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『ボードレール全集 Ⅱ』 福永武彦 編集

「有用な人間であるということは、私にはいつも、なにかひどく醜悪なものに思われた。」
(ボードレール 「赤裸の心」 より)


『ボードレール
全集 Ⅱ』
 
福永武彦 編集
訳者代表: 矢内原伊作


人文書院 
1963年7月20日 初版印刷
1963年7月30日 初版発行
20p+494p iii 口絵(モノクロ)2p 
四六判 丸背布装上製本 機械函
定価750円
装釘: 中井貞次

月報 2 (6p):
ボードレールの近代性(佐藤朔)/万物照応の世界(野間宏)/詩人と狂気(入沢康夫)/ボードレール・逸話と伝説2(阿部良雄)/図版(モノクロ)1点



全四冊。
本文二段組。本文中図版1点。



ボードレール全集



目次:

モラリストとしてのボードレール (矢内原伊作)

小説
 ラ・ファンファルロ (中村真一郎・小佐井伸二 訳)
 小説草案 (小佐井伸二 訳)


 イデオリュス (阿部良雄 訳)
 ドン・ジュアンの最期 (粟津則雄 訳)
 酔いどれ (粟津則雄 訳)
 第一軽騎兵隊の侯爵 (粟津則雄 訳)
 劇草案 (粟津則雄 訳)
 フィリベール・ルーヴィエール (高畠正明 訳)
 俳優ルーヴィエール (高畠正明 訳)

人工の天国 (安東次男 訳)
 人口の天国――阿片とアシーシュ
 個性増加の手段として、葡萄酒とアシーシュの比較
 前置き、および覚え書

日記 (矢内原伊作 訳)
 火箭
 赤裸の心
 カルネ(抄)
 憂鬱家の手紙
 履歴ノート

書簡(抄) (阿部良雄・豊崎光一 訳)

解題と注
 小説
 劇
 人工の天国
 日記
 書簡

巻末付録(書簡目次)




◆本書より◆


「ラ・ファンファルロ」より:

「サミュエル・クラメールは、かつてマヌエラ・デ・モンテヴェルデなる名前で、ロマン主義かぶれの途轍もない代物をいくつか書いた男だが――ロマン主義華かなりし頃のことだ――実は蒼白いドイツ人と栗色の髪のチリー女との矛盾の産物である。」

「彼は偉大な怠け者であると同時に陰鬱な野心家でかつ有名な落伍者でもあった。というのは、生涯彼はいかなる思想もその半分をしかもったことがないからである。怠惰の太陽が彼のうちに絶えず照って、天から授かった才能のその半分を蒸発させ、干乾しにしたのだ。私がパリのあの恐るべき生活の中で知ったこういう半偉人たちすべてのうちで、サミュエルは、他の誰にもまして、出来損いの傑作といった男だった。――詩の心がその作品の中によりはその人柄のうちに光っている、病的で空想的な人間。朝の一時頃に、石炭のまばゆい焰と柱時計の時を刻む音との間にあって、彼は常に私の眼に不能の神――現代の男女両性神――のように映ったが、しかもその不能たるや、叙事詩的であるまでに巨大かつ壮大だった!
 この強烈な閂光を散りばめた闇のごとき性質、怠惰にして同時に大胆であり、困難な抱負と笑止な流産とにおいて多産であるこの性質に、どうしたらくまなく通じていただけるだろう?――この精神にあっては、逆説がしばしば率直と均衡を保ち、想像力が徹底的な孤独や怠惰と同じように広大無辺だったのである。」
「とはいえ、彼が真情を解し得ず、情熱は彼の表皮をかすめるにすぎなかったなぞとは、考えないでいただきたい。彼は、昨日はじめて顔を合わせ、手を握り、親しくなったばかりの、まるで知らない友人のために、喜んで自分のシャツまで売るような男だったのである。精神や魂のことどもにはゲルマン的性質からくる無為の瞑想にふけり、情熱のことどもには母親ゆずりのすばやく移り気な激情を示し、かつ実生活においてはフランス的な虚栄心からくるあらゆる奇癖の持主だった。彼は二世紀前に死んだ作家あるいは画家のために必要とあらば決闘も辞さなかったであろう。かつて熱狂的な信心家であったごとく、今は情熱的な無神論者であった。同時に、自分が研究しているあらゆる芸術家になり、自分が読んだあらゆる本になったが、かかる役者的才能にもかかわらず、心底において彼は常に独創的な人間だった。常に変らず、温和で、空想家で、怠け者で、やんちゃで、博学で、無学で、だらしがなくて、お洒落のサミュエル・クラメールで、ロマン主義かぶれのマヌエラ・デ・モンテヴェルデだった。彼は女に夢中になるように友達に夢中になり、仲間を愛するように女を愛した。あらゆる人情の機微に通じ、あらゆる手練手管を心得ていながら、それにもかかわらず、彼は何ごとにあれ成功した例がなかった。それというのも、この男は不可能なことをあまりにも信じすぎていたからである。」
「サミュエルは、ある夕べ、外出することを思い立った。時まさに美しく匂やかな頃であった。――持前の極端に対する嗜好から、彼は引き籠るにしろ、出歩くにしろ、ともにひどくかつ長くなる癖があって、もう久しく家に閉じ籠っていたのである。」

