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兵藤裕己 『後醍醐天皇』 (岩波新書)

「連歌会や茶寄合の盛行は、建武の新政と不可分に浮上した文化的事態である。世俗的な序列(礼)を無化してしまう無礼講の寄合は、大乱の予感をはらみつつも、やがては武家や庶民をまき込んだ「群飲佚遊」(『建武式目』)の大流行となってゆく。」
(兵藤裕己 『後醍醐天皇』 より)


兵藤裕己 
『後醍醐天皇』
 
岩波新書(新赤版) 1715


岩波書店 
2018年4月20日 第1刷発行
2018年6月15日 第3刷発行
vi 241p 年表3p 
新書判 並装 カバー
定価840円+税



本文中図版(モノクロ)4点、図(系譜)1点。


『琵琶法師』がおもしろかったので本書もよんでみました。網野善彦『異形の王権』は後醍醐における密教的背景を強調しましたが、本書では孟子的背景(革命思想、孔子の「礼」に対する「仁義」)を強調しています。



兵藤裕己 後醍醐天皇



カバーそで文:

「「賢才」か、「物狂」か。鎌倉幕府崩壊から南北朝動乱へ、日本社会の大きな転換を引き起こし、『太平記』でも評価の二分する後醍醐天皇。彼がめざした「新政」とは何だったのか? 宋学への傾倒、密教との関わり、「無礼講」の実際、そして後世への影響などに目配りしつつ、後醍醐が問うた「天皇」のあり方を読み解く。」


目次:

序 帝王の実像と虚像
 南北朝の動乱
 王朝歴史物語から『太平記』へ
 「賢才」か「物狂」か
 「怪僧」と「悪党」
 『徒然草』が語る後醍醐
 二つの天皇のあり方
 「天皇」を問うた天皇

第一章 後醍醐天皇の誕生
 尊治親王の誕生
 皇統の分裂状態
 兄・後二条の急逝
 立太子とその条件
 政治への意欲
 西園寺家の娘と
 後醍醐天皇の即位
 後宇多法皇と密教
 後宇多院政の停止

第二章 天皇親政の始まり
 元亨改元
 讖緯説批判と宋学
 政道の学問
 諸道の再興
 「延喜聖代」
 政道への取り組み
 「中興」への期待
 宋学の流行
 天皇親政の背景
 花園上皇の学問
 『孟子』の受容
 俊才・日野資朝
 『徒然草』が伝える資朝
 日野俊基と吉田冬方
 俊基の抜擢人事
 士大夫という自恃

第三章 討幕計画
 討幕計画の始まり
 無礼講と芸能的寄合
 文観、護持僧に
 幕府御家人の内通
 正中の変
 幕府側の対応
 正中の変の虚実
 邦良の死と量仁の立太子

第四章 文観弘真とは何者か
 持明院統側の譲位要求
 皇子たちと寺院勢力
 中宮御産の祈禱
 中宮禧子をめぐる「物語」
 「異形の王権」か?
 真言密教の受法
 文観弘真の登場
 後醍醐天皇の絵像
 聖徳太子への傾倒
 つくられた「妖僧」イメージ
 『太平記』の文観
 文観の宿敵、三宝院賢俊
 立川流という俗説
 律僧という立ち位置
 媒介者(メディエーター)として
 「太平記作者」の小嶋法師

第五章 楠正成と「草莽の臣」
 元弘の変の勃発
 常盤木の夢
 楠正成の素性
 「楠」か「楠木」か
 正成の挙兵
 散所民の長者か
 語り伝えた人々の思い
 宮廷と「民」の回路
 宋学と「破仏講」
 在野・民間の士と宋学
 「志士」という言葉の始まり
 『太平記』の嘘談、狂漢をも生ず
 「あやしき民」名和長年
 赤松挙兵と隠岐脱出へ
 鎌倉幕府滅亡

