仙女か悪魔がかれを憂欝の陰惨な森に投じたのであろう? また、いかなる悪霊がかれの揺籃に身をかがめ、お前は人に好かれてはいけない(引用者注:「お前は~」に傍点)といったのであろうか? 魂の世界には「不運(引用者注:「不運」に傍点。原文は「le *Guignon*」)」といわれるなにか不可思議なものがあり、われわれのだれ一人として「宿命」に異議を説える権利はないのだ。」



「エジェジップ・モロー」より:

「ジェラール・ド・ネルヴァルは、あれほど長いあいだかれの大いなる喜びであった放浪から憂欝をひきだし、その結果そこに、その可能なる唯一の終局、唯一の治癒として自殺という事態が到来する。偉大なる天才エドガー・ポオは、泥酔のはてに小川に身を横たえる。長い吠え声、執念深い呪詛が、この二人の死者たちにつきまとうだろう。人びとはみな憐れみをかけまいとし、利己主義の早急な判断を下すだろう。苦しむのが当然な人たちのことで、どうして嘆いたりできるだろうか? と。それに当節は不幸な人間は不埒なのだと故意に考えようとする。そして、もしこの不幸な男が才智と悲惨を兼ねそなえているなら、またもしかれがジェラールのように、素晴らしい、活潑な、輝かしい、すぐにもものごとを知る知性に恵まれているなら、あるいはもしかれがポオのように、広大で空や地獄のように深い天才の所有者であるなら、なんとそのときこそその不幸な男の不埒さはまったく許しがたいものとなるのだ。それこそ天才は大衆にたいする非難であり、侮辱なのだといわんばかりだ!」
「ポオもジェラールも、二人ともその背徳的な行為にもかかわらず、要するにその言葉のもっとも広い、もっとも微妙な意味での文学者であった。彼らは不可避的な法則の下で慎ましやかに身を屈し、多かれ少かれ神秘的な方法に従い、彼らなりの流儀ではあるが、活潑に、勤勉に、事実彼らの時間を仕事に費し、夢想や瞑想を生かしたのである。つまりひとことでいえば、喜んで彼らの職務を実行したのだ。」



「リヒアルト・ワグナー」より:

「芸術家、この偉大なる名に真にふさわしい人間は、本質的に特有な(引用者注:「特有な」に傍点) sui generis 何ものかを所有しているはずである。その何物かのゆえにこそ、彼は彼(引用者注:「彼」に傍点)であって、他の者ではないのだ。」


「『二重生活』」より:

「私はもはやその内容を正確に覚えてはいないのだが、ビュフォンに「二重人(ホモ・デュプレックス)」(homo duplex)と題された一章があって、この神秘的でさまざまな思念に満ちた短かな題名は、常に私を、夢想のうちに投げこんだ。(中略)われわれのうちの誰が、二重人(引用者注:「二重人」に傍点)でないであろうか? 私は、その精神が、幼い頃から沈思に触れられ(引用者注:「沈思に触れられ」に傍点) touched with pensiveness ている人々、行為と意志、夢想と現実というように常に二重であり、常にその一方が他方を損ない、他方の取分を横領している人々のことを言いたいのである。彼らのうちの或る者は、炉辺の心地よさを顧みず、炉辺にありながら遙かなる旅を重ね、他の或る者は、摂理によって与えられた数々の冒険を有難いとも思わず、数メートル四方の空間に閉じこめられた引籠った生活の夢を愛撫している。路上に置き捨てた意図、とある旅籠屋に忘れて来た夢想、障害に阻まれた計画、肥沃だが捨てて顧みられぬ土地から有毒な植物が生い出るように、成功から湧き出る不幸や病弱、皮肉と混りあった悔恨、束の間思いに沈む放浪者のまなざしのような、背後に投げかけたまなざし、理想の生活の布地を刻々にいためつけ引き裂く、地上の生活の断え間ないからくり、これらが、この精妙な書物を形作る主なる要素である。」