「サミュエルは頽廃的な空想の持主であったけれども、いやおそらくそのことのために、恋愛は彼にあって、感覚の問題であるよりはむしろ理性のそれであった。就中それは美しいものを讃美することであり渇望することであった。彼は生殖を恋愛の悪習と考え、妊娠を蜘蛛の病いとみなしていた。彼はどこかに書いている――天使は男女両性であって不妊である、と。――彼は人体を、物質的調和として、運動の加わった美しい建築として、愛していた。しかも、かかる徹底的な物質主義はもっとも純粋な理想主義と紙一重だったのだ。」
「しかも、並外れた人間によくあることだが、彼は己れの楽園にあってしばしば孤独だった。誰一人として彼と一緒にそこに住むことは出来なかったからである。(中略)彼の愛は、孤独な王者のように、蒼穹の憂鬱に心ふたぎ病みはじめるのであった。」



「人工の天国」より:

「良識の告げるところによりますと、この地上のもろもろの事物は、きわめて影の薄い存在であって、真の現実はただ夢の中にのみあるようです。自然の幸福を消化するためにも、人工の幸福のばあいと同じく、何はさて措きそれを呑みこむ勇気が必要です。そして、たぶん、この世の人間たちが考えているような申し分ない幸福に対しては、嘔吐剤に対する反応をしか示さなかった人こそ、まさに幸福を享けるに価いする人々でしょう。」
「私についていえば、生きている世界にはほとんど興味がありません、で、(中略)私もまた好んで死者たちにだけ宛てて書こうと思います。」

「私のいわゆる人工の理想(引用者注:「人工の理想」に傍点)を作りだす最適の薬物の中で、人をたちどころに肉体的狂暴にかり立て精神の力を弱めてしまう酒類や、極端な用い方をすれば、人間の想像力をたいへん鋭くはしてくれるが、その反面肉体の力を徐々に消耗させてしまう香料を別にすれば、いちばん簡易に使用できる最も手近なもので、効力の最もつよい物質は、アシーシュと阿片の二つである。これらの薬物が生む不思議な効果、病的な快楽、さらにこれらを連続して使用したばあいに起こる免れがたい刑罰、最後に、偽った理想をこうして追求することの中に含まれる非道徳性そのものの、分析がこの研究の主題なのである。」

「人間の夢には二つの種類がある。一つは、日常生活とか、常時考えていることとか、欲望とか、悪習とかでつまっており、昼間かいま見たものが大きな記憶のカンヴァスに無遠慮に貼りついてしまったものと、多かれ少かれ奇妙に結びついている夢である。これはごく自然な夢で、夢を見る人そのものだといえる。ところが、ここに、それとは別の夢もある! 荒唐無稽で、眠っている人の性格や生活や情念とは何の関係もつながりもない夢である。この種のものを私は象形文字的な夢と呼びたいが、もちろんこれは生命の超自然的な面を示すもので、それが荒唐無稽であるからこそ、古代人はこれを神聖視したのである。自然な原因をいろいろ当てはめてみても解釈がつかないところから、かれらはこの種の夢には人間の外部に何らかの原因があると考えたのだ。」

「諸君は、おのれの人格を、風のまにまに四方八方へばらまいてしまった、だから今、再び人格の統一と集中を回復するのに、ひどい苦しみを味わわねばならないのだ。」

「夢想する能力は、神聖かつ神秘な能力である。けだし、夢想によって人間は、自らをとり巻く闇黒の世界と通信できるからである。しかしこの能力は、自由に発展するためには、孤独を必要とする。己れに閉じこもるほど、それだけ人間はいっそう豊かに、深く夢想することができる。ところで、このように阿片が作り出す孤独よりも、更に大きく更に静まり、地上の利害から引き離された孤独というものが、いったいあるだろうか?」