第六章 建武の新政とその難題(アポリア)
 二条河原の落書
 綸旨の乱発
 雑訴決断所の設置
 天皇の「直裁」と側近の「内奏」
 異例の人事と「下剋上」
 北畠顕家の諫奏状
 父親房の『職原鈔』と任官叙位
 既得権と世襲制の打破
 家柄と門閥の否定
 「物狂の沙汰」の政(まつりごと)
 新政の難題(アポリア)
 「足利征夷将軍」
 足利尊氏の離反
 足利対新田という構図
 南朝対北朝という構図
 「王政」への幻想

第七章 バサラと無礼講の時代
 「自由狼藉」の世界
 茶寄合の空間と「新政」
 無礼講からバサラへ
 バサラと過差の時代
 『建武式目』の「礼節」
 『建武式目』と『太平記』
 「正名」の思想
 アンビヴァレントな道誉評価
 佐々木道誉の役割
 「日本的」文化の始発

第八章 建武の「中興」と王政復古
 後醍醐天皇の死
 後醍醐の鎮魂と「原太平記」
 室町幕府の草創史として
 近世の後醍醐天皇評価
 南朝正統論はどこから来たか
 読みかえられる南朝正統史観
 論争の勃発
 わが国固有の名分秩序
 空白としての足利時代史
 正統論から国体論へ
 「国体」と幕末の「国民国家」
 王政復古と建武の「中興」
 「臣民」という思想
 法治国家のアポリア
 おわりに――近代の天皇問題

主要参考文献
あとがき
後醍醐天皇関連略年表




◆本書より◆


「序 帝王の実像と虚像」より:

「『太平記における後醍醐天皇像には、同書の段階的な成立過程とも関連して、二律背反的な評価が混在しているのだ。その崩御を語る第二一巻では、希代の帝王ぶりが、「延喜(えんぎ)天暦(てんりゃく)より以来(このかた)は、先帝(せんてい)程の聖主神武(せいしゅしんぶ)の君は、未だおはしまさ」ずと記される(『吉野新帝受禅の事」)。」
「だがいっぽうで、先例を無視した後醍醐の政治手法や、家柄や門閥を顧慮しない人材の登用は、北畠親房(きたばたけちかふさ)のような南朝方の公家からも批判され(『職原鈔(しょくげんしょう)』『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』)、また北朝方の三条公忠(きんただ)からは、その治世はことごとく「物狂(ぶっきょう)の沙汰等なり。後代豈(あ)に因准(いんじゅん)すべけんや」と痛烈に批判される(『後愚昧記(ごぐまいき)』応安(おうあん)三年三月一六日条)。」
「『後愚昧記』にみえる「物狂の沙汰」という後醍醐批判は、しばしばこの語のみが一人歩きをして、後醍醐の王権がいかに異常、異形(いぎょう)であったかを強調する文脈で引用されている。しかし、『後愚昧記』にかんするかぎり、その「物狂の沙汰」という評価は、ひたすら任官叙位の先例を墨守し、門閥貴族(いわゆる権門)の既得権益を守ろうとした者の発言だったことは注意しておく必要がある。」

「後醍醐天皇の討幕の企てと、その後の建武の新政については、従来、「怪僧」文観(もんかん)を介しての密教への傾倒や、「悪党(あくとう)」的な武士とのかかわりが強調されてきた。」
「だが、あらためていうまでもないと思うが、「悪党」とは、鎌倉幕府の体制側から、反体制的な不穏分子へ向けられた呼称である。
 また、真言宗内部の対立勢力から「異類」「異人」などと誹謗された文観は、その誹謗中傷の延長上で、「邪教」真言立川(たちかわ)流の中興の祖ともいわれてきた。だが、こんにちの研究水準では、文観弘真は、むしろ碩学(せきがく)の真言僧としての実像があきらかにされつつあり、いわゆる「怪僧」「妖僧」の文観イメージや、真言立川流の中興の祖云々は、俗説に過ぎないとして否定されている。
 後醍醐天皇の前例のない政治手法の背景にあるのは、密教であるとともに(むしろそれ以上に)中国宋代の儒学である。」



「第二章 天皇親政の始まり」より:

「『孟子』は、宋学以前には諸子の一書とされ、経書とはみなされなかった書物である(中略)。それが程顥(ていこう)・程頤によって顕彰されて急速に評価が高まり、とくに南宋の朱熹によって、『孟子』は、『大学』『中庸』『論語』とともに「四書」の一書とされた。
 宋学において儒学の根本経典となった『孟子』は、わが国では南北朝時代に受容の一つのピークをむかえている。」
「『太平記』は、第一巻の冒頭から『孟子』の語句を多用する。『太平記』に引用される経書の第一位は、『論語』であり、第二位は『孟子』である。」



「第三章 討幕計画」より:

「後醍醐天皇の宮廷で「無礼講」が行われていたことは、『花園院宸記』の元亨四年(一三二四)一一月一日条からうかがえる。」
「「無礼講」で無化される「礼」とは、「衣冠」や「烏帽子」(僧侶は「衣」の色)で標示される上下の礼であり、世俗的な身分や序列である。
 身分や序列が無化される場を設定して、天皇とその側近たちは討幕の謀議を重ねてゆく。もちろんそれは、たんに人材をもとめる手段というにとどまらない。」
「天皇の親政を掣肘(せいちゅう)する公卿の合議制を解体し、天皇が官僚機構を統括して直接「民」に君臨する統治形態が、後醍醐天皇の企てた「新政」(天皇親政)である。それは門閥や家格のヒエラルキーを無視・否定することで実現される。そのような既存の序列(礼)が無化される象徴的な場として、「無礼講」の宴は催されたのだ。
 後醍醐天皇の「新政」の企てと不可分に浮上した無礼講の風潮は、やがて建武政権下にあって、茶寄合や連歌会(れんがえ)といった芸能的寄合の爆発的な流行として現象することになる。
 建武政権下の世相を「自由狼藉ノ世界」と口をきわめて批判するのは、建武元年(一三三四)八月に京の二条河原(にじょうがわら)に掲げられた「二条河原落書(らくしょ)」である。建武政権を痛烈に批判するこの落書が、後醍醐天皇の「新政」によって既得権を奪われた者の手になることは後述する。」



「第六章 建武の新政とその難題」より:

「後醍醐天皇が企図した「新政」のモデルは、宋学の受容とともにもたらされた中国宋代の中央集権(=皇帝専制)的な官僚国家である。その「新政」の施策は、当時の公家社会に浸透していた官職の私物化を根本から否定するかたちであらわれた。」

「足利尊氏が建武政権から離反したあとの建武の乱を、「源氏一流の棟梁」の新田・足利「両家の国の争ひ」として語るのは、この時代の内乱の当事者たちによってつくられ、さらに『太平記』によって図式化されて流布した物語である。
 そして『太平記』の広汎な受容とともに流布したこの物語が、以後の武家政権の歴史に影響を及ぼすことになる。後述するように、慶長(けいちょう)八年(一六〇三)に征夷大将軍に任じられた徳川家康は、清和源氏新田流の由緒を称することで、足利氏に代わって将軍職を継承する正当性を主張したのだ。」
「「源氏一流の棟梁」の新田・足利両家の抗争という図式が、内乱の当事者たちの政治的なおもわくでつくられたように、南北朝すなわち南朝対北朝というこの時代の歴史認識も、内乱の当事者たちによってつくられた大義名分の図式だった。」

「こうして南朝対北朝という内乱の図式が成立するのだが、しかしくり返し述べるように、後醍醐天皇の戦う相手は、北朝というより、あくまで足利の武家政権である。北朝すなわち持明院統の帝は、『梅松論』や『太平記』が伝えるように、足利尊氏が天皇と戦うための大義名分でしかない。」



「第七章 バサラと無礼講の時代」より:

「足利政権はまず、バサラと無礼講の寄合を「厳制」することからその政権基盤を固めなければならず、そこに持ち出されたのが、既存の秩序を倫理的に正当化する儒教的な「礼節」の主張だった。」

「連歌会や茶寄合の盛行は、建武の新政と不可分に浮上した文化的事態である。世俗的な序列(礼)を無化してしまう無礼講の寄合は、大乱の予感をはらみつつも、やがては武家や庶民をまき込んだ「群飲佚遊」(『建武式目』)の大流行となってゆく。」