「『レ・ミゼラブル』」より:

「この作家のうちには、最初から、その輝かしい文学生活の初めから、弱い者や社会ののけ者や呪われた者に対する思いやりが見られると申しあげておこう。彼の作品には、早くから、正義感が名誉回復への趣味となって現われているのである。」

「この痛ましい苦悩と葛藤の画廊には、胸の悪くなるような恐ろしい一人物の姿がある。それこそ、あの警視、監視者、厳格で冷酷な司直、物の道理をわきまえない正義、解釈ぬきの法律、情状酌量ということが全然わからない野蛮な知性(これを知性と呼べようか?)、ひとことで申せば「精神の欠けた法文」、それこそ、あの憎むべきジャヴェールなのである。(中略)筆者としては、世の人々から罪人視される危険を覚悟して(中略)ありていに申しあげると、ジャヴェールは、血のしたたる肉に飢えた猛獣のように正義に飢えた度しがたい怪物、一口で言うならば、つまり私の不倶戴天の「敵」のように思われるのである。」

「このようなわけで、『レ・ミゼラブル』は隣人愛の書である。(中略)「悲惨な人々(レ・ミゼラブル)」(悲惨な生活に苦しめられ(引用者注:「苦しめられ」に傍点)、悲惨な生活から辱かしめを受けている(引用者注:「辱かしめを受けている」に傍点)人々)のために、現代の最も雄弁な作家の口から発せられた弁護演説である。」
「ときには詩人や哲学者が、利己主義的な「幸福」の髪の毛をちょっとばかりひっつかみ、その鼻づらを血と汚物の中につっこんでゆすぶりながら、つぎのように言ってやることも有益なのではなかろうか? 「おまえの仕業を見てみろ、おまえの仕業を飲んでみろ」と。」



「E・ポオ、その生涯と作品(初稿)」より:

「私はといえば、この学校の描写から不吉な香気がたちのぼるのを感ずる。そこには幽閉のくらい歳月の戦慄がながれているのを感ずる。牢屋の時間、ぱっとしない見すてられた幼年期の不安、われわれの敵である教師への恐怖、専横な友人への憎悪、心の孤独さ、(中略)かくも多くの愁いの種も彼を圧倒しなかった。若くして彼は孤独を愛する。或いはむしろ、彼は自分を孤独とは感じない。彼は自分の数々の情熱を愛しているから。(中略)意志の鍛錬と孤独な自負とが彼の生涯に大きな役割を果たすであろうことがすでにみてとれる。(中略)あわれな小児は父も母ももたぬが、しかも彼はしあわせである。」

「これほど社会の約束事から解脱してしまった人もなく、通行者を気にとめなかった人もなく、また、なぜ或る日には下等なカフェでは受け入れられ、上流人士たちが(引用者注:「上流人士たちが」に傍点)飲む場所には入場をこばまれたか、ということに無頓着であった人はいない。」
「ポオはほとんどいつもひとりぼっちであった。そのうえ、彼の頭脳のおそるべき緊張と労作のつらさは、酒やリキュールのなかに忘却のよろこびを見出させることともなった。彼は他人にとって疲労の種となるようなことからなぐさめを見出していた。結局、文学上のうらみ、無限への眩暈、家庭生活のくるしみ、貧窮の屈辱、こういったすべてのものを、ポオは墓窟のやみにのがれるように泥酔のやみのなかにまぎらそうとしたのである。」