「すべての伝記作者は、十分にか否かの相違はあっても、作家や芸術家の幼年時代に関する挿話の重要性を理解しているものである。しかしこの重要性は、かつて十分に確認されたことがなかったように私には思われる。(中略)少年時代のほんの些細な悲しみや喜びが、微妙な感受性により途方もなく拡大され、後の成人した人物の芸術作品の根元となっており、しかも本人はこれに気づかないでいる、ということさえある。つまり、より簡明にいえば、成熟した一人の芸術家の作品と、かれが子供だった頃の魂の状態との間に、哲学的な対比を試みるとき、天才とは、少年時代がいまや自己表現のための男らしい力強い器官を授けられ、明確な形として表わされたものにほかならない、ということを容易に証明できるのではあるまいか?」

「あるスペイン人のギター弾きが、長い間パガニーニといっしょに旅行したことがあった。パガニーニが、誰知らぬ者のない名声を得た時期以前のことだった。
 かれらは二人して、ボヘミヤンや旅廻りの楽師や、家族も祖国もない人たちのような、徹底した放浪生活を送っていた。一人はヴァイオリン弾きいま一人はギター弾きのこの二人は、行く先々いたるところで演奏会を開いた。こうしてかれらはかなり長い間いろんな国々を放浪したが、わがスペイン人の技倆は、オルフェウスのように「私は自然の師匠」といい得るほどの上手だった。
 どこへ行っても、絃を奏でその親指の下で妙なる調子を弾ませれば、皆かれの後から随いてくる、という自信がかれにはあった。こういう秘術を心得ていれば、餓え死になどけっしてしない。(中略)諸君の魂にその最高に神秘的で思いがけない、最高に美しくひそかな節を歌わせてくれた人に、つまりこの天才にして魔法使いに、晩餐や歓待を拒むことがどうしてできよう! 人が私に確言したところによると、この男は、切れ切れの音しか出せない楽器から、容易に連続音を出したという。パガニーニが財布を握って共有財産の管理に当ったが、これは別段誰も驚くにはあたるまい。」
「大酒飲みだったギター弾きが経理状態を尋ねると、パガニーニが答える、すっかりなくなった、あるにしてもまあほとんどないのとおなじだ。」
「それから、何か収入にありつけそうな所へ来ると、二人のうちどちらかが、自作の曲を一つ演奏し、一人は側に控えてそのヴァリエーションや伴奏や低音部を、即興でつけたものだ。こうした吟遊詩人まがいの生活に、どんなに楽しさや詩情があったか、誰にもわかるまい。何故か知らないが、その二人が袂を分った。スペイン人は一人で旅をした。ある晩、かれはジュラ地方の小さな町へ着く。かれは貼り紙をさせて、町役場の広間で演奏会を開くと予告する。音楽会といってもかれ一人、ギター以外には何もない。しかし、(中略)けっきょくは、大入満員だった。
 ところが、わがスペイン人は、その町の片隅の墓地の傍で、もう一人スペイン人つまり同郷(引用者注:「同郷」に傍点)の男を、掘り出していた。その男は、埋葬の請負みたいなことをやっていて、墓石の石工だった。葬式に縁のある職業をもつ人間の例に洩れず、この男も大酒飲みだった。というわけで、酒の瓶と同郷がとりもって、この二人の仲は深みにはまった。音楽家は石工の傍からもう離れなくなった。さて音楽会の当日、時間になっても、二人はまだいっしょにいたわけだが、いったいどこで? それがわからない。町の飲屋という飲屋、カフエというカフエを、一つのこらず探してまわった。あげくのはてに、話にも何にもならない穢い家にいるのをみつけ出しはしたが、二人はすっかり酔っぱらい、(中略)結局、演奏しにゆくことは承知するが、とつぜん、思いつきで友だちにいう、「おまえもいっしょに演奏しろ」。相手は断わる。ヴァイオリンを持ってはいるが、技倆ときたら、村祭りのヴァイオリン弾きの最もぞっとするようなやつだった。「演奏しろよ、でなけりゃ、ぼくは弾かない」
 説教しようが道理を並べようが、一向に効き目がない。(中略)いよいよかれらは、土地の上品なブルジョアたちを前にして、壇に上ったが、スペイン人はさっそく「葡萄酒を持って来てくれ」と言った。(中略)いよいよ葡萄酒がきたが、この卑しい悪童どもは栓を抜くのももどかしく、育ちのよくない手合いがするように、瓶の口を包丁でちょんぎった。着飾った田舎の紳士淑女たちに、これがどういうすばらしい効果を与えたか、想像していただきたい! 貴婦人方は退場するし、この半気違いのような二人の酔漢を見て、多くの人たちは眉をひそめて逃げ出した。
 しかし、羞恥心に劣らぬ好奇心で居残る勇気を持ち合わせた連中は、幸いだった。ギター弾きは、石工に、「始めろ」と言った。酔っぱらったヴァイオリンからどんな音が出たか、とうてい言い現わすことはできない。(中略)何を演奏した? 何の演奏をするつもりだった? どうでもよい、ともかくも最初の節は出て来た。と、突然、力強く甘美で、気まぐれだが統一のあるメロディーが、そのけたたましい騒音を、包み、圧し殺し、隠してしまった。ギターがひときわ高く鳴りわたったので、ヴァイオリンは聞えなくなった。しかしその節は、まさしく石工が弾き始めた、あの酔っぱらいの節だった。
 ギターは並外れて響きのよい音を立てて、想いを語った。喋り、歌い、おそろしいような激しさと、かつて聞いたこともないほど確かで純粋な言い廻しで朗誦した。めくらめっぽうなヴァイオリンのテーマにもとづいて、即興のヴァリエーションを奏でていた。(中略)聴衆はしまいには、彼よりも酔ってしまった。そしてスペイン人は、すばらしい熱狂で迎えられ、讃えられ、敬意を表された。しかしどうやら、土地の人たちの性格が、かれの気に入らなかったらしい。かれは、この一回だけで、あとは演奏を承知しなかった。
 この男は、いまどこにいるだろう? いかなる太陽が、その最後の夢を眺めただろうか? 世界を股にかけたその体は、何処の土に迎えられたろう? (中略)消え去った花の陶然とした香気は、どこへ行ったのか? そして、遠い日々の、あのお伽話のような落日の色彩は、いまいずこにあるのであろうか?」

