富士川英郎 『失われたファウナ』

富士川英郎 
『失われたファウナ』


小澤書店 
昭和55年1月30日 第1刷発行
263p 
四六判 角背紙装上製本 貼函 
定価2,000円
装丁・装画: 串田孫一



本書「あとがき」より:

「本書は著者が、東大比較文學會發行の雜誌「比較文學研究」に昭和四十九年三月から足掛け五年間、連載した動物に關する詩話を集めたものである。題して『失われたファウナ(動物群)』という。この二、三十年來、われわれの身邊から急速に遠のいていった自然とともに、失われてしまったり、失われなくても、非常に稀れになってしまった動物についての詩話が、本書の主要な部分を占めているからである。著者の筆がそれらの失われた動物のあとを追って、すでに半世紀以上も昔となってしまった少年期の追想の世界へ、しばしば及んでいるのも、從って自然な事の成り行きであったと言えよう。本書の諸篇はいずれも閑文字にすぎないが、串田孫一氏が面白い挿繪やカットの繪を畫いて下さったので、本書は美しく、樂しい外裝の本となることができた。」


正字・新かな。


富士川英郎 失われたファウナ 01


帯文:

「ファウナ(Fauna=動物群)――古今東西の詩歌の森を逍遥し、木洩日のなかに少年の日を回想し、失われゆくものの躍動する姿を見い出す長篇動物詩話。
少年時の追憶のなかに溢れる自然の光、身辺に戯れる小動物たち。昼下りの動物園の思い出。……」



帯背:

「動物詩随想」


富士川英郎 失われたファウナ 02


目次:
 
蠅の詩
蛇の詩
蛙の詩
蝶の詩
蝉の詩
象の詩
獅子の詩
虎の詩
鶏の詩
鴉の詩
鼠の詩

あとがき



富士川英郎 失われたファウナ 03



◆本書より◆


「蛇の詩」より:

  「醍醐の地、蛇多し。その大なる者は六七尺、間(ま)ま一丈有餘の者あり、田野に横行し、人家に侵入す。簇々として聚(あつま)り、紛々として散る。喜べば則ち蠢然(しゆんぜん)として轉展徜徉(てんてんしようよう)し、怒れば則ち、艴然(ふつぜん)として奮起して、人に著く。その尤毒なる者を蝮と曰う。謂う所の鱉鼻蛇(べつびじや)、是れなり。若し之に觸れば則ち或は手足を頽敗し、或は肌骨(きこつ)を潰爛(かいらん)す。而して死に至る者亦た之(これ)あり。誠に畏るべきなり。かの燕雀を噬(か)み、蛙鼠を呑むに至りては、亦た以て憐れならずや。春宵千金の夕、月に嘯き、花を弄せんと欲すれば、則ち樹蔭草間に爾(なんじ)が衆の多きを奈(いかん)せん。夏日一榻の閑、暑を避け、涼を納めんと欲すれば、則ち堤傍池畔、爾の徉徊するを患(うれ)う。菊を東籬の下に採り、車を楓林の邊りに停むれば、則ち園裏の茂み、茅徑の塞、爾の彷彿たるを見るを嘆く。盃を啣み、靜かに爐を圍み、氷を敲きて、茶を煮れば、則ち坐間の暖、灰底の熱、爾の蟄伏(ちつぷく)に驚かされんことを畏る。嗚呼、爾の形、柔脆懦弱(じゆうぜいだじやく)にして、手なく、足なく、繩の如く、帶の如し。曷奚(いずくん)ぞ、害を爲(な)すことの斯くの如(ごと)く大なるや矣。

