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岡本綺堂 『半七捕物帳 (三) 新装版』 (光文社時代小説文庫)

「なんだか焦(じ)らされているようで、わたしは苛々(いらいら)して来た。それと反対に老人はいよいよ落ちついていた。こういう話はひとを焦らしているところが値打ちだといったような顔をしているのが、きょうは少し憎らしいようにも思われて来た。」
(岡本綺堂 「冬の金魚」 より)


岡本綺堂 
『半七捕物帳 
(三) 
新装版』
 
光文社時代小説文庫 お-6-18 


光文社 
2001年11月20日 初版1刷発行
421p 付記1p
文庫判 並装 カバー
定価648円+税
カバーイラスト: 堂昌一
カバーデザイン: 櫻舎



綺堂の小説には極度な雷嫌いの人物がよく登場しますが、極度な雷嫌いといえば泉鏡花とジェイムズ・ジョイスです。鏡花と綺堂はお化け好きと江戸情緒趣味で、ジョイスと綺堂は都市歩きと立ち聞き趣味で共通しています。だからどうだとかいうのはないです。



岡本綺堂 半七捕物帳 三



カバー裏文:

「歌舞伎を好んだ著者綺堂は、江戸の風土と季節感を巧みに描きながら、随所に江戸っ子のしゃれた会話をもりこんでいる。
 一話一話が今なお新鮮で、推理小説の先駆として生きつづける、捕物帳の最高傑作!
 「雪達磨(ゆきだるま)」「雷獣(らいじゅう)と蛇(へび)」「一つ目小僧」等十四編収録。(全六巻)
 江戸のシャーロック・ホームズ、半七が活躍する! 不朽の名作をより読みやすく新装刊。」




目次:

雪達磨(ゆきだるま)
熊の死骸
あま酒(ざけ)売(うり)
張子(はりこ)の虎
海坊主
旅絵師
雷獣(らいじゅう)と蛇
半七先生
冬の金魚
松茸(まつたけ)
人形使い
少年少女の死
異人の首
一つ目小僧


解説 (戸板康二)



◆本書より◆


「雪達磨」より:

「文久元年の冬には、江戸に一度も雪が降らなかった。冬じゅうに少しも雪を見ないというのは、殆(ほとん)ど前代未聞の奇蹟であるかのように、江戸の人々が不思議がって云いはやしていると、その埋め合わせというのか、あくる年の文久二年の春には、正月の元旦から大雪がふり出して、三ガ日の間ふり通した結果は、八百八町を真っ白に埋めてしまった。」
「それほどの大雪にうずめられている間に、のん気な江戸の人達は、たとい回礼に出ることを怠っても、雪達磨をこしらえることを忘れなかった。諸方の辻々には思い思いの意匠を凝らした雪達磨が、申し合わせたように炭団(たどん)の大きい眼をむいて座禅をくんでいた。ことに今年はその材料が豊富であるので、場所によっては見あげるばかりの大達磨が、雪解け路に行き悩んでいる往来の人々を睥睨(へいげい)しながら坐り込んでいた。
 しかもそれらの大小達磨は、いつまでも大江戸のまん中にのさばり返って存在することを許されなかった。七草(ななくさ)も過ぎ、蔵開きの十一日も過ぎてくると、かれらの影もだんだんに薄れて、日あたりの向きによって頭の上から融(と)けて来るのもあった。肩のあたりから頽(くず)れて来るのもあった。腰のぬけたのもあった。」
「その消えてゆく運命を荷(にな)っている雪達磨のうちでも、日かげに陣取っていたものは比較的に長い寿命を保つことが出来た。一ツ橋門外の二番御火除(ひよ)け地の隅に居据(いすわ)っている雪だるまも、一方に曲木(まがき)家の御用屋敷を折り廻しているので、正月の十五日頃までは満足にその形骸(けいがい)を保っていたが、藪入りも過ぎた十七日には朝から寒さが俄かにゆるんだので、もう堪まらなくなって脆(もろ)くもその形をくずしはじめた。これは高さ六、七尺の大きいものであったが、それがだんだんとくずれ出すと共に、その白いかたまりの底には更にひとりの人間があたかも座禅を組んだような形をしているのが見いだされた。
 「や、雪達磨のなかに人間が埋まっていた」」



「あま酒売」より:

「ここらには蛇神という怖ろしい血統があった。その血をうけて生まれた者は一種微妙の魔力をもっていて、かれらの眼に強く睨まれると其の相手はたちまち大熱に犯される。単にそればかりでなく、熱に悶(もだ)えて苦しんで、さながら蛇のように蜿(のた)うちまわる。蛇神の名はそれから起ったのである。しかし、彼等はいかに眼を大きくして睨んだからといって、それだけでは決して相手に感応させるわけには行かない。それにはかならず、強い感情を伴わなければならない。妬(ねた)む、憎む、怨む、羨む、呪う、慕う、哀(かなし)む、喜ぶ、恐れる。そうした喜怒哀楽の強い感情がみなぎったときに、かれらの眼のひかりは怖るべき魔力を以(も)って初めて相手を魅することが出来るのである。(中略)要するにすれは彼の心の奥から湧き出してくる自然の作用で、自分自身にも無理に抑(おさ)えることも出来ず、無理に働かせることも出来ず、唯その自然にまかせるほかはないのである。この村の者がほかの土地の者と結婚しないのも、この不思議な血統が主(おも)なる原因であった。」


「張子の虎」より:

「お化けが出るとかいうのが売り物で、むかしは妙な売り物があったもんですが、それが評判で化伊勢と云って繁昌した店がありました。」


「海坊主」より:

「神田川の網船屋の船頭の千八というのがおなじみの客をのせて隅田川の上(かみ)の方へ夜網に出た。客は本郷の湯島に屋敷をかまえている市瀬三四郎という旗本の隠居であった。あずま橋下からだんだんに綾瀬の方までのぼって行ったのは夜も四ツ(午後十時)をすぎた頃で、雨もひとしきり小歇(こや)みになった。もちろん濡れる覚悟であったから、客も船頭も蓑笠(みのかさ)をつけていたが、雨がやんだらしいので隠居は笠をぬいだ。笠の下には手ぬぐいで頰かむりをしていた。
 「素人(しろうと)は笠をかぶっていると、思うように網が打てない」
 隠居は自分でも網を打つのである。今夜はあまり獲物が多くないので、かれは少し焦(じ)れ気味でもあった。
 「網を貸せ。おれが打つ」
 船頭の手から網を取って、隠居は暗い水の上にさっと投げると、なにか大きな物がかかったらしい。鯉か鯰(なまず)かと云いながら、千八も手つだって引き寄せると、大きい獲物は魚でなかった。それはたしかに人の形であった。水死の亡骸(なきがら)が夜網にかかるのは珍らしくない。船頭はこれまでにもそんな経験があるので、又お客様かといやな顔をした。かがり火の光りでそれが男であることを知ると、彼はすぐに流そうとした。
 「むかしの船頭仲間には一種の習慣がありましてね」と、半七老人はここでわたしに説明してくれた。「身投げのあった場合に、それが女ならば引き上げて助けるが、男ならば助けない。なぜと云うと、女は気の狭いものだから詰まらないことにも命を捨てようとする。死ぬほどのことでもないのに死のうとするのだから助けてやるが、男の方はそうでない。男が死のうと覚悟するからには、死ぬだけの理窟があるに相違ない。どうしても生きていられないような事情があるに相違ない。いっそ見殺しにしてやる方が当人の為だ、と、まあこういうわけで、男の身投げは先ず助けないことになっている。それが自然の習慣になって、ほかの水死人を見つけた時にも、女は引き上げて介抱してやるが、男は大抵突き流してしまうのが多い。男こそいい面(つら)の皮だが、どうも仕方がありませんよ」
 ここの船でも船頭が男の水死人を突き流そうとするのを、隠居は制した。
 「まあ、引き上げてやれ。なにかの縁でおれの網にはいったのだ」
 こう云われて、千八も争うわけには行かなかった。かれは指図の通りに網を手繰(たぐ)って、ともかくもその男を船のなかへ引き上げると、かれは死んでいるのではなかった。網を出ると、彼はすぐにあぐらをかいた。
 「なにか食い物はないか。腹が減(へ)った」
 隠居も千八もおどろいていると、男はそこにある魚籠(びく)に手を入れて、生きた小魚をつかみ出してむしゃむしゃと食った。二人はいよいよ驚かされた。
 「まだ何かあるだろう。酒はねえか」と、彼はまた云った。「ぐずぐずしていやあがると、これだぞ」
 かれは腹巻からでも探り出したらしい、いきなりに匕首(あいくち)を引きぬいて二人の眼さきに突きつけたので、船頭は又びっくりした。しかし一方は武家の隠居である。すぐにその刃物をたたきおとして再び彼を水のなかへ投げ込んでしまった。
 「はは、悪い河獺(かわうそ)だ」と、隠居は笑っていた。」