「この論文を終るに当って、私は、いくつかの美しい言葉を書きしるしておく。私の言葉ではない、あまり人に知られてはいないが卓越した哲学者、音楽理論家であり、コンセルヴァトワール教授でもあるバルブローの言葉である。私はそのとき、何人かこの幸福の毒薬を服んだ人の混ったある集りで、かれの傍にいた。かれはいうにいわれぬ軽蔑の調子で、私にこういったものである。「理性的で精神的な人間が、詩的な至福の状態に達するために人工的な手段を用いる理由が、私にはわからない。熱意と意志さえあれば、そういう人間が超自然の存在にまで高まるには十分なはずだが。大詩人、哲学者、予言者とは、意志の純粋で自由な訓練によって、自分が同時に原因と結果、主体と客体、催眠者と被催眠者であるような状態に、到達した人のことだ」
 私もまったくかれと同意見である。」



「火箭」より:

「神は、君臨するのに、存在する必要さえもない唯一の存在である。」

「精神によって創られたものは物質よりももっと生きた生命をもっている。」

「群衆の中にいる時の快感は、数の増加を楽しむ気持の不思議なあらわれだ。」

「すべて(引用者注:「すべて」に傍点)は数である。数はすべて(引用者注:「すべて」に傍点)の中にある。数は個の中にある。陶酔は一つの数である。」

「美しい季節のしっとりとした夕暮の緑の闇。」

「大都会のもつ宗教的陶酔。――万有神教。我はすべての人、すべての人は我。
 渦巻。」

「――独創性の手段としての、徹底的率直さ。」

「アラビア模様は最も精神的な模様である。」

「アラビア模様はあらゆる模様の中で最も観念的なものである。」

「抽象以外のものに向けられる熱中は弱さと病気の徴候である。」

「私を愛してくれた人々は、世間から軽蔑されていた人たちだった。いや更に、世間のまともな人々の気に入るように言うなら、軽蔑すべき人たちだった。」

「静かな水の上でかすかに(左右に)揺れているあの美しい大きな船、のんびりとしたノスタルジックな様子のあれらの巨船は、声にならない言葉でわれわれに告げていはしないか、いつわれわれは幸福に向かって船出するのか、と。」

