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岡本綺堂 『半七捕物帳 (五) 新装版』 (文社時代小説文庫)

「「では、お話をしますが、例のわたくしの癖で、前置きを少し云わせてください。それでないと、今の人達にはどうも判り兼ねますからね。」」
(岡本綺堂 「かむろ蛇」 より)


岡本綺堂 
『半七捕物帳 
(五) 
新装版』
 
光文社時代小説文庫 お-6-20 


光文社 
2001年12月20日 初版1刷発行
445p 付記1p
文庫判 並装 カバー
定価648円+税
カバーイラスト: 堂昌一
カバーデザイン: 櫻舎



半七シリーズも後半に入ると作者も飽きてきたのか、同工異曲はともかく、文章が大味になる一方、女の人がイレズミを見せたり縛られて転がされたりといったやや煽情的な描写が入ってきたりするのはどうかと思います。



岡本綺堂 半七捕物帳 五



カバー裏文:

「『半七捕物帳』は、著者綺堂が江戸末期の切絵図(きりえず)をはじめ、古今東西にわたる広汎(こうはん)な史料を渉猟(しょうりょう)する中から生まれた。
 簡潔でメリハリのある文体に、江戸文化を身近に感じさせた、探偵小説の先駆的名作!
 「新(しん)カチカチ山(やま)」「河豚太鼓(ふぐだいこ)」「吉良(きら)の脇指(わきざし)」等十編収録。(全六巻)
 シリーズ第一作発表以来、八十年以上経てなお色褪(いろあ)せぬ歴史的名作、より読みやすく新装刊。」



目次:

新カチカチ山
唐人飴(とうじんあめ)
かむろ蛇(へび)
河豚太鼓(ふぐだいこ)
幽霊の観世物(みせもの)
菊人形の昔
蟹(かに)のお角(かく)
青山の仇討(かたきうち)
吉良(きら)の脇指(わきざし)
歩兵(ほへい)の髪切り

解説 (武蔵野次郎)




◆本書より◆


「新カチカチ山」より:

「「お信というのはどんな女だ、容貌(きりょう)はいいのか。馬鹿か、怜悧(りこう)か」」

「そのうちに、彼は何事かを思いついて、ふらりと神田の家を出た。二十八日の宵である。きょうの春雨も其の頃には晴れたが、紗(しゃ)のような薄い靄(もや)が朦朧(もうろう)と立ち籠めて、行く先は暗かった。大通りの店の灯(ひ)も水のなかに沈んでいるように見えた。半七はその靄に包まれながら、築地の方角にむかった。」

「「お嬢さまの死骸はとうとう揚がらなかったんですか」と、わたしは最後に訊いた。
 「いや、そいのお春というお嬢さまは……」と、老人は悼(いた)ましそうに顔をしかめた。「何処をどう流れて行ったのか知れませんが、房州の沖で見付かりました。これは後に聞いたことですが、房州の漁師が沖へ出て、大きな鮫を生け捕って来て、その腹を裂いてみると、若い女の死骸がころげ出た。その時には何者か判らなかったんですが、着物や持ち物が証拠になって、その女は浅井のお嬢さまだということが知れたそうです。揃いも揃って何という運の悪いことか、まったくお話になりません。浅井の奥さまのお蘭という人は里方の菅野家へ戻りましたが、亭主は水死、息子は心中、娘は右の始末ですから、いよいよ半気違いのようになってしまって、それから間もなく死んだということです。」」



「唐人飴」より:

「「今の人たちは飴細工とばかり云うようですが、むかしは飴の鳥とも云いました」と、老人は説明した。「後にはいろいろの細工をするようになりましたが、最初は鳥の形をこしらえたものだそうです。そこで、飴細工を飴の鳥と云います。ひと口に飴屋と云っても、むかしはいろいろの飴屋がありました。そのなかで変っているのは唐人(とうじん)飴で、唐人のような風俗をして売りに来るんです。これは飴細工をするのでなく、ぶつ切りの飴ん棒を一本二本ずつ売るんです」「じゃあ、和国橋(わこくばし)の髪結い藤次の芝居に出る唐人市兵衛、あのたぐいでしょう」
 「そうです、そうです。更紗(さらさ)でこしらえた唐人服を着て、鳥毛の付いた唐人笠をかぶって、沓(くつ)をはいて、鉦(かね)をたたいて来るのもある、チャルメラを吹いて来るのもある。子供が飴を買うと、お愛嬌に何か訳のわからない唄を歌って、カンカンノウといったような節廻しで、変な手付きで踊って見せる。まったく子供だましに相違ないのですが、なにしろ形が変っているのと、変な踊りを見せるのとで、子供たちのあいだには人気がありました。」」