「旅絵師」より:

「前にもいう通り、隠密は一代に一度のお役で、それを首尾よく勤めさえすれば、あとは殆ど遊んでいるようなもので、まことに気楽な身分にも見えますが、この隠密という役はまったく命懸けで、どこの藩でも隠密が入り込んだことに気がつくと、かならずそれを殺してしまいます。もともと秘密にやった使ですから、見す見す殺されたことを知っていても、幕府からは表向きの掛け合いは出来ません。所詮は泣き寝入りの殺され損になるに決まっていたものです。」

「澹山をそこに待たせて置いて、伝兵衛はうす暗い堂の奥にはいって行ったが、やがて二尺ばかりの太い竹筒をうやうやしく捧げて出て来た。彼は自分の家から用意して来たらしい蠟燭に燈明の火を移して、片手にかざしながらしずかに云った。
 「まずこれを御覧くださりませ」
 かなりに古くなっている竹は経筒(きょうづつ)ぐらいの太さで、一方の口には唐銅(からかね)の蓋が厳重にはめ込んであった。その蓋を取り除(の)けて、筒の中にあるものを探り出すと、それは紙質も判らないような古い紙に油絵具で描かれた一種の女人像(にょにんぞう)で、異国から渡って来たものであることは誰の眼にも覚(さと)られた。伝兵衛がさしつける蠟燭の淡(あわ)い灯で、澹山はじっとこれを見つめているうちに彼の顔色は変った。
 「これは何でございます」と、彼はしずかに訊(き)いた。
 「弁天の御像でござります」
 それは嘘であることを澹山はよく知っていた。この古びた女人像は、切支丹(きりしたん)宗徒が聖母として礼拝するマリアの像であった。」
「「先生、いかがでござりましょう。それを模写(もしゃ)して頂くわけにはまいりますまいか」」

「邪宗門ということが発覚すれば、伝兵衛も命はない。隠密ということが発覚すれば、澹山も命は無い。」



「雷獣と蛇」より:

「八月はじめの朝、わたしが赤坂へたずねてゆくと、半七老人は縁側に薄縁(うすべり)をしいて、新聞を読んでいた。
 狭い庭にはゆうべの雨のあとが乾かないで、白と薄むらさきと柿色とをまぜ栽(う)えにした朝顔ふた鉢と、まだ葉の伸びない雁来紅(はげいとう)の一と鉢とが、つい鼻さきに生き生きと美しく湿(ぬ)れていた。
 「ゆうべは強い雷でしたね。あなたは雷がお嫌いだというからお察し申していましたよ。小さくなっていましたかい」と半七老人は笑っていた。「しかし昔にくらべると、近来は雷が鳴らなくなりましたね。だんだんと東京近所も開けてくるせいでしょう。昔はよく雷の鳴ったもんですよ。どうかすると、毎日のように夕だちが降って、そのたんびにきっとごろごろぴかりと来るんですから、雷の嫌いな人間はまったく往生(おうじょう)でした。それに、この頃は昔のような夕立が滅多(めった)に降りません。このごろの夕立は、空の色がだんだんにおかしくなって、もう降るだろうと用心しているところへ降ってくるのが多いので、いよいよ大粒がばらばら落ちてくるまでには小一時(こいっとき)ぐらいの猶予はあります。昔の夕立はそうでないのが多い。今まで焼けつくように日がかんかん照っているかと思うと、忽ちに何処からか黒い雲が湧き出して来て、あれ(引用者注:「あれ」に傍点)という間も無しにざっと降ってくる。しかもそれが瓶(かめ)をぶちまけるように降り出して、すぐに、ごろごろぴかりと来るんだからたまりません。往来をあるいているものは不意をくらって、そこらの軒下へ駈け込む。(中略)しかし又、その夕立のきびきびしていることは、今云うように土砂ぶりに降ってくるかと思うと、すぐにそれが通り過ぎて、元のように日が出る、涼しい風が吹いてくる、蟬が鳴き出すというようなわけでしたが、どうも此の頃の夕立は降るまえが忌(いや)に蒸(む)して、あがり際(ぎわ)がはっきりしないから、降っても一向に涼しくなりません。やっぱり雷が鳴らないせいかも知れませんね」」
「「日光なんぞの山のなかに棲んでいるのは当りまえでしょうが、江戸時代には町なかへも雷獣があらわれて、それをつかまえたという話はたびたびありました。明治になってからも、下谷に雷が落ちたときに、雷獣を見つけて捉まえたということを聞きました。これもその雷獣のお話ですよ」」

