富士川英郎 『萩原朔太郎雑志』

富士川英郎 
『萩原朔太郎雜志』


小澤書店 
昭和54年9月15日 第1刷発行
264p 19.5×15.5cm 
丸背布装上製本 貼函 
定価2,600円
装画: 川上澄生



本書「あとがき」より:

「萩原朔太郎について折にふれて書いてきたエッセイや雜記の類を集めて、ここに一冊の本を編むことにした。」


正字・新かな。


富士川英郎 萩原朔太郎雑志 02


帯文:

「書き下し論考「萩原朔太郎と日夏耿之介」(160枚)をはじめポー、リルケ、鴎外、犀星らとの比較のなかに浮びあがる朔太郎詩の思想性。個人的な囘想を交えた隨想は、朔太郎の生きた大正・昭和の時代相を傳える。詩と學問の接點を追究する碩學が、積年の課題にこたえる決定版朔太郎論。」


帯背:

「朔太郎體驗から
詩の核心に迫る
全論集」



帯裏:

「――詩人とは朔太郎にとって、もちろん彼自身を含めて、不可能を可能にしようとして苦鬪している、一種のドン・キホーテ的な、悲劇的な存在なのでした。そしてそれに伴う一種の悲壮感は、ロマンティストとしての朔太郎が遠い實在に憧れて、到達し得ないイデアを希求する詩人であったことの悲壮感と微妙に重なりあっていたのであります。(「萩原朔太郎寸感」より)」


富士川英郎 萩原朔太郎雑志 01


目次 (初出):

萩原朔太郎 (『書物と詩の世界』 玉川大学出版部 昭和53年2月)


萩原朔太郎寸感 (「心」 昭和54年4月/昭和53年5月14日「朔太郎忌」記念集会講演)
谷神不死 (「ユリイカ」 昭和47年4月/玉川大学出版部『西東詩話』に所収)
郷愁の詩人 (「季節」 昭和32年4月/『西東詩話』に所収)


萩原朔太郎とポー (「無限」 昭和44年3月/『西東詩話』に所収)
萩原朔太郎とリルケ (「無限」 昭和49年3月/『西東詩話』に所収)


森鴎外と萩原朔太郎 (「ちくま」 昭和52年4月)
萩原朔太郎と室生犀星 (「ちくま」 昭和49年3月)
萩原朔太郎と日夏耿之介 (未発表 昭和53年4月執筆)


萩原朔太郎の手紙 (「泉」 昭和53年8月)
萩原朔太郎と鎌倉 (「かまくら春秋」 昭和53年6-9月)


「洋燈の下で」のことなど (筑摩書房『萩原朔太郎全集』第十巻「研究ノート」 昭和50年9月)

あとがき
初出一覧



富士川英郎 萩原朔太郎雑志 03



◆本書より◆


「萩原朔太郎寸感」より:

「私がはじめて讀んだ朔太郎の詩は「猫」でした。「中央公論」の大正十四年六月號に、日夏耿之介の「日本輓近詩潮の鳥瞰景」という長い論文が載って、當時、舊制中學の五年生だった私はこれを耽讀したものでしたが、そのなかに朔太郎の「猫」という詩が引用されていたのです。私はこれによってはじめて朔太郎という詩人を知り、はじめてその詩を讀みました。それまでに私は、主として上田敏の『海潮音』や、島崎藤村、北原白秋などの詩を少しばかり讀んでおりましたが、このときはじめて知った朔太郎のその「猫」という詩は、當時の私にとってひとつの大きな驚きだったのであります。」
「こうして私は朔太郎にすっかり魅惑されてしまい、それ以後は、いろいろな詞華集や雜誌などを漁って、それらに載っていた朔太郎の詩を片端からノートに書き冩したものでした。というのは、大正十四年頃の當時は、まだ岩波文庫などもなく、朔太郎の詩を讀みたいと思っても、その詩集が簡單には手に入らなかったのですから。彼の詩集では、當時すでに『月に吠える』も『靑猫』も出ていましたが、いずれも絶版になっていて、本屋の店頭にはない。稀れに古本屋の店さきに現われることがあっても、それには目がとびでるような高い値段がついていて、到底、中學生などの手がでるものではなかったのでした。」