「「だんだん調べると、こいつは外神田の藤屋という相当の小間物屋のせがれで、名はたしか全次郎といいました。稽古所ばいりをする、吉原通いをする。型のごとくの道楽者で、お定まりの勘当、多年出入りの左官屋に引き取られて、その二階に転がっていたんですが、ただ遊んでいても仕方がない、勘当の赦(ゆ)りるまで何か商売をしろと勧められた。といっても根が道楽者だから肩に棒を当てるようなまじめな商売も出来ない。そこで考えたのが唐人飴、ちっとは踊りが出来るので、これがよかろうと云うことになったが、さすがに江戸のまんなかでは困るので、遠い場末の青山辺へ出かけることになったんです。
 相当の店の若旦那が飴屋になって、鉦をたたいて踊り歩く。他人(ひと)から見れば随分気の毒なわけですが、当人頗るのん(引用者注:「のん」に傍点)気で、往来でカンカンノウを踊っているのが面白いという始末。どうも困ったもので、これでは勘当はなかなか赦りません。おまけに女親が甘いので、勘当とはいいながら内証で小遣いぐらいは届けてくれるので、飴は売れても売れないでも構わない。道楽半分に歌ったり踊ったりしている。正体を洗えばこういう奴で、隠密も泥坊もあったもんじゃない。実に大笑いでした。」」
「「全次郎はその正体が判ったので、俄かに信用を回復して、飴もよく売れるようになったそうです。何が仕合わせになるか判りません」」



「幽霊の観世物」より:

「七月七日、梅雨(つゆ)あがりの暑い宵であったと記憶している。そのころ私は銀座の新聞社に勤めていたので、社から帰る途中、銀座の地蔵の縁日をひやかして歩いた。電車のまだ開通しない時代であるから、尾張町の横町から三十間堀の河岸(かし)へかけて、いろいろの露店がならんでいた。河岸の方には観世物(みせもの)小屋と植木屋が多かった。
 観世物は剣舞、大蛇(だいじゃ)、ろくろ首のたぐいである。私はおびただしい人出のなかを揉まれながら、今や河岸通りの観世物小屋の前へ出て、ろくろ首の娘の看板をうっとりと眺めていると、黙って私の肩をたたく人がある、振り返ると、半七老人がにやにや笑いながら立っていた。洋服を着た若い者が、口をあいてろくろ首の看板をながめているなどは、余りいい図ではないに相違ない。」

「「世の中がひらけて来たと云っても、観世物の種はあんまり変らないようですね」と、老人は云った。「ろくろ首の観世物なんぞは、江戸時代からの残り物ですが、今に廃(すた)らないのも不思議です。(中略)観世物の種類もいろいろありますが、江戸時代にはお化けの観世物、幽霊の観世物なぞというのが時々に流行(はや)りました。
 お化けと云っても、幽霊と云っても、まあ似たようなものですが、ほかの観世物のようにお化けや幽霊の人形がそこに飾ってあるという訳ではなく、まず木戸銭を払って小屋へはいると、暗い狭い入口がある。それをはいると、やはり薄暗い狭い路があって、その路を右へ左へ廻って裏木戸の出口へ行き着くことになるんですが、その間にいろいろの凄い仕掛けが出来ている。柳の下に血だらけの女の幽霊が立っているかと思うと、竹藪(やぶ)の中から男の幽霊が半身を現わしている。小さい川を渡ろうとすると、川の中には蛇がいっぱいにうようよ(引用者注:「うようよ」に傍点)と這っている。そこらに鬼火のような焼酎火が燃えている。なにしろ路が狭く出来ているので、その幽霊と摺れ合って通らなければならない。路のまん中にも大きい蝦蟇(がま)が這い出していたり、人間の生首(なまくび)がころげていたりして、忌(いや)でもそれを跨いで通らなければならない。拵(こしら)え物と知っていても、あんまり心持のいい物ではありません。
 ところが、前にも申す通り、好奇心と云うのか、怖いもの見たさと云うのか、こういうたぐいの観世物はなかなか繁昌したものです。」」