「演劇の中の素晴らしい側面、魔法とロマネスクなものを忘れないこと。」

「文学の根本的な二つの特質――超自然主義とイロニー。」

「霊を呼び降す魔法、魔術、としての言葉ならびに文字について。」

「《自己浄化と反人間性。》」
「注 原文は英語。Self-purification and anti-humanity.」

「誰の感受性をも軽蔑してはならない。各人の感受性はその人の天分である。」

「月並なものを創造すること、これが天才だ。」

「世界は終りに近づいている。世界が存続しうる唯一の理由は、世界が現に存在しているということだけだ。この理由は、その反対を示すあらゆる理由に較べて、なんと薄弱なことか。とくに世界は今後、なにかなすべきことがあるのか、という理由に較べて。」

「私の祖先は白痴か狂人で、立派なアパルトマンに住みながら、皆、怖ろしい熱情の犠牲者だった。」

「肉体の上でも精神の上でも、私にはつねに深淵の感覚があった。たんに睡眠の深淵のみでなく、行為の、夢想の、思い出の、欲望の、哀惜の、悔恨の、美の、数の、等々の深淵の感覚が。
 私は、悦びと恐怖の感情をもって、自分のヒステリーを育ててきた。今では私にはつねに眩暈がある。そして今日、一八六二年一月二十三日、私はある不思議な予告を受けた。痴呆の翼の風(引用者注:「痴呆の翼の風」に傍点)が私の上を吹きすぎるのを感じた。」

「オンフルールへ行くこと! できるだけ速く、これ以上に倒れてしまわないうちに。」



「赤裸の心」より:

「有用な人間であるということは、私にはいつも、なにかひどく醜悪なものに思われた。」

「今世紀の人々の解する意味での信念というものを私は持たない。なぜなら私は野心を持っていないのだから。」
「どうして私が成功しえようか、試みてみる気持すらないのだから。」
「しかしながら、私には、(中略)現代の人々によっては理解されえない意味での、いくつかの信念がある。」

「幼時からすでに私の中にあった孤独(引用者注:「孤独」に傍点)の感情。家庭のうちにあっても――とりわけ、友人のなかにいるとき――永久に孤独な運命の感情。」

「どんな人間にも、どんな時にも、二つの祈願が同時にあって、一つは神に向かい、一つはサタンに向かう。神への祈願、あるいは精神性は、向上への希求である。サタンへの祈願、あるいは動物性は、下降の悦びである。」

「海の眺めは、なぜかくも無限に、かくも永遠に、心地よいのか。
 なぜなら、海は広大さの観念と運動の観念を同時に与えるからである。」

「地上で興味あるものは宗教しかない。」

「極く幼い頃から、私は心のうちに相反する二つの感情を抱いていた、生の恐怖と生の恍惚と。」

「人非人(パリア)の真の偉大さについて。」



「書簡 14 母へ 一八四七年十二月四日土曜日」より:

「私はたいへん疲れています。頭の中に車輪のようなものが感じられます。」


「書簡 15 母へ 一八四七年十二月十六日」より:

「僕にとって手紙一通書くことは本一冊書くことより骨が折れます。」


「書簡 16 マリー・ドーブランヘ 〔日付なし〕」より:

「人は殆んどいつも書いたことを後悔するものです。」


「書簡 32 シャルル・アスリノーへ 一八五六年三月十三日木曜日」より:

「夢というものが君を興じさせるので、ここに一つお目にかけるが、(中略)いま朝の五時、だからこの夢は出来たてのほやほやというわけだ。これは僕がいつも悩まされる千もの夢の標本のうちの一つにすぎないということを注意してくれ給え、(中略)それらの完璧な奇抜さ、僕の諸関心事や色ごとなどに全く無縁であるというそれらの一般的性格は、僕をしてつねに、それらは象形文字の言語であって、僕がそれを解く鍵を持ち合せないだけだと、信ずるようしむけるのだ。
 それは(僕の夢の中では)、朝の二時か三時頃で、僕は一人で街の中を散歩していた。僕はカスティーユに会い、彼にはたしかそれから行くところがいくつかあったのだと思うが、僕は彼と一緒に行きたい、僕の個人的な用足しをするために彼と車に同乗したいのだと言った。そこで我々は一台の車に乗った。僕は大きな売春宿の女主人に、出たばかりの僕の本を贈呈するのを、一つの義務(引用者注:「義務」に傍点)と見なしていた。自分の手に持っていたその本を眺めているうち、それが猥褻な本だということが自ずとわかった(引用者注:「自ずとわかった」に傍点)、そのことは僕にその作品をその女に贈ることの必要(引用者注:「必要」に傍点)を説明した。その上、僕の内心では、この必要はその根底では、通りすがりに、その家の娼婦たちの一人と寝る一つの口実、一つの機会にすぎないのだった。そのことは、本を贈呈する必要なしには、そのような家に僕が行くことを敢えてしなかっただろうということを意味している。
 こういったことすべてをカスティーユには何も言わず、僕は車をその家の門に停めさせる、そして、長くは待たせないと約束してカスティーユを車中に残す。
 ベルを鳴らし中へ入るが早いか、僕は僕のペ××が、ボタンの外れたズボンの隙間から垂れているのに気付き、場所柄とはいえ、こんな恰好で人前に出るのはみっともないと判断する。その上、両足がひどく濡れているのを感じて、僕は自分が裸足である(引用者注:「裸足である」に傍点)こと、また足を、階段の下にある湿った沼の中に踏み込んだことに気付く。いやこれは、と僕は独語する、やる前に、またこの家から出る前に洗うとしよう。僕は登って行く。――この瞬間から、本のことはもう問題でなくなる。
 僕は互いに通じ合っている広大な通廊、――照明の暗い、――物悲しく色褪せた感じのする通廊、――の中に自分を見出す――古いカフェか昔の読書室、あるいは殺風景な賭博場みたいな所だ。娼婦たちはこの広大な通廊のそこここに散らばって男たちと話をしている。男たちの中には中学生たちの姿が見える。――僕は実に悲しく実に気おくれするのを感ずる。人が僕の足を見やしないかと心配する。僕は足を眺める、一方の足が靴を履いているのに気付く。――しばらく後で、僕は両足とも靴を履いているのに気付く。――僕をびっくりさせるのは、これら広大な通廊の壁が、額縁に入ったあらゆる種類のデッサンで飾られていることだ。みんな猥褻なものではない。建築物のデッサンやエジプト風の像さえもある。僕はだんだん強く気おくれがするのを感じ、誰かひとりの娼婦に近づく勇気が出ないので、すべてのデッサンを仔細に検討することに興ずる。
 これら通廊の一つの奥まった所に、僕は大変奇抜な一群を見つける。――無数の小さな額縁の中に、デッサンや、細密画(ミニアチュール)や、写真が見られる。それは羽毛のとても輝いている、彩色された鳥禽を表わしており、それらの鳥の眼は生きている(引用者注:「生きている」に傍点)。鳥の半分の部分しかないのもある。――あるものは奇妙な、怪物じみた、例えば隕石のように無定形な動物のすがたを表わしている。――それぞれのデッサンの一隅にはこういう注が付いている「娼婦某々、□□□歳、某々年この胎児を出生せしむ」。またそういうたぐいの違った注だ。
 こういうたぐいのデッサンは色事の考えを起させるには殆んどそぐわないものである、との観察が僕の頭に浮ぶ。それからもう一つ、こういう別の観察――売春宿を開業して、同時にこんな医学博物館まがいのものをそこに設置することを考えつく程愚劣な新聞は、全くの話この世に一つだけ、つまり「世紀」しかない。――実際、と僕は突然独語する、この淫売屋商売に元手を出したのは「世紀」であり、医学博物館も、この新聞の進歩、科学、啓蒙(引用者注:「進歩」「科学」「啓蒙」に傍点)などへの狂的嗜好によって説明されるわけだ。――そこで僕は、近代の愚劣愚行はそれ相応の神秘な有益さを持っており、しばしば、悪のために作られたものは、ある精神的からくりによって、善に転化する、ということに考え及ぶ。
 僕はひそかにわれとわが哲学的精神の正鵠さに舌を巻く。だがこれらすべての怪物の中に、一つだけ生きのびたものがいる。それはこの家の中で生れ、永遠に台石の上に身を保っている怪物だ。だから、生きながらにして、彼は博物館の一部をなしているわけだ。彼は醜くない。彼の顔はきれいでさえあり、東洋的な色合にひどく日灼けしている。彼のうちには多くのバラ色と緑色がある。しゃがんだ姿勢なのだが、奇妙な身をよじった恰好をしている。その上一匹の太い蛇のように、彼の身体と四肢のまわりを何度か巻いている何か黒っぽいものがある。僕は彼にそれが何なのかたずねる。すると彼は僕に、それは彼の頭から出ている途轍もない付属体で、何かしらゴムのような弾性のあるものであり、その長いこと長いこと、もしそれを頭の上に弁髪のように巻いたりしようものならとても重すぎて絶対に支えることなど出来ないほどだ、と言う。――そこで、彼はそれを四肢のまわりに巻きつけることを余儀なくされていると言うのだが、このことは他方、よりみごとな効果を生んでいる。僕は長く怪物とおしゃべりする。彼は僕に彼の悲しいことや辛いことを打明ける。もう数年来、大衆の好奇心のおかげで、彼はこの部屋、この台石の上に、身を保つことを余儀なくされている。だが彼のいちばん辛いのは食事の時間だ。生きものであってみれば、彼は宿の娼婦たちと一緒に食事することを、ゴムの付属体をくっつけて、よろよろしながら食堂まで歩くことを――余儀なくされており、食堂では、そいつを身体に巻きつけたままにしておくか、一巻きの綱のように椅子の上にのせねばならない、と言うのは、もしそいつを地面にひきずりっ放しにしようものなら、そいつは彼の頭をうしろに引っくりかえしてしまうだろうからだ。その上、彼は、小柄な小じんまりした彼は、大柄で容姿のよい娼婦の傍らで食べることを余儀なくされているのだ。――ところで彼はこういった説明すべてを、恨みがましい顔一つせず僕にしてくれる。――僕は敢えて彼に触ったりはしないが、彼に興味を持つ。
 その時(これはもう夢の中の話ではない)、妻が部屋の中で何か家具にぶつかって音を立て、それが僕の目を覚す。僕は疲労し、くたくたになり、背中や両脚や腰がずきずき痛んで目を覚ます。――僕は例の怪物の身をよじった恰好で眠っていたのだろうと思う。」