 これは寛文十年頃に刊行された『醍醐隨筆』という本のなかの一節である。」

「筆者は鎌倉に住むことすでに六十餘年になるが、震災前の大正時代、筆者がまだ少年であった頃のことを思うと、あの頃の鎌倉やその周邊の田野には、いかにも蛇が多かった。あの頃の鎌倉は若宮大路や長谷通りや、その他の二、三の表通りを除けば、人家はまばらにたっているだけで、あとは田畑がいちめんにひろがっているのであった。そして春から夏へかけて、それらの田圃で、夜にしばしば蛙の合唱が耳も聾せんばかりに鳴りひびいていたが、それだけにそのあたりを「徜徉」する蛇もまた甚だ多かつたのである。いまでもはっきり覺えているのは、或る年の六月であったか、田谷(たや)の洞窟を見ようとして、大船驛からそこまで至る間の道を歩いたときのことである。その徑の兩側には麥畠と田圃とがいちめんにつらなっていたが、そこには無數といってもよいほど、蛇が群がっていて、ほとんど五歩あるくごとに、左右の草むらや畠のなかから、靑大將が匍いだしてきて、吃驚りして、立ちすくんだ筆者の足もと近く、或はす早く、或は悠々と、のたうっていったのである。そして片側の麥が林立していた畠をうかがって見ると、そこにもあっちにもこっちにも畝と畝との間に、無數の蛇が入り亂れてその長い體をずるずると引きずっていたのであった。筆者はこのときの光景を五十年後のいまでもありありと惡夢のように思い出すことができるが、それはまことに、「簇々として聚(あつま)り、紛々として散る」といいう形容句がふさわしいようなおびただしい蛇の群の蠢動であった。
 もっともこれは、ちょうど蛇の交尾期に當っていたのかもしれない。(中略)筆者の住んでいた家は鶴岡八幡宮の程近くにあって、周囲に畠が多かったが、いちどなどは、雨戸の戸袋のなかに大きな靑大將がとぐろを巻いていたのに驚かされたことがある。」
「また、或るときは家で飼っていた黑猫が大きな靑大將に胴體をぐるぐる卷きつかれたままで歸ってきたことがある。」



「鴉の詩」より:

「四、五年前、鎌倉の海岸沿いの坂道を歩いていたとき、その道の行手に下りて何かしていた五六羽の鴉の群れが、筆者が近づいていくのに從って、一羽去り、二羽飛び去って、だんだんいなくなってしまったが、ただ一羽だけ、いつまでも道のうえに立ったまま、じっと筆者を見つめていた。その樣子が少し へん なので、さらに近よってみても、やはりその鴉は立ちのかない。見ればその片脚が無殘にも眞中から「く」の字に、折れた矢のように、折れ曲っていたのだった。そして彼は飛び立つことができず、殘った一本の脚でそこに立ったまま、近づいた筆者に向って、黑い翼をひろげて威嚇したり、嘴をつきだして、いまにも突こうと身構えたりした。實は筆者がそんなに近くから、片手をのばせばすぐにそれを掴むことができるほどの近くから、一羽の鴉を見たのは、そのときが二度目であった。最初は既に六十年近い以前に、やはり鎌倉で小學校へ通う道の途中でのことであった。當時、その道に沿って一軒の小さな桶屋があり、或日、その桶屋がその飼っていた一羽の鴉を紐でつないで、往來に面した店先きに出していたのである。その頃、小學生だった筆者は學校からの歸途、もの珍しい思いで、その鴉の近くに立って、しげしげとそれを見た。その鴉はもはや人馴れがしていたのか、別に嘴をつきだしたりして、攻撃の姿勢をとることはなかったが、その濁った硝子玉のような兩眼の表情は妙にうつろで、なにか底しれない不氣味さをたたえていた。そしていま、それからほとんど六十年後のいま、その同じ濁った硝子玉の眼が二つ、海に近い坂の道のうえで、敵意に燃えて、不氣味に、じっと筆者を見つめていたのである。その片脚の鴉は筆者がさらに一歩近よろうとすると、渾身の力をふるって、地上すれすれに、折れた片脚をぶらさげながら、まるで鷄が飛ぶような恰好をして、道の脇の海まで下(くだ)っている崖の草むらのなかへよろけ落ちていったが、さすがに一聲も唖々と鳴くことはなかった。筆者はその後、この鴉のことを、ふと、なんのきっかけもなく、思い出すことがよくある。そしてあの鴉はあれからどうなったのか、もしも犬や猫などに見つかったらひとたまりもなかったろうと思って、それが妙に氣にかかるのである。」




こちらもご参照下さい:

多田智満子 『動物の宇宙誌』
柴田宵曲 『新編 俳諧博物誌』 小出昌洋 編 (岩波文庫)








































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Author:ひとでなしの猫
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