「菊人形の昔」より:

「おころは孀婦(やもめ)ぐらしの独り者で、七、八年前からここへ来て、市子を商売にしている。別に悪い噂もないが、一種の変り者で殆ど近所の附き合いをしない。彼女が狐を使うという噂は五、六年前にも一度伝えられたが、その噂もいつか止んだ。それがこの春頃から再び伝えられて、彼女は尾先(おさき)狐を使うとか、管狐(くだぎつね)を使うとかいう噂が立った。しかし彼女はいわゆる狐使いのように、自分の狐を放して他人に憑(つ)かせるなどということはしないらしく。唯その狐の教えに依って、他人(ひと)の吉凶禍福や失せ物、または尋ね人のありかを占うに過ぎないのである。したがって、別に他人に害をなすというのではないが、ともかくも狐使いの名が其の時代の人々を恐れさせて、彼女が附き合いを好まないのを幸いに、近所の者も彼女と親しむことを避けていた。」

「「わたくしも暫く団子坂へ行きませんが、新聞なぞを見ると、菊細工はますます繁昌して、人形も昔にくらべるとたいへん上手に出来ているようです。しかし団子坂の菊人形を見物に行く明治時代の人達は、三十余年前にここで異人を殺してしまえと騒いだり、狐使いが殺されたりした事を夢にも知りますまい。世の中はまったく変りました。異人だの狐使いだのという言葉さえも消えてしまいました。菊人形の噂を聞くたびに、わたくしはその昔のことが思い出されます」」



「蟹のお角」より:

「「わたくしの子分の多吉という奴が、七月十一日のゆう方に、本所の番場まで中元の砂糖袋をさげて行って、その帰りに両国の方へむかって大川端をぶらぶら歩いて来る。こんにちとは違って、片側は大川、片側は武家屋敷ばかりで、日が暮れると往来の少ないところです。しかし日が暮れたといっても、まだ薄明るい、殊に多吉は商売柄、夜道をあるくのは馴れているので、平気で横網の河岸(かし)のあたりまで来かかると、向うから二人の男が来るのに逢いました。
 見ると、二人は早桶を差荷(さしにな)いでかついでいる。このごろの弔いは珍らしくもないのですが、たれも提灯も持っていない。まだ薄明るいとはいいながら、日暮れがたに早桶をかつぎ出すのに無提灯はおかしいと、多吉は摺れちがいながらに、その二人の顔を透かして視ると、なんと思ったか二人は俄かにうろたえて、かついでいる早桶を大川へざんぶりと投げ込んで、一目散(いちもくさん)に引っ返して逃げ出したのです。多吉もいささか面くらって、そのあとを追っかける元気もなく、唯ぼんやりと見送っていましたが、なにしろ早桶をほうり込んだのを、其のままにして置くわけには行かないので、取りあえず東両国の橋番小屋へ駈け着けて、舟を出してもらいました。
 おおかた此の辺であったかと思った所を探してみると、果たして新らしい早桶が引き揚げられました。その早桶の蓋をあけると、三十前後の男の死骸があらわれました。死骸は素っ裸で、どこにも疵の痕はありません。まず普通の病死らしく見えるのですが、唯ひとつ不思議なのは、そのひたいのまん中に『犬』という字が筆太(ふでぶと)に書いてあるのでした。」」







こちらもご参照ください:

岡本綺堂 『半七捕物帳 (六) 新装版』 (光文社時代小説文庫)
谷川健一 『女の風土記』 (講談社学術文庫)
石塚尊俊 『日本の憑きもの』 (復刊)






















































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分野: パタフィジック。

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好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

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