「『太平記』がイメージする「太平」の世は、君臣の上下がそれぞれの名分をまっとうすることで維持される秩序社会である。それは初期足利政権が制定した『建武式目』の思想であり、また北畠親房の『神皇正統記』にも共通する思想だった。
 そのような正名・名分の思想から、臣下の名分を無視(というより否定)してしまう後醍醐天皇の評価はおのずと決定される。」
「『建武式目』第一、二条が「厳制」する「群飲佚遊」の茶寄合や連歌会は、まさに上下の礼を無化する「無礼講」の寄合である。それは、バサラや過差の時代風潮とともに、後醍醐天皇の「新政」の企てとともに浮上・顕在化した文化的事態である。『建武式目』の時勢批判は、たしかに『太平記』の時勢批判と政治的・思想的な立場を共有している。それは「二条河原落書」の時勢批判とも基本的に共通する立場だった。
 初期足利政権が茶寄合や連歌会を「厳制」したにもかかわらず、うちつづく動乱の時代にあって、世俗的な秩序を転倒させるバサラの芸能空間は、ますますその規模を拡大させるかたちで展開していた。それはたとえば、『太平記』の後半部(第二三―四〇巻)に語られるとおりである。
 北朝方の大名たちが「無礼(ぶれい)、邪欲(じゃよく)、大酒(おおざけ)、遊宴(ゆうえん)、ばさら、傾城(けいせい)、双六(すごろく)、博奕(ばくえき)」などを好み、それら「政道のために讎(あた)なるもの」を、「独(ひと)りとしてこれを好まざる者なし」といった事態が展開するのだが(第三五巻「北野参詣人政道雑談の事」)、そのような『太平記』後半部の世界の中心に位置したのが、いわゆるバサラ大名の佐々木道誉だった。」
「道誉のこうした傍若無人のふるまいを、『太平記』はもちろん批判的に記すのだが、しかしそれは、「美々(びび)しく見えたりける」とも評されている。
 こうしたアンビヴァレントな道誉の評価は、『太平記』という作品が、序文等で説かれる儒教的な政道論の一辺倒ではなかったこと、むしろ「美々しく見えたりける」という評価に、バサラの時代のただ中にあって、時代の空気を鋭敏に呼吸していた作者の本音が露呈している。
 世俗的な規範や制度を逸脱し、またそうすることで政敵やライバルを追い落としてゆく佐々木道誉のバサラのふるまいは、かれが主宰する芸能的寄合の空間においてぞんぶんに発揮されることになる。」
「『太平記』の伝える大原野の花見は、この時代の諸芸諸道のオルガナイザーとしての道誉の非凡さをうかがわせる。現代に伝わる能楽や茶道、華道(立花)、香道などの諸芸諸道の文化は、その草創期にあって、道誉の関与しなかったものはなかったといっても過言ではない(林屋辰三郎『佐々木道誉』)。」
「そしてくり返しいえば、それら南北朝・室町期に出現した文化的事態が、後醍醐天皇の「新政」の企てと不可分に浮上・顕在化したものである以上、今日もっとも「日本的」と考えられている諸芸諸道の文化は、後醍醐天皇の「新政」の企てとともに噴出したバサラと無礼講の芸能空間に、その淵源がもとめられるのだ。」



「第八章 建武の「中興」と王政復古」より:

「身分や出自にかかわりなく、すべての民をひとしく天皇の「臣民」と位置づける思想が、士農工商の身分制社会にたいするアンチテーゼとして、ある種の解放と平等の思想でありえたことは、さきに述べた。しかし明治維新後に成立した現実の天皇制国家において、四民をひとしく天皇の「臣民」と位置づける思想は、国家が国民を直接的・無媒介的に把握する制度上の用語として読みかえられてゆく。」






こちらもご参照ください:

兵藤裕己 『琵琶法師 ― 〈異界〉を語る人びと』 (岩波新書)
網野善彦 『異形の王権』 (イメージ・リーディング叢書)
佐藤進一 『日本の歴史 9 南北朝の動乱』 (中公文庫)
川村二郎 『日本文学往還』
谷崎潤一郎 『吉野葛・蘆刈』 (岩波文庫)
横井清 『下剋上の文化』
大室幹雄 『新編 滑稽』













































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