「森鴎外と萩原朔太郎」より:

「森鴎外が萩原朔太郎の第一詩集『月に吠える』を推稱したということについては、その言葉を鴎外から直接に聞いた二、三の人たちの證言がある。例えば川路柳虹は「日本詩人」の大正十一年九月號に「森先生のこと、その他」という隨筆を載せたが、(中略)そのなかに次のような一節がある。
 「それから自分は今の詩をお讀みですかと訊いてみた。するとちよいちよいは見てゐるといはれる。誰の詩をお好きですかときくと、『さうね』と言はれたが、急に『君は萩原朔太郎君を知つて(ゐ)ますか』といふ。『よく知つてます』といふと、『あの人の此間逢つてみたが、あの人のものが面白いね。しかしあの人の人間そのものが更に詩より面白いね、アハヽヽ』と笑はれた。」
「證言の第二は齋藤茂吉のそれである。齋藤茂吉は「四季」の「萩原朔太郎追悼號」(昭和十七年八月)に載せた「萩原さんについて」という短文で、次のように言っている。
 「萩原さんとは生涯のうち數囘しか會つてゐない。詩集『月に吠える』の發行は、大正六年だといふから、さうすれば大正六年のことになるが、萩原さんが突然、私の勤めてゐた東京府巣鴨病院に私をたづねて來られ、私もその『月に吠える』といふ詩集の寄贈を受けた。」
「程經て鴎外先生に會つて談たまたま萩原さんに及んだが、先生いはれるに、萩原君は率直な人でなかなかおもしろい。また詩も特色のあるものだ、さういふことであつた」。
 次に第三の證言は、佐藤春夫によって傳えられた與謝野晶子のそれであるが、佐藤春夫はその「朔太郎の思ひ出」(新潮社版『萩原朔太郎全集』月報2、昭和三十四年七月)のなかで、與謝野晶子から初めて『月に吠える』を示された往時を囘顧して、次のような興味深い逸話を傳えている。
 「或る日の新詩社(與謝野邸)の話題に、新刊の『月に吠える』の噂が出て晶子夫人は
 『もうお讀みになつて?』
 と聞く。僕はまだ讀んでゐなかつたのでそのとほり云ふと、寛先生はすぐ、
 『あれは急いで讀むにも及ばない』
 とほんの一口で片づけてしまつたやうな口調であつたが、晶子夫人はそれをたしなめ抑へるかのやうに、
 『でも鴎外先生も面白いと仰言つてゐたではありませんか』
 と云ひ出した。與謝野家にあつては當時(ばかりでもなかつたが)鴎外先生の意見といふのは最高の權威を持つたものであつた。さうして晶子夫人は寛先生の詩に對する先入觀を打ち壊して朔太郎君の獨創的な詩業を認めさせたい樣子がよく見えてゐた。さうしてわたしにもこの詩人を注目させたいと思つたものか、晶子夫人はご自身の書齋からわざわざ『月に吠える』を持つて來て
 『ごらんになりません?』
 と渡してくれたから、僕はそれを手にとつてしばらく讀み耽つてゐた。(中略)しかし寛先生は
 『月に吠えるなんて犬か何かのような。何とかで竹が生え、どうとかして竹が生えかい、あんまり智惠のない話ではないか』
 寛先生はやつぱり、この詩人にはどこまでも感心したくない樣子なのである」。」
「實はこれらの證言がなくても、鴎外自身がそのことを筆にしているのである。鴎外は朔太郎の訪問をうけた同じ三月五日に、岡山の正宗敦夫に宛て一通の短い手紙を出しているが、その末尾に次のような言葉が見い出される。
 「今日萩原朔太郎ト云フ詩人初對面イタシ候衒氣ナドナキ好キ人ト存候」。」




































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