「落雷の時には雷獣が一緒に落ちて来て、襖障子や柱などを掻き破ってゆくということは、その時代の人々に信じられていた。」

「「あれはたしか文久三年とおぼえています。」」
「「六月末の夕方、その仲町通りの空(あき)屋敷の塀外に人立ちがした。というのは、そこに不思議なものを見付けたからで、何十匹という蛇がからみ合ってとぐろをまいて、地面から小一尺もうず高く盛りあがっている。勿論、ここらで蛇や蛙をみるのは珍らしくないので、一匹や二匹蜿(のた)くっているのならば、誰もそのままに見過ごしてしまうんですが、何分にもたくさんの蛇が一つにあつまって、盛りあがるようにとぐろをまいているんですから、よほど変っています。そこで、通りがかりの人が始めは一人立ち、ふたり立ち、又それを聞きつたえて近所の屋敷や町屋からもだんだん見物人が出て来たので、その蛇のまわりには忽ち二三十人も集まったんですが、ただそれを取りまいて見物しているばかり、どうする者もありませんでした。
 『そのとぐろのなかには玉がある』
 こんなことを云う者もありました。たくさんの蛇がうず高く盛りあがって大きい輪をつくっているのは蛇こしき(引用者注:「こしき」に傍点)とかいって、そのなかには、珍らしい玉がかくれていると、昔の人たちは云ったものです。で、今もそのとぐろを巻いているなかには、おそらく宝玉があるだろうという噂が立ったものですが、誰も思い切ってその蛇に手をつける者がない。たくさんの蛇はちっとも動かないで、眠ったように絡(から)み合っているばかりですが、誰がみても気味のいいものじゃありません。武家屋敷の中間(ちゅうげん)などのうちには、生きた蛇を食うというような乱暴者もあるんですが、なにしろ斯(こ)うたくさんの蛇がうず高く盛りあがっていては、さすがに気味を悪がって唯ながめているばかり。そのうちに夏の日も暮れかかって、天竜寺の暮れ六ツがきこえる頃、そこへ一人の若い娘が来ました。
 娘は十四五で、武家育ちであるらしいことは其の風俗ですぐに判ったんですが、大勢の人をかきわけて、その蛇のそばへ寄ったかと思うと、みんなの口から思わずあっ(引用者注:「あっ」に傍点)という声が出た。それは無理もありません。その若い娘は単衣(ひとえ)の右の袖をまくりあげて、真っ白な細い手を蛇のとぐろのまん中へぐっと突っ込んだとお思いなさい。まだ十四五の小娘ですから、手の先どころじゃない、二の腕のあたりまでするすると這入って……。気の弱いものは見ただけでも慄然(ぞっ)として、眼を塞いでしまいたい位ですが、娘は平気でその白い腕を蛇のとぐろのなかへ入れてしばらく探りまわしているようでしたが、やがて何か摑(つか)み出したので、息を殺して見ていた人たちは又わやわやと騒ぎ出して、娘の手に持っているものを寄りあつまって覗いてみると、それはひと束(たば)の真っ黒な切髪で、たしかに若い女の髪の毛に相違ないので、大勢は又あっ(引用者注:「あっ」に傍点)と云う。それを耳にもかけないような風で、娘はその切髪を持ったままで何処へか行ってしまいました。
 大勢はそれに気を呑まれた形で、ただ黙ってその娘のうしろ姿をながめているばかりでした。」」

「老人の話が済んだ頃から、空はだんだんに薄明るくなって来たが、風は死んだように吹かなくなった。風通しのいいのを自慢にしているこの六畳の座敷も息苦しいように蒸し暑くなって、遠い空では時々に雷の音も低くきこえたが、ここへは夕立を運んで来そうにも見えなかった。」







こちらもご参照ください:

岡本綺堂 『半七捕物帳 (四) 新装版』 (光文社時代小説文庫)




























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Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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