「書簡 54 プーレ=マラシへ 一八六〇年一月八日日曜日 夕刻」より:

「メリヨン氏が名刺を送ってよこし、氏と私は会って話をしました。」
「自作の大きな版画のある一枚の中で、彼は、小さな気球に代えて、猛禽の雲なす一群を置いた、それで私が、パリの空にこんなにたくさんの鷲を描くのは本当らしく見えないと注意したところ、彼が答えて言うには、これは根拠なしにやったことではない、なぜならあの人々(引用者注:「あの人々」に傍点)(皇帝の政府)は、典礼に従って前兆を調べるために何度も鷲を放った、――このことは新聞に、「報知」にさえ載ったと、こうなのです。
 彼はあらゆる迷信に対する敬意をすこしも包みかくさないと、言っておかなければなりませんが、彼は迷信を説明することが下手だし、いたるところに陰謀をかぎつける。」
「彼は、エドガー・ポオなる男の小説を読んだことがあるかと、私にたずねました。私は、ポオの小説なら誰よりもよく知っている、それはゆえあってのことだ、と答えました。すると彼は、たいそう強い調子で、このエドガー・ポオの実在を信ずるかどうかときくのです。私は、当然のことながら、それではポオの小説は誰の作と思っているのかと聞き返した。彼はこう答えました――たいそう器用で、たいそう力があって、万事に通じている文学者たちの、団体の作だ(引用者注:「たいそう器用で~」以下に傍点)。そして、彼がそう言う理由のひとつはこうです――「モルグ街(引用者注:「モルグ街」に傍点)。私は屍体公示所(モルグ)のデッサンを描いたことがある。それからオラン・ウータン(引用者注:「オラン・ウータン」に傍点)。私はよく猿に似ていると言われた。小説中の猿は、二人の女、母と娘を(引用者注:「二人の女、母と娘を」に傍点)殺害する。ところで私も、二人の女、母と娘を(引用者注:「二人の女、母と娘を」に傍点)精神的に殺害したことがある。私はいつも、この小説を、私の災厄を暗(あん)に扱ったものと取ってきました。エドガー・ポオが(誰にも助力を受けなかったものとして)この短篇を書いた日付をつきとめて、その日付が私の人生の出来事と符合するかどうか分るようにして下さるなら、たいそうありがたく思うことでしょう。」
 彼は、ジャンヌ・ダルクに関するミシュレの著書について、嘆賞の念をこめて語りました。ところが彼は、この本はミシュレの作でないと信じ込んでいるのです。
 彼の最大の関心事の一つは、カバラ学です。ところが彼は、カバラの専門家には笑止千万と思われるような、奇抜な仕方で解釈するのです。
 意地の悪い奴らといっしょになって、こうしたことどもを笑ったりしないで下さい。どんなことがあろうと、才能ある人間に害だけはしたくないと思っている私なのですから……
 彼が去った後で、ぼくは自問したのです――いつだって、精神にも神経にも、発狂するに必要なだけのものはそなえていた私が、発狂しなかったのは、いったいどうした具合なのか。真剣な話、天に向かってパリサイ人の祈りをささげずにはいられませんでした。」