「「メールシュトレーム」。引力の法則をあたらしいやり方で究めることによって、いまだその底を見きわめられたことのない深淵のなかに降りゆけぬものであろうか。」
「「催眠術下の啓示」。作者の出発点はあきらかに次のようなものであった。すなわち、磁気流体とよばれる未知の力のたすけをかりて、死後の世界を支配する法則を発見できぬものであろうか、というものである。」
「別の作品だが、消滅した或る惑星上に生きていた魂の物語がある。出発点は以下のごとくである。すなわち、殺人力をもった彗星がちかづいてきた場合、その世界の住民たちの肉体的精神的現象はどんなものとなるだろうか。」
「「群集の人」はたえず群集のさなかにわけ入ってゆく。彼は人間の海を無上のよろこびをもっておよいでゆく。ゆらめく影と光とにみちたたそがれ時がせまりくると、彼はしずかな街々をのがれでて、人間物質がいきいきとうごめいている街々を熱心にたずねもとめる。光明と生活の圏がせまくなりゆくにつれて、彼はその中心を不安気にもとめる。洪水にあった人々のように、彼は大衆の動揺の最後の絶頂に絶望的にしがみつく。そしてこれですべてである。」

「ふかい愛憐の気持から発しているものであるゆえに、私ははばからずに語るのであるが、よっぱらいであり、まずしく、迫害され、のけものであったエドガー・ポオの方が、ゲーテとかスコットとかのような温和で有徳の人たちよりも私の気に入るのである。私は彼について、また特別な一クラスをなす人々について、教理問答がわが神について語っている次の言葉をすすんで語ろう、――「彼はわれわれのために大いにくるしんだ」と。」



「ポオについての雑稿」より:

「彼はいわばどぶのなかで死んだのだ。ある朝、警官が彼をひろいあげてバルチモアの病院にはこんだ。彼はホフマンやバルザックやその他の多くのひとびととおなじく、そのおそるべき運命に打ちかちはじめたまさにそのときに、世を去ったのである。まったく公平であるためには、彼の悪徳の一部、とりわけその泥酔癖の責任を、神の摂理によって彼がとじこめられていたきびしい社会のせいにするべきであろう。
 しあわせであったか、あるいはほぼ平穏無事であったときはいつも、ポオ氏は誰よりも愛想よく、ひと好きのする人間であった。この変りものの激しやすい作家は、妻の母親、クレム夫人の天使のような献身のほかには、その生涯においてほんとうのなぐさめとなるものは見いださなかった。夫人に対してはあらゆる孤独な心の持主が当然の敬意を表するだろう。」

「しかし永遠に彼への讃辞となるであろう点は、彼が真に重要で、それだけが精神的な(引用者注:「それだけが精神的な」に傍点)人間の注意にふさわしいようなすべての主題に没頭したことである。すなわち、確率、精神的疾患、推測術、死後の生についての希望と計算、この浮世のすね者や賤民の分析、まさに象徴的な道化調、などである。」



「ジュール・ジャナンへの手紙」より:

「だからいったいどうしてこういつも陽気さばかりもとめるのでしょうか? たぶんあなたの気晴しのためでしょう。しかしどうして悲しみにもその固有の美のないことがありましょう? さらに恐怖にも? すべてのものに? 何によらずいずれのものに?」

「何ゆえに詩人がお菓子作りの職人であると同様に毒薬製造人であり、人びとを驚愕させる見世物に使う蛇の飼育掛りであり、しかも自分の育てた爬虫類に恋こがれて、目前の群衆の味わう恐怖と、蛇たちのとぐろの冷たい愛撫とを楽んでいる蛇使いであってならない理由があろうか?」

「詩人というものは、老いてもいず、若くもないのだ。詩人は自分の欲する者になれる。童貞のままで、彼は放蕩を歌い、酒を飲んだことがなくても、酩酊にすいて歌うことができる。」



「玩具のモラル」より:

「ごく昔のことである。――どのくらい昔かと訊かれても僕にもよく分らない。ごくまだ幼い時分、いわば靄でもかかっているような幼年時代に遡っての話だが、――僕は母親に連れられて、パンクーク夫人とやらいう人の家を訪問したことがある。(中略)ポワトヴァン街の、ひっそり静まりかえった通りにある、中庭の四隅が草で覆われているようなお屋敷、そういうお屋敷の一つである。この家は、大層な客好きとして知られていて、そういう日には、明々(あかあか)と電灯が点いて賑わっていたものだ。」
「このパンクーク夫人が、天鵞絨(びろうど)と毛皮とでその身を装(よそお)っていたことを、僕ははっきりと覚えている。暫く経ってから、彼女は言った。「この可愛い坊やに何かあげましょう、わたしのことを忘れないでいてくれるためにね。」彼女は僕の手を取って、幾つかの部屋を通りすぎた。それから一つの部屋のドアを開いたが、そこにはまったく妖精の国へでも紛れ込んだような、驚くべき光景が展開していた。四方の壁が眼に見えないほど、玩具という玩具で覆われていた。天井は花が咲いたような玩具の群で掻き消され、それらはまるで見事な鍾乳石のように垂れ下っていた。床には、やっと歩けるだけの狭い道が残っていた。そこは、むやみと高価なものからごく安値(やすね)のものまで、またごく簡単なものからすこぶる複雑なものまで、ありとあらゆる種類に充ちた玩具の国だった。
 「此所は子供たちの宝物(たからもの)のお倉なんですよ、」と彼女は言った。「わたしは子供たちの分として、ちょっとした予算を取っておいて、可愛い坊やがわたしに会いに来て下さった時には、此所にお連れして、記念に一品(ひとしな)差しあげることにしているのですよ。さあお好きなのをお選びなさいな。」
 子供にあっては、欲望と熟考と行動とが、いわば唯一の才能をなしているので(そこが、かの堕落した大人どもと明かに違う点である。大人どもは、反対に、熟考のあまり時間の無駄損(むだぞん)をするのが落ちである)、そうした子供らしい驚くべき明敏な猪突猛進で、――僕はたちまち、最も美しい、最も高価な、最も見映えのする、最も新しい、最も奇妙きてれつな玩具を、ひっつかんだ。母親は僕の遠慮知らずに金切声を立て、僕がそれを貰って行くことに絶対に反対した。母親は僕がごく月並(つきなみ)な代物(しろもの)で満足するようにと説得した。しかし僕がどうしても承知しなかったので、あげくのはてに折れ合って、僕は中くらいのところ(引用者注:「中くらいのところ」に傍点)で我慢することにした。」
「この小事件の結果として、僕は玩具屋の前で足を止めて、奇抜な形、あざとい色彩に充ちた、ごたごたした玩具の大群を見まわす度ごとに、僕にとってまるで玩具の「精(せい)」のように見えた、かの天鵞絨(びろうど)と毛皮とに身を装った夫人を、思い出さないということはないのである。」
「子供は誰でも、自分たちの玩具に向ってお喋りをする。玩具は、彼等の小っぽけな頭脳の暗室の中に縮小された、人生の一大ドラマに登場する俳優たちとなる。子供はその遊びによって、彼等の偉大な抽象力と、彼等の高度の想像力とを立証する。子供は玩具なしでも遊ぶ。僕は何も、奥さまごっこをして、お客さまになり合ったり、想像上の赤んぼを見せ合ったり、自分たちのお化粧の話をし合ったりしている女の子たちのことを言いたいのではない。可哀想にこの子たちは母親の真似をしているのである。未来における女性永遠の子供っぽさを、早くも演じているわけである。そしてこの女の子たちのうちの一人として、僕のお嫁さんになる者がないことは確実である。――ところで僕の言いたいのは、馬車ごっこ、椅子を使ってやる例のいつに変らぬ馬車ごっこのことである。馬車も椅子、馬も椅子、旅客も椅子、生き身なのは御者だけである! つながれた馬の方はびくとも動かない、にも拘らず、馬は架空の空間を矢のように速く疾駆する。何と簡単な演出だろう!」
「それに戦争ごっこ! チュイルリイ宮殿の中で、本物の鉄砲と本物のサーベルとで演じられるようなのではなく、僕の言うのは一人きりで敵味方を戦わせ、それを指揮している孤独な子供の戦争ごっこである。兵隊は、壜の栓とか、ドミノとか、将棋の歩(ふ)とか、お手玉(てだま)とか、何でも結構。要塞は、板でもよければ本でもよいし、弾丸は、ビイ玉でも何でも自由に使う。戦死者あり、平和条約あり、人質あり、捕虜あり、軍事税もある。」
「こういうふうに易々と自分の想像力を満足させられるということは、幼年時代がその芸術的な概念作用において、精神性(スピリチュアリテ)を持つことの証拠である。玩具は、子供にとって芸術への最初の入門であり、更に言えば、寧ろ芸術の最初の実現でもある。」
「こういう玩具は、それを作った者にとって、なるべく簡単な、なるべく安価な材料を使って、出来る限りその実物に似せた代物(しろもの)を作り出すことが問題だった。――つまり五文とか、二文とか、一文とかの安い玩具なのだ。」
「――世間には決して玩具を与えようとしない両親がいるものである。これは人間の本性というものを研究したことがなく、一般的にまわりにいるすべての人を不幸にしてしまうような、生真面目(きまじめ)な、あまりにも生真面目(きまじめ)な連中である。なぜだか知らないが、こういった人たちは新教(プロテスタンチスム)のの厭な臭いを発散しているように僕は思う。彼等は、暇を潰すための詩的な方法というものを、知りもしなければ認めようともしない。これはパンにくらいつくという条件のもとでなら、悦んで貧乏人に一フランをくれてやりもしようが、居酒屋で咽喉をうるおすためと聞けば、二文銭といえどもきっと拒絶するような連中である。こうした物凄く理性的な、かつ詩的なものに真向から反対するような階級の人たちには、僕も随分と苦しめられて来たものだが、連中のことを考えると、僕はいつも憎悪の念が僕の神経をつねって、これでもかこれでもかと揺すぶるような気がする。」



「哀れなベルギイ」より:

「フランスはたしかに野蛮国だ。ベルギイも同様。
 「文明」は、どこかの、まだ発見されていない小種族のところに逃げこんでしまったのかも知れない。

 パリっ子特有の、ものを一般化して考える危険な能力を警戒しよう。」

「世界はぼくにとって住むことのできないものになった、と書こうか。」

「聖ルー(引用者注:「聖ルー」に傍点、以下同)。不気味で粋(いき)な、驚歎すべき建築。聖ルーは、今までぼくの見たどのイエズス会作品とも違っている。黒(引用者注:「黒」に傍点)い糸、バラ色(引用者注:「バラ色」に傍点)の糸、銀(引用者注:「銀」に傍点)の糸で刺繡された、霊柩龕(がん)の内面。ことごとく、変化に富み・繊細で・精巧で・奇怪(バロック)な様式をそなえた、懺悔聴問房――新たなる古代美術(引用者注:「新たなる古代美術」に傍点)。(中略)聖ルーは、恐ろしくて甘美な霊柩龕だ。」

「ほとんど完全に保存された、都市の亡霊、都市のミイラ。死、中世、黒く装ったヴェネツィア、家常茶飯の幽霊、および墓の匂いがする。大きなペギーヌ会修道院。諧律奏鐘(カリヨン)。いくつかの歴史的建築物(モニュメント)。ミケランジェロ作とされている彫刻。しかしながら、ブリュージュもまた、消えてゆく者である。」








こちらもご参照ください:

『ボードレール全集 Ⅳ』 福永武彦 編集
ラフカデイオ・ヘルン 『東西文学評論』 十一谷義三郎・三宅幾三郎 訳 (岩波文庫)
阿部保 訳 『ポー詩集』 (新潮文庫)
ペトリュス・ボレル 『ボレル小説全集 シャンパヴェール ― 悖徳物語』 金子博 訳
ジョルジュ・ロデンバック 『死都ブリュージュ/霧の紡車』 田辺保・倉智恒夫 訳 (フランス世紀末文学叢書)

































































































 


































































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Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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