「書簡 64 母へ 一八六一年五月六日」より:

「自殺に話をもどすなら、これは固定観念ではなくて、周期的にもどってくる観念ですが、お母さんを安心させるに違いないことがひとつあります。自分の仕事を整理してからでなければ死ねないということです。(中略)なにゆえ自殺か。借金が原因か。それはそうだが、借金はなんとかすることのできるものです。わけてもそれは、長く続きすぎた(引用者注:「長く続きすぎた」に傍点)どうにも耐えがたい状況の結果である、ひどい疲労が原因なのです。一刻一刻が、僕はもう人生になんの興味を感じていないことを証明してくれます。(中略)僕の文学上の地位は、良いという以上です。やりたいことができます。何を書いても印刷されるでしょう。僕は一種俗受けのしない精神をもっているから、金はあまりもうからないでしょうが、大きな名声をのこすであろうことは、自分で知っている――生きる勇気さえもてばの話ですが。だが、僕の精神的健康は、どうにもひどいものです――もう駄目かも知れない。」


「書簡 74 母へ 一八六二年八月十一日」より:

「僕の人生ぐらいだらしなく浪費された人生は他にあるまいと思っています。本当に妙なのは、僕がそこになんら快楽を味わっているわけではない、ということです。
 僕自身の僕自身に対する異常な闘いや、絶望や、夢想などを、お話したくはありません(またそのひまもないことだし)。――また、お母さんは僕の関心をもつただ一人の生きた人間ですと、百度目の断言をくり返そうとも思いません。僕がそう申し上げた以上、信じていて下さるはずだと、僕には思われます。今や僕はひとつの危機、大決断を下すべき時期にさしかかっているのを、僕は感ずる――すなわち、今までやってきたことすべての正反対をなすべき時、栄光のみを愛し、報酬の期待がなくとも(引用者注:「報酬の期待がなくとも」に傍点)かまわず、休みなしに仕事をし、あらゆる快楽を断(た)って、いわゆる偉大な人物となるべき決意をすべき時が、来ているのです。それから最後に、ちょっとした(引用者注:「ちょっとした」に傍点)財産を作るようにも心がけなければならない。僕は金銭を愛する人々を軽蔑します。しかし僕は、他人への屈従と貧窮のうちに老年をむかえることが、ぞっとするほどこわいのです。」

「ドールヴィリ、フローベール、サント=ブーヴを除いては、誰とも話が通じません。テオフィル・ゴーチエだけが、僕が絵画の話をする時、理解してくれる。僕は生活を嫌悪しています(引用者注:「僕は生活を嫌悪しています」に傍点)。くり返して言いましょう――僕は人間の顔から逃げ出そうとしているのです、それも特にフランス人の顔から。」/span>


「書簡 79 アンセルへ 一八六四年十月十三日木曜日」より:

「私は末長くいくらかの才能をもって悪を描くことを敢えてした罰を、受けなければならないでしょう。」

「そうです、私はオンフルールへ帰ることを必要としています。私は母を必要とし、私の部屋を、私の蒐集物(コレクション)を必要としています。(中略)――私はオンフルールで、山ほどある未完成の事ども――『パリの憂愁』(なにしろ久しく中断している)、『哀れなベルギイ!』と『わが同時代人たち』を仕上げるでしょう。」



「書簡 84 母へ 一八六六年三月五日月曜日」より:

「オンフルールに身をおちつけることは、僕にとっていつも、最も大切な夢でした。」







こちらもご参照ください:

『ボードレール全集 Ⅲ』 福永武彦 編集
『トマス・ド・クインシー著作集 Ⅰ』 
豊崎光一 『ファミリー・ロマンス』



























































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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